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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

12畳のタンノイ・ヨーク

2018年10月09日 | オーディオのお話


昔、12畳の部屋でヨークにマッキントッシュとパイオニアM-4を繋いで鳴らしていた頃。
38FDを休んで、トランジスタ・アンプをしばらく使ってみたわけで、勉強になった。
左右の音のバランスが揃わず、アンプの特性を疑ってメーカーに測定をお願いしたり、
右と左を取り替えても結果は変わらなかったから、部屋の響きが原因だ。
S氏が中野のご自宅から運んでくださった『ダイナコMK-Ⅲ』を試すことが出来た。
音を良くしようと取り替えたKT-88が真っ赤になったのにはたまげた。
その球を、江戸川区の『タイガービル』にあったハーマン社を見学がてら持っていったところ、
技術者が無言で交換してくれたが、こちらに聴かせるように『ダイナコ25』スピーカーを、
大音量で突然鳴らして「どうだ!」と良い音を出した。
購入して調べてみたが、それほどのものでなく手品師の仕業か?
部屋から見える公園の水銀灯に集まる『蛾』を狙って、
夜中に音もなくアオバズクが飛翔していたが、
野生の其奴は動物園で見るものと動作がまったく違って見飽きなかった。
2008.8/7


トーレンス226とSPU-A

2018年10月08日 | オーディオのお話


カートリッジに『SPU-A』を使うと、タンノイと管球アンプにとって、
音楽の旅の羅針盤が方向を決めたことになる。
SPU-Aに丁度良いアームというのが難しく、
デザインとバランスで、いまのところ『RF-297』である。
だいぶまえオルトフォン・ジャパンに電話して、RF-297を購入したいというと、
「そのようなアームは知らない」
との返事があった。
EMTの放送局用プレーヤーのために、デンマーク・オルトフォン社が製造したアームが、
いまでは幻の名器といわれ簡単には手に入らなくなった。
アームは全長40センチあって大型のケースでなければセットできない。
わざわざ場所を取る大型プレーヤーにしてまで使いたくなるのは、
SPU-Aのローコンプライアンスに理由があることは誰でも知っている。
重いアームによって、ふてぶてしい低音が出るので、一度使うと手放せなくなる。
アームのオフセット角と距離に問題があるけれど、黙って使うのがツウである。
震度6の地震の深夜、針がバウンドしてタンノイが呻いている。
やむをえず、アームをピボットにもどして再生を止めた。
長い地震振動のあいだ、我々にすることはいっぱいあるが、
優先順位でいうと最初にプレーヤーである。次にアンプの電源を落とす。
そしてロイヤル様に走りよって、上の貴重品が落ちないように支える。
この時間が長く、本当はあぶない。
横ゆれが酷いなら、逃げるのであるが、タンノイを放置して逃げるという判断がむずかしい。
揺れがおさまって、ヒビ割れのない茶室の壁に安堵する。
日本に住むということは、そういうことだと最近になってわかってきたような気分だ。
地震がおさまって、夜の街を見ると、早くも皆眠りについていたようだ。
※瀬川冬樹氏ゆかりのSMEと並ぶRF-297。
2008.7/25


CANNONBALL ADDERLEY Quintet in chicago

2018年06月17日 | オーディオのお話


東京タワーが、空に向けて次第に組み上がっていく頃の、1959年録音で、
『キャノンボール・アダレイ・クインテット・イン・シカゴ』にも、
オリジナル・テープには凄い音が入っているらしい。
まるで昨日の演奏のようだとなれば、どうしたものか。
そこでフィリップス・レコード45回転カッティングLPなるものを買ってみた・・・
そのとき、冬の空気を切り裂いて、那須の保養地からウエストミンスター氏が登場した。
これまでの紺色ジャガーと違う、赤いジャガーを見るのは初めてのことである。
「このジャガーは、アメリカのものです」
タンノイにもアメリカ製があって、低音が緊まっているらしい。
以前、栃木から来られた客が「六時間」と申されていたので尋ねた。
何時間かかったのでしょう?
「えー、ちょっと言えない時間です」
奥方は、手袋をゆっくり外すと、微笑んで口ごもった。
「まえに、一関インターまであともうちょっとというのに、声をかけられてしまいました」
ウエストミンスター氏は回想し、残念そうに言うと奥方は、
「そうそう…」と、困った表情で「言えないわ…」と言った。
高速道でハンドルを握ると、一般道と違う世界がそこに開けているのはなぜだろう。
まず、赤青黄色の信号機がない。
アクセルを踏めば、エンジンもなめらかに、シューという空気が流れ、
ハイウエイは走っても走っても、白い道の先がある。
どこまでも青い空の彼方に、その先に何かがあった。
最初に高速道を走ったのは、免許を取り立て、買ったばかりのエブリィで、
これには語り尽くせないほど世話になったが、
大きな箱をオートバイのエンジンで押しているこの車で、高速道に入る人はいない。
ドライブを楽しむではなく、急ぎの所用で仙台の帰りに、古川の難所で突風にあった。
強風に運転席で身を屈め、エブリィは斜めに傾いて走っていた。
突然サイレンが追いかけてきて、どんどん背後に迫ってきたが、
追い越すときだけ音を止め、はるか先に進んでからウー、ウーと鳴らして去って行った。
こっちと併走して、緊張したのは彼等のほうであった。
高速道のエブリィは、恐ろしい。
だが、それから先にまもなく、ベンツが金網に突っ込んでいるところを見た。
金網の外で三人が仲よく並んで何かを待っていたが、ベンツも危ないのか。
タンノイで新境地を模索されるウエストミンスター氏は、
張り替えたコーンの音に違和感あると申されて、
生のようなイメージとのわずかな相違に、とまどっておられる。
一方のアルテックについて、マルチ・ドライブよりネットワークがやはり良いようですと申され、
「シロネ・システムをご存じですか」
まえに業界紙の客人からうかがった、JBLと管球アンプの完全に調整された抜群に良いという音のことを思い出した・・・
2007.3/1

中国から戻ったSA氏

2018年06月14日 | オーディオのお話


「いやー、戻ってきましたー」
日本の地を踏んでご自宅のアルテック装置を聴かれやっと人心地ついたSA氏から
お電話をいただいたのが何ヶ月ぶりか。
SA氏の才能はオーディオ・アンプの設計、制作だけではない。
日本に数人しかいないといわれる特殊技術が見込まれて、
大阪の大メーカーから中国へ派遣されていた。
「かの地では日本酒に不自由し、パサパサのメシに悩まされました」
お仕事も首尾よく完了し安堵のご様子であった。
平安時代から遣隋使や遣唐使が中国に渡っているので、その気分で、
中国文物について、見聞をゆっくり伺いたいものである。
SA氏は、お仕事の合間に「300B球を二百本ほど調達しました」とポロリと漏らされた。
吉備真備は天平七年教典数百巻を日本に持ち帰ったが、
現代でもそれはこのように続いている。
あまりに高価なウエスターンの球では足踏みするフアンも、
中国の管球は手の届く良さがある。
「ペア10組ROYCEに置きますので必要な方に提供してください」
マニアの心配りがあった。
SA氏が現在赴任中の大阪には第二オーディオルームがあるという。
休日にアンプ制作のかたわら、ジャズを楽しまれていることは以前紹介したが、その写真が届いた。
ところで、そのSA氏「ついでにこれも調整しましょう」
と申されたROYCEの『オースチン・TVA-1』のこと、制作工房から戻されてみると、
これまでの管球に変えて『GECのKT-88』が装填されていたが、しだいに埃をかぶってなかなか出番がなかった。
あるとき紙ラベルの貼られたこの管球について
「すこぶるの銘球で、なかなか手に入りません」と管球マニアのお客におそわって、
「845アンプ」の前段の「EL-34球」が不調になったとき、ちょっと差し替えて
845アンプを鳴らしたところ、『白虎』か『朱雀』か、
『タンノイ・ロイヤル』はまたまた変身し、どうも不気味な音が聴こえる。
「未だかってない音が出ましたね」と、お客はあきれて、
ロイヤルの寸法はどうなっていますかと思わず尋ねてきた。
「2階の踊り場を廻るかどうか・・・」などと気の早い独り言を申されているが、
今ある二組のスピーカーはどうされるので?
2006.4/14



クリニャンクール

2018年06月11日 | オーディオのお話


「1週間かかります」
ショップの店長は、オルトフォンSPUを握ると、こちらから見えないように
親指の腹で針の先をチクチク確かめている。
誰が言い出したか、針交換はLP300枚くらいが目安と聞いた。
そこでボーナスごとに替えるのだが、たいていの針はまだまだ減っていないらしい。
気温や針圧や、ほかの理由で音が悪くなっても、針先のせいになっている。
顕微鏡を中古で買ったのは針先を見るためだが、
さんざんながめて解ったのは塵芥の凄さ、
なぜか針の先の減った様子はさっぱり見えなかった。
針メーカーが無塵室で何千時間とレコードをトレースしてわかったことは、
ダイヤモンドはビニールを相手に摩耗しないということ。
減るのは、ミゾのゴミ砂粒が理由であると。それが本当なら嬉しい。
SPUのシェルのピンは、肉眼でつるつるに見えても、
アームのピンと圧着する先端面を拡大して見ると、ヤスリのようにザラザラで接触が非常に心もとない。
この接触は音に重要な影響があると考えられ、左右バランスや音像定位が
シェルによって変わることも事実である。
さて、ここを平らに磨こうとしても、ミクロの世界ではゴミを目詰まりさせる。
それよりは、もっとよい方法がある…。
2007.1/7
☆ロイヤルスピーカーのトップを被うクロシェレース。
タンスの奥から取り出され、労作を惜しげもなく贈ってくださった。
☆14年前の客人が「仙台のついでに」とやってくると、『Wee Small Hours』を、
昨日の今日のように記憶を言って、これが一番と申されている。

オルトフォンアームRF-297

2018年03月19日 | オーディオのお話


人の五感は、六感ほどあてにならないところが良い。
針圧3.5gのSPUをひゅっと掬うと、日によって2グラムと感じたり4グラムに感じたり、
あれっと我が人指し指を疑って、計りなおしてみる。
「オルトフォン・アームRF-297」はSPU-A専用でスリットが下に切ってあるが、
四角形のシェルがホールドされて、黒い円盤の上をゆっくりトレースしてゆくところは芸術だ。
しかし、ロングアームを載せるプレーヤーは大きく場所をとるのが難儀である。
「RF-297」の針圧を加えるスプリングがあまりに堅く、
レコード盤に針が突き刺さるようでいたましい。
そこで一度、DOYで購入した柔らかなスプリングと交換したことが有る。
同じ3.5グラムでも音はガタッと悪くなった。
このスプリングはぜひとも硬い方が良い。
敷延すると、引力で加圧するスタティックバランスの「SME-3012」は、
SPUのときには音溝に跳ね上げられてエネルギーが減弱しているのか。
そんなことを気にせず、音楽を楽しもう。
「わたしの耳は貝の殻..」と言ったが、音を捉える人の耳形はさまざまだ。
横に張り出した耳の人は、そうとう高域特性が敏感そうだ。
だが、そんなことを気にせず、音楽を楽しむ。
2006.3/20

春の嵐

2018年01月31日 | オーディオのお話


春一番が吹き荒れた先日のこと、屋根のトタンが3枚めくれたのに気が付いて「松島T氏」は屋根に昇った。
夜のことで、難儀されたそうである。次回からは、命綱も必需とおぼしめされよ、老婆心ながら。
T氏は、これまでA-7に「マッキンC-22」をあてがっていたが、現在は「オンライフU-22」のほうがよろしいと、
パイオニアのデバイダーを通してアルテックの管球アンプをバイアンプ駆動されている。
プレーヤーは、マイクロの糸ドライブも試したが、音楽的にやはりガラード。
ところで、以前から気になっていた『YUASAコーヒープロダクト』の移転のその後を知ることが出来た。
新たな転居先にアルテック・フラメンゴは健在で、焙煎機、テーブルカウンター等のある一階にスピーカー、
2階にテーブル2つというセッテイングであるらしい。
ブロロン!と、県下に1台しかない愛車も好調に大橋方面に遠ざかった。
夜陰にクマさん登場。昨晩、さる知人が電話で「10億用意したから、売れる映画を頼む」と依頼してきたと。
日本のヤコペッテイに、ついに時代は追いついたか。
クマさん少しも騒がず「と、とりあえず百万でよいから振込みなさい」と言ったので、結果は次回にか。
2006.5/6


845アンプ

2018年01月27日 | オーディオのお話


花泉のK氏からせっかく届いた845プッシュプルアンプは、当初、音楽の後ろで滝のような鼾をかく残念な結果で、いかに美貌の誉れ高くとも、常の用にならなかった。
プリとパワーの間を離して使用するアンプ内蔵の業務用2S305のようような、インピーダンスを低く設計してあったのだ。
音が悪くては押し花の重しくらいにしかならず、しばらく片隅に飾りとなってあった。
あるとき登場された迫市SA氏の845アンプを見る熱視線に気がついて、
「どうぞご自由に」と申し上げると、つかつかと寄られたとみるや、
三十五キロもあるシャーシをタイヤでも抱えるように掴むとウンと唸って裏返し、
一心に回路の解読をはじめられた。
SA氏はよほど自信があるのか「一台ちょっと貸してください」と申された。
それからしばらくした或る日、電話の向こうから「うーん。どうも大変ですが、なんとかうまくいきそうなのでもう一台のほうもいただきます」
SA氏の、どこかとぼけた余裕のある言葉に、改造の手応えを確信した。
ついに戻ってきた845パワーアンプを、接続ももどかしくはやる気持ちを押さえてマックスローチの『St.LOUIS BLUES』などを聴いてみたわけで、
プリとのマッチングがとれて電源ハムノイズの解消された初めて聴く845アンプの真価は、
いかにもめりはりのよい質感を伴った音楽が、部屋中に混濁なく響きわたった。
ドラムスもサクスもスピーカーから放たれて飛んでくる音に重量があると、やかましさが消えてなまなましくステージの端のプレイヤーまで描き出される、などと形容されるものだが、
パワーアンプの交換だけで、音楽がこうも変わるものであろうか。
いままで聴いていた音がにわかに色あせて感じられるのが軽薄のようではあるが致し方ない。
このような、部屋が一廻り大きくなったような音はまだロイヤルから出たことがなかったので、初めての体験にびっくりした。
SA氏は「こちらの球でもためしてください」と申されて、845球をサポートする前段の回路の管球をいくつも列べられ、
好みに応じ差し替えて微調整できるように用意されていた。
もはや300Bに戻る退路は絶たれたも同然であった。
翌日のこと、音を聴きに来た萩荘の園芸会社さんが言う。
「これまでとくらべると眼前に大きなパネル写真が出現したような演奏のイメージが浮かびます」
マイルスの『JUST SQUEEZE ME』を感に堪えぬ面持ちで聴いておられたが、ついに、両手にドラムスのスティックを握るポーズをされて小刻みに手首が虚空を叩き始めた。
フィリー・ジョーはチェンバースと合体した楽器のように同じリズムを刻んでゆくが、トレーンが吹き終える直前、バズババン!と大きくリズムをいれたのが初めて意味があるように聴こえた。
SA氏はRoyceのめざすタンノイのフレーバーを勘案し、初段回路を何度も作り直されたそうである。
この845の改良に御自分が手を加えた回路図を書きましょうといわれ、ペンに紙を広げ、ちょっと上目づかいに思案しておられたが、一気にその回路図を書いてくださった。
シュールな図面を掛け軸にでも仕立てれば「顔真卿の書」と見まがうありがたさだ。
このとき志津川から遠征してこられたSS氏が、
「SAさんが回路図を書いたの初めて見ましたねー」と言われた。

2006.3/13


ウエストミンスターの客

2018年01月17日 | オーディオのお話

穏やかな陽ざしの初夏のこと。
静かな紳士はRoyceの窓辺のテーブルに座って紫煙をくゆらしながら、
しばらくタンノイに耳を傾けていた。
コーヒーをテーブルに届けると、「この音は、出ませんね」と笑顔で申され、
ジャズを聴く人でタンノイが解る人はめずらしかったので憶えている。
「管球アンプは故障のさい不自由ですから」
安定度の良いトランジスタアンプによって『タンノイ・ウエストミンスター』を楽しんでおられるそうであった。
昔、ラックスの銘器『SQ38FD』で『タンノイ・ヨーク』を鳴らしていた頃、
劇場に足を運んだヒチコックの映画で、ショーン・コネリーが螺旋階段を降りてくるクライマックスに、突然ベートーヴェンの3番が強烈な総奏で鳴り響いて、
その時38FDの性能の限界を一瞬にして知らされた。
映画館ではベートーヴェンが深い地鳴りを伴って、交響曲の猛々しい新境地を見せていた。
知人がウィーンフィルの演奏法について、
第一バイオリンの7丁の弦が全員同じ音を出しているのではなく
僅かに音程をずらしてハーモニーに厚みをもたせていると申していたが、
そういう微妙な弦の音色を描き分ける38FDといえども、コントラバスのブルンブルンという腹の底に届いてくる低音は聴けない。
オーケストラの3管編成75人の楽器をジャズトリオなみにきちんと精密再生しようとすれば、『スペンドール』を5セット用意しマルチ・トラックで一斉に鳴らすところを想像し、
ジャズ装置とつりあったクラシック用オーディオ装置が見えるであろうか。
このようにリスナーがオーケストラをジャズ的に彷彿とさせようとすると、部屋の広さと装置の大掛かりが仇である。
ROYCEでは、75人のオーケストラを相手に『ロイヤル』1セットと、つつましかった。
あるとき、BACHの「ブランデンブルク六番」を聴いた。
佳境にさしかかったベルリンフィルのコントラバスのユニゾンが、
ブルンブルンと六丁、松ヤニの粉を飛ばして入り乱れ、
弦の揺れているのが見えるようにジャズを感じたとき、
メロディの美しさもよろしい、パートをきわだたせた林立する音像のリアリティに、はっと驚いて刮目した。
6人の、世界的であるがジャズのようには名のらない禅僧のようなベーシスト達が、
どうだ!とばかり24本の弦を高鳴らせ、少しだけ個人を露にすると、
また何ごとも無かったように戻って行った。
四谷からお見えになった紳士に、こんど装置の写真を見せてくださいとお願いしたことを憶えていてくださって、
この夏「これが現在の装置です」と3枚の写真を見せてくださった。

それは三つの部屋に三様のオーディオ装置がセットされて、聴き取る音楽にふさわしい部屋に移動するという、並外れた真理の希求への情熱が写っている。
以前は所有されていなかった管球アンプが何台も写って、『マランツ#7プリアンプ』の雄姿も有る。
カートリッジは『オルトフォンSPU』という完璧さであった。
このような方達が、西に東にブンブン飛び回っている日本で、ジャズの不思議な縁を思い、しばらく写真をながめて飽きることがなかった。
四谷の紳士は、ご婦人と秋田の観光地を廻られていて、いましがた一関に到着された。
なんでも、区画整理に屋敷がさわって、三つ有るオーディオルームのうち二つを壊さなくてはならなくなったそうな。
するとこの写真の部屋も見納めであろうか。
『タンノイ・コーネッタ』のことに話はおよんで、『ⅢLZ』のユニットを抜いてコーネッタの箱に納めるプランをお話くださった。
次回はその写真をぜひ見せていただきたいものだ。
ソプラノ歌手のご婦人がカウンターに回られて「主人の燗をつけて飲むお酒を選んでください」
と申され、天下の銘酒「関山と磐乃井」を用意したが、縁なしのメガネがとても良く似合っていた。
2006.3/21

オーディオニックス

2018年01月14日 | オーディオのお話


オタクではないが、代理店というところにも興味があった。
江戸川にあったタイガービルのハーマンの次に訪ねてみたのは、オルトフォンの当時の日本代理店である。
代々木、千駄ヶ谷1丁目の並木道をすこし入ったところに『オーディオニックス』はあった。
鉄骨の階段を昇って二階のドアをトントンとたたくと、柔和な年配の男性が顔を見せ、
ワンルームに、壁に向かった作業机が5つほど並んでいるのが見えた。
「このGTEを、トランスを外してGEの針を付けてください」
一般客が訪ねて来ることは無いのだろう。
どこから来たのかときかれて住所を言うと、
ビクターの人ですか?と勘違いされニコリとされた。
何十年も前のことだが皆、和気あいあい静かに組み立てのようなことをされていたように憶えている。
針はその場ですぐ付け換え工作してもらえた。
いつもはアキバまで行って、名物おばあちゃんにお願いして、自宅に送ってもらった。
あるとき急いでほしいというと、若い衆がカートリッジを持ってどこかに消えていったが、そのSPUは、ホールドベースが前後逆に取りつけられて往生した。
取りつけ角が傾いていても、ちゃんと音は出るからしばらく気が付かなかった。
名物おばあちゃんの居ないとき、代わりの人が菓子箱のようなものを開けて、
「ではこれ」と代わりのSPUを渡してよこした。
家に帰って鳴らすと、片チャンネルから音が出なかった。
電話するともう一個送られてきて、トクしたのだろうか?
オーディオニックス時代の製品は、いまでもプレミアムがつくようだが、我々の知らないノウハウが、彼等にはあったのではないか。
オルトフォンについて蘊蓄を、ぜひ聞きたいものである。
2007.1/9

ALC・ラボラトリー

2018年01月13日 | オーディオのお話


タンノイのための『デバイディング・ネットワーク』の広告を見て。
いよいよ主人という人物が電話口のむこうに現れ、当方の趣を察すると、
ウインチェスターに弾を込めるようなひと呼吸をおいて、
真空管やコンデンサーにまつわる蘊蓄がしだいに熱を帯び、
話は、たしかな技術を誇示している。
もし、これを繋いでタンノイが豹変し、凄い音で鳴ったら....と、思うものである。
こちらが、どうやら感心していると察するや、
こんどは音と音楽にまつわるボギャブラリーが機関銃のように受話器から聞こえてくる。
ティボーのバイオリンは、弦のつややかさと胴鳴りの、コルトーのピアノがうんぬん..
この話芸はどこで終わるのか。
相手は受話器の下側に語りかけ続けながら、じつは、ちゃんと
上の穴からこちらを覗いているかのように、
マイルスがどうのと切れ目無く立板に水、礼賛の言葉は続く。
「いちど、聴いてご覧なさい」
ということで、そのデバイダーは送られて来たが、
音楽はデバイダーが鳴らすのではないだろう。
ゆえにタンノイが好みの音であれば、悪かろうはずがない。
もっと関心があったのは、その試聴室で鳴っている音楽であるが、
ぜひいつかと思いながら、まだ果たせない。
2007.1/15


目黒駅界隈

2018年01月13日 | オーディオのお話


花のお江戸に、霊峰富士の見えるなごりの地名がいくつも残ったが、
高層建築が静かに増殖して変容する大都会に消える風景がある。
パイ○ニアのビルディングが、なだらかな目黒の丘に突如周囲を圧倒してそびえ立つころ、
遠く駿河の富士まで見通せる最上階の眺望は、初めて見るものに息を呑んだ絶景である。
そのビルディングから道路を隔てた斜向かいに、同じころ出現した『ガス・アンプジラ』『スレッショルド』など当代の名器を壁一面に蒐集展示する豪華なショールーム喫茶は、
粋人が再生音楽の頂点を蒐めようとしたもう一つの眺望であったのかもしれない。
ホテルのロビーを思わせるガラス張りの壁と、タイル模様の豪華な床のオーディオ店にめずらしい
右手に2人の受付嬢が起立して、左手にはレコードの輸入盤を陳列したケースが並んでいる。
衝立状の観葉植物の向こうに、ガラステーブルと皮張りのソフアがゆったりと置かれて、
正面のスピ-カー、周囲の棚に陳列された逸品アンプ群が、
これから鳴り響く音を約束しているようだ。
その日のお目当ての『ガス・アンプジラ』の音を聴かせてください、
紅茶などを注文しながら希望を伝えると、まもなく広い空間が骨太の立体感を聴かせる毅然とした音に飽和し、
タンノイとは違うサウンドといえども、栄華を楽しむひとときである。
紅茶は、妙なガラス壷から注いで、まだ少し残っているからゆっくりしよう。
このような空間は、いつまでも存在するだけでありがたかったのに、
気が付いたときにはいずこへか消えていたのが残念だ。
空間に鳴り響いた『ウイスパー・ノット』が、いまはなつかしい記憶となった。
2008.7/21

懐の深い『S電気』

2018年01月08日 | オーディオのお話


いまでは単相や3相200Vを引き込んで100Vに落としてパワーアンプを稼働させることは広く知られているが、その効果はズバリ有る。
うまくいけば初心者でも解る程度にどっしりとしてなめらかな音になる。
0.5の視力の人が1.2になったようであり、普通車が大型車になった乗り心地だ。
しかし、あまり効果のない場合もあるから、非情な賭けである。
千葉の大先生からそう囁かれて、或る日農業用25キロの降圧トランスを買った。
つぎに一関市内の電気店をまわり、なるべく太い電線を20メートル捜したが、
少々首をかしげていたS電気の社長が、
「これなら、どう?」
作業場からズルズルと引いてきた太いのを見て、これだと思った。
どこかの工場から解体してきたものであると。
「なんに使うの?」
わけを話すと、再びゆっくり首をかしげている。
そして社長は話題を変えて、
「オレにはテレフンケンの球がごっそりストックしてある」
と、急にマニアの顔になった。
スピーカーは『ボザーク』だというから、オーッ!とマニアぶりに感心した。
いったい何を聴くので?とこっちが踏み込んだら、
社長は身を引いて、やや考えて、
「テレビだ!・・・」と言った。
テレビを聴かせてほしいとは言いにくい。怪しい人物だ。
当方の降圧トランスのアイデアを聞いて、迫市のスーパー・エンジニアSA氏が、
「良いものがあります」
やはり工場で使用していたという、50キロ重量の鉄の塊トランスを、
塀の傍の雨よけの鉄板をはずして見せてくれた。
ドッコイショと馬鹿力をふり絞って車に乗せ、登米から運んできたが、
まったく別物の良い音であった。
トランスでこうも音は変わるのか。
SA氏は、当方に譲ってから「シ、シマッタ」と思われたそうである。
2006.3/15


佐沼のオーディオ・ショップ

2018年01月07日 | オーディオのお話


『オーディオマップ』という書籍を創っている人から電話がかかってきたとき、ちょうどRoyceにいらしたお客は宮城県佐沼の『H』というオーディオ・ショップの御曹司である。
ショップには永い歴史があって、周囲に錚々たるマニアが控えている。
オーディオ評論家の江川氏と店主が並んで写真に納まっているのは、販売企画に先生を招き、啓蒙に便宜を尽されたのであろうか、並ならぬ情熱と思う。
いちどSA氏に案内されお邪魔したところ、コンクリートの堅牢な店内に『タンノイGRFメモリー』がとても良い音で鳴っていた。
この装置のためにお店にセットされていたパワーアンプがSA氏の制作になるもので、楽器演奏されるという店の方の調整されたサウンドは、キリリとピントの合った音であった。
ROYCEのFMチューナーは、ニューヨークで84選局した、とうたい文句の当時最高の「SONY・ST-5000F」だが。
正直に言うと風格のある『エクスクルーシブ・F-3』がやっぱり良いのではなかろうかという話になって、あいにく製造中止。
「顧客に求められ、やっとのことで探し出すことができました」
と思い出を話されていた。
一関から南に37キロ、車で四十分のところにこの貴重な店は在る。
2006.3/27

BON堂とオースチンTVA

2018年01月07日 | オーディオのお話

駅前でブテックを経営の『P・BOX』さんは四国のお生まれだが、一方で原子力に纏わるさまざまな事象に学問的に関わる不思議な人だった。論文を貸してくださったので、その博識が記憶に残っている。
或る日のこと「建て替えのため大町のほうにしばらく店を移転しました」と言われたので立ち寄ってみると、そこは以前『BON』が在った場所である。はてなと思った。それでは『BON』はどこに?
これまでタンノイには英国オースチン社のKT88をプッシュプルで使用されたアンプが良いと評判で、目黒に住んでいた頃、日本フィルのビオラを奏する人から譲っていただいた『TVA-1』を永いこと使っていた。
やっとのことで手に入れた当時人気絶頂のそのアンプ、それによって感動した音楽の数々をいまもたまに思い出す。
これからアンプを取りに伺いますとお宅に電話を入れたそのとき、
「お気持ちは解りますが、一人で運ぶのは止めておかれたほうがよいですよ」
とビオラを奏する人は忠告された。
そこで知人を同道すると、ワイングラスを片手に玄関に現れたビオラの人は、
「持つべきものは、友ですね」
とおっしゃって微笑まれたが、ステンレスシャーシの本当に重いアンプである。
「ちなみに今度はどういうアンプをお使いになるのですか」と尋ねると、部屋に通されて、
「それが、また同じアンプを購入してしまいました」
とにっこり笑い、真新しい『TVA-1』を指さされたのには驚いたものだが、この同じものを購入したくなるアンプというものもあると『TVA-1』を使ってそう気がつかされた、凄いアンプだ。
そこで止めておけばよかったのに、あるとき、もっと良い音にしようと輸入代理店に『TVA-1』を送った。
コンデンサーと管球8本を全部交換して新品同様、マニアのサガで一段と良い音を期待したところが、戻ってきたそれは自分の耳に恐るべき寂しい音であった。
見解の相違ではある。
良くないことは続く、真空管がある事情で壊れた。
ハーマン・インターナショナルに電話すると「一関には取引先で『BON』さんがありますから、そちらに真空管を送りましょう、そこで受け取ってください」となった。
「P・BOX」さんのこんど移られたところに、このあいだまでその老舗『BON』はあったのだ。
年配の社長はゆったりとイスに掛けて「それでどんなスピーカーを使っているのです?」と、微笑んでおられる。
「そのスピーカーなら、一度聴きに行きたいですね。ふーん、ハーマンがウチを指定しましたか」
ちょっと喜ばれて「12AX7球だと2本で3千円くらいかな」と言った。
そこで内ポケットに手を、と思ったそのとき、
「社長、違います」
レジの女性がゆっくり申されたのが残念だ。
「ほほう、ずいぶん高くなったものだねぇ」と『BON』の社長は気の毒そうな顔になった。
球の値段は音に反映するのだろうか、そこが知りたいといろいろ買い揃えて解ったことは、各社それぞれ特徴があって、どれも個性の違う音がする。
したがって、今聴いているアンプの音もそれで終わりではないので短慮は慎み、いろいろ差し替えてみればアッと驚くことになるであろう。

その夏は凄い颱風が来て、磐井川に水が溢れた。
『BON』の倉庫には、ダンボールのケースに仕舞われた『JBLオリンパス』が在ると、地元マニアのあいだでまことしやかなうわさがあるのは、ほんとうだろうか。
JBLオリンパスの音は、駒沢通りに近い『H商会』にセットされてあったものが良かった。
H商会のマニアックな経営者は、2トラック38のオープンデッキを繋いで『オリンパス』をデモンストレーションし、この店でJBLに開眼する客も多かった。
その音を例えると、ちり紙をバチで叩いてもチーンと音がするのかと期待の湧くような、まず『タンノイ』とは対極の恐ろしい装置である。

ところがそのころ『オリンパス』と入れ替わるようにJBL社が発表したのが『4350』で、五反田の東京卸売センターでオーディオフェアが行われたとき聴くことができた。
十二畳でも狭いと思わせるこのスピーカー、音を聴こうとブースは黒山の人だかりで、鳴らしていたフラメンコギターの音が、自分の耳にはどうもガット弦ではなく金属の剛弦に聞こえるのだが、聴衆を圧倒して轟く。
まさに釘付け状態で、誰も動けなかった。
「会場の音量が基準値を越えましたので各ブースの方はボリュームを下げてください」
場内アナウンスが警告しているが、もともと静かな日本のブースは、さようでございますかとさらに大人しくするのに反し、轟音でアナウンスの聞こえないJBLのブースはびくともせず一人気を吐いていたのが、とても良かった。
2006.3/24