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もう一つの観光スポット、デフリンピック・メインスタジアム

2009年07月19日 23時35分15秒 | 台日交流

台湾は今、「第二のオリンピック」と呼ばれるワールドゲームズが南部の高雄で開催されていて、中華隊(中華民国台湾・チャイニーズタイペイの選手団)のメダル獲得に沸いている。一方、北部の台北市では9月に聴覚障害者のオリンピックである「デフリンピック」が開催されることになっており、2009年は台湾にとって「スポーツの年」として記憶されることになろう。

「スポーツの年」は日本の人たちにとって新しい観光スポットをもたらした、と思う。それが上の写真(写真:台湾国際放送)。故宮博物院に行ったことのある人なら知っているかもしれない。これは「毛公鼎」。故宮博物院三大宝物の一つだ。屋外に置かれているのだからもちろん模造品だが、故宮博物院にあるのではない。デフリンピックにあわせて台北市に新たに建設された「メイン・スタジアム」の入り口にあるのだ。宝物の「毛公鼎」と運動場はミスマッチではない。その物語は45年前にさかのぼる。

(メイン・スタジアムの入り口の毛公鼎。貫禄たっぷりだ。写真:台湾国際放送)

1964年、日本の東京はアジアで初の夏季オリンピックを開催した。中華民国はアジアの一員として、また日本の友好国として大いに喜んだ。そして1964年9月6日にそれはやって来た。東京オリンピックの聖火である。台北松山空港(当時は国際線の発着空港)に到着した聖火は体育専攻の学生たち20余人によってリレーされた。沿道では無数の人が歴史的な聖火を大歓迎した。総統府前を経て台北市立体育場(グランド)につくと、この日のために宝物を模して造られた、この「毛公鼎」に聖火は移されたのだ。そして翌日の7日、炎は再び松山空港に運ばれて日本へ(厳密には沖縄→日本)と渡っていった。東京オリンピックの聖火は日本に渡る前夜、この「毛公鼎」の中で過ごしたのである。

(松山空港に到着後、聖火は慎重にリレーされた。写真:CNA)


(聖火ランナーと歓迎する沿道の人々 写真:CNA)

(毛公鼎に移された聖火 写真:CNA)

この「毛公鼎」はその後も台北市立体育場にたたずみ、台湾のスポーツ選手をずっと見守ってきたが、三年前にその体育場が建て替えられることになり姿を消してしまった。そして人々から忘れられつつあった今年、まもなく完成するメイン・スタジアムに歴史を伝える使命と共に再び現れたのだ。45年の歳月で「毛公鼎」は老いた。しかし、そこに刻まれた五輪のマークは、あの日、聖火を迎えた喜びと誇りを今に伝えるものだ。台北市はこれを新たなスタジアムの入り口に設置することで、選手たちが「グランドでは自己を超越し、スポーツマンシップを発揮する」というオリンピックの精神を忘れないようにと願っている。

 (台座に刻まれた第18回オリンピック大会のマーク 写真:台湾国際放送)

台湾には1964年以降、聖火は来ていない。昨年の北京オリンピックでも台湾海峡両岸の問題で、台湾は聖火リレーのコースに入らなかった。東京が2016年のオリンピック開催権を得た場合、また聖火はやって来てくれるのか。いや、台湾でオリンピックを開催すれば聖火を迎えられる。ワールドゲームズとデフリンピックを成功させてオリンピック開催への道を開けないか。
「夢のまた夢」。しかし、ワールドゲームズの開幕式で、今は亡き男性シンガー、張雨生の名曲『我的未来不是夢(僕の未来は夢じゃない)』を4万人が合唱しているのを聴き、夢を捨ててはいけないと改めて感じた。「毛公鼎」もその日を待っているに違いない。
日本の人も台北に来たらぜひ一度、この「毛公鼎」を見てほしい。日本が戦後の復興を終え、国際社会への復帰を宣言した東京オリンピック。その聖火の足跡がここにあるのだから。(U)

※ メイン・スタジアムは未完成。一般の人はまだ「毛公鼎」を見られません。
   9月のデフリンピック開催を待ちましょう!
※ メイン・スタジアムは台北市内の多目的体育館、台北アリーナの隣です。

(東京オリンピックで入場行進する中華民国選手団 写真:CNA)

(メイン・スタジアムの内部 写真:CNA)



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