「無念雨の捨身ヶ獄と壮大かな善通寺!遍路34日目」
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天気:午前中からほとんど雨・・・
気温:21度~28度位
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実家 5:30発(車送迎)
69番観音寺PA 6:15着 6:15発
70番本山寺 7:10着 7:45発
71番弥谷寺 10:20着 11:10発
72番曼荼羅寺 11:55着 12:40発
73番出釈迦寺 12:50着 13:25発
74番甲山寺 14:00着 14:25発
75番善通寺 14:50着 15:40発
76番金蔵寺 16:20着 16:50発
実家 18:30着
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歩行距離:約29Km
歩数:41,000歩
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主な出費
納経代:300円×6寺=1,800円
飲物代:450円
宿代: 0円(2食付き!)
=======================
総合計:2,250円
--------------------------------------------------
実家に泊まって久しぶりにゆっくり出来た気がする。ビジネスホテルはある意味
気楽だが、遍路宿と呼ばれる民宿や旅館は、それでも、隣の他のお客の音や、宿
の人にそれなりに気も使うのであるが、実家は、血の繋がった親であり、年老い
たとはいえ、一生頭の上がらぬ人であるが、それでも実家はやはり楽である。
勝手知った間取りに戸惑う事も無く、そして玄関の飼い犬が、普段見慣れた飼い
主とは少し違うが、そう吠えもしない・・・父も母も「お前の事を、よう~
知っとんのじゃ!」と言うが、彼らも滅多にはこの家に来ないが、それでも敵
ではないと知っているのだろうか。以前何度か見た事のある私だが、痩せて
しまい見る影も無い!(笑)私を、ほとんど吠えないのだ。
さて、76歳になる父は今日も連荘ゴルフであるが、比較的スタート時間が遅い
らしく、その前に5時半に自宅を車で送り出てもらい、6時15分に、昨日
「待ち伏せ」された!(感謝!)観音寺の駐車場まで送ってもらった。
空はポツリポツリと雨が降り出し、今日の天気は一日雨模様のようである。夕方
また迎えに来てくれると言い残し、父は「落ち葉マーク」(初心者マークの反対)
(高齢者マーク!)の車を運転して一度自宅に戻った。
観音寺の駐車場から傘を取り出し、本山寺に向かって観音寺の住宅地を歩き出す。
財田川沿いの道を進み、途中から旧道の川沿いの道に入り、4.5キロの道のり
であるが、雨はさほど降っていない。静かな朝の道である。
本山寺に7時過ぎに到着。思ったより広い、立派な寺である。そして静かな朝の
境内にも、早くも参拝がいる。88箇所のお寺は、どこも、そしていつも誰か
お参りしている人がいる。別格の寺とは大違いだ。
本堂と大師堂でお参りを済ませ、納経を済ませ、納経所の前のトイレで緊急事態!
に対応してもらった・・・(笑)ここのトイレは、ウォシュレット付きの近代的
なトイレである。素晴らしい!
納経を済ませ、山門に戻り、次の弥谷寺への11キロ強の道を進もうとしたら、
境内に若い歩き遍路が入ってきた。これまで会った事のない人である。少し話し
かけると、彼は、横浜からの26歳のS君である。完全野宿派の遍路で、6月1日
に1番霊山寺を出発し、88箇所を打っているという。私が、別格を打ちながら
34日目(6月3日)スタートだと言う事にビックリしているが、彼ら野宿派は、
野営の場所を確保するのが午後以降優先するために、かえって時間が掛かるの
だろう。
昨日は、観音寺近くの道の駅に寝ようとしていたら、親切なご近所の人にお接待
されて、自宅に泊めていただき、更に、10日ぶりとなるお風呂も近くの温泉?
まで連れて行って頂き、とても幸せな一日だったと笑っていた。
彼はまた、1番霊山寺の後、遍路初日に、それまで野宿などしたことがなく、不
安なスタートで、学校近くの廃屋?で寝ていたら、朝になって、虫だらけ・・・
になり、不安なスタートだったが、何とかここまで遍路小屋などで野宿する事が
出来て来れました!と、笑いながら、それでも、しっかりと話す若者だが、様々
な人がいるものだと感心すると共に、自分には真似できないと思いながら、
「じゃあ!元気で!」と挨拶して別れ、これからお参りをする彼を残して雨の中、
先に出発した。
雨の国道歩きは嫌であるが、「梅雨の歩き遍路」を選択したのは自分である。
仕方ない・・・国道11号線に出て、当面7キロ程度は国道歩きである。4キロ
程進んだ最初のサークルK(コンビニ)で、雨の歩きに備えて、今日から数日分
の地図をカラーコピーした。(8:30~8:45)
地図をカラーコピーし、遍路地図はビニール袋にいれザックに仕舞い、コピーし
たものの必要な部分を見やすいように、折りたたんで、B6の大きさのビニール
パックに入れてポケットに入れ、適宜これを見ながら、「道を間違えない」よう
に歩く。これまでの歩き遍路の中で私の見つけた「雨の歩き方」の一つである。
地図は横着をせずに、こまめに見ながら歩くのが一番良いと思う。ザッと見て、
自分の記憶に慢心せず、こまめに見るのが、曲がる場所のポイントや、気が付き
難い分岐点のポイントなどを確認、再発見する事も多いのだが、雨の中、地図を
持って歩くと、傘や金剛杖などもあり、地図も濡れて、だんだん「地図」の痛み
がひどくなるので、私には、この方法が一番のような気がする。道を間違う事が、
歩き遍路にとって精神的にも肉体的に、致命的な問題になるからだ。
その先、旧道(集落の中を抜けていく道)に入り、弥谷寺まで11キロ強の道の
最後の2キロ手前のところの集落の寺か神社か忘れたが、左にベンチがあり、
ちょうど雨だが、その上が民家の軒下になっており、雨に濡れずに座れる場所が
あったので、ここで小休止とした。(9:45~9:55)
後2キロ足らずであるが、このような雨の中、休める場所は貴重であり、また、
地図によると、どうも、弥谷寺は「少し登るらしい・・・」と判断し、休憩した
のだ。
10時前後に弥谷寺の駐車場下のいやだにパークに到着。ここでもう一度トイレ
を済ませ、ここまで少し上り坂だったのだが、「まだ、かなり上るのかなぁ~」
とのん気に出発した・・・
駐車場脇から、少し入ると標識があった。「本堂まで『530余』段・・・」
「マジ!?・・・うんっ?!530余??!」
上を見上げると、確かに・・・かなりの階段である。
なだらかな階段を経て、108段の階段(なんという階段だったか忘れた)を
数えながら(この頃はまだ余裕であった)上がり、確かに108段である事を
確認する!
納経所と大師堂があると言う建物の下で、右に本堂は更に上だと書いてあり、
仕方なく・・・本堂に登るため進む。本堂は更にその上の上・・・の一番上で
あった。
一汗かかされて、本堂でお参りし、雨の中傘をさして、階段を降り、珍しい靴を
脱いでお参りする大師堂に上がると、ここの横が納経所であった。
お参りを済ませて、納経して頂き、ついでに少なくなったローソクを200円で
購入。計500円也。
ここで「別格18番海岸寺」への行き方を聞いた。
(健脚=私=健)(納経所のおじさん=納)
健:「海岸寺へは、先程の本堂の左横の遍路道を行くと出られますか?」
納:「あの道は、悪いよ。歩き!?だったら、76番を終えてから、77番の前
に言った方が良いよ」
健:「あの道は、そんなに悪いですか?」
納:「悪いと思うよ。通ったことはないけど・・・1年以上前に掃除したと思う
けど、その後は、してないかな?と思うな。。。」
その後、全体の地図を見せてもらい、如何に76番と77番の間に海岸寺があり、
ここから行くのが近いと教えていただく。また、この山越えは、結構な急斜面で
あるとか・・・雨も降っており、何となく、このまま直線的に近い山越えをする
つもりであったが、「合理派」の健脚君は、直ぐに修正して、頭の中で、今日は
「別格は無し!であれば・・・どこまで打つのか?」と計算機がぐるぐる回りだ
すのであった。
また、その後の納経の人との会話・・・
納:「全部歩き?何日目なの?」
健:「はい。一番から、別格も入れて、今日が34日目です」
納:「かなり早いね。。。家族は?」
健:「はい。東京ですが・・・」
納:「息子さん?大丈夫?」
健:「(何で私に息子がいるのを知ってるんだろう?)はっ?元気ですが!?
もう大きいので大丈夫です」
納:「違うよ~一緒に連れて歩いている息子だよ~(ニヤッ)」
健:「・・・(やっと理解し・・・)はい。おとなしくしております・・・」
納:「1ヶ月以上も経ってると、今日は宿付き遍路は、善通寺の夜の街かぁ~」
健:「修行中ですので・・・」
って・・・エロ親父の納経所のおじさんであった・・・
しょうがない・・・トホホ・・・
女性の読者の方、申し訳ありません。事実は正確にお伝えしようと・・・(笑)
非常に荘厳な、そして斜面にある急階段と、豪快で立派な寺であったが、
最後がイケない・・・興醒めの瞬間であった。まあ良い。弘法大師は、若い時に
戯曲まで書いた人物なのだと、一人納得した?!
その後、階段を降り、遍路道を経て72番曼荼羅寺へ向かった。
ちなみに、この遍路道(多分1キロ程度)は、ほとんど最近整備がされていない
と感じた。両側が竹林の良い遍路道になるのであるが、整備状態が・・・
我々、よそ者には、余計なお世話であるが・・・
と言うことは、山の上の本堂横からの「海岸寺への遍路道」は「押して知るべし」
ではないだろうか・・・と思いながらの道であった。
72番曼荼羅寺は小さな寺であった。少し疲れていたので、朝歩いている時に、
国道沿いのコンビニで買ったパンを昼食にと、先に休憩しながら雨を避けられる
ベンチでゆっくり休んでいたら、本山寺であった野宿派S君が到着した。
彼と共に、お参りをして、納経を済ませて、ベンチで少し話すことになり、この
まま少しの間、同行することなった。
73番出釈迦寺は、その上の捨身ヶ嶽禅定が有名で、行場が、更に上の捨身ヶ嶽
にあり、禅定はしなくても、この上までは登ろうと決めてきたのである。ここか
らの眺めは格別であるとの噂もあり、楽しみにしていたのだが・・・
残念ながら、この寺に来た時は、既に結構な雨で、納経所から見ても、直ぐそこ
の捨身ヶ嶽の本堂の建物すら、さっき下から見ていたら見えていたものまで見え
ない程の状態であった。
納経所の人も「この状態では、上に上がっても『霧の中』ですね・・・」との事。
諦めて、野宿派S君とここを立ち去り、74番甲山寺に向かった。
ここの甲山寺も小さな寺である。恐らく、住職の息子夫婦が納経してた。奥さん
は小さな子供を抱いて、横におり、息子さん(若住職?)が納経をしていたが、
服装が・・・派手なTシャツで、、、またもや、興醒めである。
息子は私に手を振り、親にソックリの笑顔で可愛く笑っていた(1歳位)が・・・
その後、S君と、そのまま、善通寺に向かった。
捨身ヶ嶽が無い今日は、いよいよ「本日の楽しみ」は善通寺である。
弘法大師縁の土地、善通寺。境内の広さ、雄大さ、敷地の広さもさることながら、
参拝客の多さも際立っている。88箇所巡りの参拝客意外に、観光客も多く、
そして、地元の人の参拝も多いのだろう。これでもかなり静かな方だと言う
大師堂(御影堂)の参拝用品売り場の女性店員の方との会話も楽しかったが、
本堂と大師堂の敷地が別という圧倒的なスケールも含め、五重塔の立派さも、
ちょうど御影堂(大師堂)で若いお坊さん数名がお経を上げて(修行?)おり、
その声の素晴らしさも含め、10分ほど立ち止まって聞き入ってしまった。
ここで、S君とは別れることになった。彼は、今日は頑張って77番まで打ち、
丸亀城の近くの遍路小屋に泊まると言う。77番の手前に、香川では有名な
「まんだら」という善根宿があるはずだよと教えるが、彼は、ここまで「遍路
小屋」でお世話になった野宿生活を、香川最後の「遍路小屋」と思われる場所
で過ごすのだとと、話してた。「頑張って!」と声を掛け、スポーツドリンク
を1本、お接待して、分かれた。嬉しそうに手を振っていた。
彼にも、最後まで頑張って欲しい。
納経を済ませると、既に4時近くであった。今日はこの辺で、普通なら、善通寺
の宿に私の場合泊まっているのであろうが、今日も、「宿付、お足(お迎え)付」
の「大名遍路旅」である。
また、お迎えの運転手(父)のゴルフの都合があり、5時近くになるかもしれない
ので、携帯に電話すると言っていたので、まだ時間があるので・・・
スーパー健脚快速遍路は、雨の中、懲りずに・・・金蔵寺に向かう事にした。
そう言えば、善通寺の参拝用品売り場の人が言っていた。
「雲辺寺の後、疲れていても、善通寺までは、歩き遍路は気が張っていて、
弘法大師の縁の地を見るために、比較的元気に来れると言う。しかし、善通寺を
お参りし、その後、ホッと疲れが出て、金蔵寺(こんぞうじ)に向かう中、
比較的距離も近いのにも拘わらず・・・
『金蔵寺(こんぞうじ)・・・『もう「こんぞ(う)!」』と
心の中で言いながら歩くと言うんですって・・・(笑)」
と言っていた事を思い出しながら、少し、足が重くなったかな?と、心の中で
一人笑いながら!歩いた雨の中であった。
金蔵寺は、思ったより立派な寺であった。4時を過ぎ、善通寺と比べてはるかに
静かになった寺で、一人お参りし、納経を済ませ、父の迎えをここの休憩所で待つ
事になった。
今日も良い一日となった。
明日は、ゴルフの無い父に、朝、善通寺まで送ってもらい、別格17番神野寺を
往復することにする。その帰り道、金毘羅さんにお参りし、出来れば、奥の院まで
行こうと思う。
善通寺は、駐車場が入るだけで掛かるので、父が笑いながら、ピックアップする
場所は違う方が良いぞ!と笑っていた。
明日も雨のようだ。
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天気:午前中からほとんど雨・・・
気温:21度~28度位
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実家 5:30発(車送迎)
69番観音寺PA 6:15着 6:15発
70番本山寺 7:10着 7:45発
71番弥谷寺 10:20着 11:10発
72番曼荼羅寺 11:55着 12:40発
73番出釈迦寺 12:50着 13:25発
74番甲山寺 14:00着 14:25発
75番善通寺 14:50着 15:40発
76番金蔵寺 16:20着 16:50発
実家 18:30着
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歩行距離:約29Km
歩数:41,000歩
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主な出費
納経代:300円×6寺=1,800円
飲物代:450円
宿代: 0円(2食付き!)
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総合計:2,250円
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実家に泊まって久しぶりにゆっくり出来た気がする。ビジネスホテルはある意味
気楽だが、遍路宿と呼ばれる民宿や旅館は、それでも、隣の他のお客の音や、宿
の人にそれなりに気も使うのであるが、実家は、血の繋がった親であり、年老い
たとはいえ、一生頭の上がらぬ人であるが、それでも実家はやはり楽である。
勝手知った間取りに戸惑う事も無く、そして玄関の飼い犬が、普段見慣れた飼い
主とは少し違うが、そう吠えもしない・・・父も母も「お前の事を、よう~
知っとんのじゃ!」と言うが、彼らも滅多にはこの家に来ないが、それでも敵
ではないと知っているのだろうか。以前何度か見た事のある私だが、痩せて
しまい見る影も無い!(笑)私を、ほとんど吠えないのだ。
さて、76歳になる父は今日も連荘ゴルフであるが、比較的スタート時間が遅い
らしく、その前に5時半に自宅を車で送り出てもらい、6時15分に、昨日
「待ち伏せ」された!(感謝!)観音寺の駐車場まで送ってもらった。
空はポツリポツリと雨が降り出し、今日の天気は一日雨模様のようである。夕方
また迎えに来てくれると言い残し、父は「落ち葉マーク」(初心者マークの反対)
(高齢者マーク!)の車を運転して一度自宅に戻った。
観音寺の駐車場から傘を取り出し、本山寺に向かって観音寺の住宅地を歩き出す。
財田川沿いの道を進み、途中から旧道の川沿いの道に入り、4.5キロの道のり
であるが、雨はさほど降っていない。静かな朝の道である。
本山寺に7時過ぎに到着。思ったより広い、立派な寺である。そして静かな朝の
境内にも、早くも参拝がいる。88箇所のお寺は、どこも、そしていつも誰か
お参りしている人がいる。別格の寺とは大違いだ。
本堂と大師堂でお参りを済ませ、納経を済ませ、納経所の前のトイレで緊急事態!
に対応してもらった・・・(笑)ここのトイレは、ウォシュレット付きの近代的
なトイレである。素晴らしい!
納経を済ませ、山門に戻り、次の弥谷寺への11キロ強の道を進もうとしたら、
境内に若い歩き遍路が入ってきた。これまで会った事のない人である。少し話し
かけると、彼は、横浜からの26歳のS君である。完全野宿派の遍路で、6月1日
に1番霊山寺を出発し、88箇所を打っているという。私が、別格を打ちながら
34日目(6月3日)スタートだと言う事にビックリしているが、彼ら野宿派は、
野営の場所を確保するのが午後以降優先するために、かえって時間が掛かるの
だろう。
昨日は、観音寺近くの道の駅に寝ようとしていたら、親切なご近所の人にお接待
されて、自宅に泊めていただき、更に、10日ぶりとなるお風呂も近くの温泉?
まで連れて行って頂き、とても幸せな一日だったと笑っていた。
彼はまた、1番霊山寺の後、遍路初日に、それまで野宿などしたことがなく、不
安なスタートで、学校近くの廃屋?で寝ていたら、朝になって、虫だらけ・・・
になり、不安なスタートだったが、何とかここまで遍路小屋などで野宿する事が
出来て来れました!と、笑いながら、それでも、しっかりと話す若者だが、様々
な人がいるものだと感心すると共に、自分には真似できないと思いながら、
「じゃあ!元気で!」と挨拶して別れ、これからお参りをする彼を残して雨の中、
先に出発した。
雨の国道歩きは嫌であるが、「梅雨の歩き遍路」を選択したのは自分である。
仕方ない・・・国道11号線に出て、当面7キロ程度は国道歩きである。4キロ
程進んだ最初のサークルK(コンビニ)で、雨の歩きに備えて、今日から数日分
の地図をカラーコピーした。(8:30~8:45)
地図をカラーコピーし、遍路地図はビニール袋にいれザックに仕舞い、コピーし
たものの必要な部分を見やすいように、折りたたんで、B6の大きさのビニール
パックに入れてポケットに入れ、適宜これを見ながら、「道を間違えない」よう
に歩く。これまでの歩き遍路の中で私の見つけた「雨の歩き方」の一つである。
地図は横着をせずに、こまめに見ながら歩くのが一番良いと思う。ザッと見て、
自分の記憶に慢心せず、こまめに見るのが、曲がる場所のポイントや、気が付き
難い分岐点のポイントなどを確認、再発見する事も多いのだが、雨の中、地図を
持って歩くと、傘や金剛杖などもあり、地図も濡れて、だんだん「地図」の痛み
がひどくなるので、私には、この方法が一番のような気がする。道を間違う事が、
歩き遍路にとって精神的にも肉体的に、致命的な問題になるからだ。
その先、旧道(集落の中を抜けていく道)に入り、弥谷寺まで11キロ強の道の
最後の2キロ手前のところの集落の寺か神社か忘れたが、左にベンチがあり、
ちょうど雨だが、その上が民家の軒下になっており、雨に濡れずに座れる場所が
あったので、ここで小休止とした。(9:45~9:55)
後2キロ足らずであるが、このような雨の中、休める場所は貴重であり、また、
地図によると、どうも、弥谷寺は「少し登るらしい・・・」と判断し、休憩した
のだ。
10時前後に弥谷寺の駐車場下のいやだにパークに到着。ここでもう一度トイレ
を済ませ、ここまで少し上り坂だったのだが、「まだ、かなり上るのかなぁ~」
とのん気に出発した・・・
駐車場脇から、少し入ると標識があった。「本堂まで『530余』段・・・」
「マジ!?・・・うんっ?!530余??!」
上を見上げると、確かに・・・かなりの階段である。
なだらかな階段を経て、108段の階段(なんという階段だったか忘れた)を
数えながら(この頃はまだ余裕であった)上がり、確かに108段である事を
確認する!
納経所と大師堂があると言う建物の下で、右に本堂は更に上だと書いてあり、
仕方なく・・・本堂に登るため進む。本堂は更にその上の上・・・の一番上で
あった。
一汗かかされて、本堂でお参りし、雨の中傘をさして、階段を降り、珍しい靴を
脱いでお参りする大師堂に上がると、ここの横が納経所であった。
お参りを済ませて、納経して頂き、ついでに少なくなったローソクを200円で
購入。計500円也。
ここで「別格18番海岸寺」への行き方を聞いた。
(健脚=私=健)(納経所のおじさん=納)
健:「海岸寺へは、先程の本堂の左横の遍路道を行くと出られますか?」
納:「あの道は、悪いよ。歩き!?だったら、76番を終えてから、77番の前
に言った方が良いよ」
健:「あの道は、そんなに悪いですか?」
納:「悪いと思うよ。通ったことはないけど・・・1年以上前に掃除したと思う
けど、その後は、してないかな?と思うな。。。」
その後、全体の地図を見せてもらい、如何に76番と77番の間に海岸寺があり、
ここから行くのが近いと教えていただく。また、この山越えは、結構な急斜面で
あるとか・・・雨も降っており、何となく、このまま直線的に近い山越えをする
つもりであったが、「合理派」の健脚君は、直ぐに修正して、頭の中で、今日は
「別格は無し!であれば・・・どこまで打つのか?」と計算機がぐるぐる回りだ
すのであった。
また、その後の納経の人との会話・・・
納:「全部歩き?何日目なの?」
健:「はい。一番から、別格も入れて、今日が34日目です」
納:「かなり早いね。。。家族は?」
健:「はい。東京ですが・・・」
納:「息子さん?大丈夫?」
健:「(何で私に息子がいるのを知ってるんだろう?)はっ?元気ですが!?
もう大きいので大丈夫です」
納:「違うよ~一緒に連れて歩いている息子だよ~(ニヤッ)」
健:「・・・(やっと理解し・・・)はい。おとなしくしております・・・」
納:「1ヶ月以上も経ってると、今日は宿付き遍路は、善通寺の夜の街かぁ~」
健:「修行中ですので・・・」
って・・・エロ親父の納経所のおじさんであった・・・
しょうがない・・・トホホ・・・
女性の読者の方、申し訳ありません。事実は正確にお伝えしようと・・・(笑)
非常に荘厳な、そして斜面にある急階段と、豪快で立派な寺であったが、
最後がイケない・・・興醒めの瞬間であった。まあ良い。弘法大師は、若い時に
戯曲まで書いた人物なのだと、一人納得した?!
その後、階段を降り、遍路道を経て72番曼荼羅寺へ向かった。
ちなみに、この遍路道(多分1キロ程度)は、ほとんど最近整備がされていない
と感じた。両側が竹林の良い遍路道になるのであるが、整備状態が・・・
我々、よそ者には、余計なお世話であるが・・・
と言うことは、山の上の本堂横からの「海岸寺への遍路道」は「押して知るべし」
ではないだろうか・・・と思いながらの道であった。
72番曼荼羅寺は小さな寺であった。少し疲れていたので、朝歩いている時に、
国道沿いのコンビニで買ったパンを昼食にと、先に休憩しながら雨を避けられる
ベンチでゆっくり休んでいたら、本山寺であった野宿派S君が到着した。
彼と共に、お参りをして、納経を済ませて、ベンチで少し話すことになり、この
まま少しの間、同行することなった。
73番出釈迦寺は、その上の捨身ヶ嶽禅定が有名で、行場が、更に上の捨身ヶ嶽
にあり、禅定はしなくても、この上までは登ろうと決めてきたのである。ここか
らの眺めは格別であるとの噂もあり、楽しみにしていたのだが・・・
残念ながら、この寺に来た時は、既に結構な雨で、納経所から見ても、直ぐそこ
の捨身ヶ嶽の本堂の建物すら、さっき下から見ていたら見えていたものまで見え
ない程の状態であった。
納経所の人も「この状態では、上に上がっても『霧の中』ですね・・・」との事。
諦めて、野宿派S君とここを立ち去り、74番甲山寺に向かった。
ここの甲山寺も小さな寺である。恐らく、住職の息子夫婦が納経してた。奥さん
は小さな子供を抱いて、横におり、息子さん(若住職?)が納経をしていたが、
服装が・・・派手なTシャツで、、、またもや、興醒めである。
息子は私に手を振り、親にソックリの笑顔で可愛く笑っていた(1歳位)が・・・
その後、S君と、そのまま、善通寺に向かった。
捨身ヶ嶽が無い今日は、いよいよ「本日の楽しみ」は善通寺である。
弘法大師縁の土地、善通寺。境内の広さ、雄大さ、敷地の広さもさることながら、
参拝客の多さも際立っている。88箇所巡りの参拝客意外に、観光客も多く、
そして、地元の人の参拝も多いのだろう。これでもかなり静かな方だと言う
大師堂(御影堂)の参拝用品売り場の女性店員の方との会話も楽しかったが、
本堂と大師堂の敷地が別という圧倒的なスケールも含め、五重塔の立派さも、
ちょうど御影堂(大師堂)で若いお坊さん数名がお経を上げて(修行?)おり、
その声の素晴らしさも含め、10分ほど立ち止まって聞き入ってしまった。
ここで、S君とは別れることになった。彼は、今日は頑張って77番まで打ち、
丸亀城の近くの遍路小屋に泊まると言う。77番の手前に、香川では有名な
「まんだら」という善根宿があるはずだよと教えるが、彼は、ここまで「遍路
小屋」でお世話になった野宿生活を、香川最後の「遍路小屋」と思われる場所
で過ごすのだとと、話してた。「頑張って!」と声を掛け、スポーツドリンク
を1本、お接待して、分かれた。嬉しそうに手を振っていた。
彼にも、最後まで頑張って欲しい。
納経を済ませると、既に4時近くであった。今日はこの辺で、普通なら、善通寺
の宿に私の場合泊まっているのであろうが、今日も、「宿付、お足(お迎え)付」
の「大名遍路旅」である。
また、お迎えの運転手(父)のゴルフの都合があり、5時近くになるかもしれない
ので、携帯に電話すると言っていたので、まだ時間があるので・・・
スーパー健脚快速遍路は、雨の中、懲りずに・・・金蔵寺に向かう事にした。
そう言えば、善通寺の参拝用品売り場の人が言っていた。
「雲辺寺の後、疲れていても、善通寺までは、歩き遍路は気が張っていて、
弘法大師の縁の地を見るために、比較的元気に来れると言う。しかし、善通寺を
お参りし、その後、ホッと疲れが出て、金蔵寺(こんぞうじ)に向かう中、
比較的距離も近いのにも拘わらず・・・
『金蔵寺(こんぞうじ)・・・『もう「こんぞ(う)!」』と
心の中で言いながら歩くと言うんですって・・・(笑)」
と言っていた事を思い出しながら、少し、足が重くなったかな?と、心の中で
一人笑いながら!歩いた雨の中であった。
金蔵寺は、思ったより立派な寺であった。4時を過ぎ、善通寺と比べてはるかに
静かになった寺で、一人お参りし、納経を済ませ、父の迎えをここの休憩所で待つ
事になった。
今日も良い一日となった。
明日は、ゴルフの無い父に、朝、善通寺まで送ってもらい、別格17番神野寺を
往復することにする。その帰り道、金毘羅さんにお参りし、出来れば、奥の院まで
行こうと思う。
善通寺は、駐車場が入るだけで掛かるので、父が笑いながら、ピックアップする
場所は違う方が良いぞ!と笑っていた。
明日も雨のようだ。