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臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

宴のあと

2008-02-20 02:05:34 | Weblog
盛大に火炎を吹き上げていたドラゴン花火が急に消えてしまうように、カーニバルは突然終わりを告げるというわけではない。今年の暦上のカーニバル最終日である2月5日(火)が過ぎても、バンダやブロッコは街に現れ、スエリー達は毎日のようにラパへ行き、踊り、朝方になって帰ってくる。アルト・ダ・ボア・ビスタのファベーラも、真っ昼間から多くの住人がスタンドバーでビールを呑みつつよもやま話しに興じている。

それでもその頃から近所のスーパーマーケットはシャッターを開け、インターネット・カフェも営業を再開した。停車していた貨物列車がゆっくりと動き出すように、日常に向かって時が動き始めた。

そしてカーニバル週間が過ぎ、翌週になると、人々は宴の余韻を残しながらもいつもの日常に戻っていった。クリスチーナは隣州エスピリト・サントに戻り、スエリーの恋人レオはイタリアに帰っていった。スエリーは仕事と夜間大学の授業が始まった。

隣人達と同じようにカーニバルの夢幻の世界に浸っていた私も、カーニバルの終焉とともに、その間眠っていた現実が目を醒まし、私の背中を突つき始める。私にとっての現実は、すなわち金銭の問題である。

ついに貯金が底を尽いてしまい、翌月のクレジットカード代金を払えるかどうか覚束なくなってしまった。簡易ウォシュレット(イージー・ウォッシュ)の販売を手がけてはいるが、いまだ売上がない。ブラジル人にとって新奇なこの製品が受け入れられるまでには恐ろしく時間がかかりそうだ。

昨年末以来、イパネマ海岸に行く時には必ずイージー・ウォッシュのパンフレットを持っていく。海岸中を露骨に売り歩くわけではないが、ビーチの常連達との会話の中で仕事の話が出た時にはパンフレットを見せ、相手の反応を見て脈がありそうだったら詳しい説明を行う。

だが、相手の反応を正しく見抜くのは難しい。ブラジル人は、お世辞はいくら言ってもタダだと心得ているので、さも関心があるように相槌を打ち、その製品が彼らのハートを射止めたかのように大仰に褒める。私はこれなら買ってくれること間違いないと意気込むが、いざ具体的な購入へと話を向けると、とたんに壁を回転させて姿を消す忍者のようにスルリと話をかわされる。彼らの「また今度」は金輪際やって来ないということは、寿司販売の時に身に沁みている。

いつでも酔っ払っていてろれつが回らないので、聞き取るのに一苦労する年配のおっさんがビーチにいるが、小遣いを稼ぎたいのか、コミッションを支払う条件でイージー・ウォッシュの販売を手伝いたいと言ってきた。

見るからに期待できそうにない酔態ではあるが、この際使えるものはハチの頭でもとお願いし、彼はビーチの友人をひとり、またひとりと連れてくるが、こちらのご友人方は、お世辞を言う気力も持ち合わせていない無関心な人ばかりで、予想通りというか、やはり期待できそうにない。

ともあれ、彼のようなディストリビューターを増やすことが販売実績をつくる早道と考え、金儲けに関心を示す友人達に声を掛け、これまでに数名が協力してくれることになっている。

本来ならば、製品を販売するために、実際に彼らが購入し使用して素晴らしさを体得することで、セールス・トークが真実味、真剣味を帯び、販売に結びついてゆく。ところが、彼らの財布のひもはなかなか緩まない。すなわち皆半信半疑なのだ。ユニークで面白そうで、儲かればそれに越したことはないが、自分の財布をはたいてまで販売に専心したいとは今のところ思っていないのだろう。

イージー・ウォッシュの販売が軌道に乗るまでに、私の資金が持ちこたえられないのは明白で、何とか収入の途を見つけなければならない。だが、正規に就職しようとすれば、就労ビザもしくはブラジル国民であることを示すIDカードを取得しなければならない。私がブラジル渡航以来ずっと悩み続けている問題である。

これまで何度か友人達が私に就職先を紹介しようとしたことがあるのだが、いつもその件で引っかかり、立ち消えになってしまう。現状では、就労ビザの取得は個人ではまず不可能であり、おそらく私にとって唯一であろう就職への道は、結婚によりIDカードを取得することだ。

資金の枯渇が差し迫ってきたある日、助け舟を出してくれたのが、ニテロイ在住の山下将軍の奥さんである。私の窮状を知ってか、ある時、彼女の娘と結婚したらどうかと話を持ちかけてきた。

現在その娘は小さな子どもを連れて実家に帰ってきている。奥さんは本心から私を助けようと思っているようで、結婚は単なる書類上のことであり、将来身分が保証されれば、その時は離縁の手続きをすればよいと言う。

日本人であれば、そう簡単にくっ付いたり離れたりなど、権利上の問題が発生することもさることながら、心情的にもそう易々と許されるものではないが、ブラジル人である彼女は、国の定める結婚制度が与える権利上、慣習上の意義よりも、友情を第一義に考えてくれたのである。

ところが、この話は彼女の胸の内でもっぱら温められてきたようで、奥さんからこういう提案があったと私から聞かされて面食らったのが日本人である山下将軍であった。

彼は私が就労できない状況を常に憂慮してくれ、知人にビザ取得の方法を尋ねて回るなど親身になって考えてくれるのだが、こと実の娘に累が及ぶとなると、内心穏やかならざる事であったに違いない。

後日将軍より、娘の実子の権利が錯綜してしまうという理由でこの件は無かったことにして欲しいと言われ、私としても家族全員の賛成がなければ受けられないと考えていたので、もとより異存はなかった。

この時期私にとって残念だったのは、もし結婚によりIDカードが取得できれば、確実とはいえないが、収入を得られる可能性が大幅に増え、例え就職が数ヶ月先のことで、その間資金がなくなっても、日本にいる友人に借金を申し込めば、引き受けてくれるだろうと考えていたのである。

結局、就労の問題は今に至るまで解決せず、返せる目処が立たないまま借金を申し込まなければならない状況になった。

それでも私は一種の余裕があった。私の友人のひとりで、出発前に資金援助を申し出てくれた人がいる。その時私は多少資金があったので、自力でなんとかすると言って彼の申し出を断った。だが、人間とは都合よくできているもので、その時の彼の言葉は頭に残っており、それが「いざとなれば何とかなる」という甘えにつながっていた。

そして彼に借金を申し込んだが、返ってきた答えは「不可」であった。私の状況云々というより、この1年半の間に彼を取り巻く状況が変わってしまったようだ。

借金を断られて初めて私は夢から醒めて、肌を刺す冷たい風にさらされている自分に気が付いた。

自分は直ちに決断を迫られていることを悟った。このままリオに留まるべきだろうか。女友達に頼んで偽装結婚を申し込んでみるのはどうか。謝礼を出せば引き受ける人がいるかもしれない。

だが、もし偽装結婚できたとしても、就職が決まるまで資金が持つだろうか。それに結婚の協力者への謝礼金をどこから工面したらいいのだろう。

残された選択肢は少ない。私の頭に浮かび、すぐに大きく膨らんだ考えが、サンパウロに行くということだ。

サンパウロには世界最大の日系人コミュニティがある。以前日本人街に滞在した折りに知り合った、私と同じ志を持つ青年がその街で働き口を見つけている。給料は安いだろうし、第一そううまい具合に勤め先が見つかるか分からないが、賭けてみるしかなさそうだ。

そして私にはもうひとつ、最後の切り札がサンパウロに残されている。この切り札がはかない幻-友人から借金が叶うと勝手に信じていたような-である可能性は大いにあるのだが、ともあれ、私は最後まで夢を見続けていたい。希望という名の夢を。

カーニバル (2)

2008-02-12 23:55:52 | Weblog
そもそもカーニバルはヨーロッパを発祥とするもので、中南米でも初期は白人植民者の行事として行われていたらしい。だが、アフリカ人奴隷を日常の過酷な労働のガス抜きをさせる必要から、カーニバルの時だけは彼らを解放し、自由を与えるようになった。これが今日の中南米におけるカーニバルの起源であるとされる。
(※)参考文献 ブラジル日本商工会議所編 現代ブラジル事典

つまりカーニバルは、日ごろは人間とみなされていなかったアフリカ人奴隷に、人間としての権利が与えられる時なのである。そのため、カーニバルでは平時とは違う価値基準を受け入れることになる。価値の逆転現象が起き、日常とは異質の世界が出現する。

リオのエスコーラ・デ・サンバの中心は黒人達である。「ナイトライフ」の章で述べたように、リオのカーニバルは黒人によって今日のスタイルが形成された、パレードには混血も白人も一緒に踊ってはいるが、主役は黒人であり、黒人によって興隆した文化である。以前知り合った白人系のダンスの好きな女性に、エスコーラ・デ・サンバで踊らないのかと水を向けたことがあるが、「だってエスコーラ・デ・サンバでは黒人の方がいいのよ。私は白人だから…」と、悔しそうに言っていたのが印象的だった。



暦ではカーニバル最終日にあたる2月5日火曜日、イパネマ海岸沿いの大通りを行進する「バンダ・デ・イパネマ」を見に行った。リオでも有名なバンダのひとつで、大勢のゲイが参加することで知られている。

行進する集団の中に入る。女装している男性がひときわ目に付く。集団の中心付近になると、身体を動かす隙間を見つけるのが困難になるほどびっしりと人が群れをなし、手を上げて歌い、歓声を上げている。この日は気温が27度前後と涼しかったのであるが、集団内はうだるような熱気に包まれ、息が詰まった。

私のすぐ前にいた髭面の男性が、彼の横にいた同じく髭面の男性と突然キスをし出した。ふたりの男の顔が余りにもむさくるしく、正視に堪えられるものではない。汗の臭いのこもった熱気が彼らによって作り出されているかと思うと、たまらなくなって外に逃げ出した。

それまでスエリーたちと一緒だったが、私は早々にバンダの流れから脱落したので、彼らと別行動をとることにし、別の友人のジョゼに電話した。電話に彼が出るなり、開口一番「ナンパしましょう!」とうれしそうに言う。私もよし、カーニバルだからということで、ひそかな期待とともに彼に同意する。

ジョゼの行動は迅速だった。いや、手当たり次第と言えるほど躊躇がなかった。ビールを買った露店で、そこにたむろしていたふたりの20代とおぼしき女性に、「バンダはもうここを通過した?」と声をかけたかと思うと、ふたりに私を紹介し、彼が日本語を少し話すことや、日本についての話題、彼女達の職業についてなど、自然に話しが進んでいく。

事前に「おい、あの子達どう?」「そうだな、いっちょ声をかけてみるか」などという日本人的(?)な談合は一切なく、彼女達がとりわけ美人というほどでもなかったので、はじめにジョゼが女性に話しかけた質問が、知り合いになるための単なる口実であったことに私が気付くまで、少々時間がかかった。その間早くもジョゼはスリムな看護婦の方に狙いを定めたようで、体を看護婦に向けて熱心に話しこむ姿勢を見せた。自動的に私は「ちょっと太目のジュディ・オング」という感じの女性の相手をすることになった。

正直ポルトガル語で話題を切らさぬよう話し続けたり、相手の話しの内容を正確に理解する自信はなかったが、人間覚悟を決めると何とかなるもので、会話は一応成立している。すると、後からふたりの女性-ひとりは年配者であったが-が現れた。ジュディ・オングの妹とお母さんであった。妹の方は姉よりもさらに大柄で腹まわりが膨らんでいる。

彼女は私をみるなりかすれた声で「シンギ・リンギ!」と意味不明な言葉を叫び、それが私の呼び名になった。ハイテンションの彼女に私も調子を合わせ、彼女をシンガ・リンガと名づけ、姉のジュディよりもデブでタヌキ顔で少々イカレたシンガ・リンガの方が気安く感じたので、会話の相手はシンガ・リンガに移っていった。

雨が降り出したので街角のスタンドバーのひさしの下に移動しながら、ビールを片手に1時間ほど雑談した後、バンダ・デ・イパネマが終着地の公園に到着したというので、皆で公園に向かう。ジェネラル・オソリオ公園の入り口に差しかかった時、シンガ・リンガが突如立ち止まり、口をポカンと開けて指差すのでその方向を見ると、5人の男達がひとかたまりになって集団キスをしている。

ブラジルで同性愛者がどれだけ社会から迫害されているかは知らないが、少なくともからかいやさげすみの対象になっていることは感じられるので、カーニバルの間は普段の鬱憤を晴らすかのように、ことさらゲイ・パフォーマンスに努めるのかも知れない。

ゲイや、あるいはノーマルの人々も混ざっているかも知れないが、様々なコスチュームで女装した男達の行き交う姿を眺めながらシンガ・リンガと何やら話していると、横にいたジョゼがいきなり看護婦に強引にキスを迫り、「おい、早過ぎやしないか?」と私が彼の行動に不安を覚えたのもつかの間、抵抗していた様子に見えた彼女は一転彼を受け入れ、濃厚なキスが始まった。

出会って1時間あまりでものにしてしまう彼の行動の速さに再び意表をつかれ、同じくポカンとするシンガ・リンガとともに言葉を失い、頭の片隅から「おい、今がチャンスじゃないか。彼女にキスしろよ」という声が聞こえてきた頃にはもはや時節を逸していた。

べったりとくっ付いたまま離れないジョゼと看護婦の傍らで、冷蔵庫の中で忘れ去られ、すっかりスが立った大根をかじった時の気まずい味気無さを、私とシンガ・リンガが過ぎ行く時間に味わっているうちに、長い小用からジュディ・オングとお母さんが戻ってきた。

スエリーの従姉妹のベロニカとペーニャが偶然通りがかったので、彼女達とその男友達が仲間に加わった。男のひとりはベロニカが連れて来たアルゼンチン人で、ものすごいハンサムだ。

「君、英語できる?」と彼が私に尋ねたので、「多少ならね」と答えると、「多少ってことはあまりできないってことかな」と言う。往々にして英語を母国語としない国の人間は英語にコンプレックスを持っているので、自分より英語のできない奴を馬鹿にする傾向があるが、20世紀初頭の栄光を引きずった没落貴族のアルゼンチン人はいっそうその傾向が強いのかと内心むっとしたが、話してみると彼の英語の方が私よりも下手なので、私は安心して彼を小馬鹿にするような早口の英語で彼を困惑させた。

鬱屈した英語へのコンプレックスを発散し合っている分にはまだかわいいが、鬱積した人生への不満をけんかで発散することがしょっちゅうあるのがカーニバルだ。

ペーニャが連れて来た混血のブラジル人は粗暴そうな顔つきだったので話しかけずにいたのだが、雨が強くなってきたので木陰に移ろうと皆で移動した際、何が起こったのか突然言い合いが起こり、その男が他の見知らぬ男につかみかかろうとして、周囲から止められ、その周りには人だかりができた。

後でペーニャに聞くと、別の男が自分に言い寄ってきたので、連れの男が怒り出したと、喜びと得意に満ちた表情で話すので、私は心底むなしくなった。

雨足が強くなり、髪の毛から雫が滴るほど濡れながらも公園でビールを呑み、話し、冗談を言い、けらけら笑い、その間もジョゼと看護婦はベタベタとキスをしながら、どのくらい時が経ったかも判別しなくなった頃、ラパに行こうと言い出す者がいて、とりあえず一次会はお開きということになった。

それにしても驚いたのはシンガ・リンガのお母さんだ。50歳をゆうに越えているはずであろうに、数時間の間ずっと立ちっぱなしで、雨に濡れながら若者達と一緒にビールを呑み続けて、冗談を言い合うエネルギーには感心した。

日本人ならば、50歳を過ぎてまで、そんな真似などしたくないという人が圧倒的だろうが、頭に飾りを着けて、外見も行動も若者と同じく振舞うブラジルのおばさん達は、ある種の尊敬に値すると思う。



ジョゼと看護婦、お母さんとけんかっ早いブラジル人を除くその他の者はラパに行くことになった。ジョゼたちがこの後どうなるのかは知らないが、ともあれ彼は目的を達成しつつあるわけだ。

いまだ振り出しなのが私。身体が疲れていたのでラパに行くのは気が進まなかったのだが、ジョゼの励ましと、カーニバルには何かが起きるかも知れず、それを最後まで確かめたいという好奇心がかろうじて勝ったということだ。

深夜のラパ。だが、空は地上に満ち溢れる光が雲に反射し紫に映え、街路そして広場はひとつの巨大なスタジアムであるかのように、膨大な数の人々が集まっている。そして眠りを完全否定するサンバの轟き。この夜は野外コンサートが行われていた。

バスから降りるやいなや、シンガ・リンガとジュディは駐車している車の間に入り、しゃがみ込んだ。リオでいつも悩みの種となるのがトイレの問題だ。公衆トイレがなく、スタンドバーのトイレを借りるにせよ、今日のようなイベントがある日にはとても収容しきれるものではない。したがって、おびただしい量のビールが消費された後は、路上のいたるところで排出される。

悲しいかな、リオの街のにおいは小便の臭いだ。ラパでは酔っ払いたちの後始末のせいで、そしてその他の街では路上生活者の生活臭のために。

それにしても、閑静な住宅地フラメンゴに住む白人の彼女達が、男のように道端で用を足すという行為には驚いたが、酒と音楽と踊りと愛欲が渦巻くラパの街では、羞恥心などねっとりした雰囲気の中に溶けてしまう。そして頭上に落ちる雨がそれを完全に洗い流してしまうだろう。

私も羞恥心を洗い流して所期の目的を遂行することを決意し、シンガ・リンガを楽しませるために野外コンサート場で踊りまくった。

青い目をくりくりとさせて踊るシンガ・リンガ。白い彼女の肌が雨に濡れてつやつやと輝く。丸いはずの彼女の顔が徐々に端整な顔立ちに変わり、鼻筋が通った美女に見える。そう見えるのは酒とダンスによる幻覚症状であることに気付くのは、翌日写真に写った彼女を見た時の話しだ。

踊りながら、彼女の顔に自分の顔を近づけ、キスしようとしたが、彼女は許さない。なぜだめなのと聞くと、ボーイフレンドがいるからと言う。なぜ彼は君を放ったらかしにしているんだと尋ねると、あそこにいると言って指差す先に、ビールジョッキ型のハットをかぶったデブ男がいる。嘘つき、私は信じないと言うと彼女はうっすらと笑い、再び踊り始めた。

彼女の機嫌をとるため、ロック音楽に合わせて猛烈にステップを踏みながら、私の身体は徐々にきしみ始め、疲れが背骨を伝わり全身に広がり始めた。歯を食いしばって踊りながら、なぜ私はこんなことをしているのだろう、という思いが脳内に膨れ上がった。

時が経つにつれ、我々の頭を狂気が支配し始めたかのように、物事が判別しづらくなった。彼女の口からのでまかせだと思っていたジョッキハット男と彼女が交わす会話から、彼らが旧知の間柄のようであり、すると本当に彼女の恋人のようにも見えたし、元恋人のようにも見えた。

ふいに彼女が、ジョッキハット男の友人が着けているネクタイを口にくわえ、もぐもぐと口の中に入れ始めた。周囲にはマリファナのべったりと甘い臭いが立ち込めている。私は吐き気をもよおした。もはや一刻も早く帰りたかった。



結局シンガ・リンガはジョッキハット男と、またジュディ・オングは間際になってパートナーを見つけ、彼らは一台のタクシーに乗り込み去っていった。

私は重く疲れた足を引きずるように歩き始めた。疲れてはいたが、とにかくこの熱狂から解放されたいと思い、歩き続けた。

悔しさもむなしさも特に感じなかった。ただ、疲れ以外に何も感じない自分に対し、若くないということだけが実感できた。

サンボドロモの裏手の道で、10名位の人々がエスコーラ・デ・サンバの山車を押していた。晴れ舞台の後で、役目を終えて全ての電源を消した山車が、暗い夜道にぼんやりと浮かび、音もなくゆっくりと進んでいた。

さらに歩き続けると、ふたりの黒人が道の両側に広がって、伏し目がちにゆっくりと歩いていた。私はとっさに身の危険を感じ、きびすを返して引き返し、近くに停まっていたパトカーに近づき、駅への道順を尋ねることで彼らの接近をかわした。私は自分の身を守ることに集中した。いつもの緊張感が体内にみなぎり始めた。

カーニバル (1)

2008-02-08 04:34:56 | Weblog
リオのカーニバルが始まった。

カーニバルは、聖週間に始まる復活祭を基準とした民俗行事のひとつで、復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)に先立つ4日間を中心に行われるが、復活祭の日決めには月の暦が用いられるため、カーニバルもまた年によって開催日が異なる。2008年のリオのカーニバルは2月2日(土)から5日(火)までの期間ということになるが、実際には更に長きにわたり様々なイベントが繰り広げられる。

リオのカーニバルと聞いて、誰しもまず思い浮かべるものは、あの、壮麗な山車と絢爛な仮装のパレードであろう。エスコーラ・デ・サンバと呼ばれるチームが、直線形の会場サンボドロモでパレードを行い、優劣を競う。

日曜日と月曜日には12チームからなるトップグループによる競技が行われる。出場するエスコーラ・デ・サンバは1チームあたり4千人あまりを擁し、持ち時間の中で、サンバに乗って会場を行進、それぞれがテーマを持ち、踊り、装飾、ドラムス、全体の調和等を各チームが競い合う。

会場内に響き渡るサンバの歌声。身体をびりびり震わせる打楽器。薄い飾り衣装と大きな羽をつけたパッシスタと呼ばれる女性達が鮮やかで艶やかなダンスを披露し、カラフルなコスチュームを着た一群がコマのようにくるくると踊る。巨大な山車がそろりと動き、停まり、また動く。山車の形は船、馬車、城、塔、人形、怪獣、得体の知れないものなど千差万別だ。煙や火を噴き出す山車もある。

初めて観る者は怒涛のように押し寄せるエネルギーに圧倒され、興奮、陶酔するに違いない。ただ楽しむために壮大なムダを創り上げる人間の底知れぬパワーの発露。

カーニバルの楽しみはエスコーラ・デ・サンバだけではない。この期間は街中が浮かれ騒いでいる。主な地区にはブロッコもしくはバンダと呼ばれる打楽器と歌を中心とする音楽隊があり、地元の通りを行進する。踊りたい者はその行進の列にくっついて踊ればよい。

カーニバルにおけるもうひとつの楽しみはナイトクラブである。酒とダンスと男女の出会いの場であるのだが、カーニバル期間中のナイトクラブは極端にはめを外したものとなるようだ。

リオ近郊ニテロイに住む山下将軍の話しによると、かつて彼が上流階級の集まる高級ナイトクラブに行った時、平時の紳士淑女がカーニバルになると男女の欲望をあらわにして、クラブ内のところかまわず狂態が繰り広げられたという。

私が旅行で訪れた2年前のカーニバルの時、友人Ogawa氏とコパカバーナの「ヘルプ」というディスコに入った。フロアはブラジル音楽とヒップ・ホップのふたつの部屋に分かれていて、洒落た雰囲気の店であった。

カーニバルなので、踊っている女性の多くが仮装しているが、中には大胆に胸をさらけ出している娘もおり、踊る姿はストリップそのものであった。そして男性が声を掛けなくとも、女性の方から次々と私や友人に声を掛け、夜の約束を取り付けようとする。驚いたことに、ここに集まったほとんどの女性が娼婦であった。あるいはカーニバル中だけ娼婦に変身する女性もいるのかもしれない。

世界の歓楽地事情を知るOgawa氏も、これだけ開けっぴろげな光景を目にしたのは初めてだという。カーニバルは人間の抑圧された本能的欲求を開放させる。そして、カーニバルの本場リオ・デ・ジャネイロだからこそ、入道雲の如く立ち昇る欲望に対する巨大な受け皿が用意されているのだろう。


金曜日の夜、仲間達とラパに出かけた。前回同様スエリー、クリスチーナと一緒だが、ベルギー人のペーターは帰国した代わり、彼の女友達でベルギーとブラジルの両国籍を持つパトリシア、そしてスエリーの彼氏でイタリア人のレオが加わった。

時間が若干早かったせいか、広場や通りに人がぎっしり埋まっている週末の入りの7割ほどの混み具合であろうか。いつもと違うのは、多くの連中が仮装していることだ。

突起状のアクセサリーが付いたヘアバンドを着けた女性、シンデレラのようなティアラを頭に載せた女性、アイマスクを着けレイを首から掛けた女性、アラブのローブを着た男性、女装した男性等々。道端には仮装用の小物を販売する露天商が連座している。通りのどこからか、打楽器の打音が聞こえる。

仲間達は通りをさまよい歩き、私は缶ビールを片手に彼らの後をついて行く。移動には人込みをかき分けなければならないこともある。私は人込みと集団行動が苦手なので、たちまち疲れを感じ始めた。

彼らがめざしていたのはラパのブロッコであった。激しく打ち鳴らされるドラムス。がなるように歌う男性歌手。銀色に光り輝く衣装を着け、華麗にサンバを踊る踊り子たち。彼らの後に続くのは音楽に合わせて踊り浮かれる人々の大群であった。

集団に交わろうとしたとき、私の横2メートルほどの距離にいた若者が突然ビール缶を地面に叩きつけた。彼の顔は憤怒に歪んでいた。彼の怒りの原因は定かではなく、そのことが私に恐怖心を与えた。

ゆっくりと進む行列の中で、人込みに息が詰まりそうになりながら、ステップらしきものを踏みながら前進する。私のかかとをぐさりと踏みつける女性。酔った目をした若者達が次から次へと隣のクリスチーナやパトリシアに声を掛けているが、彼らの行動は本能丸出しといった風である。彼女達はその気がなさそうなので、私が彼女達の友人であることを示すために無理やり会話に割って入るが、酔った彼らが何をしでかすか危なくて仕方がない。

もし彼らが私に危害を加えようとすれば、私も我を忘れそうだ。激しいリズムで鳴らされる打楽器が、人々の潜在的な暴力の欲求を増幅させているようだ。この私も含めて。

たまらず私は集団から脱出し、彼らも私の後に続いた。こんな状況では危なくて踊れないと言うと、彼らは音楽隊の先頭部に行こうと言い私を導いた。そこは砂利を敷いたような人込みではなく、息がつける空間があった。

頭蓋を突き抜けるようなドラムスの音。リズムに身体を委ね、ステップを踏みながらゆっくりと行進する。空間にゆとりができたので、恐怖と苛立ちは徐々に静まり、今度は打楽器のリズムが陶酔感をもたらし始める。

まるでウサギが跳ねるように小柄な身体を軽やかに回転させ、丸い尻を振って踊るスエリー、高いヒールを履き、プロポーションの良さを衆人にアピールしながら女王のような貫禄で踊るクリスチーナ、大柄な身体にもかかわらず、足を小刻みに動かし、しなやかにステップを踏むパトリシア、左右に大きく身体を振り、熟練した踊りを見せるレオ。

パトリシアが私を呼びとめ指差すので目を向けると、側道から若い娘ふたりが私に向かって愛してると大声で叫んでいる。何事が起こったか頭が理解する前に投げキッスを送り、行進とともに彼らはたちまち視界から消えた。大柄な混血の男性がパトリシアとすれ違いざまに声を掛けたかと思うと、突然ふたりはキスを交わした。そして男は立ち去った。皆が欲望のままに動いている。

乱痴気騒ぎに天がしびれを切らしたかのように、雷鳴がとどろき始め、やがて大粒の雨が降り出し、たちまち土砂降りとなった。今夜の浮かれ騒ぎはお開きとなったが、カーニバルはまだ始まったばかりだ。