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【神社】境内に幽閉された神"高光姫命"を祀る~先宮神社@ 長野県諏訪市大和(すわしおわ)

2022-10-30 | 神社・仏閣
今回は、以前訪れた手長、足長神社と同じく国譲りでタケミナカタと戦って敗れた土着神「高光姫命」を祀る先宮神社の紹介です。
鎮座地は、JR上諏訪駅より北東へ1.5㎞山沿いに上がった旧甲州街道沿いにあります。

先宮神社 石鳥居
文化九年壬申(1812)建立

拝殿
こじんまりとした社殿ですが、創立は文明十八年(1486)以前 と伝えられている古社でもあります。
古くは、新海宮社、鷺宮とも呼ばれていたそうです。
本殿
祭祀:高光(照)姫命(たかてるひめのみこと)別名:稲背脛命( いなせはぎのみこと)
 高光(照)姫命は建御名方命の姉神で、稲背脛命は出雲の国譲りの際、事代主命(建御名方命の兄神)に事を告げる役目の神様です。
珍しく諏訪の地にありながらタケミナカタを祭祀としない一社ではありますが、どちらの神もタケミナカタが国譲りで追われる以前に関係していた興味深い神様でもあります。
由緒:先宮神社の創立は古事記の「国ゆずり」の神話の一節にみえる。  諏訪神社の祭神「建御名方命」が出雲より、州羽 (諏訪)の地に 遷御された以前より、すでに原住民の産土神であった。 しかし「建御名方命」が諏訪神社に鎮座した当時、国ゆずりの為 抵抗したが遂に服従し、現在の社地に鎮座することになった。
この事により他地に出る事は許されず、今でも境内前の小川には橋を架けないとの言い伝えがある。神社の史料など乏しいが、文献では大和地籍には数ヶ所の遺跡があり、嘉禎三年(一二三七年)以前に集落が形成され、漁撈・狩・農業・養蚕等・農耕の「神」を祭り、共同体として生活し、 寄り所として神社を築き、豊作祈願や感謝をし、天災地変無病息災・外敵の消除等を祈ったりした。神社名については、古くは「新海宮社」・「鷺宮」・「鵲宮」と、 言う名称があって、旧高島藩の「検地水帳」で元禄九年(一六九 六年)に、「鷺宮」が「先宮」と表記されている。 また鎌倉幕府の嘉歴四年(一三二九年)の「下知状」に「鷺宮」の造営を下桑原(現在の上諏訪)の役と定めている事から、この頃には神社としての形態が整っていたものと思われる。
なお拝殿脇には諏訪市指定の天然記念物「大欅」があり、年代を 物語っており、また境内には数社の無格社が鎮座している。(先宮神社誌より抜粋)
平成一四年三月吉日
(以上境内由緒書きより転載)

先宮神社由緒記(クリックして拡大)
 本殿の造りは、良くみかける一間社流造り銅板葺きですが中央破風の紋を見ると…。

兎さんがいらっしゃいました。
先宮神社との関連については、WEB上で調べてみたのですが、確信を持てる情報はありませんでした。
唯一の接点は、出雲大社の摂社に『伊奈西波岐神社』と言うお社があります。そこで祀っている主祭神が 稲背脛命で合祀神に『稲羽白兎神』を祀っていることでしょうか。また『伊奈西波岐神社』のある場所が鵜鷺(うさぎ)岬に鎮座しており別名「鷺宮」と言われているそうです。
先宮神社も別名「鷺宮」と言われていますがでは、何処が関連しているのかと問われると正直名称からの接点があるだけであって、謎は残ったままです。
祭神の高光(照)姫命はタケミナカタの姉神とされていますが、かたや諏訪の土着神だったという。ちょとおかしな関係となることからそもそも祀られている神名から由緒が都合よく書き換えられている様にも思えてしまいます。

由緒にもある様に、参道入口にある(小川とまでは言えませんが)水路には今も橋が架けれておりません。

また、境内拝殿横の大欅は迫力満点です。

諏訪市の天然記念物にもなっています。
コブが凄い!

タケミナカタが来る以前の諏訪地方には、洩矢神、手長彦神・足長彦神そして今回の高光(照)姫命の四神が地主神として坐していたことになります。
ここに古くからの信仰ミシャグチ神が関わってくるわけで、ますます混迷を極めて参りました。調べれば調べるほど深みにはまる諏訪のかつての信仰
いつも興味だけは先行してしまいますが、今回の様に新たな新説があったりと興味が尽きることはありません。
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