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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

2台のピアノ

2022年07月19日 | ライブ演奏を聴く


オーディオ・サウンドを楽しむ者が
ステレオ装置のピアノ定位にこだわるとき、
2X = 2X
という単純な事実を、ジャケットが親切に黙示している。
2013.9.28
しかし、ベースが左から聴こえるのが良いか、
右から聴こえると、アレと思うね。
オーケストラは右だが、
喫茶の客人もそう申しておられる。

342号線のモニュメント

2022年07月19日 | ライブ演奏を聴く


一関市街地の4号線からスタートする342号線は、
岩手側の道程を磐井川と並んで走り、
厳美の先で写真のように最も接近して、
やがて須川岳で源流を抜き去ると、
秋田湯沢市まで長い道は続いている。
歴史的に342号線は、シルクロードが遠くオリエントの時代から
平泉をめざしてきた交易街道のひとつであり、
独特の風景が見せる観光だけではない意味をもっていた。
厳美の先の骨寺荘園遺蹟に、面白い建物が完成している、
噂をきいてちょっと車を走らせると、
『交流館 』 という建物は、忘却しそうな中世の歴史の一瞬が、
目で見る姿になって楽しい時間が留まっていた。
広いテラスに出てみると、
草原の遠くに黄色い岩の壁が長く連なり、
ちょうどシルクロード・オアシス敦煌の石窟のように見え、
どこかで出会った案内の人に、
「洞穴など残っていませんか 」
思わず尋ねてしまった。
珈琲を喫しながら、敦煌の莫高窟文献を思い出して
いつまでも眺めていたいと思わせる風景である。
2013.9.27
源交易時代の古人も、菌には悩まされて、
渡来人専用の隔離迎賓館を造っている。

きょうは、バッハ

2022年07月15日 | ライブ演奏を聴く


ルージイッチコヴァ女史が参加する演奏は、
スイングしている。
J・S・バッハの「チェロとクラヴサンのためのソナタ」を
フルニェと合奏しているのを聴いて、
チェンバロの高域音の濃さや輝きの連続した変化を
あまさずとらえ、チェロのしっとりと甘美なつややかさ。
いったいどのアンプが良いのかや。
2013.9.26
連休に向けて、ウイスキーを準備する職業は、
使、司、師、士、員、者、家、官、人、長、職
ありませんか?
まあ、いいでしょう。


ニューヨーク

2022年06月19日 | ライブ演奏を聴く


グリニッジ・ビレッジのワシントン・スクエアから
ミッドタウンを通り、セントラル・パークの東沿いを、
北にハーレム川に突き当たる。
1900年代はじめニューヨークに住んだ永井荷風氏は、
五番街を第五大通りと書いている。
鍵盤を右手と左手が交差するところを聴いて、
ニューヨークも、いま秋。
はて、このジャケットと思ったそのとき
南部煎餅の詰合せを拝領した。
2013.9.16
福島から建築監督と建て主に見えるお客であるが、
さーて。

The Eagle has landed

2022年04月28日 | ライブ演奏を聴く


五月の連休の終わりに、
千葉のジャズ愛好家と、モールス信号熟練のお客がお見えになった。
「そこで購入してきました 」 と 
『インドの哲人レーザーデスク500円也』 を見せていただいた。
われわれたいていの映画は見ているが、
J・ヒギンズの『鷲は舞い降りた 』 は1975年に刊行され、
ベストチャートで6ヶ月連続一位の人気小説である。
映画では、チャーチル宰相誘拐に英国の寒村に潜入した
クルト・シュタイナにむけて、ドーバー海峡をフランスから伝書鳩を飛ばし、
潜水艦到着日時を知らせる重要なシーンが有った。
無線通信機ではなくハトを使う理由は何か。
当時の暗号電信はドイツではパソコン型の『エニグマ 』 が有名で、
三枚ローターを連結換字する傑作であったのに、
連合国はこれをすかさず解読して終戦までとぼけていた。
まさか、263=17,576換字のエニグマが解読されていようとは。
このような大がかりな機械は、とても携帯できなかったはずである。
チャーチルの同時代に、山本五十六提督へ
真珠湾攻撃の御前會議通達を知らせる無線を
船橋無線塔から発信したトンツートンも、解読されていたらしい。
戦後になって、アメリカ公文書館は解読ペーパーを公開している。
当方もむかし趣味で暗号表を作ったものであるが、
あっさり解読されたうえ、「換字が間違っています 」 
チェッ。 指摘されるオチがついた。
”The Eagle has landed” は1969年に、
アポロ11号が月面に着陸した時のコード。
2013.5.6

ウエスタン16A

2022年04月26日 | ライブ演奏を聴く


タンノイ装置を充分享楽したオーディオ愛好家が、
個人でいよいよ一気に狙うのはこのスピーカーである。
むかしアメリカの映画館の銀幕裏にあったスピ-カーで、
ウエスタン16Aという。
なぜこのような業務用のものが、個人の部屋に必要なのか ?
それは、船でいえばタイタニック、戦車でいえばキングタイガー、
車で言えばランボルギーニ、作家で言えば芥川龍之介、
ワインで言えば。
本当に音楽に埋没するには、このようなスピーカーが良く、
聴くというより、文字どうり音楽の中に入っていく装置である。
だが、このスピーカーを満足に鳴らすためには、非情な工夫がいり、
オーケストラの弦の繊細な透明感を得るために部屋の構造から考えねばならない。
これまで聴いたあらゆる音楽、
ベートーヴェンでもマイルスでも、
忘我の境地に誘われる異次元の音像が聴こえるように、
ウエスタンエレクトリック社は技術を見せる。
アンプの真空管1本でも人道法的にサイフが痺れるわけである。
いちどこのスピーカーを聴いて、
これはだめだ、と思うか、これはいけると思うか、
ウエスタン16Aは、笑っている。
数学的に矛盾はなくとも情で納得できなければまだ真実ではない、
と 岡潔は言ったが、いかにもオーディオも夢で、
見ているだけで楽しい。
2013.4.13
柳之御所から束稲山を眺める道を通ったところ
第一級の景色が見えた。

『AR-LST』

2022年04月24日 | ライブ演奏を聴く


一関から栗駒山を越えて80キロ行ったところが、
秋田湯沢市である。
金箔仏師はROYCEに登場すると、言った。
「雪は人の丈ほど、まあ積もります 」
御仁は、積極的に言葉は無いがオーデイオに精通しているような、
気がする。
いまご自宅で鳴らしておられるスピーカーのことを聞いて驚いた。
―― たしか、それは百万ほどしましたね。
「そんなにしたの・・・ 」
御婦人は初めて耳にした数字に、動ずるふうでもないが、
ちょっと呆れたご様子。
「いや、あれは中古だから、 」
御仁は、軽くいなした。
―― これまで、どのようなスピーカーを鳴らしたのですか。
「AR-LSTなどで、次が4343だったかな 」
『AR-LST 』は、当方がこれから予定にしているひとつであった。
「良いとは思いましたが、望んでいた雄大なスケールには鳴りませんでした 」
密閉のエンクロージャーに9個もユニットが装着されているLSTが、 
巨大なパワーアンプによって、エヴァンスやウイーンフィルを、
目の醒めるような雄大な音像に結ぶところを漠然と想像した。
ぜひ聴いてみたいとますます思った。
2013.4.2

厚木の客

2022年03月21日 | ライブ演奏を聴く


ゲートを入ると、そこはアメリカ。
にこやかな米軍人達が総出で案内役になり話しかけてきて、
要所で待っている女性隊員も全員満面の笑みで、
売店の陳列商品はアメリカから直接運ばれたものである。
「カメラのシャッターを押しましょうか? 」
会話は英語であるが、コカコーラの缶が茶筒のように大きい。
毎年、基地解放サービスデーは、飛行機や基地内を見物に
人々が集まるお祭り日であった。
ところが、いまから65年前の1945年8月30日は、
厚木基地から、日本は大変な日になった。
敗戦の日本は、帝都の防空を一手に担っていた飛行機の
プロペラをすべてはずされ、進駐軍総司令官が飛来した日である。
サングラスにパイプをくわえ、ゆうゆうとタラップを降りる
マッカーサーの姿をニュースで見るが、それが厚木飛行場であった。
マッカーサー将軍は、昼食に向った横浜の接収ホテルのテーブルで、
皿の鯨肉を切って、一口食しただけでウッ、 と無言でフォークを置いた。
日本人にはせいいっぱいの、いま残っているご馳走だったのだ。
翌日、厚木基地にロッキード貨物が百機ばかり飛んで来て、
満載の肉や物資を下ろしていたと書かれている。
VOA放送やFENも、このとき一緒に進駐軍とやってきて、
ジャズの新しい風が日本に入ってきた。
そのうえマッカーサーの子弟もアメリカに戻ると、
ジャズ・ピアニストになっている。
きょうの夕刻、ROYCEの前に白い車が停まって登場したのは、
どこかそつのない御仁であったが、しばらく話を聞いていると、
どうもジャズを知っているようでもあり、本当は知らないようでもある。
このような客人が、意外におもしろいことを話してノリがよい。
厚木に住んでいたことがあるとのことで、米軍基地の一般解放日のことや、
いろいろな見聞を昨日のように話してくださった。
厚木飛行場は、地平が見えるように広かった記憶がある。
2012.4.22


ウイング効果

2022年03月17日 | ライブ演奏を聴く


『マーラーの千人 』 を、サントリーホール無人の客席にて、
ただ一人ライブ鑑賞する。
幻想生活を夜な夜な楽しく、趣味のオーディオ人は取り組んでいる。
むかし夜勤明けで、オーケストラ最前列に本当に居眠りした失敗から、
髷を結った五十万石の大名の品格胆力なければ、
ひとりサントリーホールで鑑賞できるものではない。
都電が走っていた時代に五味康祐氏の取り組んだ、
気宇壮大オーディオのタンノイ・オートグラフをうらやましく想像したものである。
五味氏の回想を繙くと、浪人時代 空腹で翳む気力をこらえつつ、
氏は某邸宅のオーディオ音楽を聴きに向かった。
レコードが鳴っている時、障子戸が開いて、
女中さんが、亭主が機転の茶碗を五味氏に差し出す。
超空腹の胃は耐えられず、呑み込んだ生卵は逆流していた。
五味氏苦難のタンノイは都の施設にて再び整備され、
抽選でご開帳がおこなわれたが 。
天候の緩んだ冬の日、水戸藩から4人の来客があった。
運転の人以外、水戸街道と奥州街道を、ビールと音楽談義に花を咲かせ、
一気に北進された。
あたらしく加わった御仲間は、ラックスのCL-35Ⅱによって長い間、
音楽を楽しまれていることを慎重に、話される。
当方はラックスSQ38FDで、幸福な時があったことを思い出した。
「先日、五味さんの例の装置を、聴いてきました 」
―― いかがでしたか
「わたしも同じような装置を持っていますが、やはり、 
オートグラフは期待どうりの良い音でした 」
―― アンプはマッキントッシュの275でしたか。
「そうです。その日はオーケストラではなく小編成でしたが、すばらしい音で、
整備に費やした関係者の努力が充実したものであったようです 」
五味さんは、ジャズをお聴きにならなかったので、 
弦楽編成とピアノ、声楽などに傾注した装置のはずである。
プリアンプの12AX7球は○○を挿して有るのでは ?
などとさまざまに一刀齋の音を想像し飽きなかった。
オート・グラフを部屋の左右に設置して、ホールのような静寂と音圧を
得ようとすると、室内の広さはどのくらいを要するのだろうか。
吹き飛ばされそうなオーケストラの迫力も、工夫しだいで
茶室のタンノイといえども不可能ではなかろうと考え、
小柄なスペンドールやⅢLZによって、
地の底から湧くような重低音を、じつは体感したいものである。
雄大な音像を得るウイング構造を頑丈な板で造り、
ウオールナットの塗装をして衝立バッフルの効果オーケストラはいかに。
2012.3.4
おや、空襲警報だ 。
携帯が激しく鳴っている。

ビレッジ・ヴァンガードのビル・エヴァンス

2022年03月16日 | ライブ演奏を聴く


ジョン・F・ケネディが大統領になった1961年、
6月のニューヨークは、盛岡の緯度にあり暖かであった。
ライブハウスのビレッジ・ヴァンガードで、
エヴァンスの連続ライブが行われた最終日、記念すべき25日の日曜日に
居合わせドリンクを飲んだり笑ったりした人々には、たまさかワッハッハの
笑い声まで録音されて世界中で永遠に鑑賞されることになるのであろう。
ラファロの演奏の目立ったナンバーの『サンデイ・アット・ビレッジ・ヴァンガード 』 と
何度か聴き比べると、エヴァンスの曲の流れでカッティングされた、
一方の『ワルツ・フォー・デビィ 』 盤の選曲に、プロデューサー、
オリン・キープニュース氏の慧眼を感ずる。
LPは、A面B面それぞれ三曲の組み合わせが、足すも引くもいらない
五言絶句になっているのではないか。
春眠 暁を覚えず 処処 啼鳥を聞く 
非日常の仙境を音の流れる、ビレッジ・ヴァンガードの日曜日は、
ほかにも繰り返し演奏された各バージョンのあることは誰も知っているが、
すべてをコレクションすることも可能であり、CD盤のほうが数曲多いと慶祝に思うもよし。
さて、二月に寒さをものともせず山形市からの途中Royceに立ち寄った青年は、
ビレッジ・ヴァンガード連続ライブの余韻を、冷たいコンクリート壁を背に、
レコード盤とジャケットをためつすがめつ手から離さず、盤まで引き出して、
タンノイで聴いて、記憶の脳内のイメージと違ったらしく、
「これはオリジナルですか ? 」
むかし盛岡の学校にかよっていたころ周囲のジャズ喫茶に、かよって目覚め、
「おそらく一生、自分の中心にジャズは在るのでは 」
などと、とんでもないことをあっさり言っている。
まえにも話したが、あるとき訪問したお宅のソファのわきに「五味康祐-西方の音 」
が落ちていて、テーブルの上に『ワルツ・フォー・デビィ 』 の青盤があった。
小鉄MONOカッティング盤をそこで初めて聴いて思ったが、
装置の違いなのかおそるべき音がして、さらにおなじUS青盤は五万両するという。
『ワルツ・フォー・デビィ 』 もまだまだ新しい局面がありそうだ。
むかしROYCEに来たご近所の客人が申されるには、
以前ニューヨークに行ったときのこと、気を利かせた現地の友人が
ヴァンガードのライブに連れていってくださったそうであるが、
「ジャズに関心がなかったので、チョッキを着た彼の演奏もピンと来ませんでした。
部屋のどこかにプレイボーイ裏表紙に載った写真があるはずです 」
どうやらエヴァンスのライブも、ほかに関心が向いていては、しかたがない。
1959年に、エヴァンスはドラマーのポール・モチアン、ベーシストの
スコット・ラファロをメンバー歴史に残るファーストトリオを結成した。
スタンダードナンバーの独創的な解釈もさることながら、即興性に富んだメンバー間の
相互作用が高く評価され、ピアノトリオの新境地を世に示し、ジャズの楽しみを倍増させた。
このトリオで収録した『ポートレイト・イン・ジャズ 』 『エクスプロレイションズ 』
『ワルツ・フォー・デビイ 』 および同日収録の『サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード 』 
は、「リバーサイド四部作」と呼ばれる。
しかし、『ワルツ・フォー・デビイ』および『サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード 』 
の収録から11日後、ラファロは1961年7月6日に25歳で交通事故してしまった。
2012.2.24

塩竃市のエクスクルーシブ装置の客

2022年02月12日 | ライブ演奏を聴く


一関から直線で70キロのところにある『塩竃市』まで、
芭蕉が『奥の細道』をやってきたのは、
ちょうど今の季節の雨のそぼ降る5月である。
塩竃に入る前の芭蕉は、清少納言の父の詠んだ歌
末の松山 波こさじとは
の松をたずね、多賀城の歌枕ポイントに立っていた。
百人一首にもある句の情念にはただならぬものがあり、
平安の御殿人のコンセンサスとして、
「いかな津波ががんばっても、この松山を超えることはないでしょう 」
と歌われていることから、震災の二ヶ月毎日いろいろな人が、
芭蕉も眺めた太い見事な松を遠方から確かめに来ているらしい。
千年言われて来たことが、はたしてどうなのか、
世間のひそかな関心事があった。
雨の中、塩竃の宿について旅装を解き、
焼いた海魚を酒のさかなにしみじみしていると、
どこからともなく琵琶法師の音色がきこえたと本文に読める。
音色もタンノイの世界であるが、よくじつ芭蕉が塩竃神社に詣でたところ、
宮柱太く石組みも堂々とした境内に鐡製の古い灯籠があって、
五百年前に平泉の『泉三郎』の寄進と、銘があった。
義径を最後まで接待して落命した泉が城の館主のことで、
平泉館藤原秀衡の三男は忙しく、広範囲の日常業務に
気配りを持っていたことが忍ばれ、このことをわざわざ記した芭蕉の
旅の下調べに、充分な気分は早くも平泉にあったようだ。
そこで当方も母屋の家族と『松島』に足をのばしてみたが、
明るく波間にうつろう風景のすばらしさに発句どころではなかったほど
たのしい気分で、芭蕉も、いよいよせまった平泉に気を取られていたとき、
松島の波間に船を浮かべる油断が絶好調で、ただ遊んでしまったのではないか。
みちのく路を歩む芭蕉には最終目的地、平泉の歌枕がいつもこころに浮かび、
五月雨に降られたりすると、あめに煙る金色堂のことが脳裏に浮かんでしまい、
目的地に着くまえに早くも、 
さみだれの 降り残したり 光堂 
句は出来上がってしまっていたのではないかと想像する。
塩竃、松島に居ながら、心は旅の全編の龍の眼になる平泉の句を創っていたとすれば、
残るは、「てにおは」であるが、『ふりのこしてや、』の『や』がおもしろい。
たとえば
さみだれの ふりのこしたぜ ひかりどう    は、JBLの鳴りであり
さみだれの ふりのこしたり ひかりどう    は、その他のスピーカーで
さみだれの ふりのこしてや ひかりどう    の『や』の表現が、タンノイの世界である。
我が子をほめても怒っても、きかされた人々は迷惑なだけであるが。
芭蕉は、おくのほそみち最高傑作をいくつか心にしまって、
松島、塩竃ではそうとうスイングしていたのではないか、
まるで期待のオーディオ装置をこれから聴くような気分のことである。
芭蕉の参詣した塩竃神社は『しおつちのおじのかみ』が
下総、常陸のほうから渡って最初に杭を打ったので奥州一宮といわれたが、
Royceに五月に現れた御仁は、この塩竃の地にエクスクルーシブの
ウッドホーンのついたタイトで剛毅な装置を備え楽しんでおられる。
考えてみると、マニアは、たいてい腰の抜けるようないい音を聴くと、
まず無口になってしまう。
何度も「おっ、いいですね」と申してくださったので、
とても気分の良い客人であったが、
「ああ! ちっ 」
などというマニアの独り言がレジオンドヌール勲章の褒め言葉とすれば、
「いいですね」 は、瑞宝章くらいか。
御仁は、MC昇圧トランスに何を使って鳴らしているか音を気にされているので、
本気がわからず適当に答えると、わざわざマランツ♯7の奥に隠してある物体を
御自分の眼で覗いておられたところが、本物のマニアの凄さというものである。
さみだれの 降りのこしてや 光堂
これが、いよいよ世界遺産になることについて、功績は芭蕉にもありそうだが、
芭蕉ほどになれば想像が現実にまさっているので、
まだ見ぬ金色堂に気を取られるあまり、松島の地では
情景に、刀を抜く暇がなかったのか。
ああ 松島や まつしまや
だなんて、当方も行ってみましたが、刀を抜かず手を抜いたのでは?
2011.5.22
左手にコロナ。右手に鳥インフル。自然は手品師かいと川柳。


春一番

2022年02月09日 | ライブ演奏を聴く


春一番の強風の翌日、余震の隙を突いて、電話が鳴った。
受話器の向こうに聞こえたのは、
四弦を操る記憶のベーシスト荘司氏の声である。
「いま御市の手前のパーキングエリアに居ますが、
店を開けておられるならちょっと高速をおりて珈琲をいただこうかと思います」
テレビ画面に見る谷啓氏と、どこか似ているやわらかな表情を思い出した。
震災のこの時期にこそ、普段当たり前に浸ったジャズの気分が懐しい。
四月のツアーを、仙台、三沢、三戸、大館、大仙、酒田と、
ロードマップにめぐるそうであるが、
「ご無事の建物を拝見して、ことほぎたいものです 」
電話はご親切に申されている。
当方は、脳裏にアイデアが灯った。
DUOの奏する『虹の彼方に』をお願いすれば、
眼前にライブ演奏が、幕臣松平公の大広間気分で現れるのか。
錆びた金庫は頑として開かないが、このさいやむをえない。
まもなく店内に入ったお二人は、室内を見回してうなずくと、
このあいだの演奏音響が録音スタジオのように響きがよかった記憶を、
無言のカリスマ中川氏と奏してみたいと申されたのが、好都合である。
さっそく譜面台が組まれ、楽器がケースから現れるのを見ながら、
ご自宅の住居も地震が強烈で、ご婦人よりもべースのケースを抱いて避難
したところが問題ではあるが、大切なウッド・ベースがセットされ、
いよいよブビビル、ブッビビン、と4月の薄花色の空気に流れ出した。
荘司氏独特の弦を操る指さばきがクリヤーな音を響かせて、
左手のフレームと一体に連動する指が、プフとかブピとか弦に触れて鳴るのが、
メロディーにことのほか抑揚を与え録音に聞こえない豪華さである。
床を這い軽やかに飴色のウッドベースから響きが流れていったが、
一瞬の間隙をついてカリスマ中川氏は、サクスのバオ!としたメロディの開始を、
開口部の先端にご自身が立っているような切実な音の切っ先を響かせて、
もし大勢の観客が、節分の仏閣の演台の周囲に参集していれば、
すかさずドッ!とありがたい気分でスタンディング・オべ ーションが沸いたところである。
しかし英国式には、延喜式のように静かに感動を溜めて、長く味わうのがタンノイだ。
冗談の優れた荘司氏は、
「タンノイのなにゆえかは、およそ記述で承知しましたので、
一年後にでも感想を披瀝してくだされば」  合いの手も流石である。
当方は、1曲が終わった流れを遮って、めったにねだってはならないリクエストの、
『オーバー・ジ・レインボウ』を、ずうずうしく希望した。
「ああ、その曲なら、有名なジャズナンバーですから、いきましょう、
我々は、レパートリィも千曲以上、たいてい大丈夫です 」
楽譜をちょっと捲る様子に、むかし某所で見たコルトレーンナンバーを、
代わりに演したマルサリス氏が、楽譜をめくる様子と腰をかがめ譜面を片手で
広げる角度が堂々としてそっくり蘇ったのである。
『虹の彼方に』の演奏については、ジャズ好きならパウエルやティータムや、
ペッパーやゲッツなど、いろいろな音色で脳裏に彷彿とされることであろう。
だが、この日、ベースとサクスで、余震の間隙をついて繰り広げられた演奏は、
当方にとって松平公の日記の気分まで斟酌できたところが望外の喜びであった。
殿様おそるべし、ライブ世界である。
ご自分の演奏に、あまり手放しで虹の彼方に行かれてもこまると思われたか、
荘司氏は、一言、付け加えたのが聞こえた。
「オーバーザレインボーもよろしいですが、
最初の『ウッドストーリー』はわたしの作曲です 」
2011.4/22
地震のお見舞い、有難うございました。

弥生の空

2022年02月07日 | ライブ演奏を聴く


空が 屋根の向こうに あるごとく
一本の木が 広げた手のひらを屋根の向こうに翳して
3月は 静かな青さで たたずんでいる。
P・ヴェルレーヌ氏の言葉を借りて
Royceのそとの風景を見たとき、
エンジンの音がして登場されたのは『フラゴン』氏であった。
「フラゴンは、コーンの振動が大きいとき、異音がするようになりました、
調整が必要です 」
個人情報を、事もなげに述べられると、Someday Sweetheartを聴きながら
アルテック銀箱の写真をご婦人とながめておられる。
いつも慎重な言葉を選んで概観を述べる御仁につき、
最小のキータッチでジャズを語る有名な団長よりも
さらに少ない言葉の、先にあることを当方はしばらく考えた。
一方、出張から戻られた客人が隣の席にいて、
麻布の三つ星洋館の地下ワインセラーのことを子細に話してくださった。
テーブルの前にワインをサービスしなさい、
と遠回しに言っておられるのだろうか。
いわゆる、ジョーク。
この時間に摂する、時期外れのBEAUJOLAIS Nouveauが、
良い味がしているのがおかしい。
2011.3.6


シャコンヌ

2022年02月03日 | ライブ演奏を聴く


年の始め。
2007年の地球上のすべての年金プールは1900兆円であった。
サバンナの上空を、ジェット気流のように還流する人類の蓄えを眺めていると、
ついにこのごろ当方の上にも、野辺の朝露のように
わずかに、降ってきた。
モダン・ジャズに、それをどうこう云う短調はない。
バッハの『シャコンヌ』 を、かりにジャズで聴いてみたいと、
シャワーを浴びる一時、考える。
バイオリンの原曲ソロそのままに、トリオがまるで一個のように
渾然一体、ダイヤモンドフォーメーションを組んで一糸乱れず、
低音部はどこまでも深くベースとドラムスが掘り下げて、
ミリオンセラーの演奏を渋く、しかし明るく演奏するところを聴きたい。
そうなるとサクスはコルトレーンで、
ドラムスは変拍子も得意の繊細なシェリーマン。
ベースはフォービートの権威チェインバースがあたれば、
いっけんスタイルの分離した面々が、ジャズによって
多角的にバッハを解くのか。
16分のストーリーを、3分ずつソロで各自が解釈をみせ、
途中の要所と後半は圧倒的荘厳に、
なおかつひとつの連結した楽器のように、
バッハの真髄にせまる。
ギュンター・ノリスの質素なサウンドとは反対の骨太に、
ベイシー楽団のパーツと遜色なくお願いします。
最初の詠嘆の開始が決定的に重要で、
短調を長調のようにブワッとかなりの抑揚と演繹をみせながら、
時には借りてきたネコのように意表を突いて
そろりといきましょう。
その数日あと、
「これはシャコンヌですね 」
タンノイを聴いていた客人が言った。
ふと、ジャケットをみるとそこに『グリュミオー』が、
名器を駆使してバッハを解いている。
やはり、ジャズ演奏でこのフレージングは困難かな。
堂々たる深々としたビオラのような低音弦と、間欠泉から吹き上がる勢いで
高音弦が同時に五線譜を走っているところを聴くと、
この演奏を超えるのは容易ではない。
客人は、最近、タンノイをご自宅に設えたのである。
同伴の女性は、ほのかにバラ色の香りをさせ、
当方のテーブルの向かいの席にいて、
「コルトレーン って人の名前でしたの? 」
瞳を輝かせて言っている。
それが読売ランドの観覧車に乗ったときの風景と、
なるほど、はっは。 やや似ていることに気がついた。
隣のテーブルの客人が「ヨメさん 」と言ったので、
どうやらご夫婦である。
離れた席の男性はテレビドラマの訪問者のかまえで、
「父が使っている装置はヴァング・アンド・オルフセンです 」
と、感情をみぜずに申されていたが、
三軒茶屋のKT氏の宅で聴いたモンクの音を思い出した。

2011.1.1

WOOD STORY

2022年02月02日 | ライブ演奏を聴く


ひとに誰も、おじいさんとお祖母さんがある。
明治の祖父は、囲炉裏でいつも自己流の義太夫をうなっていたが、
あるとき小児の当方が、『練炭コタツ』に腰まで入って
漫画を読んでいたところ、なにやら足元が熱くなった。
のぞいてみるとズボンに火がついているではないか。
驚いてコタツから飛び出したところ、ボオ!と一気に
炎が大きくなってカチカチ山である。
驚いて板敷間を走りだすことしか知恵がなかったが、
祖父も驚いて義太夫をやめ当方を追いかける。
隣室で来客と居たブンコウさんも駆け込んで来て、
DUOで追いかけてきて一瞬の間に捕まり、
四つの素手をバタバタとズボンの炎を揉み消した。
みな、何事もなかったように元の位置に戻り、当方も
ズボンをはきかえて、またコタツで漫画を読みだした。
孫に甘い祖父も、当方が割箸の先に針を装着した矢で、
フスマにダーツ遊びを仲間とやるときは、おこっていた。
良い絵が描いてあったらしい。
祖母は、当方が生まれたときすでに他界していたので、
写真で面影を知るのみである。
師走をひかえたひるめし時、二人の黒服が現れ、
当方のような峠の藁葺きの茶見世に丁寧である。
一方は、奥行きのある笑顔が谷啓を思わせ、
一方は祖父の若いときの明治の気骨を漂わせ、
あくまで礼儀正しい無言の御仁であった。
「タンノイは、なるほどこのような音色で、なかなかけっこうです 」
あたりさわりなく聴いておられたが、室内の反響をしきりに見回し、
「ぜひ自分たちは、車に積んだ楽器をここで鳴らしてみたいのである 」
タンノイ以上の楽器があるというのか、二人の黒服は、狭い空間で
サクスとベースをいまからDUOでライブを、と気前よく言った。
―― 母屋に錆び付いて開かずの金庫の残高が合えば、そのときは一人百万でどうですか。
「では前祝いに、ちょっとやりましょう 」
ニューヨーク仕込みのジャズをタンノイに聴かせてくださるそうである。
まもなく楽器をかまえた二人のつらだましいが、
レンブラントの絵のように、さまになっているのを見て、
本物だと気がついた当方は席を離れて母屋に走った。
「すぐに来て。 いま新しいタンノイが聴けるから 」
待ち構えていたベースがドーン!と、すさまじい一発で弦がぶるぶるゆれ、
静かな語りかけるようなイントロがはっとするような溌剌とした美しさ。
追いかけて気骨のサクスが、意外に艶っぽく、しかも話のわかる、
おとなの気分を全開にして次第にスタンダードナンバーは圧倒的である。
目前のタンノイと重なって透徹したジャズのフレーバーに油断した当方は、
となりに言った。
「この演奏は、キミへのプレゼントだから 」
すると、眼の前で聞きとがめたベーシストが、
楽器の裏からにゅっと顔をのぞかせて言っている。
「事前の商談もなしに、一方的に話を進めてもらっては困ります 」
どうも、聞こえていたらしい。
二人のDUOは、ニューヨーク仕立てというよりイギリスの気品を
サウンドにみなぎらせたが、鍛錬の技量さりげなく演奏に透かし見せたのか。
もしタンノイノのジャズに、人の陰影というものがあるとしたら、
このような人々の音楽が到達して得たものかと、嬉しかった。
2010.12.18