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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

五味セレクションの空欄

2022年08月13日 | タンノイのお話


五味康祐さんが厳選の20曲を手帳に
メモしていた写真をときどき思い返す。
貴重な万年筆の筆跡が映っている。
五味音楽の核心とは何か、
当方がわかりかねていることを、五味さんの筆跡は黙示している。
Schwanのカタログに目を釘付けて、ためつすがめつ選び、
期待と興奮でタンノイと対峙された一刀斎の心の結晶である。
カラヤンの振った『魔笛』が、ご自分の一番とは、
意外であるが、とてもおもしろい。
この手帳(電話番号メモ帳)を見ていると、上から七行目だけが
空欄になっており、なぜかご本人は決めかねていたか、
ほかのもう一つの演奏を聴いてにしようとされて、そのままになったか。
当方それが気になって、いくつかの曲を手前かってに想像している。
『西方の音 』 の目次を見ると、はじめにシュワンのカタログについて
解説しているが、次から具体的な曲や作曲家の項目を立て、
ご自分の心の鏡に映しはじめる。
したがって、欠番の曲は必ずページのいずれかに潜んでいるに違いない。
二巻にわたる音楽の詳細は、特異な表現を駆使して
古今の名曲を筆で演奏するようにタンノイで紐解いていくが、
次第に当方には別の考えが浮かんで来た。
あえて曲題を書かなかったことが、意味をもっているのではないか、
という、漠然とした読後感である。
第一に選ばれた『カラヤンの魔笛 』 について思ったことであるが、
映画館で『アマデウス 』 を観ると、予想外に骨太のサウンドが、
これまでのモーツァルトイメージと違って、圧倒的に骨太の
オーディオが鳴り響いて感心する。
タンノイで音楽を聴くとき『オルトフォンSPU 』 をアームに取り付けて
いるのは、骨太の響きが聴こえるからであるが、
それにしても映画館のモーツァルトの剛腕秀逸オーケストラに感じ入った。
『アマデウス 』 では、期待の、魔笛の夜の女王のコロラトゥーラが鳴らなかった
が、あの最高音Fをいったいどのように、映画館は鳴らすのであろうか。
タンノイでドイテコムのFを聴きながら、シュトライヒやグルベローヴァや
サザーランドや、そして五味さん推薦のリップなどが、
『浄 』 の書のさがった部屋で歌うところを想像して、
冬の夜は静かに過ぎていった。
「西方の音 」 新潮社目次
1. シュワンのカタログ
2. 協奏曲
3. ピアノソナタ109
4. ペレアスとメリザンド
5. バルトーク
6. 不運なタンノイ
7. タンノイについて
8. 少年モーツアルト
9. ハンガリー舞曲
10. セレナード ハフナー
11. カラヤン
12. ワグナー
13. シベリウス
14. ラベルとドビュッシー
15. 米楽壇とオーディオ
16. 死と音楽
17. 映画 「ドン・ジョバンニ 」
18. トランジスター・アンプ
19. わがタンノイの歴史
20. ドイツ・オペラの音
21. 大阪のバイロイト祭
22. ペンデレッキの「ルカ受難曲 」
23. 日本のベートーヴェン
24. あとがき
「西方の音 天の聲 」 新潮社目次
1. 音と沈黙
2. 音による自画像
3. 美しい音とは
4. 三島由紀夫の死
5. レコード音楽の矛盾
6. ステレオ感
7. ヨーロッパのオーディオ
8. ハルモニヤ・ムンディ
9. モーツァルトの「顔 」
10. マタイ受難曲
11. メサイア
12. ベートーヴェン「弦楽四重奏曲作品131 」
13. ラモー 「ガヴォット 」
14. レコードと指揮者
15. マーラーの「闇 」とフォーレ的夜
16. トリスタンはなぜ死んだか
17. 音楽に有る死
18. あとがき
2014.1/25

トポロジー

2022年05月27日 | タンノイのお話


ひとまず夜をむかえて、オーディオを聴くと
どうも、照明によって、音は変わる。
天井裏に登ってダウンライトをつけてみるのは、
音のためであった。
BettyCarterのバンガード・ライブなど
聴き違えるようであり
オーディオを志す者は忙しい。
2013.9.11


きょうのロイス

2022年05月18日 | タンノイのお話


長方形の建て屋の短壁と長壁のどちらがタンノイに良いか、
設計上で、結論が決まっているわけではない。
長年、実験を予定していたが、ついに
装置を右の壁に移して音の模様替えをした。
すると、何をおもったか無理矢理と喫茶に侵入したものがいた。
入り口から、スピーカーが見えなかったので売却を心配したらしい。
嗚呼。
当方は念の為、きょう現在の室内はこうなっているという写真を
アップするから、侵入しないように!
2013.9.7

タンノイ・レクタンギュラー・ヨーク

2022年05月18日 | タンノイのお話


タンノイ社のレクタンギュラー・ヨークは、
30年もむかし秋葉原の佐藤無線で買った。
以来、壊れもせず鳴らしていたが、
バスレフの箱はロイヤルより、もっと低い音が出る。
低音好きには、そこが悩みで、このヨークが手放せない。
低い音は魔力である。
単純に比較すると、ロイヤルのほうがやはり箱が大きいぶんだけ、
折り曲げホーンの立体感の迫力は説得力を聴かせるが、
うんと低い「フッ」という空気感は、このヨークのほうが、出る。
おもしろいので、まだまだ研究中。
2013.9.7

『エール』

2022年04月10日 | タンノイのお話


バッハの管弦楽組曲を全曲聴こうとすると、LPレコードでは2枚組になり、
通常は2枚目のA面の中ほどにこの全曲の音楽の頂点に極まるといわれる
アダージョが静かに鎮座している。
それが3番の序曲のあとに鳴りだす『G線エール』といわれる曲であるが、
いろいろ演奏を聴かせてもらうとやはりひとつとして同じものがない。
それで以前は、もっともオーディオ装置にマッチした音響の演奏団体を
選り好みして、それを一番にしていたが、
タンノイが自由に鳴りはじめたころから、どのレコード演奏にも
それぞれに聴き所のあることを知った。
ひとつの同じ楽譜であるはずが、まじめに違う演奏がなされて、
それぞれ意味のある解釈に聴こえるところが、油断がならない。
タンノイは、もしかしてまだ本当の水準を見せていないのではないか、
というのは欲であるが、先がまだあると考えている。
あるとき、海外の名所で鳴っているウエスタン16Aの音が、
堂々とした低音装置に支えられて
慄然とする新機軸で鳴っているところを耳にした。
タンノイをそのように鳴らすのも、楽しいかもしれない。
そのようなウエスタン16Aの音で、組曲3番『エール』や、
これまでのさまざまのジャズを聴けばどんなであろうと、
新しい音楽世界の誘惑に気がついた。
写真の机に電話機が2台見えるのは、
一台はイルミネーションがクルクル点滅して着信を知らせる、
鳴らない電話に繋がっている。
音楽の邪魔にならず、気がつかないとそれまでであるが。
2013.1.12
1個百円の若い芽が意外な花を見せ咲き出して、春である。

謎の音のタンノイ

2022年03月18日 | タンノイのお話


観覧車は、1日10万円の電気料で回っている。
遊園地の観覧車に乗って風景を眺めるとき、
各人だいたい無邪気に、当方も二度ほど高いところまでいったことが有る。
タンノイも無邪気に、観覧車に乗っているように聴きたい。
とある弥生の雪解け道を、
棋士先崎八段に風貌の似ている人物が登場した。
タンノイⅢLZを三十年聴いていると申されて、
古今の洋楽とジャズを楽しまれている。
ⅢLZは同軸の直径10インチで、モニター15より小型であるが、
室内のバランスとエンクロージャーの変化で想像を絶する音像が得られ、
各所で聴いた感想をいえば、素晴らしいの一語である。
アンプを吟味すれば、いや増す潤いと核心が同時に得られ、朗々と鳴る。
百人のオーケストラを毎日聴くむきには、モニター15インチであるが、
茶室に15インチを持ち込むことはバランスが難しい。
関東からお見えになった客人は、当方の15インチ・タンノイによって
広がる風景とはいかなるものか、
いわば観覧車に乗ってみようと、足を運ばれた。
「ラファロが好きで六枚ほど集めⅢLZで楽しんでいますが、
この部屋のラファロのベースはいったいどうなっているので 」
「おやおや、この四季のコントラベースは?!!! 」
「新世界のテインパニーが、こんな音でレコードに入っているとは知りませんでした 」
もし、観覧車から見えたタンノイの、
このような音が好きであれば、方法は有る。
いろいろな音楽が、世のさまざまの装置で鳴っている様子から、
ラファロに注目されたところが面白い。
三十年タンノイを聴かれていると、
音楽はおよそタンノイの風景ではないのか。
タンノイロイヤルに、ヨークの15ゴールドを入れ替える計画は
いつごろ完了するのか、と念を押されたが、
新しい観覧車の風景を心待ちにされているようで、
当方は謎の音にいよいよ期待と責任を感じる。
2012.3.17

携帯タンノイ

2022年02月27日 | タンノイのお話


利休のわび住まいに、タンノイ。
幸いなるかな道楽。
この期に及んでふと、茶室向け、寝室向け、旅籠向けに
携帯タンノイを考案した。
ユニットはⅢLZの10インチモニターゴールドを流用し、
極限まで箱を小さく薄く、マグネット部は
背後の板につき出させて、それなりの蓋をつける。
色彩、化粧板自由自在、上部と下部に棒が付く。
側面にカーオーディオのカセットや
チューナーなどのデッキがビルトイン。
弁当缶サイズの上部に300Bを挿す。
プリはクオードやDB-1がよい。
ショートホーンのエンクロージャーに、たまには
後面の板を取った箱のままビルトイン。
この箱2個にサブウーハーまで備え、
しみじみ
世にこのような、こしゃくな世界があろうとは。
夕刻「ちょっと駅に知人を迎えに」と登場したV6アウディ氏が、
ⅢLZは何インチでしたかと言っている。
誰も見ていないと思っていた...
パリに行ったときガイドが、シャンゼリゼは
シャプスエーリセオンというラテン語で、
日本で言う「高天原 」 の意味だと言った。
それなら平泉にもあるなぁ、
緊用で空中回廊を途中まで行ったら工事中であった。
2011.10.10

五味康祐の「モーツァルト」

2022年02月21日 | タンノイのお話


紛失して35年ぶりに手にした『西方の音・天の声』を開いてみると、
まず第一行目に現れたのは意外にも小林秀雄氏のことである。
三鷹から鎌倉まで三度も出向いて「小林先生」のオーディオ装置を三度も調整したので、
彼の書いた「モオツァルト」はその影響下に完成したのです?
遠回しにタンノイを聴いている耳のこだわりを刻印したものであろうか。
誰にも真似の出来ない五味氏一流のふしまわしに圧倒されて読み進むと、
モーツァルトについても、行間にオートグラフの鳴り響く
ありさまが高鳴って聞こえるようだ。
耳は単なる機能であって、音は脳味噌が聴いている
ことについて疑いもないが、いかに五味氏の鳴らしたオートグラフが
今も鳴るといえども、脳味噌まで借り受け鑑賞することは無理がある、
とこの本を読むと感じる。
五味氏の鑑賞耳が、当時有数のオーディオ機器の中から選んだ
タンノイという流儀をまずえにしとして、芭蕉のたどった奥の細道を
たどるように聴いてみるのであるが。
―― 音楽のもっとも良いところは、音符のなかには発見されない。
それは演奏を待たねばならぬ、と言ったのはマーラーだが ――
このように五味氏は書いて、アゴ髭をなびかせて鎌倉まで遠征し、
良い音楽は良い音の装置にまたねばならぬのですとばかり
装置にガバッと取り組んで、背後で困惑して立ち尽くす小林氏を見るようだ。
『西方の音』という書物の特徴の一つは、機器の型番や個々の金額が
懇切丁寧に書かれて有ることで、我々入門者に、身銭を切って試した結果と、
オーディオとタンノイを賞味するおもしろさのありようを聴いて楽しめるように
導いているが、タンノイだなぁ、とわかるひとつに、
金管楽器の鳴りのことが書かれて有る。
タンノイを普通に鳴らすと、たいてい金管楽器に違和感を感ずるので、
Royceにお見えになるタンノイの使い手の衆が、サクスやトランペットを好きではない
と申されると、やっぱりあなたは正統派です、
表千家の鳴らし方を感心して、内心ニッコリする。
当方も、それには悩まされたので、共感する。
モーツァルトは小さいときからトランペットが嫌いで、教育パパのレオポルドが
息子を何とかしようと楽器を手に入れ吹いてみせると、モーツァルトは青ざめて
震え上がったとあるが、この描写はちょっとタンノイにバイアスがかかった
五味氏の言いすぎでないかと思う。
『B』のライブがあったとき、どれどれと駆けつけて、練達マルサリス氏の
ナマのトランペットをたっぷり聴き、まるで、きぬぎぬの朝のような美音にうっとりした。
よし、タンノイの音をこの部分はなんとかしよう、と思った覚えがある。
モーツァルトは、ドンジョバンニでもフィガロでも嫌いな金管楽器を
楽想の性格に使い、地獄の門の近くになるとトロンボーンを鳴らしている、
と五味氏は書いているので、モーツァルトではなく、
タンノイを使っている五味氏ならではの表現で、言いすぎではないか。
トロンボーンを吹いている人は、たぐいない美音の
とりこになっておられることを知っている。
五味氏は、モーツァルトを解明するあかしのひとつの例としてトルコ風ロンド
に触れているが、『K331』が、母を喪った日の作曲であると気がつくや、
この曲の聴き方に一定のバイアスが生じてしまい、娘さんの弾くピアノにはおろか、
多くの演奏家のことを書いた五味氏一流の名文はつぎのとうり。
『ピアノをならい始めた小女なら必ず一度はお稽古させられる初心者向きの
あのトルコ風ロンドを、母を喪った日にモーツァルトは書くのである。
父親への手紙より、よっぽど、K三三一のこのフィナーレにモーツアルト
の顔は覗いている。
ランドフスカのクラヴサンでこのトルコ風行進曲を聴いたとき、
白状するが私はモーツァルトの母の死後にこれが作られたとは知らなかった。
知ってから、あらためて聴き直して涙がこぼれた。私の娘もピアノでこれを弾く。
でも娘のでは涙はうかびもしない。演奏はこわい。
涙のまるで流れないトルコ行進曲が今、世界のどこぞで
おそらく無数に演奏されているだろう。』
当方は、35年ぶりに本を手にして、小林氏の著作と棚に並べる栄に浴したが、
それにしてもわずか247ページが、このように隙間無く押し詰まった活字の
すべてからタンノイの音が全五楽章の交響曲のように鳴り響くのに、
廊下のウサギに餌をやりに行く足元が、おもわずよろめいてしまったではないか。
タンノイはすばらしい。
2011.8.19

ヨークとロイヤル

2021年11月26日 | タンノイのお話


ことし、364日すぎて、しばらくタンノイ・ヨークを鳴らし続けた結果、
ユニットも役目を心得てきたか、たまにロイヤルのような音にも聴こえる。
ヨーク・モニター・ゴールドの38センチオリジナルから出る音は、
隣のロイヤルバックロードの中を、どうも迂回して、
どのユニットが鳴っているのかわからないところが怪しい。
タンノイを支える3つの柱は、電源と管球とソースであると簡単に考えていたが、
最近の説は、セルフとアチーブメントとインティマシーである。
まったくもって、空気の振動はなぞであり、当方以上に、
お見えになる客人は不思議に思っているようだ。
このうえさらに、二.三の妙手を夢想して、
いよいよウエストコーストの風がコンクリートの中で舞う
絶景のタンノイ・サウンドが?
2009.12/30

仏跳音

2021年11月24日 | タンノイのお話


さきほど現像プリントから戻ってきたTANNOYの写真。
『仏跳墻』という中国料理は、あまりの香りの良さに
外を通った和尚さんさえ思わず塀を飛び越えて来たという。
タンノイも、甘い音も辛い音も謂れをそなえ、
あるときは破鐘のように、
また柳に風のように、
駆動アンプによってはあっさりと姿を変えて、
地の深くにどこまでもくぐり、
宇宙のはるか銀河を飛んでいく、
そういう仏跳音をめざすのがおもしろい。
いつも姿形の変わる、きょうのタンノイの音を写真で想像してみる。
2009.12/8

12畳のタンノイ・ヨーク

2021年07月18日 | タンノイのお話


昔、12畳の部屋で、ヨークにマッキントッシュと
パイオニアM-4を繋いで鳴らしていた頃。
管球アンプを休んで、トランジスタ・アンプを
しばらく使ってみたわけで、大変勉強になりました。
左右の音のバランスがどうにも揃わず、アンプの特性を疑って
メーカーに測定をお願いしたり、なんてこともあったが。
右と左を取り替えても結果は変わらなかったから、
どうやら部屋の響きが原因だ。
このころS氏が中野の部屋から運んでくださった
『ダイナコMK-Ⅲ』もしばらく使ってみたが、
音を良くしようと取り替えたKT-88が真っ赤になったのにはたまげた。
その球を、江戸川区のタイガービルにあった『ハーマン』に持っていき、
技術者がまったくの無言で交換してくれたが、こちらに聴かせるように、
『ダイナコ25』というスピーカーを突然鳴らして「どうだ!」と良い音を出した。
後日そのスピーカーを購入して調べてみたが、
それほどのものでなく手品師の仕業か?
いまだに課題のスピーカーを残してある。
部屋から見える公園の水銀灯に集まる『蛾』を狙って、
深夜アオバズクが飛んでいたが、野生の其奴は
動物園で見るものと動作がまったく違って見飽きなかった。
2008.8/7

宮沢明子バッハアルバム

2021年05月17日 | タンノイのお話


タンノイで聴く菅野録音は、2トラック38センチテープが深い音を聴かせて、
ボリュームを上げるほど、奏者が演奏でみせる質感のリアリズムと静寂は
貴婦人などというなまやさしいものではないようだ。
「ああ、これはタンノイの音ですね」
と申され、
「ジャズのお店でこのレコードをお持ちになっておられるのは、とても嬉しいです」
と宮沢明子のLPについて感想をのべられた人は、週末仙台からふらりと訪れた。
先日、オーディオ好きの人から、ROYCEのことを聞いて、
どれどれと遠征されたのであった。
機械のことはわかりません、と言いつつ、
トーレンスにガラードとSPU・MONOカートリッジまで揃え、
マランツ#7とオースチンTVA-1で鳴らすオート・グラフの音楽に
時を忘れる日々を過ごされている、
オーディオを語る修辞が巧みな人である。
先日SPUの昇圧トランスを、これぞという品に替えて期待した当方、
これまで足りなかったところが具体的に聴こえて、低音の押し出しもよく、
驚いて喜んだのもつかのま。
翌日になって欠けている或る事に気が付いて、
愕然としてもとのトランスに戻した。
オーディオの難儀なところだが、忘れていた発見もあるので、
人は精進するのかもしれない。
オート・グラフの客人は、御自分のタンノイと、
ロイヤルの新旧の出来栄えを賞味されたいとのことで、
『WE-300B・PP』を接続し、まず第九合唱の4楽章からはじめて、
向かってくる音像を正面から楽しんだ。
お帰りのとき「ちょっと失礼して」と300Bモノアンプの傍まで寄るとしみじみと眺めて、
本当に左右対称の配線ですねェと喜ばれたが。
あとで、このとき駆ってきたクルマが、小型ながら大変なシロモノであると
某氏から聞かされ、シマッタと思ったが遅かった。
2007.12/8

是故形而上者謂之道、形而下者謂之器

2021年03月13日 | タンノイのお話


レコード音楽は素敵だと、誰が言ったのか、
アームやカートリッジや真空管を眺めていると、しばし
時の経つのも忘れるというのは本当だ。
オーディオという魔の山に登って、ゆくえしれずの人もいるというから
命綱はほしいけれど、タンノイを壁に並べてウンウン唸っては、
人は時々笑っているらしい。
魔の山を、タンノイという尾根沿いに八合目くらいまで登ると、
着流しであごひげに触って周囲を眺めているのは五味さんなのか。
ヘリコプターでエベレストの頂上に立った輩をどうと言わず、
あの物価高い時代に五味さんの登ったタンノイ口をあとから行ってみて、
書き残されたタンノイの景色は考えさせられる。
ダンボール箱から出てきた芸術新潮の1976年7月号に
五味さんの不思議な部屋の写真があった。
茶室のような部屋の壁に並んでいるのは、
『オートグラフ』と『コーネッタ』と『ⅢLZ』である。
五味さんは、何者かが持ち込んだコーネッタを、ありがた迷惑に預かり、
翌日試聴した感想を書いている。
そこにオートグラフと違った良さを認め、生き返ったように鳴る10インチユニットの
エンクロージャーの抜群の効果に驚きと賞賛を惜しまない。
「追放するつもりでほうり出してあったカラヤン指揮の第四番を掛けたのだが、
正直、この時ほど近ごろ興奮したことはない。
まぎれもないベートーヴェンのアダージョが鳴ってきた。
こんな駘蕩たるアダージョをベートーヴェンでわたしは聴いたことがない。
カラヤンの入念な配慮が臭みとしか受取れなかったし、俗っぽい嫌みと思えていた。
それが適度なやさしさに変わるのである」 ―要約―
オートグラフと比べて、ややかぶりつきに居て舞台を眺める感じであるが、
10インチのユニットがⅢLZの箱とは比すべくもなく、
本当ににすばらしいと五味さんは堪能した。
以前、福島の天神村というところからおみえになった客人が、
「6畳の部屋にロイヤルを据えて聴いています」
大いにマジメに申されて当方を感服させたが、
ジャズもクラシックもかぶりつきの間合いにあり、相撲で言えば砂かぶりの、
そこでしかわからない興奮と緊迫の情景がある。
タンノイはさまざまに鳴っている。
2007.5/1


伝説のタンノイ

2021年03月04日 | タンノイのお話


「タンノイ・ウエストミンスター」を導入しようか迷い、
付添人は良いも悪いもかたくなに申さず、詳しい背景はわからない。
ある晴れた日、我々はそのようにタンノイを選んだ日が有った。
だが、
タンノイを聴こうとしても、そこにタンノイは無い。
あるのはタンノイという名前の造形であり、聴いたというのは音源ソースだ。
「タンノイが鳴ったのを、聴きました」
写真にも撮り、音は録音機に収めました。
おいしい料理や会いたい人があるように、
あれは良かったね。と思い出して足が向く。
そのような人騒がせなスピーカーを考えた人は誰なのか。
期待は拡散から収縮に、隠れて伝説になるといわれる。
お客は、2枚のレコードを控え、
二人で運べる重量か相談をされて、
持つべきものは友である。
2007.2/14


Anita O'day

2020年10月16日 | タンノイのお話


アニタ・オディの唄う『サントワ・マミー』を聴いてみたかった。
アダモの唄は、女心を忖度していささか痒い気分がせつない。
さすがにジャズ・トリオでこの演奏をしても、ボーカルがなければ
「道を説くキミ」になってしまうのか。
熟年になってアニタ・オデイの唄声はパワフルで、
白人の喉にめずらしい貫禄がある。
むかし聴いた全日空のコマーシャル「イージー・ライフ」はタンノイで聴くと
弩迫力で誰の唄かと驚いた。
表現に幅があるので、シャンソンも頼まれれば歌詞をさらって「クスッ...」と照れながら、
それなりに唄ってみせたのではなかろうか。
彼女はA列車で行ってしまったので、
いろいろ想像するだけで、実現はかなわぬこととなった。
2006.11/25
言い古るされた事であるが、
アニタ・オディを、JBL、アルテック、タンノイ、3種のスピーカーは、
同じレコードを、それぞれ、まったく違う声で鳴らす。
タンノイを聴く人は、どれがJBLで、またはアルテックか?
必ず聴き分けで笑う。
問題は、それがタンノイより、良く聴こえる場合である。
だから笑っている場合ではないと、気が付く。
タンノイを信じている。
秋になって、毛布を1枚提供があった。