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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

ボールと遊ぶ

2022年07月13日 | 徒然の記


ジャズより早く、野球はアメリカから渡ってきたのか、
多くの球団が組織され、高給で賑わっている。
どれどれ、と100円コインを投入し、
見えない投手のモーションを予想していると、
突然、グリーンのネットの穴のあいた高みから、
黄色のボールが飛んで来る。
右と左の眼の位置が離れている者は、
ジャストミートの素養があるのだが、
スイングのフォームは、べーブルースに似ているといっても
さんざんバットを振り回して、
気持ちよく飛んだのは2球だけであった。
隣の子連れの客が、あきれてこちらを見ている。
レッド・ガーランドなどをタンノイで聴いているほうが、よい。
2013.9.25
ヨシが案内してくれたバッテイング・センターだが、
たしか、平泉道の左側にあった。
最近ロシア人をテレビで見掛けるが、
困惑した表情は、すごい上手だ。

学校林の先の温泉

2022年07月04日 | 徒然の記


ひとの心を、51の文字で表すと習ったのは小学生のころである。
或る日、こどもたち揃って列を作って、学校の裏山の奥深く
どこまでも進んでどうなるかとおもったころ、
号令があって左の斜面に取り付いて皆で登ると、
杉の苗木を先生は分配し、初めて植林ということをした。
いまも杉の木があるなら、大勢で植林したもので、
数百本の大木となって鬱蒼とした森になっているはずである。
そのことを考えながら、当時は切り開かれていなかった4号線バイパスを
平泉の方に向かって、車は進んでいる。
子供の時は、あれから時々夢にも出てきた不思議な奥地は
左手に、何の不思議も無く切り開かれた景色で見えた。
しばらく不思議な奥地に分け入って車は細い道を進むと
突端の森の先に突然のように、近代的な建物が有って、
目的の大浴場宿泊温泉に到着した。
駐車場にさまざま県ナンバーの車がみえ、
いともあっさりと、大勢の人は、集まっていた。
あきらかに技芸を駆使した近代的な建物は、まずフロントで鍵を受け、
しゃれた装飾で飾られた通路に、区切られた固有の店舗が並び、
それらに目を奪われながら進んでいくと
堂々とした構えの浴場が、ちょうど良い明るさで
全面ガラスのおおきな壁で仕切られ内部が見えているが、
実際に入ってみると、仕切りごとに工夫された湯船が大小しきられてある。
ちょうど、ローマのカラカラ浴場を日本風に小型にしたかのようなピースが、
ひとつの空間に点在しておかれてあり、そこから見える外部に、
また大きなガラスの壁で見通せるテラス状には幾つか湯船があり、
プールに造られた物や四角の巨大な一個の岩を
刳り貫いて湯船にしたモニュメントなど、
全部を湯浴みして回るとすれば、何回かチャレンジを要する。
そこで入浴に長時間堪能して、着替えて、奥の休憩室に行くと、
安息の傾斜を形にした長椅子がある。
芭蕉は、奥の細道の途中の路銀は、誰がいかようにまかなったか、
つい考えたくなるような休憩をして、すばらしい温泉ハウスに楽しんだ。
宿泊逗留すれば、けっこうな料理も賞味できることが、
パンフレットに載っている。
2013.9.23


露地

2022年06月24日 | 徒然の記


きょうの日経平均は1万4千776円
他人の懐中ながら
2万6千円まで昇った日本を見たい。
二メートル四方の露地に飛び石を五個置いてみた。
芭蕉月待ちの露地?
2013.9.19
僥倖にも或る日、日経平均3万を越えたのを見たが、
しばらくその気になっていると、ジリジリ後退して、
きょうは2万6千171円だったが、以前より財布が軽く可笑しい。

お釈迦様も、閻魔様も 「どうですか? 」 皆で笑っている。
2022.6.23


響き

2022年06月19日 | 徒然の記


オーディオ・アンプ作りも
家作りも
音の響きをイメージしながら考えるところは
似ていた。
2013.9.15
車は、ハンドルを握って走らせると、
一瞬で解ることと、じわじわくるものがあって、
長年運転し、手放してからわかることもある。

蔵の中

2022年06月18日 | 徒然の記


江戸時代の浮世絵版木368枚がさきごろ、
富山の旧家で発見された。
いずれレコード盤もそうなるか。
「何枚持っています? 」
ジャズ・オーディオでレコード盤所有を尋ねるのは、
道具立てに、深い感銘が隠れていた。
そのうえ、レコードは
眺めていて、たのしい。
「枯枝に 烏のとまりたるや 秋の暮 」
北上市鬼柳町打越にある白髭神社に
句碑がある。
2013.9.14
レコード盤だけでなく、過去の写真もなかなか面白い。
雑事に追われて振り返ることもなかったが、
みな、いい顔をしている。


IBM5576-001

2022年05月29日 | 徒然の記


申し分のないキーボード。
倉庫にいろいろのタイプがあるが、これに勝るモノはなく、
多少壊れているのと、音がいかにもパチパチとうるさいが、
いまだに用いるのは、慣れだけではない。
ほかを使ったとき、打ちにくさにぎょっとする。
きょうは庭で、黒アゲハと黄色い蝶を見た。
2013.9.11
1959年の東京タワーは333メートルだったが、
麻布に完成するビルディングは330メートルか。


空蝉

2022年05月13日 | 徒然の記


おっと、坪庭の松の木陰にセミの抜け殻。
控えめで慎み深く、
小柄なそれほど美貌というのではない。
立ちい振舞いがあざやかで趣味も良い『空蝉 』 は、
薄衣一枚を脱ぎ残して寝所から逃げ去っていたと。
源氏物語の初めに登場する人物で、
おおむね作者の擬態か期待と、蝉の抜け殻を見る。
源氏が空蝉に出会った偶然は
「かたがたえ 」 という平安人の行動理論からであったが
現代でこれをやると、ようするに回り道なので
他人には話しても混乱するだけだが、
けっこうやっているひとがいる。
むこうにいくまえに、こちらに寄るのも
「かたがたえ 」 かや。
レコード盤も、人によっては空蝉にちかく、
SPUも各種が蝉である。
きょうは50年代の、いずれの盤にするか、
それともかたがたえで、まず、ビバップがよいかな
なんちて
2013.9.3


黄金の国ジパングは栗駒を越え

2022年04月27日 | 徒然の記


ベネチアを出発し1270年から25年をかけてアジア大陸を
二度冒険旅行したマルコ・ポーロは、フビライに歓迎され
揚州の総督を3年勤めでいる。
揚州はかって鑑真和上が修行していたところである。
地図で見ると揚州の港は日本に近く、ここから酒田港や秋田の港に
交易で渡る船は宝物満載し、平泉は心得て、
相手の歓心を得る各種物品を沿岸の集積港に準備していた。
先日、そろそろ雪も解けて、日本海と平泉を結ぶ栗駒山地は
いったいいまどうなっているか、国道342を走ってみた。
しばらく登り、アイスクリームの店の前に道を整えている人に、
栗駒に抜ける道の様子はどうでしょう と尋ねると、
「まだ無理ですから、下に戻って457に抜けるとよいでしょう 」
と、教えてくださった。
そこで、言われるまま釣橋の隧道から宮城に入ったが、
須川岳と栗駒山は同じ山であるのに、登る道の景色がまったく違う。
奇妙な山である。
須川岳は、景色の森を抜けて切り立つ崖に七曲がりが険しく、
いっぽうの栗駒山の457号線は、なだらかな景色が広がって、
どちらも異なる美しさだ。
どんどん457を走らせるとき、ふと運転席のハンドルの傍らに
三段スイッチがあることに気が付いて、パチンと右に入れると、
車はポパイがほうれん草を食べたように勝手に馬力を出し、
ふだんは驢馬のようなこの車の、本当の力を初めて見せた。
だがところで、なだらかな見通しの良い道とは、つまるところ、
頂上がそこに見えるのにいつまでも距離の縮まらない根気のいる道である。
春まだ浅く、雪の残っているのを見て、あっさり退却することにした。
途中、工事の道を抜けると、おや、サイレンを鳴らしこのような高地にまで
救急車が激しい勢いで登ってくる姿を見た。
『吾妻鏡 』 に、秀衛の残された夫人が酒田に落ち延びて、
随行の36人衆とともに暮らした記録が見えるが、
芭蕉も奥の細道で酒田に、平泉から山寺を抜け曽良と旅をしている。
あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ
2013.4.20

山下洋輔

2022年04月13日 | 徒然の記


コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ 』 を、
新しくライテイングしたテレビ映像を見たが、
次に期待するのは『ジャッカルの日 』 である。
フランスのド・ゴール大統領が郊外で飼っていたひつじのジローを、
夫人が気を利かせ、ことわりなく食卓に供したので、
大統領は1週間、口をきかなかった。
そのド・ゴール暗殺がテーマになったミステリー小説を、
フォーサイスは『ジャッカルの日 』 に書いた。
最近ニュースの襲撃事件が騒がれたアルジェリアは、
むかしフランスに植民統治され、多くのフランス入植者が暮らしていたが、
ド・ゴールは政策転換し、アルジェリアを民族自決にしたことから、
ホームグラウンドを失った一群のフランス人がいた。
コードネーム『ジャッカル 』 をド・ゴールのもとに送り込んだクライマックスは、
パリ解放記念式典の8月25日モンパルナス広場。
一度だけ読んだ棚の背表紙が見える本を、
異なった演出にリライトするのは、ジャズの演奏でよくあることである。
パリの正面玄関に凱旋門があり、
エレベータに乗ったのは2度目の1988年であったが、
円形広場から放射状に走るシャンゼリゼやパリ14区の
モンパルナス広場の方角を眺めた記憶がある。
パリのフランス人は英語を話さないと聞いていたが、
英語で話しかけると英語で答えが返ってきた。
ジュリエット・グレコの唄う『巴里の空の下セーヌは流れる 』
をそこでしばらく概観する。
Sous le ciel de Paris
S’envole une chanson
Hum Hum
Elle est n e d’aujourd’hui
Dans le coeur d’un garcon
Sous le ciel de Paris
Marchent des amoureux
Hum Hum
Leur bonheur se construit
Sur un air fait pour eux
このときの1988年に、山下洋輔氏がSWEETBASILで演奏した
トリオをタンノイで聴いて、驚いた。
2013.2.11

鎮守の森

2022年04月12日 | 徒然の記


喫茶の窓のかなたの鎮守の森に、
高みの枝葉でなにかがじっと居るのを遠メガネで見ると、
銀色の襟巻きをしたカラスが一羽止まっている。
中学の時、6ヶ月新聞配達のバイトをしてプラモデルを購入した
思い出のコース途中に、この森に差しかかると、
冬の5時半は暗く、子供心にゾクッとした。
鬱蒼と茂った森のトンネルの先に、やがて現れる
青い星空は感動ものである。
現在は国道4号線が森を分断して、鎮守の森は小さくなったが、
道端に待っていたおばあちゃんからミカンをもらった。
新聞配達は、同級生から、
「いいバイトがある 」
その気にさせられ新聞店に行くと、修平叔父の経営で驚いた。
叔父は無言で、銀縁メガネの奥から当方を見ていたが、
何も言わなかった。
オヤジが、いちど配達に同行したことがあり、
一番遠くの離れた家は郵送になったので、迷惑だったか。
ひょろりとしたインテリ眼鏡の社員が、ご自分の下宿している
ベツレヘムホームの一室に当方を招いてくださり、
「プラモデルにはこの本が良いかな 」
ヒットラー著『マイン・カンプ 』 を、積み上げた本から引き抜いて
貸してよこしたのだが、中学生にチンプンカンプであった。
森には、まれに千羽もカラスの大軍が集まって来ることが有る。
周囲の電線にも真っ黒に並んで、夕焼けに浮かぶありさまは、
ヒチコックの『鳥』のシーンであるが、方々の森を巡回するのか、
ふだんは数羽がいるだけである。
コレクターズ・アイテムというマイルスの50年代の演奏は、
パーカーとロリンズとマイルスがセッションしているので、
はたしてどのようなあんばいか、誰しも耳をそばだてる。
『ラウンド・ミッドナイト』は、鎮守の森の雪の夜を奏でているようだ。
2013.2.1


スタン・ケントン

2022年04月11日 | 徒然の記


クール・ジャズのスタン・ケントンを初めて聴いたのは20代の頃、
キャピトルのテストレコードによって、素晴らしい音がした。
オーディオが流行し新製品がふんだんに発売され、
オーディオ再生テストレコードも数えきれないほどあったが、
老舗のキャピトルは贅沢なダイレクト音源が素晴らしかった。
『虹のかなたに 』 という曲を、ベルリン・フィルの豪勢なフルオーケストラで、 
あるいはカウント・ベイシー楽団で、とびきり叙情的にナマで聴いてみたい。
スタン・ケントンビッグバンドは、ハリウッド・スタジオのほかダンスホールで活躍し、
アニタ・オデイやジューン・クリスティの歌姫も一世風靡した。
『虹のかなたに 』 をケントン氏のアレンジで聴いてみるとき、
ふと、曲が演奏された1953年の頃、当方幼少につき、
風邪で高熱が出ると寝ていて、
「天井がグルグル回っている 」
と、たわごとを言って周囲を緊張させた。
なんでもほしいモノを買ってやるから、というので
布団の中から「万年筆」と言ったところ、当時やんごとなき
電話番号の書店から枕元まで配達があったのが恐縮である。
それにつけても、キャピトルのテストレコードのような味のある音は、
その後もなかなかおめにかかれないのが残念だ。
2013.1.21
万年筆を束にして持ってきて、テーブルに広げた客人、合格です。

双鉤填墨

2022年04月10日 | 徒然の記


マグニチュード7のあと、天井部屋の荷物重量が心配になったとき、
ちょうどチリ紙交換のトラックとすれ違った。
大量に有るから、と言うとトラックはすぐ方向を変えて
付いてきてくれたのが幸運である。
紐で結わえておいたMSDOS時代の「アスキー 」 や 「IOデータ 」
「ICON 」 などのパソコン資料を八百冊処分して重量軽減ができた。
もう読むことはないと思ったが、哲学者クロサキ氏の記事など、
いま読んでも、ついおもしろいので読みふける。
ICONの創刊号には、文豪をおじいちゃんにもつ少年が、
ノートパソコンのレポーターをし、マンガ夜話という番組に、
健啖をふるう別人に成長していたので驚いた。
あのころ高額だったパソコンも、いまはネコもまたぐ無用の箱に
なりさがったが、ウインドウズ95の圧倒的完成度に興奮した日があったとは。
キーボードは『PS55-001 』 が、現在でも能筆的に優れており、
winXPのレジストリを加工し、うたた寝しながらポチポチ入力するのに向いている。
昨日テレビのニュースで、「書聖 」 王義之の双鉤填墨が
国内で発見されたとの吉報に衝撃を感じたが、筆を選ばぬ能書家も、
パソコンを使う時代になったのであろうか。
人々を しぐれよ宿は 寒くとも
2013.1.9

ラジオ深夜便

2022年04月09日 | 徒然の記


昔も今も、3月15日といえば、勘定奉行署に諸表を納付する期限であったが、
どうも深夜明け方まで事務が追いつかない。
そのとき、つれづれに初めて『ラジオ深夜便 』 を聞いた。
関西の海洋学の学者が、外国の大学にいて教鞭を執りながら
学術論文をいくつも完成させていく生活経験を、
エリックサテイのピアノのように淡々と、良い味を醸し話していた。
書類を投函して月夜の勘定署帰りの車のラジオでも続きを聞いて、
つい、聴いたことをコメントしようと行動したのがめずらしい。
「あなたの研究生活は聞いてとてもおもしろい 」
研究室にメールしておいたところ、なんと
学究に忙しい時間を割いてお返事があった。
「あの放送は昼の時間の収録でしたが、深夜にもかかわらず、
東北では、ほかにもう一人のかたからメールをいただきました 」
うんぬんの内容である。
このとき初めて『ラジオ深夜便』番組を知ったが、
久しぶりにおみえになった志津川の元船長さんとご一緒の貴婦人も、
ラジオ深夜便のことを申されていた。
「ジャズ喫茶に初めて来ましたが、わたしは、多少思い違いをしていました。
ジャズについては、ラジオ深夜便で何度か聴いております 」
一方、元船長さんは、得意の手帳からメモ紙を取り出してこちらに渡し、
筆跡もかわらずご健勝で、なによりのことである。
そういえば勘定奉行署からあのあとに連絡があった。
「二階の奥の部屋まで出向いてください 」
!!
なにかおたっしとはいただけない。
書類の数字に不備が有ったらしい。
しかたなく夕刻行くと、くだんの御仁はやっと出先から戻っていて、
対面した当方は机の前に直立しお話を承っていた。
すると、突然背後のドアのほうから声がした。
「そのお客さんを、こちらのソフアに座っていただいて 」
声の人物はすぐ姿を消して誰かわからなかったが、
言われてしばらく何事か考えていた御役人は言った。
「もう、おひきとりになってけっこうです 」
声の主は、決算講習会で目の前に居た新任の御奉行
と似ていたようだが、古い記憶でわからない。
ラジオ深夜便は、画廊の先生からいただいた録音テープでも聴いて、
なるほどおもしろく、また、水戸の御仁達も話題にされていたが、
ジェットストリームとも違った魅力が静かに聴取者を広めているようだ。
翌日の勤務にそなえ、布団に入っても眠れぬひとには、
あまりおもしろい話はドクであるが。
早朝の積もった雪にこぼれたウサギの餌に、
スズメが一羽飛んで来た。
2012.12.22
チャンチキおけさが2百万枚も売れた理由を忘れた。

『千馬屋』

2022年03月31日 | 徒然の記


野を横に 馬引き向けよ ほととぎす
一関から25キロ東南にある『千厩 』 は、
平泉15万都の軍馬や農耕馬を供給調練する
兵站基地があった所と言われている。
いったい遺蹟は、いまも現地で見ることができるのだろうか。
当方が以前、町営のスケートリンクまで遠征したとき、
滑り始めた母屋の住人がまもなくドシンと転倒し、物凄い音が
リンクに響いて係の人が飛んで来たが、やはり調聯が足りなかったのである。
平安のかっての馬事調聯の名所は、いま大勢の人間がスイスイ走っていた。
当時の馬の重要性は現代の乗用車のようなもので、
金売り吉次も、はるか京都まで牛馬の背に金塊を積んで交易し、
東下りした義経も、さっそく家来とここで名馬を誂えたに違いない。
千厩には、義経の乗った名馬の石碑があるらしい。
当時の馬は、5月の東下り行列で見る体躯隆々の名馬たちのような、
あれほど大きなものでなく、身長160センチくらいであったらしい。
昨晩見た夢の続きを、絵に書いた。
2012.9.6


永楽銀銭

2022年03月23日 | 徒然の記


墨田スカイツリーの開業日、
株価はすこし戻して8700両で始まった。
現在は1万両あれば大台と、下火の気分も心もとないものだ。
なぜといえば他人の懐中ながら、
日経平均4万両の時代も、まえにあったような気がする。
御畳奉行の『鸚鵡籠中記』には、以下の記録が有る。
江戸において、銭にわかに今日上げ、
純金一分につき一貫文換え、夕方少し相場下がる。
これは昨日、向後銭の相場両につき四貫文より三貫九百文に相定しといい、
追付京にて一銭十当の大銭仰せ付けらるの仰せ出しこれ有る故なり。
宝永5.閏正.29 記
一関市内の中央を磐井川が流れる河川敷に、
さまざま年中行事が行われていた。
打上げ花火であったり、牛祭であったり、
季節のうつろいを楽しむ人の姿がある。
あるとき当方が商売にいそしんでいると、母屋の方から
子わっぱが飛んで来て言う。
「河川敷でゴザを敷いた二人の老体が古銭を売っている」
まんいち、永楽銀銭でも混じっていれば、16萬両である。
すぐレジのかねをつかんで、これで! と買いに行かせた。
だがすべて、寛永通宝であった。
ご老体達の笑顔がよかったらしい。
2012.5.21