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臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

パンデミック下での鍼灸治療

2021-05-05 17:22:03 | Weblog
明け方のマタ・マシャード集落を包む深緑は一年中その色を変えずとも、山間の凛気は季節とともに表情を変える。すなわち、太陽が北に遠ざかる候の朝は身をすくませるような、そして太陽が頭上きらめく候の朝は冷涼さの中に熱気の卵を孕んだような、視覚の変化は僅少なれど、体感的、そして予感的に時候のうつろいを窺わせるのがリオの四季である。

2020年、新型コロナウイルスは暑さが曲がり角に来た3月に猛威を振るい始め、冬季にピークに達した。消毒液を使うとはいえ、狭い室内で接触が不可避な鍼灸業は休業を余儀なくされ、引きこもり生活を送ってきたことは既に書いた。ストレスの多い仕事や日常の雑事から解放され、かえって心のゆとりを取り戻したが、もうひとつ、パンデミックは私に贈り物を届けてくれた。それは、ブラジル人の互助精神の発露であった。

飲み友達でもある大家のセルジオは、私の仕事が止まるのを知るや否や、すぐに家賃の値引きを買って出た。友人のジョゼ、そして診療所オーナーのナカムラ氏は金銭的援助を進んで申し出た。さらに、家政婦として働いているセルジオ夫人の紹介で、出張診療を行っていたコパカバーナの住人クラウジアは、パンデミック到来後も私への治療費を毎週振り込んでいるのだ。治療を全く行わないにもかかわらずだ。

クラウジアは繊維筋痛症を患っている。レディ・ガガが罹患したことで知られるこの病気は、女性に多く、全身性疼痛や疲労感、不眠、頭痛、喉の渇き、うつ症状等、様々な症状がみられ、原因は特定できていない。彼女のケースでも複数の症状がみられたが、特に足の痛みがひどく、歩くのが困難な程であった。治療を始めた頃は、私はまだ鍼灸コースを卒業すらしていなかった。試行錯誤を繰り返しながら、時間がかかりながらも足の痛みが和らいだことは、新米鍼灸師にしてはたいそう上出来の部類ではあったが、発症と心理的要因になんらかの関連性が考えられることから、治療内容はさておいても、逐次彼女の容態や状況を尋ね、一進一退する症状に煩悶し、奮戦する姿が、彼女にとって何らかの癒しになっていたのかもしれない。

私にとっても、彼女への治療を通じて、その後の患者全般に対する診療の基礎が築かれていった。いわば彼女が私を育ててくれたのである。そのクラウジアからの金銭的援助は、治療への信頼を得ている証として、ひとつの大きな自信になったとともに、彼女の底抜けに深い優しさと慈悲に触れたことで、何かと心をすり減らすことの多いブラジル社会の中で、生き抜くためのエネルギーと希望を授かったような思いであった。

寒期は非力な電熱線シャワーが温もり始めた10月には、リオにおける新型コロナの感染者数に減少傾向が見られ、マタ・マシャードの住人からたびたび鍼灸の問い合わせが入るようになった。外出制限からくる運動不足は足腰をはじめ身体の様々な箇所に痛みを生じさせる。感染リスクは未だ存在するが、患者からの要望には応えたいし、実践不足でなまった腕を早く磨きたい。斯くして自宅での診療を再開することとなった。

客足が戻るのは早く、すぐにコロナ前の水準に達した。週3日の診療日を設け、10名を超える予約が入った。平日の曜日を空けているのは、今後クラウジアのような高級住宅地に住む患者への出張診療に当てたいからだ。近隣住民の診療では施術費を高く設定できないので、生計を立てるためには出張診療の顧客を増やさなければならない。まずはクラウジアに診療再開の打診をした。

彼女は入室時の入念な消毒を条件に診療を承諾した。薬やホルモン療法で痛みを紛らわしていたが、3回目の施術で快方に向かった。時期を同じくして、クラウジアのマンションから程近くに住む70歳代の女性から膝痛の治療の要請があった。コロナ前に出張診療を行ない痛みは和らいでいたのだが、また再発したようだ。クラウジアの診療後に訪問、1回目の治療を施し、1週間後の予約を確認した。予約日当日、再び彼女のマンションを訪れた。管理人に取り次ぎを頼むが、応答がないと言う。その矢先、ガレージ脇の戸口から当の女性が現れた。外出姿の彼女に今日の予約のことを話すと、予約の覚えがないと言う。押し問答をしても仕方がないので、現在の膝の状態はどうかと聞くと、調子は良いとのこと。ならば問題はないと言い、帰りかけると、彼女は来週の予約を依頼した。だが、予約日の前日にメッセージが届いた。都合が悪くなったのでキャンセルしたいとのこと。私は察した。彼女が、いや、彼女の家族が私の訪問を危惧したのではないかと。未だコロナ禍が収まらない時期に、公共交通機関を利用する人間との接触は感染の恐れが充分にあると判断し、治療を中止するよう彼女を説得したということは充分に考えられた。

まもなく新型コロナの感染者数が増加に転じ、クラウジアへの治療も中断となった。アテンドを行なうのはマタ・マシャード集落の近隣住民のみとなったが、11月のこの地区は雨が多く、降雨時にはとたんに予約患者のキャンセルが続発する。湿気多い部屋でぽっかり空いた時間を埋め合わせるように頭に浮かぶ考えは、リオで仕事を続けるのは難しいという思いである。やがてパンデミックも終息するであろう。だが、今後、高所得者層の多い居住地区での顧客の獲得は厳しくなるのではないか。一度他地区の低、中所得者層との接触をリスクと捉えた者は、極力これらの層との接触を避けようとするだろう。そのような者にアプローチするには同じ地区に住むか、車を持つかであるが、いずれも私の財力では不可能である。では、近隣住民のみの対応で生活できるかといえば、良くてカツカツ、とても貯蓄などできるものではない。

このような状況下、実家から父親の近況が伝わった。脚力が弱っていたことは知っていたが、もはや自力で立ち上がることができなくなり、パーキンソン病的な症状を示し、入退院を繰り返しているらしい。身辺の世話は母が一身に負っているが、その負担は老齢には酷であろうし、入院やリハビリ等の医療費負担も心配である。
「いよいよ外堀も内堀も埋まったか」
日本帰国の決断が喉元まで迫ってきた。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (No君)
2021-05-07 14:34:28
Welcome back!!ブログの更新を渇望しておりました! 今回も色彩のあるブラジルの風景と地球の裏側での苦悩とのコントラストに切なさを感じます 酔夢譚しております 
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