四国遍路(108箇所)の旅

お遍路(88+別格20)の準備計画と実際の歩き通し打ちの記録を、5月11日から(実行は6月3日スタート)記録しています。

大滝寺の続編?!と、興田寺!遍路40日目

2007年07月12日 | Weblog
「興田寺と・・・大滝寺の続編!遍路40日目」

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天気:未明大雨、その後曇り時々晴れ間もあり(暑い!)
気温:21度~30度位
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実家       7:10発(車送迎)
宇多津駅     7:20着   7:27発
高松駅      8:01着   8:30発
丹生駅     10:10着
興田寺     10:45着  11:45発
バス一本杉停留 11:55着  12:05発
高松駅     13:05着  13:21発
坂出駅     14:01着
実家      15:00着
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歩行距離:約 6Km
歩数:9,900歩
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主な出費
納経代:300円×1寺=300円
飲物代:400円
宿代: 0円(2食付き!)
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総合計:700円
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昨日の別格20番満願の大滝寺で、私の「108箇所初めての『歩き』遍路」
は終了した。昨日の大滝寺まで車の送迎、あるいは電車バス等を乗り継いで、
もう一度大滝山に戻らなければ、今日の興田寺や、明日の高野山、そしてまだ
決めていないが時間が許せば東寺へのお礼参りも全て歩きで行かなければ、
「気持ち」が収まりそうに済みそうにないのだが、「歩く事」にばかり拘ると
切りが無いので「遍路39日目」で、私の初めての「歩き遍路・第一部」は
終わりとしたい。

ここからは、第二部(「これまでの総括」と「気ままなお礼参り遍路」)を
まとめていきたいと思う。

今朝は、いつもと同じように4時前に目覚めてしまうが、今日から歩かなくて
も良い事を思い出し6時過ぎまで寝ていた。両親は、飼い犬の散歩もあり結構
朝が早いので、自然と6時過ぎには起きる。今日の支度(興田寺参り)をして、
両親と朝食を食べ、父の運転(ゴルフ途中!)で宇多津駅に送ってもらう。

宇多津から丹生駅(興田寺の近くの駅)までの各駅停車の切符を購入。
片道1,240円也(宇多津→高松→高徳線丹生駅)。

通勤通学で以外に込み合う(と言っても、宇多津駅ではまだ若干の空席もある
が)県庁所在地の高松駅までの列車に乗り、八十場(天皇寺の近くの駅)や、
国分(国分寺の近くの駅)、鬼無(別格19番香西寺から一宮寺に向かう途中
に近くの線路を横切った)など、「何となく懐かしい」駅に止まりながら定刻
の8時過ぎに高松駅に到着。

ここから高徳本線の各駅停車に乗り換えるため、1番線のホームで約30分
近く待つ。

昔、東京に父の転勤で引っ越した後、時々田舎に家族で帰郷する時には、まだ、
瀬戸大橋など無く、岡山まで新幹線に乗り、宇野線(在来線)に乗り換え、
そして宇高連絡船で高松港に到着。高松港は高松駅に隣接しており、ここで、
更に予讃線に乗り換え実家に帰郷するのだが、そう言う意味で、この高松駅は
とても馴染みの深い駅でもある。

必ずと言って良い程、高松駅のホームの「立ち食いうどん」を食べ、列車や船を
待つ。そんな思い出がある駅である。

30分近くも時間があるので、うどんを食べようかと思ったが、朝食を食べた
ばかりだし、それに「歩き遍路」の最中と同じように「大食漢」を続けている
とあっという間に10キロは太ってしまう!と・・・「今日から通常モード」
の食生活に戻そうと決意し「胃拡張気味」となった体を、今後は強い意志で
コントロールしなければならないのだ。

高徳線でも、懐かしい「屋島駅」「八栗口駅」と、寺の名前の付いた駅を各駅
停車と言うよりも、二両編成の「鈍行(どんこう)列車」が進んでいく。

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さて、お待たせしました!昨日の後編の大滝寺での話である。

お参りを終え、納経のためインターフォンを押すと、奥から「噂の住職」が登場
した。Tシャツ姿であるが、「納経、お願いします」と言うと、直ぐに和袈裟を
付け、まずはとても礼節と言うか作法に沿ったきちんとした対応であると感じた。

歩き遍路をしていると、納経所での「思い」「感じ方」が実はとても印象深いの
である。幾つかの寺は、いい加減な寺とは言わないが、結構Tシャツ姿や普段着
で、且つ、「流れ作業」のような応対で納経を済ませてしまう寺も本当に多い。

まあ、「白いTシャツ程度」なら許せるが、Tシャツに「ハワイ」「アロハ」
「Paris」等と書かれた、更に!色物のTシャツなど着て納経をされるので
は、こちらも、ある意味贅沢な旅ではあるが、それでも一人一人心の中では
「修行」と感じて歩いている部分も多いのであるから、ある意味、興醒めでも
あり、「何かとても残念に思えて」しまうのである。

ある寺では、隣に奥さんと小さな子供が座っているのも??微笑ましいとは思う
が、Tシャツの旦那(若旦那・跡取りの住職だろうが)、その格好は、如何な
ものであろうかと・・・思ってしまうのだ。

また、どこの寺とは言わないが、金のネックレスにTシャツ、確かに、頭だけは
坊主頭であるが、とても僧侶とは思えない「極道」「ヤクザ」家業のような風貌
と態度の、そんな若旦那(僧侶の資格は持っているのか!?)が納経する寺すら
あるのだ。

確かに、歩き遍路は、平均的には・・・ほとんど金にならないだろう。金の無い
若者や、様々な事情があってこの歩き遍路をしている人の多い連中を相手して
いるよりも、団体バスツアー相手に、「いらっしゃいませ!ハイ!30名様で!
合計で、駐車場もご利用の、大型バスでございますねぇ~30名様ですが、
納経帳が38冊(お参りの人数よりも多い!)、掛け軸が7本(掛け軸は1回
500円と高い!)で、合計1万7千円也~」って方が効率的だろう・・・

我々は、ほとんどお守りも買わないし、納経帳への納経代300円だけである。
私もそうだが、恐らく各寺でのお賽銭も本堂と大師堂を合わせて20円~50円
がいいところであろう。お賽銭も、毎回100円なら200回で2万円になるの
で、結構馬鹿にならないのだ。

ところが、バスツアーの「おばさん&お婆さん、パワフル軍団」は、バスで隣に
座っている同じのおばさんとの対抗意識もあり、お守りの購入や、お賽銭も
結構な金額を(お札を!)入れたりするらしい。まあそんな事はどうでも良いが
とにかく、最低限「納経」時には、それなりの格好と態度(振る舞い)をして
欲しいだけである。

しかし、ここの住職はきちんとしている。しかし、納経をしながらでも、眼光は
やけに!鋭い(笑)。

「歩きかえぇ?」
「はい」
「どのくらいかかった?」
「大滝さんが最後で108ヶ所で、今日が39日目です」
「そりゃ~早いね」
「はい。おかげさまで。頑張って歩きましたが、天候にも恵まれたと思います」

「これ、お接待」
と飴を3個と、ジュースを1缶頂いた。

「数珠を男玉と女玉を1個ずつ頂けますか?」
「うんっ」

「満願証も頂けますか?」
「お金掛かるよ。2000円!」
「もちろん結構です。記念ですから!お願いします」
「一応、納経帳、もう一度見せて。確認する義務もあるから。それと、ここに
簡単な住所と、略さないで、名前も書いて」
「はい」

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この時刻、時間は、まだ3時半前である。父は今日ゴルフで、もし今日大滝寺を
打って、108ヶ所終われば、塩江温泉辺りの宿に泊まらずに、せっかくだから
実家に帰って来いと言われていたので、昼前に携帯で連絡を取り、今日大窪寺の
後、大滝寺も打つので、おそらく、遅くとも5時には大滝寺を打てると思うと
言うと、「5時ならゴルフの後迎えにいってやる」という、父の有り難い言葉に
甘えて、そのような約束をしたのである・・・
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納経も終わり、満願証も頂き、これで「じゃあ」って事になると・・・

(1)塩江まで3時間位かけて約13キロの道のりを降りなければならない。
(2)途中、運転中の父に連絡がつかないと、大滝寺に上ってくる道は3本あり、

下手をすると、途中ではぐれてしまう。

では・・・ここで待つしかないのだが、境内には、どうも、ベンチも無いのだ。
少し様子を見ながら話していて、時間を稼ぐのが一番である(笑)。

それに、この寺で、私の「歩き遍路」は終わりである。
噂の住職と、ゆっくり話してみたい気もあった。

前にも書いたが、この歩き遍路の旅を計画し始めた頃、当然最初から別格も合わ
せて打つ108ヶ所の旅など、考えても見なかった。弘法大師の縁の地を訪ねて
歩く遍路旅に、それ程詳しい知識も無かったし、昨年秋のNHK教育テレビの
「趣味悠々初めてのお遍路」を見たのがきっかけとなった位の「ミーハー」的
要素がかなり強いのである。その程度なのだ。

しかし、インターネットで様々な検索をかけていくうちに、先人の方々のHP等
で徐々に「にわか知識」も増えていき、自分の体力への「過信」も手伝い、
「名古屋のスーパーじぃ」H氏の3回目の歩き遍路の77歳での108ヶ所に
刺激され、別格がこれほど「遠く」且つ「山が多い」事も全く良く考えずに、
108ヶ所を打つことを計画してしまったのだ。

それと、もうひとつ、遍路に出発する1ヶ月程前から、数冊の遍路関係の本を
読んだ中に、加賀山氏の本があった。彼が20代の頃最初の遍路に出た頃、
別格14番常福寺椿堂に7日間もお世話になった時の住職がこの方であり、
その時の話が、最近発行された「お遍路・美人を訪ねて300里」の中に
少しだけ触れられており、今その当時の住職は、別格20番大滝寺に移ってい
るという事を知っただけだったのである。

ただ何となく、何故か、妙に惹かれるものがあった。
それだけなのである。

それだけで名古屋のH爺への負けん気と、別格の寺への興味、そして88箇所
巡りの納経帳を埋めるだけでなく、両親に別格の数珠を「歩いて集める」事を
思い立っただけなのである。

歩き遍路の地図を、八重洲ブックセンターのインターネットで購入し、計画を
88箇所から108箇所に変えても、これほど「困難さ」が増えるとは思わな
かった。単に日数が35日前後から45日前後になる位だろうと思っていた。

名古屋のスーパー爺は、108ヶ所を43日で踏破している。私もこの程度で
は歩けるだろうとタカをくくっていた。その程度なのである。

つまり目の前にいる「噂の住職」と話したかった。
それだけなのかも知れない。

少しずつ話してみたと言うより「恐る恐る」である(爆笑!)。

特に話し易い人ではないが、苦労をされている片鱗は見える。また、今、何故
水も来ていない「雲辺寺」よりも高い標高920mの「山寺」にいるのか、私に
は分らないが、奥様と共に、お子さん2人を立派に外国教育を含めて育て、
それだけでも立派なものである。

サラリーマンを経て在家から坊主になった彼は不思議な人物でもあるが、
子を愛し、僧侶でもある妻と共に、偏狭での生活を実践しながら、
彼と奥様なりの僧侶として、そして子の親としての人生を送って
来ているのである。

いろいろな話をしたが、とても面白かった。
そしてとても人間らしい「子の親」である。
優秀な人だと思う。そして何より、素敵な人だと思う。

ただ、世間での評判は余り芳しくないのかも知れない。
誤解が多く存在しているのだろう。

40日足らずの私の遍路の旅の間、ほんの少し聞いた限りでも、
(敢えて誤解を恐れず、記憶の限り、実名で申し上げる)

・善通寺の売店のおばさん(「覚悟はしていった方が良いよ。いろいろ噂も
あるから。彼の知人の「誰々」を知っているが・・・等々)
・前山遍路センターのおじさん(「歩き遍路は大事にせにゃいかん!のだが、
どうも、いろいろとかく噂があるんで、困っとる。。。あんたが覚悟して
いるんなら大丈夫じゃろう」とか・・・)
・金毘羅さんの本宮であった歩き遍路の人(「遍路に出るのですから、「怒る」
と言うことは絶対にしないと誓っていたのですが、さすがに「あの人だけには
参りました・・・おまけに奥さんも、かなりの変人だと・・・」参りました)
・今日の興田寺の若い住職(特に悪くは言っていなかったが「噂」は存在すると
言っていた。

覚えていないが、他にも数人の人が「噂の住職」の話をしていた。

全ての判断は、自分が直接、会ってから。
私の個人的な思いいれを抜きにしても、彼も奥さんも「仕事(僧侶として)に
一生を賭け、真剣に子を愛し育てた」人であろうし、それ以外に、
何も分らないし、私に対しては、とても良くして頂いた。

それが事実である。

「今日はこれから下に降りるの?」
「いえ、ここ大滝寺で私の歩きは終わりで、今、父が迎えに来てくれる事に
なっているのですが、時間が早いので、私が先に塩江に下りるかなと思って
いたのですが、それだと、父が道が分るかなと考えて、少し心配です」
「携帯持もっとんの?」
「私の携帯は電波が入らないようです」
「じゃあ、ちょっと待ってて。はい、これ使いな」

と、住職の携帯を借り、何とか父に連絡がつきましたが、大滝寺で待つことに
なり、その事を話すと、

「そこじゃなんだから、玄関開けるから、ちょっと待ってて」
「どうぞ、奥に入って」

と、中に通され、お茶とお菓子をご馳走になり、いろいろな話をしました。
外出されていた奥様も戻り、ご挨拶をして、少し話もさせていただきました。

なんやかんやで、2時間も。
時計を見ると時間は17時過ぎ。父は、今頃まだ、塩江から山を車でクネクネ道
を登って来ているのでしょう。

そんな時、納経所のインターフォンが鳴りました。
住職が私と話しているので、奥様が席を立ち、納経所に。
5時ちょうど位です。

この時間に(納経ギリギリ!)参拝の人か、それとも、私の父か?と思って
いたのですが、父ではないようです。

その20分後、5時半過ぎ、父が迎えに来たと、納経所にいた奥様が呼びに
来てくれました。丁寧にお礼を言い、住職に別れを告げ、

住職も「お父さん、上がって少しお茶でも」と言われましたが、
時間も遅いので、また「母も待っていますので」と、去る事にしました。

そして、外に出ると・・・チャリダーS君がいるではありませんか!

6月3日、私の初日、大山寺(別格1番)の山の車道であったS君。
その後、内海町の手前でも会い、
そして、金山出石寺の手前でも会いました。
最後の最後の寺、大滝寺で会おうとは・・・

「おうぅ~っ!S君!」
「おおおお!!!中年健脚のぉ~~~(笑)」
「今朝、前山の道の駅ながおでテント張ってなかった?」
「そうです!そうです!」
「朝、前を通ったんだけど、起こしちゃマズいと思って、S君かなと思って
たんだ!頑張ったねぇ~!!!」
「おめでとうございます!」
「そうだね!お互い!良かったね!」

って・・・硬い握手!

住職との会話でも、S君という108ヶ所回っているチャリダーに何度か
会ったんですが、彼は来ましたか?って聞いていたので、
「あの、さっき話をしていたS君です!」って紹介しました。

父もキョトンとしていましたが、彼にも紹介し、
「もう、私は歩かないんだ!これで(大滝寺)終わり!父です。迎えに来て
もらったんだよ!」って・・・

そんな偶然で奇遇な再会もありました。
とても素晴らしい最後となりました。

その後、父の運転を代わり、私が運転して塩江を抜け、実家に戻りました。

実家から1時間以上、細い山道を抜けて来た、年老いた父の運転に感謝する
ばかりです。この1週間近く、実家にお世話になり、心配していた父も母も
ホッとしているようです。

そんな、昨日でした。
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今朝、最後の興田寺は、とても良い寺だと思いました。

本堂にお参りし、右手の石段(厄除け石段)を上り、奥の古い大師堂と
思ったのですがここでも参拝し、降りてきて、裏山を20分程、1番から
88番まで小さなお地蔵さんに88箇所の名前が付いてあるところを散策し、
最後に、納経所の前の大師堂で参拝し、納経して頂きました。

若い住職(跡取りか?)と少し会話をして、

綺麗で、そしてとても丁寧な字で、
「四国八十八箇所奥院」
と書かれた納経をして頂き、これを眺めながら、
これでようやき私の初めての「歩きのお四国さん」は終りだと実感しました。

帰りは、バスに乗り、高松駅まで出て、坂出まで戻りました。

明日、早朝の高速バスで、難波に出て、高野山に向かいます。
高野山を見て、時間があれば、東寺にも寄りたいなどと考えております。

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最後に、これまで多くの方々にコメントを頂きました。

私の「歩き」遍路は終わりますが、第二部で「まとめ」と、今後まだ残って
いる遍路の延長線を書かせていただきます。この場を借りてお礼申し上げます。

特に、KOYAMAさん、歩かない遍路らいた様、メタボ様、T&T様、
そして、松山のめぐめぐ様、そして函館の坂口様、その他多くの方々から
コメント、励ましを頂きました。

また、静岡のMYさん、何度もメールを頂きありがとうございました。
貴殿の励ましに何度も助けられました。

さて、今日ご指摘のあった「雨の中、何故雨具を(傘以外)送り返したのか?」
ですが・・・

私は、出発前、ポンチョとレインパンツを用意してザックに入れてきました。
ポンチョは、探す時間がなく、安物(1500円)のザックを背負ったまま
覆い被せられるポンチョでしたが、前半の雨で数日、今回使用しましたが、
蒸れて、暑くてとても我慢出来ませんでしたので、送り返しました。

また、重い荷物(パソコンを含め、約12キロ程度)を背負って、ポンチョ
は少し不自由と感じて、暑い時期だったので、少しでも通気性を重視し、
「快速歩き」に適した格好を私は好んだのでしょうかと。

レインパンツは、本来はあった方が良いと思います。前半、実家に送って
おいたので、最後の1週間は、これをザックに入れておきましたので最終日
のみ使用しましたが、やはり雨には合った方が良いと思いました。

ただ、私の使用した夏用のトレッキングパンツは、速乾性、耐久性、そして
伸縮性にも優れ、とても軽いので、レインパンツのような感覚(ナイロン的)
もあり、特にそれほど強い雨以外は、違和感はありませんでした。

ただ、夏は暑いので、ズボンを脱いで、直接パンツの上にレインパンツを
はく等した方が良いかなと思います。

また、レインパンツは、少し長めで、シューズの上部を覆ってくれる効果で、
シューズの上部から水が入るのを防げる効果もあるかと思います。

私の場合は、(1)幸運にもそれ程強い雨はなかった事、(2)菅笠を
ほとんど被らず(強い風や、特に、国道歩きの大型トラックなどの暴風等に
弱いため)白い野球帽のようなもの(帽子)着用だったので、傘は全く
邪魔にならないので、傘派でした。(ちなみに・・・尊敬する!宿敵?!
名古屋のH爺も、白い帽子に傘派でした!)

コンビニでえ500円程度のビニール傘ですが、ワンタッチで、晴れの日は
ザックの右のポケットに刺しベルトで止めて持ち運んでいました。

ご指摘の通り、毎時30mmは当然ですが、私の感覚だと、毎時10mmを
超える雨だと、ポンチョ&レインウェアでも相当に歩きは厳しいと思います。
私は雨が強くなると、適当な雨宿り場所を探して、小降りになるまで、逃げ
込みました。

靴は、このBlogの開設時(5月11日)の当初の頃に写真がありますが、
ノースフェイスのミドルカット(約18,000円)で、ゴアテックス&
防水でしたので、ほとんど雨を気にすることなく歩けました。
靴にはお金を惜しまない事が最も重要なことだと思います。

健脚であることの秘訣は・・・

快速である事は、歩ける時にしっかり歩く。激しい雨には無理をしない。
休憩を出来るだけ小まめに取る。
早朝から歩く。3時に起きて、4時過ぎから歩ける!5時は普通のスタート。
昼飯の時間も惜しむ!(普通の休憩時に小刻みに、食事を取る)
仕舞うのは早く。明日が早いから!(出来れば4時には終わる)
楽しく歩く!
たまに憂鬱な時は、同行する人を探す!(笑)

でしょうか・・・

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今日はこの辺で。