青森県新郷村にある「キリストの墓」、同じく五所川原市にある「釈迦の墓」。そして石川県羽咋にある「モーゼの墓」…。
日本には、世界の偉人たちのトンデモ伝承が各地に残されています。
今回紹介するのは、神奈川県伊勢原市にあるユダヤの預言者「ヨセフの墓」へ、以前取材した際の写真などをご報告したいと思います。
伯母様バス停 小田急伊勢原駅北口よりバスで20分ほど
「伯母様」とは、また変わった地名ですが昔この辺りは「伯母様村」と呼ばれていたそうで、1550年代後半に北条氏康からこの村を与えられていた布施弾正左衛門康則の“おばさま”にあたる梅林理香大姉がこの村を所領していたことからと言った説(武内宿禰 がこの辺りに住んでいてその伯母からと言う説もあり)また、なだらかな起伏や丘が続く地形と、浸食されて形成された谷状の地形があることから“ 小狭間:おばさま ”と呼ばれた。と、言った説があります。
伯母様村観音
伯母様村観音・歴史碑
宝暦年間(1751~1764)は、享保の大飢饉から続く全国的に大凶作の年でした。人々の祈願は、豊作と自分や親兄弟、子孫への除災が主な目的でありこうした時期ゆえに農民を含む江戸庶民たちは、大山講を作りこぞって「大山詣り」をしていました。
関東一円より年間約20万人の往来があったと言われている「大山詣り」
ちょうど大山道に位置していた伯母様村は、少なからずその恩恵を受けていたと思われ村民は、この地に観音像を安置し人々の安寧を願ったとの事です。
バス停横の道を入るとすぐに高台方向へと登って行く坂道があります。
果樹園を過ぎ貯水池を左に突き当りを更に左へ登って行くと樹木に覆われたこんもりとした小山が見えて参ります。
この小山は「心敬塚」と言われ今回の目的地でもあります。
心敬は京都の十住心院の住職でしたが、応仁の乱を避け大山山麓の浄業寺(現在は廃寺)に身を寄せました。歌を通じて太田道灌と交流し、石蔵(現在の石倉)で没したと伝えられています。同寺跡の丘陵に埋葬されたことから、地元ではこの丘を「心敬塚」と呼び、大切に管理しています。 (こちらより引用)
「日比多・高部屋上水道組合」と書かれた記念碑の横から頂上を目指します。
藪が高く殆ど道らしき道はありませんでしたが、藪を掻き分けアタリを付け登りきると頂上に石柱が2本立っていました。
眺望も無く他には何もありませんでしたが、傍らには酒の瓶が置かれていましたので以前何かしらの祭祀が行われたのでしょう。
そもそもの元ネタは、山根キク著「光は当方より」で、その中で彼女は
「モアス(ヨセフ)は、比のアフリ山(相模大山)に於いて風葬されたもので、その骨は、分骨となって、比の塚に埋め、また一つは御神體として神社(大山阿夫利神社)に祀られたものであらふと思われるのである」
(同著p287より)
☞関連リンク:「光は当方より」国立国会図書館デジタルコレクション
と、述べています。同著によれば、ヨセフの従者たちは周辺の倍塚に葬られているのだそうです。
肝心のここが「ヨセフが葬られた塚」だと、結論されている部分ですが要約すると
(1)「ユダヤ祖モセス王」=ヨセフのこと(2)アフリ山(雨降山 大山の事)=元神アフリカの霊を祀る=再渡来したキリストが拝していた(3)キリストは一人の弟子をこの地に残した。それがヨセフであり彼はこの地でアフリカの神を崇敬した。(4)ユダヤ人=猿であり、近くには猿に纏わる場所や庚申塔などがある(5)ここから不思議な金輪が発掘されている(異国のものである)
正直理解しがたい彼女なりの解釈された部分であって、キリストの墓もモーセの墓も同様で、ロマンがある話ではありますが、元は山根キクが信奉していた竹内文書の世界観から来る部分でもあり何とも言えない部分ではあります。
麓にある庚申塔
相模大山(大山も日本ピラミッドのひとつと、言われています。)
※本投稿は、以前ムー誌に投稿して記事にさせてもらいました。(クリックして拡大)
撮影:2003年6月・2008年1月
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※現在は立派な慰霊碑が建てられ整備されているようです。
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