臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

ヒータ

2017-07-03 05:01:58 | Weblog
日本に住んでいると、電気、ガス、水道といった生活インフラは整備されているのが当たり前で、空気の如き存在なので気に留めることはない。ところがファベーラではこの常識が覆される。

夜間、突然目の前が暗くなる。「ああ~」という嘆息が周囲八方から合唱となって集落の空を包む。恒例の停電である。いつ復旧するのかは神のみぞ知る。1分で戻ることもあれば、2時間後になることもあり、半日かかることもありうる。大雨が降る日は、落雷などで停電の確率はさらに高くなる。日本では落雷により送電回路が遮断されても、バイパスが整備されているので停電が回避されることが多いが、インフラが弱いこの国では被害が住民に直接降りかかる。リオは亜熱帯地域なので落雷の頻度は高い。ある大雨の日に起こった停電は復旧にまる一日かかった。原因は、集落内の電柱が落雷でへし折られてしまい、電柱ごと取り替える作業が生じたからだ。自然の猛威にリオの住民は防戦一方だ。

もちろんファベーラには都市ガスなどという便利な代物は無く、小型のプロパンガスを住民は利用する。マタ・マシャードにはプロパンガス屋があるので、無くなればそこで購入すればよい。そうではあるが、調理中にガスが切れたら厄介である。夜遅くに調理していたらなおさらだ。予備タンクを用意しておけば良いのだが、ここの貸家に予備は無く、自腹を切ってタンクを購入するには5千円の出費は痛い。そのため、ガスの残量が少なくなると、使用前にタンクを揺らしてガスを確認してから調理を始める生活を送っている。

しかし、我が生活上での一番の問題は水である。水が止まると、まずシャワーが使えない。そのため同じ集落に住むスエリーの家へシャワーを浴びに行くことになる。そしてその他の生活水は、近所のアドリアーナに請うて汲ませてもらう。近所の助け無くして生活することができなくなるとは、今日の日本であれば大規模災害以外に経験することなど、そうはないであろう。ここでの暮らしは、近所付き合いの重要さを再認識できる良い機会である、と、そう思いたいところだが、やっぱり近所に頼らず生きていければそれに越したことはない。

「ヒータ、頼むから貯水槽の水を切らさないでくれよ。こっちは一旦水が切れたら数日は復旧しないのだから」
「私も忙しいんだよ。つい忘れてしまうのだから仕方ないじゃないか」
「こっちの身になって考えてくれよ」
「シャワーと流しの水を同時に流しておけば元に戻るよ」
「それが戻らないから頼んでいるんじゃないか」
「昨日は遅くまで働いていたし、今朝も片付け物が多くて気が回らないよ」
ヒータはこともなげに言い訳を並べ立てたのち、ポンプの電源を入れに奥へ引っ込んた。私はこみ上げる苦い思いとともに風霜の日々を過ごさねばならない。さらなる不条理な現象が顕在化する。建物内は一本の経路で配管されているはずの水道が、上階では圧力がすぐ戻り、私のところは一向に戻らないのだ。彼女にとっては、貯水槽の水が無くなっても、ポンプの電源を入れればそれで済む話しとなる。したがって、彼女にとっては、常に貯水槽の水を保ち続けるという動機づけは希薄で、それが度々の断水につながる。

されども私にとってはたまったものではない。もしシャワーを浴びている最中に水が止まったとしたら、そして洗濯や洗い物をしている最中に水が止まり、彼女は出かけているとしたら、いったいどうするのだ。しかもその後数日は不便な生活を強いられるのだ。

水に対する不安は私の神経をすり減らした。しかも鍵を握るヒータは私の事情などお構いなしである。状況は甚だ望ましくないことになっている。私は生殺与奪を彼女に握られているに等しい。こういう場合、この状況を利用しようとしないブラジル人は少数派だ。

「貯水槽の中が汚れているんだよ。掃除しておくれ」
「なんで俺がやらなければならないんだ」
「こういうのは男の仕事だよ」
「男とか女とか関係ないだろう。男女平等のご時世に時代遅れだぞ」
私の弁明に、ヒータは高笑いし、
「あんたが来る前には、わたしが掃除したんだよ。今度はあんたの番だよ。女は他にやることがあるんだからね」
本当に彼女が以前掃除したかなど知る由もない。だが、結局私は引き受けた。きっぱり拒絶するにはどうにも私の立場は弱い。弱気は不毛な希望的観測を呼ぶ。いわく、これでヒータは、多少は私のことを考えてくれるのだろう、と。

無論ヒータはそのような殊勝な考えなど抱くはずもなく、さらには生ごみを私のドアの前に置くようになった。いちいち丘の下まで捨てに降りるのが面倒に思っていたのだろう。さすがにそのような行為まで認めるわけにはいかず、彼女の扉の前に突き返したが、ヒータに対する不快な感情は日に日に募っていった。

本格的な暑さがしばしば訪れるようになった11月の下旬、数度目に当たる断水とその度に抗議する私に対して、ヒータは望外な提案を申し出た。2階への入口の鍵をコピーして私が貯水管理を行えと言うのだ。彼女が出入りする扉の中の空間は彼女が占有するのもやむなし、と思い込んでいた。だが、2階の小さな踊り場は簡素なガラス戸により居間と仕切られており、彼女の部屋に立ち入ることなく屋上の貯水槽に辿り着くことができるのだ。

「もしポンプが焼けたりしたらあんたが弁償するんだよ!」
と、責任転嫁を忘れないヒータの物言いに苛立ちはすれども、これでものぐさな神に頼る必要は無くなったのだ。目の上の大きなたんこぶが剥がれ落ちたように気分が軽くなった。

ところが、不条理な現象がさらに襲った。私が水の管理をするようになって以来、ポンプの電源を入れる回数は、せいぜい2日から3日に1回で充分であった。10日目あたりに、突然貯水槽の水が空になった。前日に貯水槽を満水にしたのにもかかわらずだ。最初、私はヒータを疑ったが、彼女に問いただしても、水の使い方はこれまでと変わらないと言う。トイレなどの水回りに漏れがあるかと訊ねたが、ないと答える。だが、その後も貯水槽の水の減り方は尋常でないほど早く、1日に2回水を補給しないと追いつかなくなっている。私は確かめることにした。ヒータがいない間、貯水槽内の水の減り具合を記録するのだ。すると、6時間の間に目算で180リットルの水が失われている。私が使用した量はせいぜい30リットル程度である。明らかに建物内のどこかで水漏れが起こっているのだ。

大家のペーニャに訴えても、彼女は隣州のエスピリト・サントに居るのですぐに駆けつけてはくれない。ヒータに至っては、水漏れの事実を認めようとしない。いったん貯水槽内が空になれば、私だけが数日間シャワー無しの生活を余儀なくされる。1日に2回の給水が義務付けられ、私は再び水に対して神経質になっていった。

水のためにいつも家に縛り付けられているわけにはいかない。たまには外出し、帰宅が遅くなる時もある。ある日の外出時、帰宅が午前2時を過ぎ、水が心配になり給水するため隣の扉を開錠した。鉄枠の扉は太い鎖で繋がれているので、鎖を解く際に大きな音がする。はしごで屋上に登る際、ヒータが文句をがなり立てた。こんな時間に入って来られれば強盗かと思ってびっくりするじゃないかと。非常識な時間ではあるが、彼女が勤務先より帰宅する時間はいつも午前1時であるし、なにより断水は避けねばならぬ。私は彼女の不平に耳を貸さず、屋上へと上がっていった。

水との格闘が続く中、やがて2017年を迎えた。

ペーニャの来訪は私にとってうれしいお年玉になるはずであった。彼女は屋上にもうひとつの貯水槽を設置し、配管を独立させて、各人が自分の貯水槽を管理するように提案した。新しい貯水槽は1階に直結するよう配管を変更したので、これでたとえ一時的に断水しても、すぐに水圧が戻るようになった。さらに、建物下の貯水槽を掃除し、上部をビニールシートですっぽり覆い、外部からの不純物の混入を遮断したので、水は見違えるようにきれいになった。

全ての状況はこれで好転するはずであった。ヒータが利用する従来の貯水槽からの管の水漏れについては原因が特定できなかったが、少なくとも、私にとってはもはや切り離された問題であり、彼女が一日一度給水すれば事足りる話しとなった。

配管を変更した数日後、私は2日に一度の給水をするため、鎖を施錠する南京錠に鍵を差し込み、開けようとした。だが、鍵は回らず、開錠しない。面食らってヒータを呼ぶと、2階から不敵なまなざしを湛えた彼女が顔を覗かせ、「ここは私の家だ。あんたには入らせないよ。あんたにはここに入る権利なんて無いんだからね」と、勝ち誇ったようなだみ声が降り注いだ。私は臓腑が焼けるような怒りに包まれた。

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