夢追い人の「つぶやきブログ」

LOVE & PEACE

非暴力の闘争

虚栄心

2005年10月27日 | 偉大なるメッセージより
 ノヴォドヴォーロフはすべての革命家から尊敬されており、非情に学問もあり、きわめて聡明な人物と考えられていたにもかかわらず、ネフリュードフは彼を精神的資質からいって中程度以下の、自分よりもはるかに低い革命家たちの部類に入れていた。この男の、分子ともいうべき知力はたいしたものであったが、その分母である自惚れは比較にならぬほど大きく、とうの昔から彼の知力を上まわってしまっていたからである。(略)
 ノヴォドヴォーロフは主として女性的気質の勝った人間であり、その思索活動の一部は感情によって定められた目的の達成に、一部は感情に呼び起こされた行動の弁護に向けられていた。
 ノヴォドヴォーロフの革命運動は、彼自身がそれについてどんなに弁舌さわやかに説得力ある論証をあげて説明しても、ネフリュードフの目にはそれがただ虚栄心と人々を牛耳りたいという欲望を根底としているにすぎないように思えた。はじめのうちは他人の思想を摂取して、それを正確に伝える能力のおかげで、彼は学生のころ、中学校でも大学でも、大学院でも、そのような能力が高く評価されるところでは、衆にぬきんでいたので、彼自身も満足していた。ところが卒業証書をもらって学生時代が終わると、彼の得意の時代も終わりを告げたのである。そこでノヴォドヴォーロフは、(略)不意に新しい環境で人にぬきんでるために、がらりと自分の思想を変えて、穏健な自由主義者から過激な<<人民の意志>>党員になったのである。彼の性格の中には、懐疑や逡巡を呼びおこす道徳的、美的資質がかけているために、たちまち革命家仲間で党の指導者という立場を占め、彼の自尊心を満足させることができた。彼はいったんこの方向を選ぶと、もう決して疑いも逡巡もせず、決して過ちはないと確信していた。彼には万事がきわめて単純明白で、いささかの疑いもないように思われた。彼の物の見方の狭さと一面性からすれば、たしかに、すべてが非情に単純で明白だった。ただ必要なのは、彼の言葉をかりていえば、論理的になりさえすればよいのであった。彼の自信たるや実に大きかったので、彼にとっては、他人をしりぞけるか、屈服させるかのどちらかしかありえなかった。ところで、彼の活動舞台は主としてごく若い人々の間であり、若い人々は彼の恐るべき自己過信を、その深慮と叡智と誤解したので、大多数のものは彼に服従し、革命家仲間で輝かしい名声を博していた。彼の仕事は蜂起の準備をすることであり、そのさい彼は権力を奪取して、国民会議を招集することになっていた。その会議では彼の起草した綱領が提出されるはずであったが、彼はこの綱領があらゆる問題を包含していて、必ず実行されなければならないものとかたく信じこんでいた。 同志の人々はその勇気と決断力のゆえに彼を尊敬していたが、しかし愛してはいなかった。一方、彼は誰一人愛せず、すぐれた人物はすべて競争者と考え、もしできることなら、年取った猿が若い猿に対するような態度を、彼らに対して取りたかったにちがいない。彼は自分の才能を発揮する邪魔をされたくないばかりに、他人の知力や才能を残らず奪い取りかねない有様であった。彼が好遇するのは、ただ自分を崇拝する人たちだけであった。
復活(下)トルストイ

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