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臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

帰国

2013-05-12 12:03:35 | Weblog
イゴールの一件があり、ドトールに対して大いに失望したが、それでも彼のおかげで私はブラジルに留まり永住ビザを取ることができたわけで、その恩返しをしたい気持ちはまだあった。

彼の関心事は事業拡張で、つまるところ金儲けである。彼は治療院の他にヤマメジという健康器具の販売会社を持っており、日本の健康器具をコピーした商品を売っている。また、高ミネラル含有の鉱泉を買い取り飲料水として売り出したり、診療所の空きスペースを活用したカイロプラクティック学校の開校をもくろむなど、やる気まんまんである。そもそも、私はカイロとともにエノキ栽培をやれということで呼ばれたのである。

だが、肝心なのはアイデアを実現し軌道に乗せるために具体的な事業計画を練ることである。以前、本業とはまるきり関係のない和食レストランの経営を手がけたことがあったが、後先をまるで考えずに開業した結果、そうそうに潰れたらしい。

レストラン経営の失敗で自分の無計画性を反省したらしく、ドトールは商売のアイデアについてたびたび私に相談してきた。私は自分で事業を起こしたことはないが、事業家の父の傍らで働いた経験を踏まえ、アイデアを具体化するための意見を交換した。私にとっても、こういった機会は将来自分がブラジルで事を起こす際、いい勉強になると思った。

これまでのヤマメジの商品は健康枕とか腰痛防止クッションといったありきたりなもので、診療所に訪れる患者が購入する以上の広がりは見られなかった。ところが、ある商品のアイデアはドトールの前途にまばゆいばかりの光明をもたらした。それは日本より輸入販売している商品よりヒントを得て製作した遠赤外線サポーターで、それを足の土踏まずに装着することで、姿勢が矯正され、足腰の疲れが軽減し、血行が良くなり、健康を増進するというシロモノである。

サンプルを試してみると、確かに足腰が楽になったような気がする。ドトールいわく、サポーターが土踏まずを適度に締めることで体の中心部の筋肉がはたらき、正しい姿勢が保たれることで疲れが軽減されるらしい。バイオバランスと名付けられたその製品を試着した患者からの予想を上回る好評は、ドトールを有頂天にさせた。早くも彼の眼には、バイオバランスが飛ぶように売れて金がうなりをたてて押し寄せてくる、そんな光景が映し出されているかのようだ。

ドトールはこれをいくらで、どのようなルートで販売すべきかの相談を持ちかけたので、私は販売ルートを検討し、クリチーバ市内のドラッグストアのリストアップを行ったり、利益率を計算し、表やグラフで示したりした。事業を成功に導き大きく儲けることはドトールの望みでもあり、私にとっても給料アップのチャンスと考えた。事業に貢献し評価を得ることで今のカツカツの生活から脱したかった。

だが、はしごは唐突に外される。ある日パソコンの前に座る私の傍らにドトールが近づき、こう言った。
「まがみくん。君はマッサージの勉強に集中しなさい。まずはそちらで一人前になる方が先だよ」
彼がバイオバランスの利益に私を関わらせたくないという魂胆がはっきりとうかがえた。私が金銭面に関して触れる前に彼の方から先手を打ったというわけだ。彼の貪欲さにうんざりすると同時に、もはや彼を信用することはできないと思った。

ドトールへの忠義心がしぼむのと反比例して、日本への望郷、帰国したいという念が強くなっていった。不法滞在中には不可能であった帰国が、いまやかなう立場になった。勤務を続けながら、休暇を利用した一時帰国ができればいいのだが、ドトールの下で働いていたら往復の航空運賃などいつまでたっても稼げたものではない。日本にいったん帰り、金を稼ぎ、再びブラジルへ戻るというアイデアが急激に膨らんでいった。今なら震災の復興事業で職も見つけやすく金も貯まりやすいだろう。5年と半年にわたるブラジル生活で体内に溜まった疲れを洗い流したい、そんな思いがいよいよ抑えきれなくなった。

***

2012年3月1日、飛行機はまもなく成田空港に到着しようとしていた。周囲はアジア系の顔ばかりで、彼らが交わす会話が逐一耳に届くのが何となく煩わしい。久方ぶりの日本に帰ってきたという喜びが心の底より静かに湧いてはいるが、一方で片付かない気持ちも併せ持っていた。果たしてこれでよかったのだろうか、決断を誤ってはしないか、そんな迷いが依然残っていた。

ドトールとは喧嘩別れに終わった。私が辞めて帰国することを告げると、彼は給料の一部を支払おうとしなくなった。その件は抗議により解決したが、その後、従業員に約束していたバイオラバー販売に対するコミッションの支払いを、いとも簡単に反故にしてしまう彼の軽薄さと金銭への意地汚さに私は声を上げずにはいられなかった。私は声を荒げて彼を責め、彼も大声で私をなじった。いまさらたいした金額ではないので、黙っていた方が楽であるとはわかっていたが、あまりに人をなめている彼の態度に一矢を放たずにはいられなかったのだ。

彼との関わりを全て断ち切るつもりで、彼から譲り受けた物品を突き返すためにまとめてみると、意外なほどたくさんあったことに気が付いた。ズボン、ワイシャツ、普段着、ジャケット、運動靴。もはや返すことができないものもたくさんあった。これまで幾度となく奢ってくれたレストランの料理や彼の自宅で振舞われたワイン、彼から教わったマッサージの技術や運勢を上向かせるコツなるもの、そして永住ビザを得るに至ったその機会。そして最後にドトールからもらったもの、それはカイロプラクティックを日本で学び、再びブラジルに戻った時、ドトールのように治療院を開業するという目標。彼は私の目標の具現者だ。

飛行機は成田空港に到着し、私は日本へ戻ってきた。これでよかったのかどうかは今なお判じることはできないが、ともあれサイは再び投げられ、私は次の章に足を踏み入れた。夕闇の中スカイライナーは疾走し、街灯かりを車窓の彼方に送り飛ばす。6年近く経ち、両親の顔はどれだけ老け込んだだろうか、久しぶりに会うであろう友人達には何といって話を切り出そうか、などとぼんやり車窓を眺めながら、つらつらと考えていた。

池袋に着き改札を通ろうとして、ハタと迷った。自動改札に切符を通す受け口が見当たらない。私の不在の間に支払いはカード方式が主流になり、カード専用の自動改札があることを知らなかったのだ。戻るため身体をひねろうとすると、背後より私のバックパックをドンと突かれた。ハッとして振り返っても皆素知らぬ風である。ここは日本だという苦々しい現実に一気に引き戻された。