四国遍路(108箇所)の旅

お遍路(88+別格20)の準備計画と実際の歩き通し打ちの記録を、5月11日から(実行は6月3日スタート)記録しています。

第2部 108寺歩き遍路の総括(1)と、宿サーベイ(1)開始!

2007年07月16日 | Weblog
「第二部 108寺歩き遍路の総括(1)と宿サーベイ(1)」

今日は、これまでの全体の一覧をまとめました。
まず、88箇所の寺と別格をいつ打ったのか、そして、
携帯の電波状況を簡単にまとめました。

1.平均走行距離

私の場合、最後の2日間の40日目(興田寺)と41日目(高野山)を
除いた平均歩行『距離は34.3キロ』でした。

2.合計歩行距離

歩行合計距離は、1,338キロです。(39日目まで合計)

おそらく、88箇所では1,200キロという感じなのでしょう。

自動車遍路では、もう少し遠回りになるのでしょうか。

3.携帯電波状況

私の通話用携帯は、softbank の携帯でしたが、特に大きな問題は無いと
思います。1箇所だけ、6日目の鯖大師後の海山荘が、山の陰になってい
たのでしょうか、willcom と合わせて softbank までも携帯は圏外でした。
しかし同じ宿に宿泊していた方の docomo の mova は問題ない状況でした。

また、各寺での通話状況はそれ程チェックしませんでしたが、ほとんどの寺
で、docomo と au は、何とか通話できたのでは無いでしょうか。

他の歩き遍路の方の携帯は、ほとんど docomo か au でしたが、彼らは
問題なく通話できていました。少しだけ softbank の携帯が劣っていると
感じましたが、まあ、それ程「歩き遍路」に緊急も無いでしょう!(笑)

最後の別格大滝寺でも softbank は圏外でしたが、お借りした住職の au は
使用可能でした。

私の推定ですが、docomo と au は、よほどの山寺や、山間部以外は
ほとんど問題なく通話(通信)可能だと思います。

willcom は、特に、高知県の寒村地区(23番から24番への海岸線や、
36番~37番~38番方面)にて、歩いている時はほとんど通信不能
(圏外)でした。ただ、一部13日目の福家旅館のある地区など、それ程
大きくない市街地でも通話可能(通信可能)な地区もありました。

池田佐野(民宿岡田の地域)などでも圏外となりました。しかしながら、
全体として、blog を更新するために、宿舎を出て、そこそこ大きな町に
(例えば、高知市や松山市などの大都市以外でも、池田地方、安芸市、
宿毛など『聞いた事がある程度の地域?』)に入ると圏内(通信可能)に
なりましたので、道の駅やその他休憩地点でパソコンを取り出して前日
の blog の更新をする事ができました。

パソコンでの通信料金を考えると willcom に勝るものは現在存在しません
ので、それ以外は、docomo なり au の携帯で一時的な代替が可能かと考え
ます。

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総論としては、酷評の多い willcom ですが、お四国歩きのインターネット
接続は大きな問題はないと考えます。おそらくこの数年でずいぶん接続環境
が改善したのだと思います。
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 寺(別格) 歩Km  宿泊先   宿泊代   SBM  WC  LAN
1  1-7(1)  44K    越久田屋   4,000   OK  OK  
2  8-12   38     植村旅館   7,200   OK  NO
3  13-17(2) 40    BHアヴァンティ   5,000     OK  OK
4  18-19(3) 42    さかもと    6,300    OK  NO
5  20-22   25    山茶花    6,300    OK  OK
6  23(4)   44     海山荘    6,000    NO  NO
7        41    ロッジ尾崎  6,300    OK  NO
8  24-26   45    ホテルなはり  5,250   OK  NO
9  27     21    ホテルTAMAI  5,500   OK  OK
10  28-30   45    ウェルサンピア高知  5,250   OK  OK
11  31-34   30    ビジネスイン土佐  5,250   OK  OK
12  35-36   18    国民宿舎土佐  4,800   OK  OK
13  (5)    36    福屋旅館   6,500    OK  OK
14  37    48    民宿白浜    6,300    OK  NO
15       38    久百々     6,000    OK  NO
16  38    42     久百々    6,000    OK  NO
17  39    41    ビジネスホテル上村  4,000   OK  OK
18  40    37    民宿西遊魚センター  6,300  OK  NO
19  (6)    25    クレメント宇和島  6,327   OK  OK  Yes
20  41-43   26    松屋旅館    7,800   OK  OK
21  (7)    50    大洲プラザホテル  7,000   OK  OK  Yes
22  (8)    30 若竹旅館   6,500   OK  NO
23  44-45   40    ガーデンタイム   5,500   OK  OK
24  46-51(9)  31    BHさくら   3,980   OK  OK
25  52-53   25    ユースホステル北条水軍 4,200  OK  OK
26  54-58   42    ホテルコスモスオサム    5,600   OK   OK  Yes
27  59(10-11) 31    湯の町しこくや  7,500  OK  OK
28  60-64   20    西条ステーションホテル   5,480  OK  OK  Yes
29  石鎚山   12    西条ステーションホテル  5,480  OK  OK  Yes
30  (12)    36    三島第一ホテル   5,500  OK  OK
31  65(13-14) 33    民宿岡田     6,500   OK  NO
32  (15)    36    民宿岡田    6,500   OK  NO
33  66-69(16)  31    実家(観音寺)      OK   OK
34  70-76    29    実家(善通寺)      OK  OK
35  (17)金毘羅  25    実家(善通寺)      OK  OK
36  77-80(18)  34    実家(国分寺)      OK  OK
37  81-83(19)  33    実家(高松駅)      OK  OK
38  84-87    35    実家(竹屋敷)      OK  OK
39  88(20)   39     実家(塩江温泉)     OK  NO
40  興田寺    6    実家           OK  OK
41  高野山    12    自宅           OK  NO

4. 最後の1週間の滞在(実家)についての代替方法

33日目の観音寺からは、私は実家(坂出)に泊まりましたがが、実際に
は、他の方が宿泊先を探すのはそれ程困難な事では無いと思います。

(33日目)観音寺付近にはBH等宿泊先の選択は多くあります。
(34日目)善通寺付近も、BH他多くの宿泊可能な施設があります。
(35日目)金毘羅を打たなければ特に問題はありません。また、別格の
海野寺を打つ場合でも、善通寺付近も同じく可能です。
(36日目)国分寺付近には3軒の宿があります。
(37日目)83番の後、高松付近には、多くの宿泊施設があります。
(38日目)87番長尾寺付近の3軒の宿で泊まるか、私の場合も、本来は
長尾寺(87番)を打って、夕方までには竹屋敷に十分宿泊可能な時間でし
たが、実家の父の「迎えに来る時間の関係で3時を目処としていました」の
で、この日は、前山遍路センターの前の「道の駅ながお」という変則的な
終わり方でしたが、普通の方でも、健脚であれば「旅館竹屋敷」、また
それとも一気に88番大窪寺を打つ事も可能でしょうか。

(39日目)大窪寺の後、別格20番大滝寺後は、塩江温泉に宿を取るか、
最後まで「歩き」に拘る方は、山越えで徳島方面にお礼参りか、興田寺
などへの方向にはかなり距離的にありますが、別途検討が必要です。

5.各寺間の実際の時間と道のりについて

各寺間の私の実際に歩いた時間、そして道のりの紹介は、別途、明日以降
にまとめてご報告します。

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先ほど、新潟、長野地方にて大きな地震が発生したようです。
大変な惨事になるのか・・・とても心配です。
大事に至らなければ良いと思います。

また、昨日実家の両親と電話で話をしましたが、早明浦(さめうら)ダム
の貯水率が「一気に100%」まで回復したとのこと。これはあり難い事
なのでしょうが、野宿派の遍路の方以外でも、歩き遍路は、この台風4号の
大雨で大きな予定の狂いが出たのだと思います。

これだけ一気に雨も降ったようですから、遍路道も荒れているのでしょう。
特に山道の状態が少し心配です。
特に、この数日は、急な下りは特に気をつけた方が良いと思います。

それにしても、Koyamaさんも書かれていましたが、屋島寺の下りには
「強烈な思い」があります。逆打ちのKoyamaさんが、この
屋島ドライブウェイを挟むルートで、この急坂を「10分登っては5分休む」
ような繰り返しで「カメさん」のような歩き(登り)だったと言いますが、
とても良く分かります。

この坂は、私が歩いた遍路道(山道)の中でも最も急な坂だったと記憶に
残る急坂でした。

この数日は特に日差しが遮られる「山の道」は、雨が上がって日が差しても
なかなか「塗れた足場は完全に乾き難い」がめ、数日注意が必要なのだと
実感しています。

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「遍路宿SURVEY」を開始します。
個人的な独断と偏見です。

総合(Total)は、「T」
料理(Food)は、「F」
内装(Decor)は、「D」
サービス(Service)は、「S」
料金(Cost)は、平均的コストの「C」

評価は、
0~9 お粗末~可
10~15 可~良
16~19 良~優
20~25 優~秀
26~30 秀~完璧
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越久田家(おくだや) T22 FNA D20 S22 C¥4,000
阿波市宮川宮ノ下31-3(7番8番の中間)   088-695-5322
初日に泊まる宿としては、歩き遍路には、この程度(清潔さや設備)であれば
十分と思ってしまうのが怖い(後にもっと古い遍路宿にびっくりする!)。安
心して遍路をスタート可能。食事も風呂も無い「完全素泊り4千円ポッキリ」
であるが、風呂は車送迎3分で、無料(宿負担)の大浴場施設が使え、スーパ
ーへの送迎もOKであるので、倹約を旨とする歩き遍路のスタートにはぴった
りとの声あり。以降の歩き遍路の宿情報等も豊富で、時間的に余裕があるなら、
野宿派もここを拠点にスタートすべきであろう。オープンが2004年でまだ
3年のため、歩き遍路にはあまり知られていない。簡素であるがHPもあり。
実直なご主人(50歳代)の一人運営。女性も安心。
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今日はこの辺で。

遍路最終日、高野山!と、第二部の予告?

2007年07月14日 | Weblog
「これが高野山!遍路最終日と第二部【SURVEY】予告」

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天気:朝から雨(坂出も、淡路島も、そして高野山も)
気温:21度~27度位
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実家       5:30発(車送迎)
坂出駅      5:45着
高速バス(坂出) 6:00発
高速バス(難波)10:10着
南海難波駅   10:30着  11:00発
極楽橋駅    12:53着  13:00発
高野山駅    13:05着
奥の院     13:20着  14:40発
金剛峯寺    14:50着  15:40発
高野山駅    16:00着  16:19発
南海難波駅   17:46着
御堂筋線難波  18:10着  18:15発
御堂筋線梅田  18:25着
JR大阪    18:45発
JR京都    19:15着
JR京都新幹線 20:46発
JR東京    23:06着
自宅      24:00着
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歩行距離:約12Km
歩数:15,900歩
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主な出費
納経代:300円×2寺=600円
御影代:200円+300円=500円
飲物代:400円
高速バス:4,100円
南海電車:1,230円+1,990円=3,220円
高野山バス:800円(一日乗り放題乗車券)
御堂筋線:230円
JR京都まで:540円
新幹線:14,050円
夕食代:5,600円
宿代: 0円
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総合計:30,040円
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実家で朝5時前にに起き、ずいぶん長い間お世話になってしまった父と母に
お礼を言い、更に、両親揃って坂出駅まで送ってもらってしまった~~~

いい歳をして・・・本当に申し訳ない。彼らにとっては、私は、いつまでも
子供なのだろう。これから、最大限、親孝行をしなければならないとつくづ
く思う。

坂出駅発6時のJR四国の高速バスで高松を経由して、高速道の志度や鳴門
その他バス停を経由して、淡路島、神戸を経て難波のバスターミナルに到着
した。定刻より少し遅れて10:10頃到着した。

坂出から大阪までは新幹線で行くと7000円強掛かるのだが、4100円
で大阪まで行けるのは、岡山や新大阪での乗り換えを考えると確かに便利か
も知れない。これまで、新幹線や飛行機しか考えたことが無かったが、実際
に利用して見ると、昨今の大型バスは、機能も優れかなり快適になっている
事を考えると、便利で格安な高速バスの利用もそれほど悪くないと思う。

淡路島での霧と雨による速度規制、そして阪神高速の渋滞で少し到着が遅れ
て定刻より少し遅れてバスターミナルに到着。大阪は1年ほど住んだことが
あるのだが、どうも慣れてない・・・方向感覚が全く無い。案内表示を探し
ながら、南海電車方面に歩く。

同じ「難波」のはずだが、地下道を通り、結構歩かされて「南海難波」に到
着。途中、エスカレーターで、荷物が重いので、「左端」に立っていたら、
ドン!っと、「迷惑そうに」ぶつかられた。そうだ、大阪ではエレベーター
や歩く歩道などで「立つ人は右側」に立つのだ・・・と思い出した。

南海難波で切符を買ったが、この時間は「急行」しかないようだ。橋本まで
は急行だが、その後極楽橋までは「単線」の各駅停車となる。結構山の中を
ゆっくり上っていく感じで、途中対抗列車の待ち合わせで9分も待つという
駅もあり、ここでは「時間たっぷり」なので、降りてホームでタバコを吸う
人もいれば、駅のトイレを借りに行く人もいる。2両編成ののんびりした旅
である。

終点の極楽橋から、時間的にも接続されているケーブルカーで5分程上ると
高野山であった。

40年近く前、父の勤続20周年?か何かのお祝いに父が会社からもらった
お祝いで「南紀白浜」の2泊3日の家族旅行の時に、高野山に来たはず・・・
であるが、全く記憶が無い。

高野山駅で、概ね地図を見ると、奥の院までは4キロ程あるのだろうか?皆
バスに乗っているので、片道奥の院まで400円、途中戻ってくる途中で、
金剛峯寺にも寄るので、バス会社の人に進められるまま、一日乗車券800
円を購入してバスに乗る。

T&Tさんお勧めの、下の山から登るのは今回は止めておいた!ので、今日
は完全に観光モードである!(笑)

バスに乗ると、観光案内のテープが日本語と英語で流れている。確かにら同
じバスに外国人が4人も乗っている。総勢、高野山駅まで25名程だったが、
ほとんどの人がこのバスに乗っているようだ。

バスの観光案内テープでは「高野山は、標高1000m程のところにあり、
117の寺があり、約4000人の人が生活しており、お坊さんだけでも
なんと!約1000人いる」と言うのが印象的だった。

そんなに大きな町なのか?!って思ったら、高野山大学や中学などもあり、
野球場やテニスコートもあるのだ。バスが門前町?の「目抜き通り」を抜け
て行くが「こりゃ~大きな一つの町だ!」ってのも納得する。

そう言えば、徳島と高知の県境の宍喰町だっただろうか。お接待して頂いた
喫茶店「ひこうせん」のママが「宍喰町は人口3000人で、その内、
ちゃんと歩ける人は2000人しかいないのよ~」と、過疎化・高齢化が
進んだ町の今後の発展を憂いていたのを思い出した。

まず今日は先に一番奥の「奥の院」で88箇所の結願のお参りと納経をして
もらうのだ。

バスは終点の「奥の院前」に到着。ここからでも1キロ以上あるという。確
かに広大な敷地に、そして参道も広く立派で、左右に無数の墓、それも大き
な墓や著名な方々の墓も見える。小雨の中、傘を差し、ゆっくりと参道の石
畳を歩く。

この奥の院だけでも、様々な見所があるのだが、とても全てを見ていては、
またこの高野山だけでも最低数日~1週間は掛かるだろうと思いながら、
「現代の忙しい歩き遍路の結願」のため、なんとなく忙しない(せわしない)
感じで申し訳なくなってくる。

弘法大師が奉られている奥の院に到着。ザックからお参りの道具を取り出し、
帽子を脱ぎ、中に入り、左手から奥に回ると、そこがお参りの場所であった。

何人もの人がお参りしている中で、私も静かに、ゆっくりとお参りをした。

納経所に回り、88箇所の納経帳を出し納経を済ませ、KOYAMAさんの
ご指摘の通り「御影」を頂く。大判の弘法大師の御影でカラーであった。
300円也。納経と合わせて600円を支払い、ここを後にした。

バス停奥の院前まで戻るに普通に歩いて10分以上は十分に掛かる。途中、
団体さんを案内する「ガイド」さんが、要所で立ち止まって説明をしている
参道を団体さんを避けながら一人抜け、ゆっくりと(それでも・・・忙しな
い現代遍路であるが)バス停まで戻った。

バスに乗り込み、今度は「千手院橋」まで乗り、ここで「総本山金剛峯寺」
まで少しだけ歩く。

ここも巨大な荘厳とした寺である。真言密教の総本山であり、ここか東寺で
別格の満願の納経を済ませるのであるが、本来は東寺で明日お願いしようと
思っていたが、「念のため・・・」、ここでお参りの後、別格の満願の納経
もして頂いた!

ここでは「御影」は「カラーと白黒、どちらがよろしいですか?」と聞かれ
たので、白黒を頂く。200円也。合計500円。

私の参った時間なのかも知れないが、奥の院に比べて、金剛峯寺にはお参り
は少ないような気がした。全体として、高野山全体では、観光客も多く、
また歩き遍路らしい人の結願のお参りも多いと感じたが、広大な敷地に、
あまりにこれまで歩いてきた「四国の寺」との「格の違い」のような感じに
圧倒されてしまった。

おそらく高野山へのお参りは、ある意味「遍路」の最終的な「儀式」であり、
我々普通の人が挑戦した「歩き遍路」の精神的な区切りなのだろう。

ここまで、本来、最初に弘法大師が真言密教を広めた寺とされる「東寺」へ
のお参りも考えていたが、なんとなく気が抜けてきたような感じがする。

私にとっては「儀式」は「儀式」で大切なものとして考えるが、実社会から
「逃避」して40日前後も「歩き続ける」事が「祈り」であり、これからの
私の人生に「ほんの少し」自分へのプラスの変化をもたらしてくれる事を
願っての事のような気がした。

もちろん、両親への思いや様々な事を祈りながら各寺を回ったが、祈りだけ
ならば、バスでも自家用車でも可能だ。足の痛みや、体の痛み、暑さや雨風
等の悪天候との戦い、都会では考えられない蛇や虫などとの戦い?(しかし、
不殺生なのである!)を経て、自分の頭の中でしか分からない悩みや願いを、
それぞれが持ちながら一人ではなく「同行二人」という「しきたり」の中で
「歩き続ける」事に魅力があるのだろう。

歩いている時、最後まで、もう二度と、少なくとも10年以上は「歩き遍路」
には来ない、と思っていた。しかし、終わりに近づくにつれ、もしかしたら、
また近いうちに(と言っても数年先だろうが!(笑))時間が許せば歩いて
みたいと思う気持ちが沸いてきた。

次回は東寺から始めて、今回の初めての結願と満願を本当に終わりの儀式と
新しいスタートの起点にし、そして高野山に寄って歩き始めよう等と思った
りもしたのだ。

今は、何より詳細な「歩き遍路地図」があり、本など遍路関係の書籍も膨大
に出版されている。そしてインターネットにも多くの情報があり、シューズ
も改善され、ウェアもザックも格段に機能的になり、コンビニも多数あり、
そして遍路宿も減ったとは言え充実している。さらに、遍路小屋やお接待所
も数多くあり、昔の人々の歩き遍路の厳しさとは雲泥の差であろう。

単なる「自己満足」に過ぎない「時間とお金」の掛かる「贅沢な旅」なのか
も知れないとも思う。

しかし「歩く事」で何か一つでも、弘法大師の教えの、真言密教の教えの、
仏教の教えの「ほんの一つ」でも「感じられる」事ができれば、それで良い
と、私は思う。

自慢する事でも何もない。
私のように日数も短いのが良いのではない。
人には人の数だけ、価値観があるのだ。

私のパソコンを担いだブログの内容も、ほとんどは、自分の欲しかった情報
を「これからチャレンジする他の人」の中にも「欲しい人」がいるのでは?
と思った部分を中心に書いてきたに過ぎない。

私が歩き遍路に出る前一番欲しかった情報は、寺と寺の間のおおよそ正確な
「時間」である。

そんなものは気にする必要は無いという人もいる。人それぞれだと思うのだ。

ある人は、「発心、歩く訓練も、準備品もいらない。山頭火の「ひょいと四
国へ」である。一番札所で必要品は調うし、ただ、歩くだけである。足を痛
めないためにマイペースで・・・」と言う人もいるのだ。

しかし、私の場合「性格」だろう。事前に準備(トレーニング)をし、更に
おおよそ(かなり詳細な)計画をし、これに向けて「歩く」(実践)してい
く事が「向いている」「性格」なのだ。

何も準備せずに地図だけ持って、霊山寺で全ての物を揃えて、買ったばかり
のザックとシューズと、その他携行品を持って歩き出す事はできない「性格」
なのだ。

そんなもの必要ない!そう言う人はそれで良いだろう。

ただ、私は違うのだ。準備をして、望みたいという「性格」なのである。

ある程度納得のいくまで、調べてからチャレンジしたい。
それでも、遍路も人生も分からない事だらけだ。
変化に富んだ初体験の歩き遍路であった。

私にとって、正確な「時間」の次に欲しい情報のは「道の情報」であった。

山道なのか?登って、一度下るのか?それとも、ずっとダラダラ登るのか?
遍路道は、整備されているか、
それとも「藪掻き」(ヤブカキ)道で、マムシの危険は?あるのか(笑)
アスファルト道なのか?アップダウンは多いのか?
以外に距離より時間が掛かるのか?
下りのアスファルトは堪える道か?

この道の情報は最終的には「時間」に結びつく。疲れにも大きな影響があり、
その日の残りの行程に影響する。30キロ歩ける予定なのに、25キロしか
歩けない可能性もある。単に距離だけの情報では、どの程度の時間が掛かる
のか分からない。無謀な計画では、翌日以降の計画に影響する。

幸運にも?!私の歩いた梅雨の季節(6月始め~7月半ば)は、歩き遍路
「オフシーズン」のようで、「宿の予約」はほとんど「当日」電話で間に合っ
たが、春先などの混雑する時期は最低2日前、場合によっては3日前に予約
しておかないと、取れない宿も多いと聞く。

であるのに、おおよそ正確な時間も分からず、道の状況も不明確では、とても
歩けないと思うだけなのだ。

「それでも良いではないか!それも、遍路である。」
「だから、人生も先の事は分からない。即ち、人生、遍路也」という考えも、
分からないではない・・・

けれど、私の人生も、何かにチャレンジしたり、仕事もそうだが、
できるだけ、調べて、調査して、成功する確率を上げるよう準備する事が
基本のような気がする。

人それぞれでなのである。

それと、この遍路に出る前に、実は思っていた事があった。
「宿」の情報が、もう少し欲しいと思った事だ。

遍路地図には、巻末に、宿の電話番号も住所も書いてある。
しかし、この宿が、幾らの宿泊費なのか、どこにも書いてない。
JTB等旅行会社の出版物には一部書いてあるものもあったが、
やはり歩き遍路の方々の情報が見たかった。
ここの宿の経営者は??だとか、食事は○だとか・・・
部屋は最低だから、止めた方が良いとか・・・

当然、これらも調べてみたが、以外に調べるのが大変だったし、とても全部
は調べられなかった。

さて、東京地方に勤務されていた方や、NYに1990年代以降に住んでいた
方は、ご存知な方も多いが、「ZAGAT SURVEY」というレストラン
ガイドがある。結構有名な本である。

「ZAGAT SURVEY」は、1979年、当時ニューヨークで弁護士と
して活躍していたザガット夫妻によって創刊されたもので、夫妻は、料理評論
家だけに頼るレストランガイドの信憑性に疑問を抱き(「やらせ」が多い!)、
「食」を愛する一般の人々のアンケートによる回答を統計処理する方法を考案
したという。

つまり・・・本の題名は、
「ZAGAT」は、出版した人の名前
「SURVEY」は、調査・査定などの意味

そしてその結果を基に「料理」「内装」「サービス」の3項目を各30点満点
で評価し、加えてアンケートの回答をふんだんに引用したコメントを店ごとに
付けているのだ。これが以外に「ウィット」が効いて面白いのだ。
(何故、30点満点なのかは、どんな意味があるのかは知らないが)

現在では25万人以上の参加者を持つザガットサーベイは、レストランをはじ
め、ホテル、バー、ゴルフ、映画、音楽、ショッピングなど多岐に渡り、アン
ケートに基づいた世界一流のレジャーガイドとして娯楽情報を発信しているが、
私の何冊か(年によって更新されるので)のザガットサーベイは、東京のレス
トランガイドだけである。

例えば、一例を紹介すると・・・
割と有名なウナギの老舗「石ばし」であるが、ザガットサーベイによると・・・

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石ばし  F26 D19 S19 C¥5,200
文京区水道2-4-29(江戸川橋) 03-3813-8038
「笑ってしまうくらい待つ」が、それでも「待った甲斐が十分ある」ほど「満
足できる」うなぎを供する江戸川橋のここ。「ふわんとろん」としたうなぎは
「蒲焼もうまいが白焼も格別」とか。「飾り気のない店員」も「ひなびた雰囲
気」の座敷も「粋」で「接待にも利用できるが」が、「周囲に何もない」立地
は「不便」との指摘もあり。
==========================

料理(Food)は、「F」
内装(Decor)は、「D」
サービス(Service)は、「S」
料金(Cost)は、平均的コストの「C」

他には、
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ティム&ニーナ寿司 F20 D16 S10 C¥12,000
虎ノ門のこの店で、「いかにもアメリカ帰りって感じ」の店主ティムの握る寿
司は、「一尾丸ごとかと思えるような大きなネタ」に「思わず口があんぐり」。
でも、その「大胆さ」と「昔の銭湯の脱衣場のような」内装が人気で、夜も昼
も「黒塗りのハイヤーが行列」している。ただ、「海にネタを採りに行ってい
るの?」と思えるほど「料理の出が遅い」から、「ついついお酒が進んでしま
う」の少々難。その結果「予想外に膨らんだお勘定」の支払いは、
「キャッシュオンリーで真っ青」。
==========================

結構、笑えるのだ。他にも笑えるコメントが沢山ある。

手元にある、最新号2007年度版の料理のトップは、
「29点」の篠崎のジャンボ(焼肉)(私も行った事は無い!)
昔の本だと、27点のスタミナ苑(鹿浜)だったような気がするが、
両方とも大衆店だろう。つまり、決して高級店ばかりを評価している事は無い。

少なくとも野宿派でない中高年の歩き遍路は「宿付」「贅沢遍路」であるから
同じお金を払うなら・・・「納得のいく」宿に泊まりたいと思うと思う。

設備、サービス、コスト(同じ評価なら安い方が良いだろう)など、歩き遍路
にとって、「遍路宿」「民宿」「旅館」「周辺のホテル」などの評価は、
少なくとも出版物には(マスコミだから本への広告が欲しいため宿の評価など
とても出来ないのだろう!?)、当然に評価されていない。

現在のインターネットではこれが結構あるが、それでも、情報が少ないし、
まとまっていないと思った。

またモバイル派の私にとっては、宿には、当然に「インターネット無料」とか
の情報も欲しいのだ。

また各寺のザガットサーベイならぬ…私の勝手な「仮定題」だが、
「ザヘンロ・サーベイ」「ZAHENRO SURVEY」

では…寺には…
 宿坊以外には、料理は無いので、雰囲気とか、
 内装は、寺の国宝とか見るべきものとか整備状態とか
 サービスは、歩き遍路にとっては、やはり納経所…かな?
の評価もあっても良いのではと思う。

ザガットサーベイでは、
0~9 お粗末~可
10~15 可~良
16~19 良~優
20~25 優~秀
26~30 秀~完璧

であれば、寺の評価は…

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○×寺 F20 D22 S8
荘厳とした境内の中を抜けると、忽然と現れる大師像の素晴らしさに見とれ、
ついついお賽銭をいつもより余分に入れてしまう程。感動が残る余韻に納経
所に行くと、タバコをくわえながら作業服のおじさん(僧侶か?)がハンコ
を押すだけの納経に全くの興醒め。お釣りも投げてよこすようなしぐさに、
お大師様が見ているから修行修行と心の中で唱えるのみ。
==========================

てな感じの寺もあったが・・・と。

また歩き遍路にとっては、トイレが実は切実な問題で、HPなんかを見ると、
ウォシュレットの付いたピカピカ、綺麗な掃除の行き届いたトイレのある寺も
あれば、ニューヨークのブロンクスのヤバイ公園の公衆トイレのように汚い
トイレの寺もあった。

仏像も国宝級の何とか…は、私には、さっぱり「学」「知識」「興味」は無い
ので、雰囲気は個人的主観で判断できるのだが、出来るだけ「トイレ」は全て
利用してみようかなと…思いながら回っていました。

全体の雰囲気(All)、
個別の文化財な見どころ(Decor)、
サービス(主に納経所)、
トイレ(WC)

という感じで、これから評価してみようかなと・・・

まずは、明日からは、私の泊まった旅館など「宿」について、全く勝手な、
個人的な評価をさせて頂こうかなと思う。

更に合わせて、宿、あるいはその地区の携帯の電波状況(特にWillcom)
について、39日間をまとめてみたいと思います。

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今朝は、昨日深夜に帰宅したにも関わらず、6時前には起きてしまった。
まだ、足はかなり腫れている。この2日間、あまり歩いていないので、それ程
疲れている感じはしないが、回復するまで、もう少し掛かるだろうか。
昨日、京都駅近くで、一人列車の出発まで1時間以上、居酒屋に入り、
ダラダラと、中生、焼酎5杯と飲み、そして食べた!おかげで、新幹線で
終点東京までぐっすりだった!私のささやかな一人祝いである。

本日、帰宅直後の体重 65.0kg(体脂肪16.1%)
出発前、63.5kg、(体脂肪17.0%)だったので、
歩き遍路に出た割には・・・ほとんど変わっていない!!

おそらく、最後の1週間の実家での食べ過ぎが原因だろう。
途中一番減っていた時は、60キロ近くまで減っていたのかなと。
今後、体重に気をつけよう!

今朝は、朝からテレビで、台風4号の影響を繰り返し放送している。
鹿児島など九州南部が中心だが、高知県も相当の雨風のようだ。
歩いている遍路の方の全員の無事を祈りたい。
私が歩いていても、今日はお休み(足止め)だっただろう。
感謝である。

今日はこの辺で。

高野山(遍路41日目)

2007年07月13日 | Weblog
今、京都駅です。
今朝6時に坂出を高速バスで出発し、難波を経由して南海で高野山に着きました。
あまりにも大きく荘厳な高野山に、驚き、そしててゆっくりと参拝し、奥の院と金剛峯寺で納経を無事すませ、のんびりと時間を過ごしました。

明日、東寺にお参りしてと、京都に在来線を経由して来ましたが、いろいろ考えて、「東寺」はとっておく事ににして(笑)、これから新幹線で帰る事にしました。
詳細は明日~
結構、一人祝いをして良い気分です~(爆笑)
では!

大滝寺の続編?!と、興田寺!遍路40日目

2007年07月12日 | Weblog
「興田寺と・・・大滝寺の続編!遍路40日目」

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天気:未明大雨、その後曇り時々晴れ間もあり(暑い!)
気温:21度~30度位
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実家       7:10発(車送迎)
宇多津駅     7:20着   7:27発
高松駅      8:01着   8:30発
丹生駅     10:10着
興田寺     10:45着  11:45発
バス一本杉停留 11:55着  12:05発
高松駅     13:05着  13:21発
坂出駅     14:01着
実家      15:00着
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歩行距離:約 6Km
歩数:9,900歩
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主な出費
納経代:300円×1寺=300円
飲物代:400円
宿代: 0円(2食付き!)
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総合計:700円
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昨日の別格20番満願の大滝寺で、私の「108箇所初めての『歩き』遍路」
は終了した。昨日の大滝寺まで車の送迎、あるいは電車バス等を乗り継いで、
もう一度大滝山に戻らなければ、今日の興田寺や、明日の高野山、そしてまだ
決めていないが時間が許せば東寺へのお礼参りも全て歩きで行かなければ、
「気持ち」が収まりそうに済みそうにないのだが、「歩く事」にばかり拘ると
切りが無いので「遍路39日目」で、私の初めての「歩き遍路・第一部」は
終わりとしたい。

ここからは、第二部(「これまでの総括」と「気ままなお礼参り遍路」)を
まとめていきたいと思う。

今朝は、いつもと同じように4時前に目覚めてしまうが、今日から歩かなくて
も良い事を思い出し6時過ぎまで寝ていた。両親は、飼い犬の散歩もあり結構
朝が早いので、自然と6時過ぎには起きる。今日の支度(興田寺参り)をして、
両親と朝食を食べ、父の運転(ゴルフ途中!)で宇多津駅に送ってもらう。

宇多津から丹生駅(興田寺の近くの駅)までの各駅停車の切符を購入。
片道1,240円也(宇多津→高松→高徳線丹生駅)。

通勤通学で以外に込み合う(と言っても、宇多津駅ではまだ若干の空席もある
が)県庁所在地の高松駅までの列車に乗り、八十場(天皇寺の近くの駅)や、
国分(国分寺の近くの駅)、鬼無(別格19番香西寺から一宮寺に向かう途中
に近くの線路を横切った)など、「何となく懐かしい」駅に止まりながら定刻
の8時過ぎに高松駅に到着。

ここから高徳本線の各駅停車に乗り換えるため、1番線のホームで約30分
近く待つ。

昔、東京に父の転勤で引っ越した後、時々田舎に家族で帰郷する時には、まだ、
瀬戸大橋など無く、岡山まで新幹線に乗り、宇野線(在来線)に乗り換え、
そして宇高連絡船で高松港に到着。高松港は高松駅に隣接しており、ここで、
更に予讃線に乗り換え実家に帰郷するのだが、そう言う意味で、この高松駅は
とても馴染みの深い駅でもある。

必ずと言って良い程、高松駅のホームの「立ち食いうどん」を食べ、列車や船を
待つ。そんな思い出がある駅である。

30分近くも時間があるので、うどんを食べようかと思ったが、朝食を食べた
ばかりだし、それに「歩き遍路」の最中と同じように「大食漢」を続けている
とあっという間に10キロは太ってしまう!と・・・「今日から通常モード」
の食生活に戻そうと決意し「胃拡張気味」となった体を、今後は強い意志で
コントロールしなければならないのだ。

高徳線でも、懐かしい「屋島駅」「八栗口駅」と、寺の名前の付いた駅を各駅
停車と言うよりも、二両編成の「鈍行(どんこう)列車」が進んでいく。

==============================
さて、お待たせしました!昨日の後編の大滝寺での話である。

お参りを終え、納経のためインターフォンを押すと、奥から「噂の住職」が登場
した。Tシャツ姿であるが、「納経、お願いします」と言うと、直ぐに和袈裟を
付け、まずはとても礼節と言うか作法に沿ったきちんとした対応であると感じた。

歩き遍路をしていると、納経所での「思い」「感じ方」が実はとても印象深いの
である。幾つかの寺は、いい加減な寺とは言わないが、結構Tシャツ姿や普段着
で、且つ、「流れ作業」のような応対で納経を済ませてしまう寺も本当に多い。

まあ、「白いTシャツ程度」なら許せるが、Tシャツに「ハワイ」「アロハ」
「Paris」等と書かれた、更に!色物のTシャツなど着て納経をされるので
は、こちらも、ある意味贅沢な旅ではあるが、それでも一人一人心の中では
「修行」と感じて歩いている部分も多いのであるから、ある意味、興醒めでも
あり、「何かとても残念に思えて」しまうのである。

ある寺では、隣に奥さんと小さな子供が座っているのも??微笑ましいとは思う
が、Tシャツの旦那(若旦那・跡取りの住職だろうが)、その格好は、如何な
ものであろうかと・・・思ってしまうのだ。

また、どこの寺とは言わないが、金のネックレスにTシャツ、確かに、頭だけは
坊主頭であるが、とても僧侶とは思えない「極道」「ヤクザ」家業のような風貌
と態度の、そんな若旦那(僧侶の資格は持っているのか!?)が納経する寺すら
あるのだ。

確かに、歩き遍路は、平均的には・・・ほとんど金にならないだろう。金の無い
若者や、様々な事情があってこの歩き遍路をしている人の多い連中を相手して
いるよりも、団体バスツアー相手に、「いらっしゃいませ!ハイ!30名様で!
合計で、駐車場もご利用の、大型バスでございますねぇ~30名様ですが、
納経帳が38冊(お参りの人数よりも多い!)、掛け軸が7本(掛け軸は1回
500円と高い!)で、合計1万7千円也~」って方が効率的だろう・・・

我々は、ほとんどお守りも買わないし、納経帳への納経代300円だけである。
私もそうだが、恐らく各寺でのお賽銭も本堂と大師堂を合わせて20円~50円
がいいところであろう。お賽銭も、毎回100円なら200回で2万円になるの
で、結構馬鹿にならないのだ。

ところが、バスツアーの「おばさん&お婆さん、パワフル軍団」は、バスで隣に
座っている同じのおばさんとの対抗意識もあり、お守りの購入や、お賽銭も
結構な金額を(お札を!)入れたりするらしい。まあそんな事はどうでも良いが
とにかく、最低限「納経」時には、それなりの格好と態度(振る舞い)をして
欲しいだけである。

しかし、ここの住職はきちんとしている。しかし、納経をしながらでも、眼光は
やけに!鋭い(笑)。

「歩きかえぇ?」
「はい」
「どのくらいかかった?」
「大滝さんが最後で108ヶ所で、今日が39日目です」
「そりゃ~早いね」
「はい。おかげさまで。頑張って歩きましたが、天候にも恵まれたと思います」

「これ、お接待」
と飴を3個と、ジュースを1缶頂いた。

「数珠を男玉と女玉を1個ずつ頂けますか?」
「うんっ」

「満願証も頂けますか?」
「お金掛かるよ。2000円!」
「もちろん結構です。記念ですから!お願いします」
「一応、納経帳、もう一度見せて。確認する義務もあるから。それと、ここに
簡単な住所と、略さないで、名前も書いて」
「はい」

*********************
この時刻、時間は、まだ3時半前である。父は今日ゴルフで、もし今日大滝寺を
打って、108ヶ所終われば、塩江温泉辺りの宿に泊まらずに、せっかくだから
実家に帰って来いと言われていたので、昼前に携帯で連絡を取り、今日大窪寺の
後、大滝寺も打つので、おそらく、遅くとも5時には大滝寺を打てると思うと
言うと、「5時ならゴルフの後迎えにいってやる」という、父の有り難い言葉に
甘えて、そのような約束をしたのである・・・
*********************

納経も終わり、満願証も頂き、これで「じゃあ」って事になると・・・

(1)塩江まで3時間位かけて約13キロの道のりを降りなければならない。
(2)途中、運転中の父に連絡がつかないと、大滝寺に上ってくる道は3本あり、

下手をすると、途中ではぐれてしまう。

では・・・ここで待つしかないのだが、境内には、どうも、ベンチも無いのだ。
少し様子を見ながら話していて、時間を稼ぐのが一番である(笑)。

それに、この寺で、私の「歩き遍路」は終わりである。
噂の住職と、ゆっくり話してみたい気もあった。

前にも書いたが、この歩き遍路の旅を計画し始めた頃、当然最初から別格も合わ
せて打つ108ヶ所の旅など、考えても見なかった。弘法大師の縁の地を訪ねて
歩く遍路旅に、それ程詳しい知識も無かったし、昨年秋のNHK教育テレビの
「趣味悠々初めてのお遍路」を見たのがきっかけとなった位の「ミーハー」的
要素がかなり強いのである。その程度なのだ。

しかし、インターネットで様々な検索をかけていくうちに、先人の方々のHP等
で徐々に「にわか知識」も増えていき、自分の体力への「過信」も手伝い、
「名古屋のスーパーじぃ」H氏の3回目の歩き遍路の77歳での108ヶ所に
刺激され、別格がこれほど「遠く」且つ「山が多い」事も全く良く考えずに、
108ヶ所を打つことを計画してしまったのだ。

それと、もうひとつ、遍路に出発する1ヶ月程前から、数冊の遍路関係の本を
読んだ中に、加賀山氏の本があった。彼が20代の頃最初の遍路に出た頃、
別格14番常福寺椿堂に7日間もお世話になった時の住職がこの方であり、
その時の話が、最近発行された「お遍路・美人を訪ねて300里」の中に
少しだけ触れられており、今その当時の住職は、別格20番大滝寺に移ってい
るという事を知っただけだったのである。

ただ何となく、何故か、妙に惹かれるものがあった。
それだけなのである。

それだけで名古屋のH爺への負けん気と、別格の寺への興味、そして88箇所
巡りの納経帳を埋めるだけでなく、両親に別格の数珠を「歩いて集める」事を
思い立っただけなのである。

歩き遍路の地図を、八重洲ブックセンターのインターネットで購入し、計画を
88箇所から108箇所に変えても、これほど「困難さ」が増えるとは思わな
かった。単に日数が35日前後から45日前後になる位だろうと思っていた。

名古屋のスーパー爺は、108ヶ所を43日で踏破している。私もこの程度で
は歩けるだろうとタカをくくっていた。その程度なのである。

つまり目の前にいる「噂の住職」と話したかった。
それだけなのかも知れない。

少しずつ話してみたと言うより「恐る恐る」である(爆笑!)。

特に話し易い人ではないが、苦労をされている片鱗は見える。また、今、何故
水も来ていない「雲辺寺」よりも高い標高920mの「山寺」にいるのか、私に
は分らないが、奥様と共に、お子さん2人を立派に外国教育を含めて育て、
それだけでも立派なものである。

サラリーマンを経て在家から坊主になった彼は不思議な人物でもあるが、
子を愛し、僧侶でもある妻と共に、偏狭での生活を実践しながら、
彼と奥様なりの僧侶として、そして子の親としての人生を送って
来ているのである。

いろいろな話をしたが、とても面白かった。
そしてとても人間らしい「子の親」である。
優秀な人だと思う。そして何より、素敵な人だと思う。

ただ、世間での評判は余り芳しくないのかも知れない。
誤解が多く存在しているのだろう。

40日足らずの私の遍路の旅の間、ほんの少し聞いた限りでも、
(敢えて誤解を恐れず、記憶の限り、実名で申し上げる)

・善通寺の売店のおばさん(「覚悟はしていった方が良いよ。いろいろ噂も
あるから。彼の知人の「誰々」を知っているが・・・等々)
・前山遍路センターのおじさん(「歩き遍路は大事にせにゃいかん!のだが、
どうも、いろいろとかく噂があるんで、困っとる。。。あんたが覚悟して
いるんなら大丈夫じゃろう」とか・・・)
・金毘羅さんの本宮であった歩き遍路の人(「遍路に出るのですから、「怒る」
と言うことは絶対にしないと誓っていたのですが、さすがに「あの人だけには
参りました・・・おまけに奥さんも、かなりの変人だと・・・」参りました)
・今日の興田寺の若い住職(特に悪くは言っていなかったが「噂」は存在すると
言っていた。

覚えていないが、他にも数人の人が「噂の住職」の話をしていた。

全ての判断は、自分が直接、会ってから。
私の個人的な思いいれを抜きにしても、彼も奥さんも「仕事(僧侶として)に
一生を賭け、真剣に子を愛し育てた」人であろうし、それ以外に、
何も分らないし、私に対しては、とても良くして頂いた。

それが事実である。

「今日はこれから下に降りるの?」
「いえ、ここ大滝寺で私の歩きは終わりで、今、父が迎えに来てくれる事に
なっているのですが、時間が早いので、私が先に塩江に下りるかなと思って
いたのですが、それだと、父が道が分るかなと考えて、少し心配です」
「携帯持もっとんの?」
「私の携帯は電波が入らないようです」
「じゃあ、ちょっと待ってて。はい、これ使いな」

と、住職の携帯を借り、何とか父に連絡がつきましたが、大滝寺で待つことに
なり、その事を話すと、

「そこじゃなんだから、玄関開けるから、ちょっと待ってて」
「どうぞ、奥に入って」

と、中に通され、お茶とお菓子をご馳走になり、いろいろな話をしました。
外出されていた奥様も戻り、ご挨拶をして、少し話もさせていただきました。

なんやかんやで、2時間も。
時計を見ると時間は17時過ぎ。父は、今頃まだ、塩江から山を車でクネクネ道
を登って来ているのでしょう。

そんな時、納経所のインターフォンが鳴りました。
住職が私と話しているので、奥様が席を立ち、納経所に。
5時ちょうど位です。

この時間に(納経ギリギリ!)参拝の人か、それとも、私の父か?と思って
いたのですが、父ではないようです。

その20分後、5時半過ぎ、父が迎えに来たと、納経所にいた奥様が呼びに
来てくれました。丁寧にお礼を言い、住職に別れを告げ、

住職も「お父さん、上がって少しお茶でも」と言われましたが、
時間も遅いので、また「母も待っていますので」と、去る事にしました。

そして、外に出ると・・・チャリダーS君がいるではありませんか!

6月3日、私の初日、大山寺(別格1番)の山の車道であったS君。
その後、内海町の手前でも会い、
そして、金山出石寺の手前でも会いました。
最後の最後の寺、大滝寺で会おうとは・・・

「おうぅ~っ!S君!」
「おおおお!!!中年健脚のぉ~~~(笑)」
「今朝、前山の道の駅ながおでテント張ってなかった?」
「そうです!そうです!」
「朝、前を通ったんだけど、起こしちゃマズいと思って、S君かなと思って
たんだ!頑張ったねぇ~!!!」
「おめでとうございます!」
「そうだね!お互い!良かったね!」

って・・・硬い握手!

住職との会話でも、S君という108ヶ所回っているチャリダーに何度か
会ったんですが、彼は来ましたか?って聞いていたので、
「あの、さっき話をしていたS君です!」って紹介しました。

父もキョトンとしていましたが、彼にも紹介し、
「もう、私は歩かないんだ!これで(大滝寺)終わり!父です。迎えに来て
もらったんだよ!」って・・・

そんな偶然で奇遇な再会もありました。
とても素晴らしい最後となりました。

その後、父の運転を代わり、私が運転して塩江を抜け、実家に戻りました。

実家から1時間以上、細い山道を抜けて来た、年老いた父の運転に感謝する
ばかりです。この1週間近く、実家にお世話になり、心配していた父も母も
ホッとしているようです。

そんな、昨日でした。
=================================

今朝、最後の興田寺は、とても良い寺だと思いました。

本堂にお参りし、右手の石段(厄除け石段)を上り、奥の古い大師堂と
思ったのですがここでも参拝し、降りてきて、裏山を20分程、1番から
88番まで小さなお地蔵さんに88箇所の名前が付いてあるところを散策し、
最後に、納経所の前の大師堂で参拝し、納経して頂きました。

若い住職(跡取りか?)と少し会話をして、

綺麗で、そしてとても丁寧な字で、
「四国八十八箇所奥院」
と書かれた納経をして頂き、これを眺めながら、
これでようやき私の初めての「歩きのお四国さん」は終りだと実感しました。

帰りは、バスに乗り、高松駅まで出て、坂出まで戻りました。

明日、早朝の高速バスで、難波に出て、高野山に向かいます。
高野山を見て、時間があれば、東寺にも寄りたいなどと考えております。

=================================
最後に、これまで多くの方々にコメントを頂きました。

私の「歩き」遍路は終わりますが、第二部で「まとめ」と、今後まだ残って
いる遍路の延長線を書かせていただきます。この場を借りてお礼申し上げます。

特に、KOYAMAさん、歩かない遍路らいた様、メタボ様、T&T様、
そして、松山のめぐめぐ様、そして函館の坂口様、その他多くの方々から
コメント、励ましを頂きました。

また、静岡のMYさん、何度もメールを頂きありがとうございました。
貴殿の励ましに何度も助けられました。

さて、今日ご指摘のあった「雨の中、何故雨具を(傘以外)送り返したのか?」
ですが・・・

私は、出発前、ポンチョとレインパンツを用意してザックに入れてきました。
ポンチョは、探す時間がなく、安物(1500円)のザックを背負ったまま
覆い被せられるポンチョでしたが、前半の雨で数日、今回使用しましたが、
蒸れて、暑くてとても我慢出来ませんでしたので、送り返しました。

また、重い荷物(パソコンを含め、約12キロ程度)を背負って、ポンチョ
は少し不自由と感じて、暑い時期だったので、少しでも通気性を重視し、
「快速歩き」に適した格好を私は好んだのでしょうかと。

レインパンツは、本来はあった方が良いと思います。前半、実家に送って
おいたので、最後の1週間は、これをザックに入れておきましたので最終日
のみ使用しましたが、やはり雨には合った方が良いと思いました。

ただ、私の使用した夏用のトレッキングパンツは、速乾性、耐久性、そして
伸縮性にも優れ、とても軽いので、レインパンツのような感覚(ナイロン的)
もあり、特にそれほど強い雨以外は、違和感はありませんでした。

ただ、夏は暑いので、ズボンを脱いで、直接パンツの上にレインパンツを
はく等した方が良いかなと思います。

また、レインパンツは、少し長めで、シューズの上部を覆ってくれる効果で、
シューズの上部から水が入るのを防げる効果もあるかと思います。

私の場合は、(1)幸運にもそれ程強い雨はなかった事、(2)菅笠を
ほとんど被らず(強い風や、特に、国道歩きの大型トラックなどの暴風等に
弱いため)白い野球帽のようなもの(帽子)着用だったので、傘は全く
邪魔にならないので、傘派でした。(ちなみに・・・尊敬する!宿敵?!
名古屋のH爺も、白い帽子に傘派でした!)

コンビニでえ500円程度のビニール傘ですが、ワンタッチで、晴れの日は
ザックの右のポケットに刺しベルトで止めて持ち運んでいました。

ご指摘の通り、毎時30mmは当然ですが、私の感覚だと、毎時10mmを
超える雨だと、ポンチョ&レインウェアでも相当に歩きは厳しいと思います。
私は雨が強くなると、適当な雨宿り場所を探して、小降りになるまで、逃げ
込みました。

靴は、このBlogの開設時(5月11日)の当初の頃に写真がありますが、
ノースフェイスのミドルカット(約18,000円)で、ゴアテックス&
防水でしたので、ほとんど雨を気にすることなく歩けました。
靴にはお金を惜しまない事が最も重要なことだと思います。

健脚であることの秘訣は・・・

快速である事は、歩ける時にしっかり歩く。激しい雨には無理をしない。
休憩を出来るだけ小まめに取る。
早朝から歩く。3時に起きて、4時過ぎから歩ける!5時は普通のスタート。
昼飯の時間も惜しむ!(普通の休憩時に小刻みに、食事を取る)
仕舞うのは早く。明日が早いから!(出来れば4時には終わる)
楽しく歩く!
たまに憂鬱な時は、同行する人を探す!(笑)

でしょうか・・・

=================================

今日はこの辺で。

最後はやっぱり健脚で結願!満願!遍路39日目(その1)

2007年07月11日 | Weblog
「結願!満願!遍路39日目」

--------------------------------------------------
天気:早朝から午前中雨、その後曇り
気温:21度~30度位(結構蒸し暑い!)
--------------------------------------------------
実家       4:35発(車送迎)
前山遍路交流サロン  5:35着   5:35発
88番大窪寺   7:50着   8:45発
別格20大滝寺 14:50着  17:30発
実家      18:45着
--------------------------------------------------
歩行距離:約38Km
歩数:52,700歩
--------------------------------------------------
主な出費
納経代:300円×2寺=600円
数珠代:300円×2=600円
結願証:2000円
満願証:2000円
飲物代:740円
宿代: 0円(2食付き!)
=======================
総合計:5,940円
--------------------------------------------------

今日で何日実家にお世話になっているのだろう?と思いながら、今日は、実家
には戻らず、大窪寺で88箇所を結願し、そのまま塩江温泉辺りで一人祝いな
がら、明日大滝寺への108ヶ所を終えるつもりで、ほぼいつもの荷物の状態
の重さになって、朝、父の車で昨日ピックアップしてもらった、道の駅ながお
まで送ってもらう。

道の駅に1時間後の5時半過ぎに到着。屋根のあるところに、テントが2つ。
テントの横に自転車が見える。「あれは、チャリダーのS君だろうか?」等と
思いつつ、朝早いので、彼らが物音で起きないように、父の車を少し遠くで
止めてもらって、静かにスタートした。そう言えば、S君からも最近連絡が
来ていないが、無事、結願したのだろうか?と思いながら、小雨の中、傘を
さしての車道歩きでのスタートである。

道の駅ながおが、長尾寺から約5キロ地点であり、大窪寺までは車道歩きで
15.5キロという行程である。つまり、ここ道の駅から大窪寺までは
約11キロ弱である。まず、4キロ程度進んだ「昼寝城址休憩所」で
(6:10~6:20)、一回目の休憩を取る。

歩き始めて40分程度だが、何処に休憩ポイントがあるのか不明なので、小ま
めに休憩する作戦をとる。途中、女体山越えの遍路道入り口の「誘惑」もある
が、全く感知せず!の態度を決め込み!、車道歩きに徹する事にした。(笑)
自分は自分の「スタイル」を貫くことにした。

前山遍路交流サロン(道の駅ながおの前)から、この国道沿いには、2キロ~
3キロ程度の間隔でへんろ小屋のような休憩所があることが分った。とても
歩き易いとは言えない「歩道の無い国道歩き」だが、へんろ小屋休憩ポイント
だけは、「お四国歩き」『随一』と言っても良い頻度でへんろ小屋があると
感じた。

結願までの最後の歩きを、存分に、そしてゆっくりと歩いてください!という
メッセージなのだろうか?とも思ったが、早朝4時前から起きて、5時半から
歩いているには「それなりの・・・理由」がある訳で、雨も降っているので、
休憩は5キロ程度毎と考え、ひたすら傘をさして国道を歩く。

その後、多和集落の分岐にある多和小学校前の休憩所で更に休憩。(6:50
~7:00)ここまでは大変順調なペースである。この分だと8時前後には
大窪寺を打てそうであると判断する。

実は、この時点で、頭の中は「フル回転」で、その後のスケジュールを計算し
ている。(笑)

今朝、出発する時点で、大窪寺を打つ時間が9時前であれば、チャンスがあれ
ば、今日一日で大滝寺も打とうと思っていた。ただ・・

(1)夏子(「なつご」と読むらしい)ダム経由の遍路道は、ほぼ通行不能
(2)塩江温泉経由は、かなり遠回りである。
(3)歩き遍路地図には、夏子ダム経由アスファルト道の行程の距離が書いて
ないと、地図が途中で切れている・・・ので、時間の予測が困難である事。

(3)を推定するに、塩江温泉回りより近いのではないか?と推定するが、
道がかなり迂回しており、結構距離が長いのでは?と。夏子ダムまでの距離は
11.8キロと書かれているので約12キロであるが、その後の山登りが
いったいどの程度の距離で200m→900mまで登るのかが、速度と時間の
推定に必要なのである。

さて、その後は雨の中、大窪寺を打って、その後打戻りとなる旅館竹屋敷の前
の大滝寺への道を確認しながら歩く。意外にと言っては失礼であるが、竹屋敷
は道から見ただけだが、外見から判断して立派な旅館だった。昨日、ここまで
は十分来れただろうと思いながら、その500m先で、この長尾寺からの行程
で最後に初めて遍路道を左に入る。遍路道と言っても、恐らく旧道であり、
結果的にはこの道が一番正解なのだろう。大窪寺までの2.2キロを、激しく
なってきた雨の中を傘をさして最後の上り坂を一気に歩く。

(7:50)山門に到着。意外にあっさり着いてしまった・・・まだ昨日から
の「ゾーン状態」は続いているのかもしれないと、頭の中で考えながら、本堂
に回り、ザックからお参り道具を出し、ゆっくりと最後の結願のお参りをする。
更に大師堂に回りお参りをして、納経所に向かう。

納経所で納経し、迷ったが・・・記念にと「結願証」を2000円でお願いす
ることにした。納経帳に結願の証(あかし)はあるし、目に見える「形」は、
自分の気持ちの中の問題とは別だと思っていたが、「おのぼりさん状態」で
お願いしてしまった。乾くのを待って、頂いた筒に入れザックにしまう。

ここ(納経所)でも、大滝寺までの歩き道の確認をするが、「夏子ダム」経由
で広い農業用道路?を歩く事は確認できたが、納経所にいたのは若い僧侶だろ
うが、誰も(3人もいたが)歩いたことなど無いのだろうか。詳しい遍路道の
情報など誰も持っていない。「道は荒れている」事以外に情報は無い。

また、正確な距離も、おおよその歩きの時間もまるで不明である。「夏子ダム」
の分岐からの距離すら誰も正確に答えられない。

これが・・・別格満願の寺「大滝寺」(88番大窪寺の奥の院であるはずだが)
の実情である。仕方ない。自分で判断するのだと言い聞かせた。

この時点で8時半前。入った場所とは違う山門を下に降り、山門下のお土産物
屋が並ぶ休憩所に座り、今朝、はじめて母にお願いして作ってもらったお握り
を2個(4個持ってきた!)食べながら休憩する。

9時前に出ても、残り25キロと見ても、8時間(夕方5時まで)あるのだ。
今日、一度に、別格満願の20番大滝寺も打とう!と決意した。途端・・・
雨が激しくなってきた。

ザックに、一度実家に送り返した「雨用のレインパンツ」を今日は入れてきて
あるので、これを、この歩き遍路に出てはじめて着用した。大滝寺を打つ覚悟
は出来たので「雨でも槍でも降って来い!」って感じで(8:45)激しく
なった雨の中最後の歩きとなった。

先ほど歩いて来た道を戻り、竹屋敷(3キロ地点)の直ぐ先を左折して、国道
377号の合流地点に到着(9:45)。ちょうどここまで1時間である。
距離概算で遍路地図には5.2キロとある。雨の中でまずまずのペースである。

(10:20~10:30)歩き始めて1時間半。疲れてきたので、国道沿い
の「一本杉バス停」の小屋に飛び込み、靴も脱いで小休止。ホッと一息である。

(10:50~11:05)10キロ地点の「山の駅」という割と洒落たレス
トランにコーヒーでも飲もうかと入ったが、つい・・・「中ジョッキ」を頼ん
でしまい、「プチ結願祝い」を一人する。が・・・残りの距離が山登りで15
キロ前後あるのを自覚し!自嘲して、一気に飲み干して早々に店を出る。

(11:20~11:35)11.8キロ地点の「夏子ダム休憩所」(小さな
道の駅のようなイメージ)に入り、ベンチに座り、残った2個のお握りを食べ、
しばしの休憩とする。

ここで売店のおばちゃんと会話し、残りの距離を確認するが、正確な距離は
不明だが、おばちゃん曰く・・・

「お兄ちゃんなら、3時間ちょっとじゃないの!?普通の人で4時間くらい
だって聞いてるけど・・・」って。今、12時前だから「3時には打てる!」
のだろうか・・・って、少し余裕気味となる・・・

売店でコーヒーを買って挨拶をしていよいよ出発である。「3時間位?って
ホンマかいなぁ~」って思いながら、国道から右に分岐する「一本道」だと
説明された大滝山への道のりに入る。

分岐地点の看板に「大滝山まで15キロ」と出ていた!

「えっ!?15キロもあるの!!!3時間で行ける訳ないでしょう!上り
なんだよ!それも標高900mまでここ200mから700mも登るのに!」

って、キツイ上りなら時速2キロ程度になるのに、5時間掛かったら、5時に
なっちゃう~~~って、一瞬完全に焦ってしまった。が・・・しかし。

冷静になると、15キロの道のりは長いが、700mの上りを15キロもかけ
るのであるから、単純に考えると、傾斜はさほどキツク無いと計算する。
それに、ダムの売店のおばちゃんも「ダラダラ長いだけだよ!」と言っていた
ので、覚悟を決め、3時間は無理でも、時速4キロ弱なら4時間で何とかなる
と計算し、目標を4時と決めて歩き出す。(11:40)

しかし、本当にダラダラの上りである。特に急な上りも無いし、一度上って、
また大きく下るという行程もほとんど無い。

ダラダラと、平らに近い位の上り坂も含め、本当にダラダラといつまでも上る
のである。

しかも道幅は広いし、交通量は異常に少ない。3時間少し歩いたが、実際に
すれ違った車の台数は10台程度である。車の音が聞こえるまで、道の真ん中
を歩いていても全く問題ないくらいである。

しかし、ほとんど休憩する場所が無い。雨は、さっき、夏子ダムの休憩所では
完全に上がっており、レインパンツも脱ぎザックに仕舞った。傘も、ザックに
さして、頼りは「金剛杖」と「健脚の足」と「強い心臓」である。

5キロ手前まで一気に歩き(休憩ポイントが無かったので仕方なく歩き続けた
と言うのが正解であろう)、ここに「大谷直売市場」という公民館のような
建物があり、今日は休みだったが(日曜日のみ営業らしい・・・)この建物の
前にビールケースにベニヤ板を敷いたのがひとつあり、ここに座って休憩と
させて頂いた。(13:45~13:55)

いよいよ最後の上りである。

残り2キロになって、もう完全に足が止まった。
ゾーン状態だった足も、ゴルファーと同じく「ゾーン」状態は長く続かないの
だろう。一昨日から、かなり飛ばしてきたのも響いてか、私の脚は、限界点に
達していた。

もしかしたら、本当に108寺目の大滝寺に対して「気持ちが、これで終わり
になるのを恐れていたのかも」知れないとも考えながら、必死になって足を
前に進めるが、本当に足が痛いし、パンパン状態である。

最後の1キロが特に長く辛かったが、(14:50)無事、最後の寺、大滝寺
に到着した。

誰もいない境内で、本堂と大師堂でゆっくりと最後のお参りをした。
そして、納経所のベルを押すと、住職と思われる方が登場し、納経となった。

今日はこの辺で。

詳細は、明日。

遍路38日目(追伸)

2007年07月10日 | Weblog
明日は天気次第な部分もありますが、山の中に宿泊で詳細なブログ更新は無理でしょう。
この携帯から短い結果はご報告します。
明日の支度も済ませパソコンもザックに入れましたので、今は携帯から送っています。
まず明日、88ヶ所目大窪寺を結願します!
その後は、塩の江温泉のどこかの宿か、竹屋敷かなと。
天気が良ければ、一気に大滝寺もかな?(笑)
焦らない、焦らない~

確かにゾーン状態かも知れない・・・遍路38日目

2007年07月10日 | Weblog
「快速遍路!でも、さすがに結願は明日?!(笑)遍路38日目」

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天気:一日中曇り
気温:22度~31度位(蒸し暑い!)
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実家       4:50発(車送迎)
栗林公園前    5:10着   5:10発
84番屋島寺   7:00着   7:30発
85番八栗寺   9:00着   9:30発
86番志度寺  10:40着  11:10発
87番長尾寺  12:45着  13:15発
前山遍路交流サロン 14:35着
実家      17:15着
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歩行距離:約35Km
歩数:46,200歩
--------------------------------------------------
主な出費
納経代:300円×4寺=1,200円
飲物代:650円
昼食代:880円
宿代: 0円(2食付き!)
=======================
総合計:2,730円
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今日も「両親の過保護とも取れる『有り難い』お接待」により無事出発する事
が出来た。朝、母に食事の用意をしてもらい、父に車で送ってもらった。未だ
彼らにとっては私はいつまでも「子供」のようである。感謝である。

昨日ピックアップしてもらった栗林公園の南側の交差点に5時10分前に到着。
父の車に手を振り「後3日!いざっ!」と、気合を入れて出発する。

地図通りには歩かず、県道を東方向に歩く。屋島近くで国道11号に出れば良
いと考え、ひたすら黙々と歩く。昨日のKoyama氏のコメントのように、
昨日から「ゾーン」に入ったかのように、正直体調と言うか「脚と足、そして
体」の具合は絶好調のようである。

何かに取り付かれたように「何処までも歩ける感じ」がある。不思議な感じが
するのである。

今朝も、屋島寺の上りを含めて10キロ近い道のりを、途中コンビニでの短い
トレイ休憩を含めて2時間足らずで歩いたようだ。上りが意外にきつい屋島寺
の参道上りも「ZONE=ゾーン」状態なのだろうか。

6時半頃だったが屋島寺の登山口の手前で、近所の上品な奥様が(余り歳は変
わらないかも知れない)、すれ違い際に「おはようございます!」と元気に挨
拶をしたら、すれ違った直後、20m程度離れた後にも拘わらず大きな声で
「お遍路さん!」と呼びかけられた。「ほんの少しですが・・・」と、紙に
包まれた200円を頂いた。

お金である事は直ぐに分ったが、無性に嬉しく「ありがとうございます!」と
大きな声で返事をして、帽子を取って「頑張ります!」と挨拶をして直ぐに
別れてしまったが、何故か、涙がこみ上げてきた。お遍路に対して優しい風土
であり、そして彼ら彼女らの分まで、きちんとお参りしなければならないと
思う。

一気に上った屋島寺は、途中、朝の散歩ルートになっているのか、結構キツイ
上りににも拘わらず、曇りの天気(雨ではない)のせいもあるのか、数十人が
毎日この坂を上って「朝の運動」をしているようだ。ほとんどの人が当然に
「空身」であるが、結構皆、登りのスピードが速い!ゾーンに入っているのか!
およそ10人程度を抜き去り!(笑)7時ちょうどに山門に「ゴール」した?

散歩に山登りをしている人は、どうもお参りはしないらしく・・・、静かな
本堂と大師堂でお参りをして、納経所では「本日開店一番の客」である事を
確認できた!何故か嬉しい!(笑)

少し休憩をして、大師堂の横にある門から出て、八栗寺に向かう。
この坂道(下り)が最強の下りであった・・・

私の記憶する限り、この下りは一番危険だろうと思う。屋島ドライブウェイを
横切るまでの下り(多分、標高280m→標高175m程度)も厳しい下りだ
が、その後の(標高35mまでの一気の)下りが、危険な「遍路ころがし」の
道だろう。

昨日の夜の雨のせいもあるのだろうが、何度も滑りそうになりながら、何とか
無事に降りれたが、すっかり境内でひいた「大汗」も、もう一度、下りにも
拘わらず「大汗」をかかされた。とても厳しい下りだと思う。油断大敵な最後
の試練だと思う。

八栗寺への上りは、屋島から下った後、住宅街を抜け、その後緩やかな上りの
後の、ケーブルカー上り口からの1キロ程度である。ケーブルカーの駐車場の
前の乗り場のベンチで缶コーヒーを買い10分程足を休めゆっくり休憩。
(8:35~8:45)

車遍路の男性が、ケーブルカーの駅員(係員?)に「歩いて登ると何分位?」
と聞いていた。「30分位ですが、健脚だと20分位でしょうか?!」と言う
と、その男性(60歳前後)は、杖を取り出し、歩いて登っていった!
直ぐ直後に近所の女性と思われる方が大きな帽子をかぶり登っていった!

私は余裕を決め込み、彼らの10分後に出発。

私の足でちょうど16分であった。結構急な坂が最初続くが、淡々とゾーンに
入った健脚君には敵無し状態のようだ。前の男性は、直前に山門に到着した
感じだったが、直後に登っていった女性の姿は既に境内に無かった!(笑)

お参り、納経を済ませ、大師堂の奥から「本坊」と表札に書いてあったが、
恐らく住職の屋敷だろうか?白壁の大きな屋敷を左手に見て、県道に入り、
最初は緩やかだが、徐々に急なアスファルト道を下り、途中最大傾斜角21度
という下りを駆け抜け!(かなり速い歩きと言う意味)(ゾーン状態でしか
出来ない!)、その後も、ガードレールに座っていた「野性のサル」に少し
恐怖を感じたが(笑)、無事に通過し、国道11号線に出て、更にわき道に
入り、志度寺に向かう。

志度寺の手前に「平賀源内」の生誕の家の記念館などがあったが、足に疲れは
多少感じるが、これまでに感じた事の無い「フル回転状態」で、確かにこの
八栗寺から志度寺までの約6.5キロを1時間強で駆け抜けている。荷物も
それなりに背負っているが、あれだけの坂道の下りを含めてこのスピードは
かなり速い。

志度寺到着が(10:40)。結構しっかりお参りもして、納経を済ませても
まだ(11:10)。

頭の中は、次の87番長尾寺が13時に打てると、夕方の5時まで4時間ある
ので・・・今日中に「大窪寺=結願」かぁ~!?って・・・考え始めてしまう。

今日は母が出掛けており、父が4時半頃に母を迎えに行く必要があるので、
『居候の私』のお迎えは3時に「87番長尾寺」と決められていたので、
少し先を急いでいたのだが、先に母を迎えに行って5時過ぎにでも窪寺に
迎え来てもらう事も可能かと頭の中で計算したりしていた・・・(笑)

とりあえず長尾寺を打ってからにしようと、それでも「焦る事は無い!」
「もう、どうせ明日と明後日2日しかないのだ!」「明日で終わるの?」
なんていろいろ考えながら、自制する意味もあり、志度寺を出て1キロ程度
歩いた後、セルフのうどん屋さんに入り、昼食を取り、ビールも頂き!(笑)
自制する!(11:20~11:40)

今日は、曇り空であるが、大変な湿度の高さで、朝から最初に山を「2つ」
登らされて汗びっしょりであるから、あっという間にビールのアルコールは
何処かに行ってしまったようである。

その後も「ZONE]状態は続き、ほとんど時速6キロペースで長尾寺に
(12:45)到着した。

ここで父から電話。
「今、どの辺だぁ~」
「もう長尾寺です」
「今日、大窪寺打てるかも?!」
「そんなに無理せんでもええやろぉ~」
「・・・まぁ~確かに・・・ほなぁ~ここから5キロ位の道の駅ながおに迎えに
来てくれる?」
「おう!3時頃でええかぁ~?!」

って感じで・・・(笑)

変則的な「変幻自在」の実家頼り遍路は・・・今日は
78番長尾寺から約5キロ程進んだ「前山お遍路交流サロン」の前にある
「道の駅ながお」で(2:35)に終了しました。

T&Tさんからコメントあったように、この交流サロンの事は何となくインター
ネット等で知っていたのですが、お邪魔して少し話していると、「四国八十八
箇所遍路大使任命書」なるものを、バッチと共に、私も頂戴しました。

私の番号は「第50号」でした。
「今年の50番目?それとも、今月の50番目?」でしょうか?
多分T&Tさんが「1010号」で3月だったようですから・・・
月の50番目ですかねぁ~?特に確かめなかったのですが・・・
面白いものですね。バッチも可愛いです。結構嬉しかったりして!

15分程ここでお邪魔していたら、父が道を挟んだ前の「道の駅」に到着した
のが見えましたので、ここでお礼を言い去りました。

という事で、今日は、長尾寺から約5キロの道の駅で終了です。
多分、余裕で、約7~8キロ先の、旅館竹屋敷まで行けたか?それとも納経時間
までは間に合わなくても、八十窪に泊まれたかも?

なんて・・・だったら、明日、大滝寺かいっ!?って・・・
そうですね。せっかくの歩き遍路ですから、残りはゆっくりと楽しみます。

さて、大滝寺の試練?の件(笑)は、お遍路交流サロンの方も、少し心配されて
いました・・・詳しくは、実際に私の「目」で確かめてからご報告します!

では!今日はこの辺で。

残り3日!酔っ払い遍路の本領!遍路37日目

2007年07月09日 | Weblog
「久しぶりの同行3人!遍路37日目」

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天気:午前中曇り、その後雨時々曇り
気温:21度~26度位
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実家       4:50発(車送迎)
80番国分寺PA 5:15着   5:15発
81番白峰寺   7:10着   7:35発
82番根香寺   9:10着   9:35発
別格19香西寺 10:50着  11:25発
83番一宮寺  15:05着  15:30発
栗林公園前   16:25着
実家      18:15着
--------------------------------------------------
歩行距離:約33Km
歩数:46,500歩
--------------------------------------------------
主な出費
納経代:300円×4寺=1,200円
数珠代:300円×2=600円
飲物代:300円
昼食代:1,575円
宿代: 0円(2食付き!)
=======================
総合計:3,675円
--------------------------------------------------

昨日の国分寺まで、またまた早朝「両親のお接待」により、父の車で送っても
らうことになった。今朝は少し早めに実家を出て5時15分には国分寺に到着
し、その後、地図で遍路確認しながら、また、慎重に道の歩き遍路の案内を確
認しながら歩き始める。

国分寺の山門からクネクネと曲がりながら、集落の小道を進み上りの道を徐々
に進み始める。この道は、白峰寺までの「登山道」のような役割も兼ねている
のだろうか。徐々に、上りのアスファルト道から、遍路道と言うより、割りに
しっかり整備されている「山道」に入る。

国分寺から2キロ程登った「山道」に入ったところで、トイレがあり、ここの
前で少し休憩していたところ、後ろから人の気配がした。昨日、少し話をさせ
て頂いた、島根からのOさんである。昨日は、国分寺近くの宿に泊まり、早朝
出発して、ほとんど同時に登ってきた模様だ。挨拶をして、この後少し同行す
ることにした。

何度も言うが、この山道はきちんと整備されている。非常に上り易い。少しだ
け急なところもあるが、適度に良い「ハイキングコース」のような感じだ。

標高もさほど高くないのだろう。一度400m前後まで登るが、その後、下り
の道になり、また「縦走」的な要素が、隣の根香寺との関係であるのだろうか、
初心者でも、半日で2つの縦走を体験できる「五色台ハイキングコース」とい
う感じだろうなどと思いながら、同行したOさんと話しながらの歩きもであり、
気分も紛れて楽しい上りであった。

途中、「十九丁」休憩ポイントがあり、ここで地元の人と出合った。少し休憩
がてらに話をして、この後の道の様子や、根香寺から、別格19番香西寺まで
の山道などの様子を聞き、挨拶をして別れ、またOさんと同行して歩く。

国分寺から2時間足らずで81番白峰寺に到着。山道の上りではあったが、最
後の1キロが下りになるため、また、Oさんとの同行でとても楽な感じがした。

7時過ぎと言う事もあり、境内は静かなものであるが、さすが88箇所の寺で
ある。既に自家用車で参拝に来ている方の姿がある。二人で、本堂と大師堂に
分かれて、交互に参拝し、互いにゆっくり参拝できるように配慮した。

本堂から参拝するのが通例であろうが、混雑していたりした場合など、どちら
から参拝しても構わないと「NHK趣味悠々」で見たこともあり!(ミーハー
的ですなぁ~(笑))、互いに参拝の手順もあるので、邪魔しないようにとそ
のようにしたのである。

納経を済ませ、一緒に次の根香寺に向かう。ここで、私が、金剛杖を忘れた事
に気づき、100m程戻って取ってくることになった!いやはや・・・忘れや
すい性格である。この期に及んで、金剛杖4号になるところであった。

ここから一度、来た道を1キロ程度戻り、分岐を、今度は根香寺方向に進み、
一度下って、その後上るのだが、この道もきちんと整備されており、全く問題
のない道である。ただの遍路道より数段整備されていると感じた。

1時間15分程で寝香寺に到着。ここでも互いに本堂と大師堂で分かれてお参
りを済ませ、納経を済ませた。納経所の若い住職に、香西寺への道の行き方の
確認と、道の状況を聞いたが、やはり五色台ハイキングコース的な要素がある
ようで、「香西寺」の「香西口」という案内にしたがって降りれば、問題ない
との説明を受け、ここで、88箇所の一宮寺へ向かうO氏と別れて、一人香西
寺への道を進む。

下りの道も「別格の寺」へのこれまでの道とは異なり「香西口」方向に進む案
内が各所にあり、迷う事はほとんど無い道である。道の状態も整備されており、
おそらく「香西口」とは、五色台のハイキングコースのひとつなのだろうと、
先ほどの推測をより強くしながら距離的にも短いし標高もそれほど高い所から
の下りでもないので、安心して山道を下る。

最後の所で、少し道に迷うが、香西の町まで降りてきているので、道を近くの
住民の方に聞き、少しだけ遠回りをして香西寺に到着した。

それでも1時間ちょっとの歩きとなったので、先に境内のベンチに座って足を
休め、その後、誰もいない境内で、一人お参りを済ませ、納経所に向かった。

納経を済ませ、数珠を買い、後残された「別格最後の結願の寺、大滝寺」への
道のりを、おそらく住職と思われる納経をして頂いた方に聞くが・・・車でし
か行った事が無いのだろう・・・詳しい道の状態などは聞く事が出来なった。
早々に支度を整え、次の一宮寺に向かう事にした。

ここで、昼前である(11:20)。香西寺に着く時に気になっていた山門を
出て直ぐのところにある「お好み焼き」屋さんにどうしても入りたくなった。
これまで、昼間、ゆっくりと食事などほとんどとらず、1時間毎の休憩時に
パンを食べたりして、いつも先を急いで来たのであるが、今日はもう残す所、
一宮寺を打ち、高松市内まで歩くだけである。時間的にも今日は余裕があり、
ここで「古いが、大変渋い」お好み焼き屋さんに入る事にした。

店は「やまだや」(もしかしたら「山田屋」)である。古い店構えだが、中は
おばさんが5人も忙しそうにしている。店内は、昼前と言う事にあり、直ぐに
一杯になった。

「牛玉」と「大瓶のビール」を頼み、ビールが先に出てきたので、これを飲み
ながらおばさんの焼いてくれる牛玉を待つ。店内は馴染みの客らしき人で一杯
で、とても活気がある。

込み合っていたせいもあり、20分ほど待って、ようやく牛玉が到着。
とっくの昔に!ビールは飲み干しており、これ以上昼間から飲むと、さすがに
残り一宮寺まで9キロ+高松市内まで5キロ程度はあり、15キロ近く残して
いるので、少々自嘲気味であった。

しかし、目の前に「美味しそうな待望の牛玉」が到着すると!
「チュウハイ!」と叫んでしまった。
居酒屋のような、「大きなチュウハイ」が直ぐに到着。存分に両者を堪能して、
「酔っ払い遍路」はすっかりご機嫌となった。代金1,575円を支払い、
おばさんに「頑張って!気をつけて!」と声を掛けられ、出発!

外に出ると、朝から何とか持ちこたえていた曇り空から、小雨が落ちている。
私に限って(笑)酔い覚ましでもあるまいが、傘をささないで歩く。
ご機嫌な昼下がりの歩きとなった。1時間も昼食時間をとってしまった琴を
少し焦るが「酔っ払い遍路」の足は大丈夫そうである!
(11:30~12:30)

この後、2キロ程歩いて鬼無駅を横切り、飯田町の岩田神社の手前で、とても
綺麗な「お遍路さん接待所」を発見。ちょうど、誰もいないが、昼真から飲ん
だビールとチュウハイですっかり満タンになったので、トイレをお借りしよう
とドアを開けようとしたが、閉まっていた。

諦めて先を進もうかと思ったら、不在の時にはインターホンを押してくれと書
いてあったので押すと、直ぐに隣の家からおばさんが来て、ドアを開けて、
お礼を言い、まずトイレをお借りした。

その後、冷たいお水を頂き、少しここで話をする事になった。

ここは1年ほど前に、近くの某篤志家の方が用意されて(新しい建築だと思う)
運営されている「無料接待所」で「綺麗な公民館」のような感じの建物である。
優しいおばさんと長々を楽しい話をして、納め札をお渡しして、お礼を言い、
またここで1時間も時間を過ごし、ようやく一宮寺に向かう事になった。
(12:50~13:50)

その後、香東川沿いの自転車道(散歩道)歩きを楽しみ、途中、河川敷の
野球場の小さなベンチで座って少し休憩した。

年老いたご夫婦が散歩に来ており、少し痴呆症の出た奥様をご主人が労わり、
私を見て「お遍路さんだよ。歩いて88箇所を回ってるんだよ!偉いね~」
と奥様に説明していたのを、ただ、「こんにちは!」と元気に挨拶しかでき
ず、いつかは父や母もあんな風になるのだろうかと、今は元気な父をそして
母を思い、無性に胸が息苦しくなってしまった。

一宮寺に到着する直前に、またしても、Oさんに再会。彼は、昔の仕事の知り
合いを訪ねて寄り道をしていたらしく、ここでも同じようにお参り、そして
納経して一緒に高松方面に歩き出した。(15:30)

途中、平地なので、互いのペースもあり、私の方が速いのだが、彼は高松中心
部のビジネスホテルに予約しており、私は父の電話待ちといった感じで、
「方向定まらず!」なので先に行っていただき、私は、雨の中、ダラダラと
歩き続け、いつの間にかはぐれてしまった。また、明日、彼には会うような
気がする。

その後、栗林公園の南側の国道11号線に面したマクドナルドに入り、アイス
コーヒーを飲みながら父の電話を待つ。やがて電話がなり、ピックアップして
もらい、実家へと戻った。毎度の事であるが、感謝である。

明日(38日目)は、父に同じ場所(栗林公園前)まで送ってもらい、そこか
ら→84番屋島寺→85番八栗寺→86番志度寺→87番長尾寺までの予定で
ある。

そして、Koyamaさんのアドバイスもあったが、道順としては妥当な方法
を選択し、明後日(39日目)に大窪寺を打ち88箇所を結願し、旅館竹屋敷
の予約はまだだが、塩江温泉街で宿を取るより、こちらから夏子ダム経由の方
が近いとの情報もあり、こちらに宿を取り、明後日(40日目)に大滝寺を
打って、108ヶ所の最後としようと思う。

その後、一度実家に戻り、翌日大坂経由で高野山へと考えている。

いよいよもう少しである。

今日はこの辺で。

本当に後4日?!遍路36日目

2007年07月08日 | Weblog
「いよいよ後4日?!遍路36日目」

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天気:一日中曇り(ほんの少し晴れ間あり!)
気温:22度~28度位
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実家       6:00発(車送迎)
76番金蔵寺PA 6:25着   6:25発
別格18海岸寺  7:45着   8:55発
77番道隆寺   9:45着  10:15発
78番郷照寺  11:45着  12:10発
79番天皇寺  13:30着  13:55発
80番国分寺  15:15着  15:45発
実家      18:00着
--------------------------------------------------
歩行距離:約34Km
歩数:46,600歩
--------------------------------------------------
主な出費
納経代:300円×5寺=1,500円+300円!
数珠代:300円×2=600円
飲物代:450円
宿代: 0円(2食付き!)
=======================
総合計:2,850円
--------------------------------------------------

一昨日、76番金蔵寺まで歩いていたので、今朝は、ワープした感じになるが、
父親の車の送迎で、76番金蔵寺の駐車場まで送ってもらう。(6:25)

今日の天気予報は、一日曇りあるいは少し晴れ間が出るのであろうかという予
報である。梅雨の谷間なのか、貴重な日なので、しっかりと歩きたいと思う。

別格18番海岸寺を目指すのだが、いろいろ考えたが、77番道隆寺からの距
離が一番近そうなのだが、打戻りも面倒なので、そのまま金蔵寺から、海岸寺
を目指し、そのまま海岸寺から道隆寺に向かう事にした。

別格18番海岸寺への道は、一番近いはずの道隆寺からの道のりも、そして、
金蔵寺からの道のりも、実は、遍路地図には記載されていない。実は、ここが
一番不思議な点である・・・

他の別格の寺は、全て一番近いと思われる寺からの道順が「一応」後ろの頁等
に記載されているが、海岸寺は、71番弥谷寺からの山道か、74番甲山寺か
らの道順しか記載されていないのだ。

私が選んだ道は、(1)金蔵寺からの行きと、(2)道隆寺への帰りの道なの
だが、この詳細が記載されていない・・・

金蔵寺から県道25号線を北上し、瀬戸内海沿いの県道21号線を西に向かう
道のりが一番間違いない(迷いそうに無い)と判断し、父にも道を聞いて確認
し、この道のりを選択した。また、戻りは、県道21号線を東に向かう一本道
で76番道隆寺に向かうので、これも正解のはずである・・・

行きの海岸寺への道のりは、おおよそ7~8キロと推定した。1時間半前後で
あろう。6時半前(6:25)に、金蔵寺を出発し県道歩きとなり、多度津の
街中に差し掛かり、線路を地下道の歩道(自転車通行可)で超えて、更に25
号線を北上し、ようやく県道21号線に出る事が出来た。

西の方角に寺院のようなものが見えたが、海岸寺まではもう少し先だろうと、
「あれは何だろうか?」と思いながら、県道21号に入る。小さなトンネルを
くぐるとその訳が判明した。

多度津は、少林寺拳法の少林寺総本山があるのである。先ほど見たのは、少林
寺であり、トンネルを抜けるとそこは少林寺の町であった。そうだ!少林寺の
総本山は多度津だったのだと思い出しながら歩く。

その後、少し足の痛みを覚えながら・・・1時間半近く歩きようやく海岸寺に
到着した。(7:45)

寺には参拝客がまだおらず、土日にしては静かな風景である。何故か、山門の
左右の金剛像が、「お相撲さん」になっている。不思議な感じがしてならない。
山門の説明書きには、隣の丸亀と多度津(だと思う)出身の力士で、同じ頃
(昭和35年頃=私の生まれた歳である!)に大関と関脇になった力士のよう
であるが、琴が浜と若三杉だったと記憶しているが、あまりお相撲は詳しくな
いので定かではない・・・

ここの納経所の「商売人」のおじさんが、片づけやら、掃除をしていて、私が
山門のベンチに座って一息ついていると、話しかけて来た。

「歩きかえ?まあゆっくりして、後は、本堂の中に入って、ゆっくりお参りし
たら良い!」等と、優しく話しかけてくれる。

昨日のK氏のコメントにあった「お節介な二重納経」の件も頭に入っていたの
で!(笑)、適当にかわすが・・・商売人の納経所のおじさんは、「なかなか
やり手」であるようだ。

お参りを始めようとすると・・・

「まあ、今、バスの団体さんがいないから、あんたは幸運じゃぁ~、少しだけ
説明してあげよう~」と、

親切にも・・・

この寺は「3万坪の本堂のある敷地と、向こうの奥の院(大師堂がある場所)の
敷地も5万坪ある広大な寺じゃが、檀家は1軒もおらず、ここの住職が高野山大
学を出てここに来てから、未だにとても高名な80歳の住職じゃが、この方の
おかげで、この寺は・・・・・・」と、大変長いご説明を頂き、終に!

「向こうの奥の院『大師堂』にも、あんたも、後でお参りするんじゃろうが、
納経は?するんじゃろうぉ?であれば、その奥の院の分も、一緒にしとって
やるから・・・」ときたもんだ!

ただの「奥の院」なら、「今日は参拝の予定が無いので、納経は本堂の分だけで
結構です」と、丁寧にお断りも出来るのだが、

別に必ず「本堂と大師堂」にお参りする必要も無いのかも知れないが、何となく
「初めてのお遍路さん」は、「本堂と大師堂」でのお参りを義務付けられている
ような気がしているので、「奥の院」=「大師堂」となっていると、また、それ
が、歩いて200m程度の近さだと、「参拝するかぁ~」ってことになり、どうも
断り難いのである。

私もKさんの助言にも拘わらず・・・まんまと、商売人の罠にはまってしまった。

本堂でお参りを済ませ、数珠も忘れずに買い、2件!の納経代と合わせて1200
円を支払い、大師堂のある奥の院に向かった。

最近建立されたらしい、立派な門の鐘を付き!(300円分だぁ~!って(笑))
大師堂でもお参りを済ませ、ずいぶんと長居した海岸寺を後にした。(8:55)

この海岸寺に1時間10分いたことになる。ご説明ありがとうございました。
しかし、この間、団体バス客(参拝の人々)は誰も来ず、改めて、日曜日にも
拘わらず、別格は参拝客が少ないと感じた。

その後、21号線を戻り77番道隆寺に向かうのだが、この道隆寺までの距離は
おおよそ2.9キロと近隣の寺から最も近いはずなのだが・・・また、私の脚の
具合も絶好調に近いのだが、、、何故か、1時間近く掛かった!

私の見当では、25号線との合流までが、約3キロ、合流の多度津を過ぎてからの
道が2キロ近くあり、合計5キロ近い道のりだと判断するのだが、多度津の街中を
歩いて抜ければショートカット出来るのでは?とも思うが、少なくとも県道歩きの
道のりでは1時間近く掛かるのである。私の勘違いだろうか・・・

誰か、地元の人で、お暇な人がいれば、ここの最短ルートを探してあげて欲しい
と思った。

さて、結構バテバテで、ようやく77番道隆寺に到着(9:45)。お参りをし、
納経も済ませ、ベンチで休憩していると、歩き遍路の方と遭遇。少し話す。

この間まで横浜でサラリーマンをしていたが、今は、島根からの方で60歳の
定年を迎え、島根に再就職先が決まり、引越しをして、再就職を8月からにして
頂き、この遍路に来たと言う方であった。今日で31日目。後4日だろうか。
なかなか健脚である。そう言えば、あの酔っ払い遍路の埼玉のAさんも、35日
だと言っていた。60歳前後の定年直後の方の遍路は、準備など含めて、最も
元気が良いと思う。

さて、この方とは同行せずに、少し先に出発することにした。予定外に(笑)
海岸寺で時間を取られたので、今日は80番国分寺までは行きたいと計算して、
先を急ぐ事にした。

78番郷照寺は、実家の坂出の手前、宇多津にある。実家から一番近い寺だが、
寺としては、あまりと言うか、全然記憶が無い・・・(笑)

ただ、大人になって暮らした事が無いとは言え、さすがに、親戚の家等もこの
近辺に多く、何度も車で通った記憶があるので、一度地図で確認をすれば、後は、
ほとんど地図を見ないでも歩ける位である。丸亀市に入り、ガンガン飛ばして、
あっと言う間に丸亀市を抜けそうになった頃・・・

丸亀城近くで、後ろから車がクラクションを鳴らした。
誰だろう?と振り返ると、父の車であった!(爆笑!)

「お前が、この辺を歩いてるんじゃないと・・・」って・・・
いつまでたっても、子供は心配なのだろうか・・・(トホホ・・・)
(写真は、父のデジカメで取った、私の写真である。金剛杖とザックの後ろに
くくりつけた菅笠が無いと、ただのバックパッカーか山登りのおっさんである!)

短パンにサングラス・・・とても遍路には見えまい・・・現代版快速遍路である。

その後、土器川を渡り、宇多津の町に入った。迷う事も無く、軽快な歩きとなり、
郷照寺に到着(11:45)。これで、どうやら、今日の後り、2時間×2
でも、国分寺には間に合いそうであると頭の中で計算してしまうのだ。

ゆっくり参拝し、納経を済ませて改めて思うのだが、はやり日曜日と言う事も
あるのだろうが、88箇所の寺は参拝客が多い。バスの団体も多く、ひどく別格
の寺が可哀想にも思えてしまう。別格は、とても印象深いそして、スケールの
大きな良い寺も多いのだが。。。

さて、その後、天皇寺に向かうのだが、この道も大体およそ見当は付くのだ。
確かに坂出の古い商店街のアーケード下など通った事も初めてだが、それでも、
方角や、この向こうは坂出駅だな!とか、何となく安心感がある。

結構調子よく歩いてしまい、この間ほとんど時速6キロペースになっている。
天皇寺の少し手前で、後ろから香川ナンバーのBMWのおじさんが、「もう少し
だよ!手前の『ところてん』でも食べて、少し休憩したら!」って声を掛けて
くれた。何となく、どこかで休みたい気分だったので、参道手前に来てはじめて
「八十場の水」で有名な「ところてん」に舌鼓を打ち、ホッと一息休憩した。
懐かしい味の、美味しいところてんであった!(13:15~13:25)

天皇寺は白峰神社と一体になっていると言っても過言ではないだろう。危うく、
白峰神社を通り越して下りそうになり、地図を見て、もう一度50m程引き換え
して、寺に戻った位である。本当に一体になっていると思う。
(13:30~13:55)

その後、遍路道は国道の南側を平行して歩く道を示すが、国道に出て歩く事に
した。今日は、もう、次の国分寺で終わりであるから、まだ時間的に余裕もある
ので何となく休憩しながら歩こうと思いながら、休憩ポイントを探すが、国道に
はコンビニ程度しかなく、一度、ファミマに立ち寄り・・・

恒例の!「残り距離が少なくなった、時間的に余裕のある、午後は!」
「ビールで乾杯!」となった!

そして、国道11号線の歩道の上り坂をダラダラと一人歩き、後は下りとなり、
国分寺に到着。(15:15)この時間だと、完全に余裕である。ゆっくり境内
を散策し、結構立派な寺だと感心するが、昔、「『国分寺』とは、昔から必ず
一国に1つあり、立派な寺だ」と聞いた事があるが、「だから立派なんだ!」と
勝手に思いながら、お参りと納経を済ませた。

表で父の迎えを待つことにしたが、待つために適当な場所が無いので、県道沿い
の「たこ焼きや」で「たこ焼き」を1つ300円で注文し、これをベンチで
食べながら父の迎えの車を待った。「極楽遍路」である。

ちなみに、ご質問の、この数日の酒量であるが・・・

毎晩、
ビールは3本程度(500ml×3)
焼酎の水割りを(200ml×5杯程度)
は、必ず飲んでいる。

お接待であるから、記載していない。(笑)
ちなみに・・・父も母も、ほぼ下戸である・・・(爆笑!)

横で見ていて、呆れている・・・今に始まった事ではないので、私も、そして
両親も全く気にしていない!(と、思う・・・修行中の遍路なのだが・・・)

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さて、結願の日が見えてきた。少し寂しい気もするのだが、いずれにせよ終わり
になる。このまま「遍路への迷い道」に漬かってしまうつもりも毛頭無く、高野
山への道を終える前に、少し不安な行程がひとつだけある。

長尾寺(87番)の後、いずれを先に打つかである。
88番大窪寺か、別格20番大滝寺が先かである。

K氏のコメントにあったように、女体山超えには、正直あまり興味は無いので、
長尾寺から直接大瀧寺を目指し、別格を先に結願してから大窪寺に行くのが、
行程的にある得るかなとも思っているのだが、今後の行程の予定は・・・

(明日37日目)
(80番スタート)→81番→82番→別格19番→83番→高松市内
(明後日38日目)
(高松市内スタート)→84番→85番→86番→87番

となるだろう。であるから、
「1案」
(明々後日39日目)
(87番スタート)→88番(結願)→塩江温泉の宿
(40日目)
(塩江温泉の宿スタート)→別格20番大滝寺(結願)

「2案」
(明々後日39日目)
(87番スタート)→別格20番(結願)→旅館竹屋敷
(40日目)
(旅館竹屋敷)→88番大窪寺(結願)

88番から大滝寺までは、県道を行く以外、6月~10月は草木繁茂で通行不能
だと地図に書いてあるのだ。そうなると、88番から25キロ近いのである。
また大滝寺は、どうやら地図で改めて確認すると、標高920mと!雲辺寺より
10mも高い・・・トホホである(笑)

今回は、両方を結願の後、一度実家に戻り1泊して、高野山に向かう予定である。
ただ、父の車で、興田寺には、四国内でのお礼参りとしては済ませておこうかと
考えているのである。

1案の方が、88番を朝一番で打ち、その後、塩江温泉の適当な宿入りして、
一人静かに「一方の結願」を祝い、翌日、900m超の山の大滝寺を打って、
両者の結願を終えるのが、肯定的には無難かなとも思うが、「K」さん!
如何なもんでしょうか?

なんて・・・大変、皆様には申し訳なく、これまでどんなに励まされてきたかと
思っております。

本当は、1番霊山寺に歩いていって、徳島市内の応神町という町で小学校を過ご
したので、ここまで歩いて見たい気もするのですが・・・今回は無理のようです。

6年生の12月に父の転勤で東京に引っ越したので、35年も!あの町に行って
いません。昔の友人の名前も数人しか覚えていませんが、それでも今回の遍路で
徳島を歩いていて、とても懐かしい匂いがしました。

という感じです。今日はこの辺で。

幸せな金毘羅詣で!遍路35日目

2007年07月07日 | Weblog
「幸せな金毘羅詣で!遍路35日目」

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天気:午前中雨、その後曇り
気温:22度~28度位
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実家       6:00発(車送迎)
尽誠学園     6:25着   6:25発
別格17神野寺  8:35着   8:55発
金毘羅さん   10:20着  12:20発
尽誠学園    14:00着
実家      14:30着
--------------------------------------------------
歩行距離:約25Km
歩数:37,400歩
--------------------------------------------------
主な出費
納経代:300円×1寺=300円
数珠代:300円×2=600円
飲物代:750円
宿代: 0円(2食付き!)
=======================
総合計:1,650円
--------------------------------------------------

今日は7月7日(土)七夕である。そんな事を考えながら、5時過ぎに起き、年
寄りはいつも早いので・・・(笑)既に起きている両親と話しながら、またもや
父親の運転で75番善通寺近くに送ってもらう。今日の予定は、別格17番神野
寺を先に打ち、その後ゆっくり金毘羅さん詣でをして、その後、善通寺近くまで
戻って終わりにするつもりであるので、少し気が楽である。

善通寺近くの、昨日、76番金蔵寺への道順の県道沿いまで送ってもらう事とし、
分り易い場所が良いだろうと、高校野球でも有名な尽誠学園の校門前まで送って
もらうことにした。ここに迎えにきてもらう約束で、まずは、県道25号から国
道319号を金毘羅方面に進み、その後、県道経由で満濃池方面に向かう事にし
た。

尽誠学園前の道は、以前は国道319号だったが、東側にバイパスが出来て、前
の道は県道に格下げ?のようである。ここで父の車を降りる。

小雨が降りしきる中、淡々と歩き出す。

今朝も、朝食に「うどん」「バラ寿司」とカロリー満点でお腹一杯であるので、
何となくお腹が重い・・・「歩き遍路」に出て、太ったとは情けないので、今日
は昼は抜こうかな~と考えながら歩き出す。

善通寺から別格神野寺は、遍路地図の距離表示で12.5キロであるので、尽誠
学園からだと、およそ片道11キロ程度だと判断した。まずは、お腹の具合と相
談しながら、朝の歩きとなる。

「お腹の具合」とは・・・歩き遍路の朝の歩きは、自然現象?(笑)との戦いで
もあるのだ。毎度の事だが、朝の食事の後、特に便通が問題なければ良いのだが、
宿で便が出なかったり、お腹の具合が悪い場合などは、歩き始めて1時間程度で
激痛!が襲ってきたりして、コンビニやその他トイレ探しが大変な時が間々ある
のだ。

今日は何となく自宅のトイレでは用を足せてないので、不安なスタートとなった。

2キロ程歩き、ローソンで小休止とする。(6:55~7:00)雨の中の歩行
なのと朝一番でなんとなくダラダラとした歩きとなる。お腹の調子は特に問題は
無いようなので、そのまま徐々にペースアップする。今日は、先に、遠い満濃池
の横の別格を目指し、戻り道に金毘羅さんをゆっくり見る事にした。

この先、寺まで、途中、休憩所らしきものは無いと判断し、約7キロ地点の国道
32号線の高架下を県道が通る「道路の屋根下」で、立ち止まって休憩し、残り
5キロ程度の歩行に足を貯める事とした。(7:45~7:50)

県道を歩き、満濃池の手前の信号を通過すると、別格17番神野寺まで500m
程である。ここから少しだけ坂を上り、恐らく標高で100m前後だろう、満濃
池を展望する公園の直ぐ隣の道沿いに、この別格17番神野寺はあった。

讃岐は、ご存知、弘法大師誕生の地であり、この善通寺地方の出身であり、弘法
大師が京に登った後讃岐に戻り、満濃池の改造(大雨等による被害防止)工事の
の指揮をとったと言われている。詳しくは忘れたが、司馬遼太郎の空海の風景に
そんな事を書いてあったな~と思いながら、「そうだ!満濃池の横にある別格の
寺だなのだ!」と、どんな寺かと期待していたら、意外に小さな寺であった。

私の訪れた時間は、他に誰も参拝客はおらず、お参りして納経を済ませる時、年
老いたお婆さん(おそらくは、現住職のお母さんであろう)が納経をして頂いた。

歩きである事、そして今日はこれから金毘羅さんに参る事など、短い会話をして、
少し歩き疲れているので、この寺では雨の中座って休める場所が無いこともあり、
挨拶をして寺を出た。

ちょうど登ってくる時に、下の信号のところに小さな公園(多分、まんのうぼた
ん園)があり、県道沿いに東屋があったのを記憶しておりここに急いだ。ここに
腰を下ろし、雨の中、ほとんど休憩らしい休憩も取らずに結構なスピードで歩い
てきたので足も疲れており、ここでゆっくり休憩を取る事にした。
(9:00~9:30)

神野寺を出る時に見た「満濃池」は、少し水かさが増えているような感じがした。
先ほど、携帯から見た私のブログにコメントをいつも頂いている方のコメントに
もあったなぁ~と思いながら、我々「外者の歩き遍路」には雨は辛い修行となる
が、地元の人の農業や生活水の事を思うと、ここ数日の雨は、恵みの雨であろう
し、しかし、それでもまだまだ足りないのだろうと思いながら、ゆったりとした
休憩時間を取れたので、今日は後は「金毘羅さん」だけである!その後の歩きは、
リラックスモードの金毘羅さん詣でとなる。

小雨の中、さほど歩きに影響のある雨でもなく1時間程歩き、最後は金毘羅さん
近くの本当に道幅の狭い街中(恐らく、現在では消防法や建築基準法等で、こん
な狭い道に家を最建築など出来ないのだろうと考えながら・・・火事になっても
消防車も入れない道)を抜け、(10:20)金毘羅さんの入り口下に到着した。

雨の中1時間近く歩き続けると結構疲れると思う。半袖のスポーツシャツはぐっ
しょり汗で濡れているし、傘の歩きであるとはいえ、両腕も雨で濡れている。
この時期の暑さの中であるから良いようなものの、春先や秋・初冬の歩きは、
天気の良いの時は快適だろうが、雨の歩きになるとまた様相が一変するのだろう
などと考える余裕がある。今日は、完全にリラックスモードである。

金毘羅さん下の、土産物屋や駐車場の呼び込みが多いところを抜け、表参道から
徐々に階段が始まる。いよいよ「金毘羅さんの階段」である。

奥の院(奥社)まで行くと決めていたので、これからまた1時間以上は掛かるだ
ろうからと、参道の下側で適当な喫茶店を探す事にした。休憩をして、少し足を
休め、コーヒーでも飲み、その後、ゆっくり登ろうという事だ。

(10:30~10:50)参道から少し入った右側の喫茶店に入り、コーヒー
を飲み休息とした。トイレも済ませ、いざ出陣!

ザックはこの2日間、実家に荷物の過半を残してあるので、軽いものである!
空身とまではいかないまでも軽量である。傘をさして、右手には頼もしい金剛杖
であるので、参道の回りの観光客のように、参道の土産物屋で、頼りない!竹の杖
(失礼!)を借りる必要も無い!

背中のザックに結びつけた「持ち鈴」の音色も、もう私には慣れた音色で心地よい
感じである。

一段一段登っていく。今日は、土曜日でもあり、観光客も多いと思われ、ツアー
の団体に付いたガイドがスピーカー片手に所々で立ち止まり団体に、各所の案内
をしている風景も見える。

若いアベックも多く、むしろ、お年寄りの団体などが少ないのでは?と、お四国
巡りの「お年寄りパワーの団体さん」を見慣れているので、金毘羅さんの参道に
溢れる、若いグループや、若いアベック、社員旅行のグループなどを見ながら、
何となく気恥ずかしい「一人の歩き遍路」は階段を登っていく。

有名な5人百姓を過ぎ、20分ほど歩き本殿(本宮)に到着(11:15)。

さすがに少し汗をかかされた。途中、さすがに長い階段が続くところは、少し休み
ながらの上りであった。汗を拭き、一息付いて、傘を下ろして、本宮でお参りを
済ませた。残り少なくなった「歩き遍路の旅」の無事などを祈願した。

お参りを済ませた頃、歩き遍路と思われる人が登ってきた。本格的な山装備で、
しっかりとした山用のポンチョでザックを覆い、菅笠を被り、金剛杖をついての
歩き遍路である。話し掛けると、彼は、善通寺から出発し、先ほど午前中に善通寺
で結願したという。51日目である。88箇所だけであるが、この日数は装備から
見ても、恐らくテントやその他野営の本格的な装備を背負っての歩き遍路であった
のだろうと推測した。彼は、別格は既に自家用車で回っており、今回は初めての
歩きであったらしい。

「おめでとうございました」と挨拶し、少しの間立ち話をした。

別格を含めての歩き遍路である事など話をすると、突然彼が、「私も、歩き遍路に
出る時、『何があっても怒るまい』と思っていたのですが、さすがに大滝寺の住職
には・・・また、奥さんもかなりの変わり者で・・・」と、私に、別格の結願の時
に、気分を害さないようにと、心積もりをさせていただいたのだろうか。

いろいろ噂のある住職であると聞いているが、ライターの加賀山氏の本にも登場す
る住職で、常福寺椿堂の住職の後、大滝寺に移ったと聞くが、そう言えば、昨日の
善通寺の遍路用品売り場のおばさんも、「大滝寺の住職は変わってるわよぉ~」と
言っていたような気がするが、まあ~いずれにせよ、あまり先入観を持つのもなん
だと、気にしない事にした。

その後挨拶をして別れ、汗も落ち着いたし、いよいよ!奥の院(奥社)までの上り
である。

少し進むと白峰神社というのがあり、
ここの標識に「奥社まで445段、約15分」
とあった。

昨日の弥谷寺もそうだが、別格を含め、90箇所以上の寺の階段にも「慣れ」
もあるので、445段と聞いても、また15分程度と聞いても、「並足」を指すの
だろう・・・と勝手に判断するようになり・・・(笑)、割と平気である。

慣れは恐ろしい!(笑)

淡々と上りはじめる。奥社への階段は最初少し階段があるが、綺麗な石畳を挟み、
また階段があるという感じで「足休め」の場所も多く、本宮への階段よりも数段に
上りやすいと思う。

またそれ以上に、「残り445段、約15分」という「標識」の存在が、気持ちに
余裕や安心感を持たせるのではないかと思う。

遍路に出て山道を歩く時、「後、どのくらい、この険しい道は続くのだろうか?」
「後、何キロなんだろうか?」「残り、何分位掛かるのだろう?」と、不安に思う
事が多い。

古道や遍路道にも昔からの「標識」もあり、「残り何丁」と書いてあるところも
あるが、これらは道が古い場合もあり結構当てにならない事もあるが、それでも
「1丁は、109mだったな!7丁だから800m弱だな!20分!いや最悪でも
30分も登れば着くんだ!頑張るぞ!」と、心の中で思いながら進んできたものだ。

人生も「残り、この苦しさは、3ヶ月です!」「あと、1週間です!」と分って
いれば、楽な道を選んだり、逃げたりしないでも頑張れるのだろうが・・・等と
考えながら登っていく。すみません・・・

(11:40)奥社到着。静かな落ち着いた社で、傘をたたみ、杖を休ませ、帽子
を脱いで、お参りをした。お参りの後、雨もほとんど上がった。右手に、琴平の町
が見下ろせた。とても、静かな奥社であった。

奥社の社務所に
「本宮まで785段、本宮から583段、合計1368段、標高421M」と
書いてあった。

さて、参拝客の内、95%以上は本宮で参拝を終わるのだろう。
先程の参道での喧騒とまではとてもいかないが、結構な人手であったが、奥社まで
の参道は静かなものである。時々、前後誰も見掛けないことすらある。落ち着いて
しっかりと登ってこれた事に感謝した。

奥社を離れる時、若者とすれ違った。

「これがぁ~奥社ですかぁ~はぁ~」と、疲れた顔だった!

「私も初めてですが、多分、間違いないと思いますよ!では、また!」
と元気良く声を掛けた。

別れ際、若者が振り向き、背中のザックと結んだ菅笠に、私を歩き遍路と気づいた
のか、

「この後の旅に幸運を!」と、声を掛けてくれた。

「ありがとう!また!」と、大きな声を返事をした。

本当に嬉しかった。素晴らしい若者である。
奥社から降りていく時、無性に嬉しかった。

それではこれから降りる時、私は、すれ違う(登ってくる)人は本当に少ないが、
全員に声を掛けながら降りてみようと思い、「こんにちは!」と元気な声で
全員に声を掛けながら降りてみた。

皆、「こんにちは!」と声を返してくれる。

そう言えば、石鎚山を登る時の「おのぼりさん!」「おくだりさん!」も
挨拶のひとつなのだろうと・・・

でも挨拶ひとつで、こんなに気分は変わるものなのだと思いながら、これだけでも
とても素晴らしい「金毘羅さん詣で」となったと、そう思えた。

本宮まで降り、少しゆっくり境内を見て回った。当たり前だが、とても立派な神社
である。

下り口の奥手に、なにやら船が飾ってあった。冒険家堀江謙一氏が寄贈したソーラー
発電の船が飾ってあり、モルツマーメード号とあった。その回りの寄進の名前には
多くの船会社などが並び、ようやくここが海の神様だと思い出した。

「こんぴら船船・・・」である。そうなのだ。ここは海の神様としても名高いので
あった。そんなことすら忘れていたのであった。いい歳をして。

参道下まで降り(12:20)、後は、善通寺方向に歩くだけである。

参道下に降りた時、既に今日の雨は完全に上がっていた。傘をザックにしまい、
父に電話をし14時頃には尽誠学園に到着するだろうと伝え、県道歩きとなった。

今日はまだ時間が早いので、76番を超え77番→別格18番海岸寺までギリギリ
打てるかな!?とも考えたが・・・

「止めておこう。もう、遍路の旅も5日か6日で終わるのだ。そんなに急いでも
仕方ない」と思う事にした。

14時ちょうどに父が迎えに来た。

今日はこの辺で。

そう言えば、先ほど、埼玉の酔っ払い遍路2号!Aさんからショートメールが来て、
今日35日間で無事結願し高野山を参ったようです。おめでとうございます!