日本統治時代に造られた優れた水利インフラとして最もよく知られているのは、これまでにも番組やブログで取り上げてきた、台南県に残る烏山頭ダムでしょう。
現在も嘉南平野一帯を潤す烏山頭ダムは、建設事業の中心を担った技師、故・八田與一氏の人柄などとあいまって、台湾では広く知られています。
そんな中、日本はおろか、台湾でもその存在がほとんど知られていなかった、屏東県林辺渓の「下」で、静かに稼動し続ける、日本統治時代に造られた「地下ダム」に注目した日本人ジャーナリストがいます。
これまでも、台湾に関する著作を多く生み出してきた、平野久美子さんです(上の写真右端。屏東県来義郷の鳥居信平氏の胸像前で)。
2009年6月に産経新聞出版から発売された新著『水の奇跡を呼んだ男-日本初の環境型ダムを台湾につくった鳥居信平』では、1923年に、現在の屏東県を流れる林辺渓(川)の地中に、地下ダムという非常に独創的な水利システムを完成させた日本人技師、故・鳥居信平氏および、その地下ダム「二峰圳」が紹介されています。
日本統治時代の遺産という側面からではなく、「現代のニーズを先取りした、自然との共存が可能な環境型ダム」という観点から二峰圳に迫り、そこから、台湾と日本の「水の絆」を見出している点が特に印象的です。
「地下ダム」と聞くといまいち想像が付きませんが、実は、私たちの目に見える、川の上を流れている水というのは、水流全体の一部に過ぎず、実際には、川床の更に下、地中を、染み出すようにして流れている水が多くあるのだそうです。
地下ダム(正しくは地下堰堤)というのは、そうして地中を流れる伏流水を地中で堰き止め、そこから周囲に水を引いていくというシステムなのだそうです。
現在でもおよそ20万を越える人々が、この林辺渓・二峰圳の恩恵にあずかっています。
林辺渓と言えば、先の88水災で非常に大きな被害を受けた地域の中心を流れる川です。
しかし、二峰圳の水利システムは、「地下」であるがゆえに汚濁などの影響を一切受ける事なく、きれいな水を供給し続けているそうです。
今では、屏東県と、鳥居氏の出身地である静岡県袋井市との間で、新たな交流が生まれています。
地元屏東で、この二峰圳のシステムについて地道に研究を続けてきた、国立屏東科技大学の丁士・教授(上の写真左2)や、治水問題に関心を寄せる現在の曹啓鴻・屏東県長(下の写真二枚目、右2)、更に、日本に二峰圳を知らしめた平野さんらの想いに共感した、奇美実業グループの許文龍・董事長が、屏東県と袋井市にそれぞれ、鳥居氏の胸像を贈った事がきっかけでした。
胸像製作に取り組む奇美実業グループの許文龍・董事長
屏東県に贈られた鳥居氏の胸像(2009年4月)
静岡県袋井市に贈られた鳥居氏の胸像(2009年7月)
11月12日には、袋井市から、市長、市議会議長らをはじめ100人を超える訪問団が屏東県を答礼訪問、屏東の人々の故郷を愛する心が、地球や環境を愛する心に繋がっているのだという事に強く感動したと伝えられました。
屏東県と袋井市は今後、環境や自然災害対応などの方面でも交流を深めていく事になりそうです。
「水の絆」で繋がれた台湾と日本の人々が、今日的なグローバルな課題で協力し合っていくという新たな時代の交流を、心から応援したいと思います。(華)
11月22日の台湾博物館では、後半30分を使い、平野久美子さんへのインタビューを中心に、二峰圳や鳥居信平氏についてご紹介しています。
「特定の番組を聴く」からどうぞ!
平野久美子さん公式HP
二峰圳や鳥居信平氏について詳しく紹介されています。
台湾古道~台湾の原風景を求めて
http://taiwan-kodou.seesaa.net/article/110525135.html
こちらのブログ、そして写真もなかなか興味深いですね。
なお、『水の奇跡を呼んだ男-日本初の環境型ダムを台湾につくった鳥居信平』の作者・平野久美子さんの公式HPにも参考になりそうな情報がありますのでご案内しておきます。
(本文の方にも遅ればせながらアップしました)
今後ともよろしくお願いします!
↓平野久美子さん公式HP(二峰圳などについての部分)
http://www.hilanokumiko.jp/webroot/03_scrap/index.html
個人も家を建て家族を養い守り、そういう意味ではみんな後世に残る仕事をしていますが、公共の役に立てる仕事はなかなか出来ませんね。
かつて日本統治の目的が有ったとはいえ一生懸命仕事をしたものが残っている、両国の財産だと思います。
治山・治水は国の政治の基本ですね、今日も安心して暮らして行けるのは昔の人のお陰が有ります。
日・台両国の次の世代にも平和と繁栄を引き継ぎましょう!なんて殊勝になりました。
今度観光に行けたら訪問したい。
遅くなって申し訳ありません!
いつもコメントありがとうございます。
今は高雄まで台湾高速鉄道(台湾新幹線)が通りましたので、その先の屏東まで行くのもずいぶん手軽になりました。
一方で、屏東にはやはり、隔絶された最南端ならではの独特の世界が残っているなぁ、とも思います。
機会があったらぜひ、訪れてみて下さい!