goo blog サービス終了のお知らせ 

ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

伊治の柵

2022年08月08日 | 訪問記


テレビも車も生活の風景に無かった子供の頃、
人はみな歩いていた。
師走の深夜の通りを、大勢の人がゾロゾロ、どこかに歩いていく。
「がやがや、ひそひそ 」 
話し声と靴音が、店先の雨戸の向こうにしばらく聞こえている。
道を北の方角に八キロ向かうと毛越寺や中尊寺があり、
そこまで元朝参りに街灯も無い暗闇の奥州街道を、
市内大町、山目の人は歩いて行く。
正月明けて朝、起きると、
親が誰かと話しているのが聞こえる。
ゆうべ「たばこ 」 の立看板が家の前から無くなって、
数百メートル離れた沿道の民家の屋根に、ちょんと乗っていると。
「ヤロメラ 」
ブンコウさんのつぶやきである。
先日の冬枯れの風景を、奥州街道を平泉と逆の南に、
車で20キロほど走ると『伊治(これはる)の柵 』 はあった。
律令時代に、仙台多賀城の前哨基地として役所官衙の置かれていた、
栗原市の名所で、市の名前が「これはる 」 ときこえないこともない。
『川崎の柵 』 『覚べつ柵 』 と同じ時代にあったという場所を訪ね、
ともかく車を走らせるや、目当ての看板標識は視界に現れず、
とうとう大崎市まで行ってしまったことは内緒である。
急ぐ旅ではない、 いっこうにかまわない。
このような城柵計画は、二本の川の合流付近に造られるのはなぜであろう。
周囲をなつかしく徘徊していると、由緒ある寺院の門脇の看板に、
伊治柵の謂れが書いて有り、文章の途中に『覚べつ柵 』 のことがふれられ、
驚いた。  はたして、只者ではない。
持ってきた弁当を車内で味わいながら、日は暮れていった。
タンノイだけを聴いていると 『アルテック・ラグーナ 』 の音像は、 
ほとんど異文化か。
いつか、タンノイに似せて鳴らしてみたい。
2013.12.16

聴く鏡

2022年01月27日 | 訪問記


『聴く鏡』の御仁は、目の前の丸テーブルに居て、
薬師寺の座像のようにおごそかにかまえている。
店内にあるマルチシステムから放たれるジャズという名の即興音楽を、
十年ぶりに訪問し拝聴している当方は、ありがたい気分に浸っているが、
それもこれも、融通無碍の人物が急にやってきて、
「ぜひ 」 と誘われ、さきほどドアを二枚くぐったのである。
この店には四辰図のようなフェーズの音があると人は言い、
そのひとつは、店内の明るい照明におだやかな音量で鳴る音、
つぎにほの暗い時間帯にみられる透明で闊達な音、
次に、研ぎ澄まされた音の切っ先が飛び交って、
指で掴めるような空圧が左右の鼓膜をエキスパンドする強烈至極の音、
そして結界の丸テーブルに居て聴く天上の音とあるそうだが、
もうひとつ忘れてならないのが街の七不思議の一つに数える人のいる、
己の心に聴く謎の『鏡の音』である。
さて、融通無碍の御仁は、きょうの昼、急にやってくると、
当方が古くて新しいパソコンの部品構成に悩まされている隙を突くように、
「これから『聴く鏡』という著作にサインをもらいに行くので、
よろしければ様子をたまにはごらんになってはいかがですか 」
と、 それももっともなお話であった。
これまで長くその姿を知らない謎の人物について、
お客の噂のまぼろしが語られ、エスピレチンのように虚空を切っている。
昨日の客人も言う。
「秋田から電話したところ、いきなりガチャリでした 」
はたして本当にジャズは鳴っているのか。
休みがちも趣味のうちであるが、一度、音を聴いておけばそれで良い。
まだ客の居ない午後一番に店内に向かった当方は、
ジャズを聴く客席の位置をどこにするか選んでいると、
あいにくマリソン・ライターがそこに置かれていた。
「こちらにきてください 」 書籍にサインをもらったらしい
融通無碍の人物が奥の丸テーブルで呼んでいる。
いわゆる結界に、一歩踏み込んでいくと、『鏡の御仁』は、
JBLという仏閣の奥の間に、仁王のように鎮座してジロリと当方を見て無言である。
にじり寄って下座に、よろしくお願いしますと辞を低くし、
なにも返ってくる言葉がないので、かってに判断し椅子を引いた。
それから時計の長針がかれこれ10分も移動するあいだ、互いは黙っていた。
融通無碍の御仁は、まったく会話がないのでおそれをなしたか、
さっきひとり姿を消すしまつだ。
しかしジャズを聴く者はいざとなれば、誰も沈黙は、じつは得意である。
いっぽう、厚く積んだ原稿用紙に太いモンブランの二本を載せたまま、
じっと何か見えないものを見ている様子だが、以前会ったのは
かれこれ十年も前のことなので、おそらく記憶がないと思うが、
当方も先日、東京から来たと申される客人に、
―― 道でかの人物と会ってもせっかくだが、見分けができないかもしれない 。
驚いた客人は、親切であった。
「この雑誌に写真が載っていますから置いていきます」
しかし、そのような適当な写真に、だまされてはいけない。
ここに来るとき見てきたそれと、いま見る本物は、まったく違うではないか。
その様子は体躯もがっしりし、眼光するどく、くちを直線に結んで、
ゆったりとかまえ、微動だにしない。
それを撫愛想ともいえるが、健康そのものである。
しかたなく無言のまま、なんとも良い気分に浸って、周囲の壁面を
のんびり眺めジャズを楽しんだ。
結界の一角は、背後にレコードの再生ルームがあり、宗易の待庵の二畳
ともいい、これまでも貴重な歴史をきざんだ重厚な空気がただよって、
ほの暗いなかに周囲を取巻いて利休好みのような由緒の有り難い品々が、
いっけん無造作に並べてある。
雑然としながら魅力的に、ポートレートや記念サインや、
壁の片側の千冊積みの書籍など、御仁の歴史がそこからも眺められ、
せっかくこの店を訪ねる遠来の客が、チラとも覗けず、
はてはシャッターの下がった入り口を見たばかりで、再び新幹線で
帰る人も多いそうであるが、やはり再訪を促すのは、音ばかりではないのか。
客席から見て腰板壁に隔てられた空間については、
客席のすぐ側にあるにもかかわらず、古代中国の科挙
ともまがう御仁の詮議がまずあって、なかなか座れないと
royceに来るお客は申されているが、皆、払われるように
なかば呆然とし、憮然と応対の感想をのべている。
かりに、当方のように、望んだわけではないがかってに座って、
あいかわらずブスッと沈黙している鏡の御仁をまえに、くるりと九十度、
曲がってきこえてくるJBLマルチ装置の音を平然と楽しく聴いていると、
タンノイは至高の音ではあるが、なるほどこのような究極といってよいシーンのJBLに、
思わず内心、ニッコリだ。
そのうち、気がつけばサクスの音色があたらしく空気を染めはじめ、
柱の向こうに掲げてあるジャケットをサッと覗きにいくと、やはり『modern art』で、
ペッパーがサクスを横に半傾像している。
―― これは駅前のタルのマスターのお気に入りで、
喫茶の壁におおきく引き伸ばした写真を貼っていたんだよね 」
と独り言を、席に戻りつつもらしてしまった。
タルのマスターは、すばらしい。
するとなにかしらぬがややあって、目の前に菓子皿がすうっと置かれた。
お茶受けとは豪勢なジャズ喫茶だ、と感心して、
しばらく席を外して戻った融通無碍な御仁に
―― あなたが来たときもこのような菓子が出るわけ? 」
とお尋ねすると、
「いいえ、ぜんぜん...」
と笑っている。
菓子とは子供扱いか、と内心不思議でいると、
ドアの方が賑やかになって、車椅子の客が入ってきた。
迎えに行った鏡の御仁が我々の丸テーブルに誘導し、
交わされる話が耳に入る。
客人は、これまでJBLのマルチ装置を標榜して
研鑚を積んだいきさつを当方に言った。
「座標軸がわからなくなると、いつもここに足を運んで来たのですが、
ここの珈琲はおいしいですね 」
カップを太い指で摘んでいた。
そこで菓子皿をその客のほうに押しやっておいて、当方も 
カップの深い色の珈琲を覗いてみると、次々入ってくる客の
応対に忙しい鏡の御仁はしばらく戻ってこなかったが、
ふたたび突然こちらの前に、まえより大盛りになった菓子皿が
もう一個置かれたので、ぎょっとしていると、鏡の御仁は、
こんどは麦煎餅をビニール袋から取り出したその片手を、
にゅっと目の前に突き出して当方に食べろという。
裏千家でもなんでもよいが、日本一のジャズ喫茶の突き出されたお茶受け
というものを目の前にして呆然としていると、鏡の御仁は云う。
「こちらの土産の煎餅だが、秋田名産で、いくら食べても腹にもたれないんだよ 」
いわゆる茶席の亭主のような解説があった。
声の柔らかい「鏡の御仁」の顔を見ると、さきほどまでの構えた様子はどこかに消え、
意外に人なつこい笑顔で、ニコニコしているではないか。
そういう笑顔もできるのである。
いやはや、アート・ペッパーさまさまの、タルのマスター効果というものであろう。
そこにまた、ジャズ幾星霜という様子の客が入り口を開けドア越しに、
黒ずくめの当方を見てなぜかニコッとしたが、丸テーブルにいるこちらを
受付役かなにかに見えてしまったのかな。
客は、もう一つある丸テールに座ろうとしたのであるが、
どこからともなく吹く風にあっさり一般席に連れ去られてしまった。
その様子から気がついたのは、まずはじめに正面で正しくジャズを聴きなさい
という延喜式の初めのことわりのようなものと思うが、
当方も、特段の用事があるわけでもなく一般席でかまわなかったのであるけれど。
ところで、鏡の御仁の重用するモンブランの万年筆について、
キャップの頂辺にある白い星形のモンブラン山の冠雪を見てもらいたい。
むかしあるとき、隣に掛けている♀に、キャップの模様を見せて話していると、
ふーん、と♀は覗き込んでいる。
そこに突然人が現れたので、♀はなぜかあわてて、
1メートルもサッと当方の側から離れた。
それ以来、どうもモンブランの雪についてあやしいと、記憶がいっている。
2010.12.1


屋根

2021年06月13日 | 訪問記


屋根は陽除け雨避け、とはいえ、
空に描かれた伝承文化である。
「隣家の屋根の葺替えをします」
と棟梁が来て言った。
翌日、いなせな若い衆達が空に駆け上がって、
手際よく分解と組立てを始めたのを見た。
長方形の鋼板を二列合わせた接合部を、大型の万力でギュッ、ギュッとかしめつつ
ウエイトリフティングのように弾みをつけて降下していくのが見える。
10時と3時にいっとき静かになるのは、親が呼んでも中休みの
珈琲タイムで、そのとき廊下のウサギも思案顔に隠れていた姿を現し、
いつも松の枝から覗き込むカラス・ギャングとは違う光景に驚いている。
棟梁が、作業の終わりにヒモの先に吊るした磁石で
道路を探るのは、落ちた金貨か古釘なのか。
翌日、塗装師の親方が店舗に現れてリーチイン・クーラーを開け、
「ザ・ゴールド」を掴むと、言った。
「お宅のモスグリーンの屋根を見て、
ぜひ塗り替えてみたいという意欲に駆られています」
高い場所で恐縮だが、だいぶ傷んでいるので望むところ。
「どうぞお願いします。こんど富籖が当たった、その時に」
すると塗装師はにっこり名刺を手渡して去った。
塗りたてペンキのうえに桜の花びらが散らないように、
季節のタイミングは大切だ。
堤防の脇の小道を行くと、屋根の大きな家がある。
2008.5/3



マイルス・クリスマスセッション

2021年05月21日 | 訪問記


クリスマスに、マイルスの有名なクリスマス・セッションを聴いて、
1954年にタイムスリップする。
当方がゼンマイ蓄音機を最後に聴いたのは中里小学校で、
クリスマス・セッションのころの体育の時間に、木造の講堂に遊戯の輪をつくり、
チーチーパッパ、チーパッパと、盛大に鳴っていた曲に合わせて踊っていた。
突然音楽の調子が緩んで、メロメロになるときが来る。
先生は大急ぎに演壇に走り寄ってゼンマイのハンドルをクルクル回すと、
またげんきんにラッパは調子を戻すのを、生徒は誰も笑わなかった。
今となっては、なつかしい。
電気増幅でないのに、蓄音機はそうとう大きな音で鳴っていた。
やがて小学校の6年のとき、C先生が「明日は皆で水沢市に行く」と言った。
緯度観測所に同級生が働いているので、大望遠鏡を見せてもらえるのである。
C先生と観測所の同級生は「おう」という感じで、
久しぶりに会ったわりには無駄口少なく、
芝生の庭のドームにある、太陽に向けた黒い望遠鏡の筒元に
画用紙をセットすると、こう申してはナニだが、
ネズミのフンのような黒いシミがぽつぽつと現れ、
鉛筆の尖った先でそれをマークしてゆくのを、我々小学生は見た。
当時はこのシミが、地球の気候や、地震や、景気や、
ひいては女性のスカートの丈の変遷にかかわりがあることなど、つゆ知らなかった。
タンノイの調子と、太陽の黒点がかかわっているか、それはどう?
マイルスとモンクの不穏な空気は、太陽の巨大黒点フレアーによって
かくのごとく緊張さや走る演奏になっております、とご託宣した人も、いない。
「オレがトランペット・ソロを吹くとき、バックでピアノを弾かないように!」
ムム...そうだったか。
とりあえず、ケーキで珈琲。
観測員はこんな話もしてくれた。
「終戦直後の物資が欠乏したとき、水沢緯度観測所で乾湿計の針に繋ぐ
女性の毛髪が底をついたことをアメリカで新聞が記事にしたらしく、
ベティやマリーンなど、米国の女性からどんどん髪の毛が送られてきたのでびっくりしました。
日本人の長い黒髪がほしかったので、多くが使えなかったのですが、嬉しかったですよ」
2007.12/25


厳美のクリプッシュ・ホーン

2021年03月16日 | 訪問記


7-1 クリプッシュ・ホーン
「店舗に置いて有るので、触られほうだい、汚れています」
とうかがっていたが、或る日黙って客を装って行ってみた。
目的はただ一つ、『クリプッシュ・ホーン』である。
街道に面した暖簾を潜ると、ガウディの異次元のような不思議な空間があって、
奥のガラス張りのテラスから青葉に反射した陽光が射し込む、
時計の秒針も動くことを忘れるような寛げる広間であった。
右手のコーナーに、オーディオ装置と本格的なスタジオ調整卓が備えられて、
店主の並ならぬセンスをうかがわせている。
クリプッシュ・ホーンは、有った。
アメリカ製であることを、しばらく考え込む美しさを発揮して、
いかなる音像をも再現してみせるとでも言いたげに鎮座していた。
「よその装置と同じ音に興味はありません」
店主は申されたが、前に一度お会いしたとき、当方の3倍のテンポで
会話が飛んでくるので、非常に出鼻をくじかれた。
『ウエストミンスターロイヤル』とくらべて、いかにも弁舌さわやかに鳴りそう。
そのうえ腰の抜かすような低音でも出されたら、恐ろしい。
きょうのところは、黙って引き下がることにした。
いつかきっと、何年先か、心の虫が知らせるようなタイミングが来るであろう。
撮影した写真を前に考える。
当方は、クリプッシュ・ホーンのまえで、鳥肌をたてて聴き入ることになるだろうか。



7-2 WE INSIST!
スピーカーの拝見が済んだので帰ろうと腰を上げたとき、当方の連れが
奥から出てきた水兵服のキャプテンに呼び止められ、何事か話している。
その人物こそ、クリプッシュ・ホーンの所有者であった。
「どうぞ、こちらに...」
我々は招かれて艦橋のタラップのようなところを昇っていくと、展望台があった。
窓から周囲の景色が眼下に広がって、下の岩場にしぶきを上げる奔流は、
ちょうど帝国軍艦が浪を蹴立てているように見えなくもない。
やがて一人の水兵服を着た屈強な男性が現れて、
スイングする『ライ・クーダー』のように、外部との仕事を捌いている。
すごい部屋だ。
何というのは明かせないが、微妙なセンスとハガネの規律で、
粛々と全体の操作はよどみなく進んでいる。
眼下はるかに大勢の人が、
我々の居る艦橋を見上げて右往左往している。
作業の合間に、鳩談義が当方に飛んできて、ハトのように眼をぱちくりだ。
当方は子供の時15羽飼っていたから先輩スジにあたる。というわけか、
彼は水兵のキャップを取ると、 「宜しくお願いします」
さっとハガネの規律をみせた。
「月月火水木金金」 は当方に勤まりそうもない。
そうしているうちにも大量の業務連絡無線がキャプテンに入って、
いちいち読み上げてくれる。
いわゆる携帯メールのことだが。
油断していると、証明写真かなにかシャッターがパシャパシャ切られ、
壁に貼付されたのは「プリクラ」というものであった。
片面の壁が、大勢のゲストのプリクラで埋まっている。
おんや、『川向こうの御仁』もヒゲをたくわえて写っているではないか。
よろしい、当方もちゃっかり連れに合図して水兵殿とプリクラを撮った。
マックス・ローチの名盤『WE INSIST!』できめてみた。
「ところで鳩は何羽いるのですか?」な、なんと200羽!であるそうな。
驚くなかれ、飼うとは自分の鳩と他人の鳩と識別がつくということ。



7/3 ハマー
艦橋からの景色を楽しんで、ビビッドなクルーにリフレッシュされ、
ふわふわになって艦橋を降りた。
駐車場には、いつのまにか爽やかに着がえたキャプテンがふたたび登場し、
当方の連れの、そのまた連れと親しそうに、
「アイスクリームを食べに行きましょう」
などと言っているが、艦隊勤務はどうなっている?
そのとき、駐車場の一角に妙な車を見た。
「先日、ミジンコ博士も乗りました」
という助手席に、気が付いたときには当方もあやかって収まっていたが、
これと同じ車を記憶で捜せば米軍の『ハマー』が近い。
「たんなる営業運搬車で、なにほどのこともありません」
キャプテンは遠慮がちだ。
道幅いっぱいにしずしず進む車は、
あくまでのんびりとアイスクリームの店を目指した。
すれちがう車も沿道の人も「ンガ!」と腰が引けて、
葵祭りの山車でも見上げるように、好奇と畏敬の視線で見る。
助手席からフロントガラスごしに見た風景は、
ちまたの駆逐艦級の車と比べ、同じ景色ではなかった。
『ⅢLZ』から『オートグラフ』に替えてビバルデイを聴いたようなとでもいうのか...。
Ⅰ本のコーンの右と左にダブルで盛りつけられたアイスクリームは、
手の上で食べるより早く溶けだして、当方は、なすすべなくそれを眺めた。
キャプテンは快活に振る舞いながら、我々を最後まで楽しませてくださった。
2007.7/7

メイコ・プレイズ・ベイゼンドルファー

2020年09月06日 | 訪問記


江戸に水戸、紀伊、尾張の御三家があったように、東京オリンピックの頃、
トリオ、サンスイ、パイオニアがオーディオのご三家といわれ、
パイオニアの看板モデルスピーカーが『CS-100』だ。
図体のせいか値段のせいか、秋葉原でもめったにお目にかかれない、逸品を、
聴かせてくださるというので、京浜東北に乗って大森まで遠征したことがある。
Y家に着くと、大きな木が茂った閑静な旧家で、
引き戸の広い玄関を入ったところに年配のご婦人が出迎えてくださった。
大きなアンモン貝の化石がゴロゴロ有る棚を眺めながら、
二階の和室へ上がったことを憶えている。
隣室と二間を開け放した開放的な室内に『CS-100』はあった。
桜材の一枚板と思われる贅沢で堂々たるスピーカーは、
正面から見たネットを囲むフレームの厚みが四センチくらいは有るのか、
押しても引いても動きそうにない重量感が音にも現れて、
落ち着き払った渋いサウンドが時には唸りをあげ、たなびくように飽きさせなかった。
Y氏はオープン・テープのソースに凝っており、2トラック38センチの
『メイコ・プレイズ・ベイゼンドルファー』という菅野録音は、ほれぼれするような音だった。
打鍵のなまめかしいダイナミックレンジに無理のないスムーズな和音が、
ビューンといつまでもペダルの踏まれている間、明瞭に聴き取れて、
カートリッジによるLP再生では歯が立たないとすぐにわかった。
あのときすでにオーディオはピークに達していたのだろうか、知りたいものである。
Y氏は父親の形見のニコンのプロトタイプのカメラを見せてくださったり、
オーディオの話も尽きなかった息抜きに、おもしろいレコードを聴きましょうと、
『エルビス・オン・ハワイ』が盛大に鳴ったので1973年のことである。
2006.4/12



水沢の『J』 

2020年09月04日 | 訪問記


タンノイ・ウエストミンスターを試聴できると新聞広告でその店を知って、
いつか訪ねてみようと思っていたが、時が過ぎた。
ポチが西向けば尾は東、国道4号線を三十キロ北上すると水沢市の佐倉に着く。
しかし佐倉は広かった。
金ケ崎のプールの帰り道、夏の日ざしの照りつける中、
道ゆく高校生やらオヤジさんに尋ねてやっとたどり着くことができた『J』である。
モダンな店内に8組ほどセットされた現代スピーカーから、
さっそくタンノイを鳴らしていただいた。
アキュフェースのトランジスタアンプによる音は、ジャズもクラシックも整ったバランスである。
オーディオ人口も減少するなか、これほど多岐に品揃えしてある店は少なくなっているが、
やはり水沢市の底力というものか。
奥の方に、ガラスドアで仕切られた小さな別室があって、
ビデオの大型スクリーンにサウンド・トラックをバックアップする装置があった。
小型スピーカーとは思えない強烈な馬力とスケールで、堂々たるサウンドである。
ジャズ・ビデオでも上映した場合、オーディオの王道はいったいどうなってしまうのか、
と心配したが、時間をかけて聴いてみるとやはりそう簡単なものではないジャズの音。
ポパイのマンガでハンバーガーをつまむ人にちょっと似た人がこちらをみて笑っているが、
その方が店員さんのようである。
SPUの針交換をお願いしてみると一週間で戻ってくるとのこと、
ついでにケースに陳列のオルトフォンのコネクトケーブルを購入し、ひとまず凱旋した。
このケーブル、こう言っては身もふたもないが自作ケーブルとあまり違わない音でがっかりする。
交換針を取りに行ったとき、上級ケーブルと交換してくれるのか淡い期待で言ってみると、
あっさりO・Kと言われた。
いきさつをK氏にお話しすると、ハンバーガーさんのことはご存じで、
K氏の宅にも水沢から出張されたことがあるらしい。
「とてもよい人です」 と話しておられた。
次に『J』に行ったとき、店主の愛蔵盤と書かれたデスクが売り場に多数陳んで驚いた。
箱に残っていたほとんどがクラシックの名盤であった。
先日Royceにみえたジャズ好き伊藤氏によれば、『J』の社長から、
クラシック入門の手ほどきを受けたことがあると聞いた。
気さくで穏やかな方であったそうで、一度お会いしたかったものである。
『J』の近くに、30品食べ放題の店があるとROYCEにやってきた呉服商の人が、
楊枝を咥えお腹をさすってジャズを聴いた。
「当分もうけっこう」
食べ残したカニとアワビを御仲間と残念がっているのを聞くと、
食事前のこちらはロリンズのブローがこたえて、会話が忘れられず居た。
このさい『J』から足を伸ばし饗宴に参じてみたが、
寿司から焼き肉、団子にケーキと進んで、時間制限の競技会をがんばって、
秘書が帰りの車で「苦しい」とハンカチで顔を蔽い、
「また行こう」と言っても返事がなかったのが残念。
☆はじめて「オレオレ、サギ」の相手と二日にわたってやりとりした。
親戚の大学生がライブドアの株で72万損して、親に内緒で...という設定だった。
哀しそうな声が忘れられない。  
☆さかもとコーヒーの「カフェ・タブロー」を初めて淹れてみた。
七つくらい数える味の中に、煎茶の味がまじってどれも上等。
2006.3/29


ジャズ喫茶 「T」

2020年09月04日 | 訪問記


五月のある日にふと思った。
桜の散る音は、オーディオではどう聞こえるのか。
誰が風を見たでしょう、と童謡にも詠われていたが、
よその装置では音楽がどのように表現されているのか聴いてみたいと思うものである。
このあいだもあるところで、エバンスがメロディをラファロに受け渡す、
一瞬の静寂のあとのフレーズにびっくりした。
そこで家に帰っては、なにかをしてみるのがマニアのさがであるが、
200Vから100Vに変圧するトランスを、とっておきのものに変えてみたら、
「ソーホワット」だって、それがどうしたのと言えない変わりようだ。
チェインバースがブッビビン、ブビビンと盛んに背後から煽り、
とうとうソロを取ってあのベースがのっしのっしと迫ってくるタンノイ特有の、
あまりの格好良さにコーヒーカップを持ち上げる動作さえも空中で止まる。
だがここで格好いいだけのジャズに終わらせたくない。
それがタンノイを鳴らすという事である。
フレーズとフレーズの陰影が申し分なく聴こえると、どうしてこんなに嬉しいのであろうか、
はたして夢まぼろしの音を求めて名人宅を尋ね歩く。
そのオーディオ道に非常に感銘を受けたのが、これまで記録した方々の装置であった。

メンがわれていないというのは、とてもベンリだ。
「T」は同業者であるところの先輩のジャズ喫茶で、
一関駅前の一等地に隠然たる勢力をめぐらすツウのための店である。
友人に「ちょっと偵察して来い」と頼んだら、ヘビィスモーカーの彼は、
灰皿を出してもらえなかったと泣いて帰ってきた。
やるな、なかなか。
次に常連さんを送り込んだら相手にされなかったと悄然と戻ってこられた。
うーむ、この目で聴いてくるしかない「T」のジャズである。
「八戸市のジャズは、わたしが仕切っています」
という旦那風の客人が夜にRoyceにみえたことがあった。
和装のマダムを同伴されて、さすがに会話もジャズである。
こちらもそれに習って秘書を同伴してみたのであったが、
マスターはしきりにテーブルやイスを清掃しておりまだ店は開けないという。
しかたなく大町界隈で時間をつぶしてから、再度のトライとなった。
「T」のマスターはどこか迷惑そうでさえあったが、
とにかく席に付かせてもらえてそれだけでほっとする。
見ると驚いた。
アルテックの大きなホーンのついたフロアースピーカーが一台堂々と、
中央の上席からあたりを睥睨している。
ジャズはおいしい時代がほぼモノーラルレコードであるから、
この一台モノラルという選択は正しいが、勇気がいる。
アンプはと見るとうーむ、これは問題作である。
あきらかにコリコリの回路で、取り付いている部品がウエスターンの、
業務用アンプを思わせる渋い造りだった。
「これは、名のあるアンプでしょう」
知りあいに造ってもらったと、それだけで、何の薀蓄がきかれるわけでもないのは、
わかるやつにはわかる、宗旨の違うやからはムダと思っているのだろうか。
ジャズボーカルが流れているので、マスターはコーヒー豆を挽こうとして
ややためらってからアンプのボリュームを静かに下げた。
ボーカルは止まってかわりに豆を挽く音がブイーンと鳴った。
「T」のマスターは、充分沸騰したお湯を糸のように細く豆の中央に注ぐ。
「なにか聴きますか」
リクエストをきかれて、今日はついてると思った。
目の前にレコードジャケットが出されてカウンターのトップと
縦横をきちっと合わせて置かれると、さながら一品の料理のように見える。
ソウルトレーンを聴かねばならない。
「きょうは、タッド・ダメロンを聴きたい気分ですね」
とヤボな注文をつけるとマスターはせっかく取り出した
青と白に上下に割れたジャケットを棚に戻した。
代わりにレコード棚から抜き出した凄い早さに唸る。
古今の名演の在処はすべて頭に整理されているらしい。
後日わかったことであるが、MJ誌でおなじみあれが有名な館山
「コンコルド」の当主の製作になる「佐久間アンプ」そのものであった。
真空管プリメインアンプでボリュームつまみが中央に一個あるだけの
いたってシンプルな外観がかえって気を引く。
隣のアンプもこれがワンセットでプリメインアンプとなっているそうであるから、
世の中油断がならない。
マスターはスピーカー一台で「レコードを聴く分にはこれで良い」と、
迷える子羊に啓示をたれてくださった。
佐久間氏のセレクションを聴く機会はめったにないので、
ただの一台のスピーカーと思って聴くとえらいことになるのだが。
「T」の名前にゆかりのタル・ファーロウのレコードを、仙台の「バークリーレコード」
さんにお願いしてやっと五枚集めていただいたので集中ヒアリングしてみた。
ウエスやバレルと違ったサウンドで、
「いつもステーキを食べているからきょうはフレンチ料理」
と友人に言ったら返事がなかったので見当違いか。
どうも「T」のマスターのジャズは深い。
2006.3/23




葛飾の大西氏 2

2020年09月03日 | 訪問記


立派なドアを開け通されたオーディオルームは、
快適な木の響きが暖かい劇場のような雰囲気で、
ステージ上に据えられたスピーカーは、アマテイ・オマージュといい、
クレモナの名器になぞらえて音色を暗示したものである。
馬の尾を使った高級バッグの仕上げに似た正面のネットは、
あくまで繊細に美しく、このようなスピーカーにジャズを、
お願いしてよいものかためらわせるほど凄い。
大西氏は黙ってボリュームツマミをスルッと回して、
いきなりカウントベイシーのビッグバンドを舞台いっぱいに轟かせ、
当方の思惑をあっさりと思いきり吹き飛ばした。
音は人なりとよくいったものであるが、まったく予想だにしなかった
イタリア・サウンドの放射を受けて、ただ陶然として聴き惚れた。
イスから大きな身を起こして空間に耳の方向を回遊しておられた千葉の大先生が、
おもむろにスピーカーの鳴りっぷりを賞賛のあと、
「クラシックの弦は高い位置で聴いた方がさらに良いでしょう」
と言っておられる。
大先生は初めてRoyceにおいでになったとき、
「スピ―カー背後の吸音板は上2列はいらないでしょう」
とご託宣した地獄耳である。
大西氏のオーディオ・ルームで炸裂した美音は、
ポンペイの発掘された劇場のように音楽世界にいざなって、
日常の些事から気分をイタリアに解き放ってくれるかのようだ。
トニーベネットとエバンス、
マイルスのクッキン、サラボーン、
次々聴かせていただいて、その間なぜかタンノイのことをまったく
脳裏に浮かばせなかったのはさすがである。
タンノイ同盟の輪、そういうものがあれば大西氏の欠落は、とてつもなく大きかった。
2006.3/16


葛飾の大西氏 1

2020年09月03日 | 訪問記


葛飾の大西氏がオーディオ装置を一新されたことは風の噂にきこえていたが、
写真を拝見してアッと釘付けとなった。
新しく導入されたスピーカーがイタリア製であると知って、愕然とした。
そこにタンノイの姿は無い。
大西氏といえば、北は北海道から南は宮古島まで、
三十を超えるオーディオの「歌枕」を探方され、
上杉邸でタンノイを聴いた経験の深いタンノイ使用者であるが、
Royce設計のとき貴重な石井音響理論の資料を取り寄せてくださった、
大変お世話になった方だ。
これまでタンノイ一筋の人に何が起こったか、
新しく選ばれたイタリアスピーカーなる傑物を聴くしかないと決意した。
千葉の大先生にいきさつをお話しすると、
「おもしろい、ご一緒しましょう」
と申されてスケジュールを空けてくださった。
葛飾駅前のロータリーは夕暮れ時の人と車でごったがえしていた。
雑踏を歩きながら、田舎と違い久しぶりに大群衆の中に身を置く体験に、
妙な戸惑いをおぼえる。
一関のメインストリートは、百メートル離れて人相風体用件までも知れるが、
この群衆では、3メートルも離れると知人とすれ違ってもわからない。
つまり、自分が透明人間になった都合の良さが、都会にはあるわけだ。
一関に帰郷して或る時、公会堂の道を大町に抜けようと曲がると、
遠くに、ハイカラな空色のオープンカーが走ってくるのが見えた。
おやおや一関にも妙な車を乗り回す男が。
眼のやり場に困り、あいにく路上に人っ子一人いない。
木漏れ陽の射す白い路を、あっというまに車は接近し、いやな予感がしたところ、
車はスピードを落とし、「どうだ」といわんばかりに通り過ぎた。
まてよ?どこかで見た顔である。
川向うのジャズ喫茶、S氏に似ている。
この時からおよそ30年後の未来の事であるが、昼寝をしていると電話が鳴り、
「川向こうの著名なジャズ喫茶を主題にした映画が完成しましたのでお知らせ致します」
女性の美しい声であるが、夢かうつつか、ちょっとうれしそうであった。
大西氏と待ち合わせた薬局の前に、間もなく同好のY氏もお見えになった。
彼は最近コンクリートのオーディオルームを造られたように聞いていたが、
ご自分のオーディオ事情に一切触れなかった。
一年ぶりにお会いした大西氏、上着の下にストライプのネクタイをバーで止め、
海軍で言う一種礼装で、Y氏はなにか小声でひじを突いている。
三島由紀夫が初対面の映画俳優のズボンの折り返しを、
印象的に褒めていたことを思い出した。
2006.3/16


SA氏の牙城を訪ねる

2020年09月01日 | 訪問記


「このアンプをRoyceでちょっと鳴らしてみましょう」
K氏のお宅にお邪魔したとき、棚に並べてあったWE300Bがプッシュで使われた
MONOアンプを一緒に運んでくださった。
これをウエスギと組んでも、マッキンと組んでも普通の音だったので、
置いて行かれても困ると思ったところが、九州のKU氏差回しのマランツ#7と組むと
俄然とんでもない音が出てきたのである。
数々聴いたアンプの中でも自分の好みが如実に再現されている、
一頭抜けた音であったので、RoyceからK氏のお宅に戻ることは無かった。
いざ良い音が出てみると外観もとんでもない物に見えてくる。
貴重なウエスタン旧型三極管が大きなトランスをかこんで林立する。
二台が左右対称に配線された手の込んだ造りが秘めた造形美は、
見る者を期待させるに十分なものがあって、これを制作した人こそSA氏であった。
冬の晴れ間を選んで、K氏に伴われ隣の県にあるSA氏の工房に向かう道すがら、
あちこちに、K氏の少年時代の思い出は残っていて解説が楽しい。
 翠緑北上畔
 追憶昔日宴
 風喰二十年
 不帰再故山
画廊のKG氏がさらさらと詠んでくださったジャズのような詩を思い出すとき、
オーディオもまた帰らざる旅か。
初めてタンノイⅢLZを聴いたときの感激をいまでも思い出せるが、
今となっては、その音に戻れない耳になっているはずである。
SA氏の24畳くらいのオーディオルームは、4種類のスピーカーがあったが、
メインはアルテックのマルチドライブで8台の管球アンプが駆動する芸術品である。
訪問の目的は、不思議なえにしでRoyceに届いた2台目のマランツ#7で、
オーバーホールの解説も要領をえて丁寧で、
メモしていただいた図解も明晰に書き込まれるので感心させられた。
用件も終わって余興にRoyceの装置の写真をお見せすると、
しきりに首をひねっておられたが床に並べられた一群のアンプの一点を指して、
「これはなんというアンプでしょう」
小さくトランスの頭が見えるだけであるが、ふっふ、やはり気付かれたか。
「どうもおかしい。昔、K氏に強引に持ち去られるようにお譲りしたアンプです」
その声はアルテックが鳴らすダイナワシントンのボリュームにかき消され、
K氏には届かなかった。
K氏とて、うっかりRoyceで鳴らしてみたいと思われたのが運命のいたずら、
天の配剤であったか。
SA氏はいままで80台くらい制作していると申され、現在ではお仕事も忙しく、
このような手の込んだ制作はもう出来なくなっているそうである。
WE300B左右対称モノアンプは面積の七割を電源回路が占めているそうで、
技術者魂の思い入れ熱く非常に贅沢につくられたものであるが、
十五ワットの出力にもかかわらず、マッキン275より聴感で迫力が勝っており、
同時に微細な表現も綾なしてみせる作品であった。
Royceでメインのラインで活躍していることをお話しすると、
オールウエスタン回路に一本だけロシアの球を使っていることをとても気にされて、
後日わざわざウエスタンの球を挿しにおいでになった。
これこそ製作者の真骨頂である。
そのさい、Royceの近隣に居られる300Bアンプ制作の名人達のことにふれると、
「ぜひ、自分もお仲間に加えていただき勉強させてください」
どこまでも謙虚なSA氏であった。
帰り際、ご自身のアンプの制作室や部品のストックヤードまで見せてくださるが、
某社の開発部長さん兼業であるので、以前のような製作は
時間の都合から出来ないご様子であった。
K氏からもたびたび聞かされていた事であるが、SA氏の装置は、
圧倒的威容で聴く者に迫ってくる。
アルテックの好きな人にはたまらない音造りで、
千枚以上お持ちのジャズLPから、なんでも聴かせてくださった。
SMEアームのコレクターなのか新旧6本並べてある棚の右に、
845シングルで販売の用意のできたものが1組置かれていた。
またSA氏はちょうどウエスギアンプの修理を手がけておられたが、
ステレオサウンドの以前の号を開かれて、さかんに首をひねって唸っておられる。
覗いてみると若き日のウエスギさんのお部屋が登場し、マランツやマッキントッシュが
ラインナップで活躍しているみごとなオーディオ環境である。
「このマランツ、マッキンを使いこなされた方が造られたにしては?」
とウエスギアンプの音色があまりにおとなしいので、乖離にとまどっておられる。
経験から言ってそのことは、クラシックを主として聴く人にはあまり問題が無いと思える。
一方から見ればマランツ、マッキンには、一つの表現だが音域に伏兵が隠れており、
弦のハーモニーが微妙に色付けられたり、コーラスで一人だけ突出した
歌い手のようで邪魔になるように聴こえることがある。
このコントロールがマニアには面白いのであり、普通に聴くぶんには、
ウエスギアンプは音楽性に優れ丈夫で長持ちでめんどうがない。
普通で済まない人々の目標は底なしで、次元の違う話となる。
そういえば上杉アンプにも特注という手段があり、プリアンプの蓋を開けて中を見たとき、
マランツ#7とは対極の配線の美に見とれる。
2006.3/5




ウエスタン16Aを聴く

2020年09月01日 | 訪問記


エンジニアKO氏が取り組まれたのは、アメリカの映画館で使用されていたWE16Aという
現在ではほとんど見ることも聴くこともかなわないホーンスピーカーである。
だいぶ以前の話になるがお招きにあずかって、地図を頼りに一関の市街から抜けて
景勝地の橋をこえて行くと、目印の水銀灯を入り口に燈しているお宅は闇に浮かんでいた。
すでに気分は高揚して足が地に付かないほど、はじめて聴かせていただくときの
これが毎度の期待感なのである。
廊下のガラス戸を開け通された奥の部屋は天井が非常に高く、
なにか懐かしい気分にさせられる工夫が随所にほどこしてある。
そして、正面の壁を見てギョッ!とした。
鉄色の巨大な海に住むエイがそこに張り付いて息をしている。
と見えたのは錯覚で、これが空前絶後のWE16Aホーンであった。
KO氏はこのホーンを港で荷受けするため自動車を仕立てて、
ご子息と一路横浜港に向かわれたときの思い出を昨日のように楽しそうに語ってくれた。
電源をいれるとWE555ドライバーが励磁されてドライブされる仕組みが、
そもそも永久磁石を使用する一般スピーカーと異なっており、
氏の装置はご丁寧にも左右各二個のドライバーを使用して威力を増す。
四発のミッドレンジとつりあわせるためウーハーもJBLの38センチを四発使用しておられる。
やはり、オーディオの道は深い。
聴かせていただいたこの音を風景にたとえるなら、グランドキャニオンとか、
万里の長城を引き合いに出したくなる。
一たび咆哮がはじまると風が舞って砂煙が上がるようにすら感じる。
あなおそろし、である。
マイルスのブラウンホーネットでも聴けば空気を切り裂くトランペットと
地唸りするベース、炸裂するドラムスがきっと堪能できるに違いない。
半世紀も前に映画館で多くのアメリカ人を熱狂させたスピーカーが
一人の達人の熱意でここによみがえっている背景を思うと、柄にもなく、
形而上的感傷すら湧いてしまう。
KO氏は、WE16Aホーンの音の仕上がりに完璧を期すため
上京し、あたらし氏の門をたたく。
あたらしさんはこのスピーカーを使用されているので有益な助言を得たことであろう。
スピーカーを駆動するアンプは自作されたWE300Bプッシュプルであるが、
スピーカーコードや電源コードにも工夫があって、
短い時間で全容を理解するのは困難である。
KO氏は、にこにこと会話を楽しまれてあっというまの時が過ぎた。
帰り際に気が付いたが、CDケースが、まるで販売店のデスプレイのような
ショーケースに陳列されて、賑やかだ。
演歌からクラシックまで、ジャンルを問わず楽しまれる、
幸いにして優雅な時間がそこに在った。
ところで、机の抽出しに1枚の大きな航空写真が入っている。
写真のやや右下に虫メガネでみるとたしかにRoyceの丸い屋根が写っている。
画面中央を磐井川にかかる一関大橋から国道4号線がまっすぐに北に伸びて、
遠方はるかに歌人西行が讃えた桜山が霞たなびくなかにあった。
これはKO氏がヘリコプターの窓を開けみずからお撮りになったそうで、
後日届けてくださった。
そういえばと、雨上がりの晴天の日に頭上高く一点に停止している不思議なヘリを、
秘書は覚えていた。
「もうちょっと、右、右!」
ご子息が操縦される機内でKO氏が遊覧をたのしまれていたのであった。
2006.3/10



K氏のマグニフィセント 2

2020年09月01日 | 訪問記


ついにメインスピーカーのある応接間に通されたとき、
ピアノと並んで組格子ネットをつけたフロアースピーカーが目に入って来た。
堂々たる存在感がすばらしい。
K氏のメインスピーカーは「アルテックA7」の応接間タイプと称する
「マグニフィセント」である。
K氏もなぜか今様の装置をえらばず、現用アンプも
五十年代のラインナップで揃えておられた。
自分の事はさておいて何故?と問うてみた。
それほど昔の機器は良いのだろうか。
自分でも古いものばかり選んでいるので、愚問とは知りつつであるが。
「二階には蓄音機も少し集めていますよ、古いのが良いですね」
写真を見せていただくとピカピカの大きいのが何台も写っている。
目を細めていつも穏やかに笑うK氏は静かなる男であるが、
どうも情熱は見えないところで沸っている。
昔、東京に学生で下宿されておられたころ、二階の部屋に上がろうとして
なんとも良い音が耳についた。
なにげなく居間の方に吸い寄せられると、
誰も居ない部屋で真空管ラジオが出している音であった。
こんな良い音が在るのかと若いK氏はしばらくそこを動けなかった。
それが原体験と語る。
アルテック「マグニフィセント」は、ボリュームを上げていくと、
どんどん焦点が定まって床も震えるような振動すら足の裏に届いた。
庭に面したガラスに音がバンバン反射するようなボリュームに上げると、
室内は飽和したが、スピーカー自身は音が歪むでもなく限界が見えない。
わずかに高域のバランスが尖ってくるが、これがジャズには気配に聴こえて、
まだまだどこまでも余裕を見せるスケールはやはり劇場用スピーカーだ。
応接間にガウンを羽織って中身は筋骨隆々のアルテックに恐れ入ってしまった。
ハービーハンコックの「Maiden Voyage」でトニー・ウイリアムスが
ヒュンヒュンと鳴らすシンバルを想像してみる。
またドーハムの「ロータス・ブラッサム」を想像してみる。
「このスピーカーを手放すなんてとんでもないですね」
と言おうと言葉が喉まで出かかったが、申し上げたところで、
走り出したK氏を止められるものではない。
K氏はもっとホーンの滑らかなソノリティを望まれて、
心は装備の入れ替えを準備中であった。
うっかり「パトリシアン」の話をすると、すぐに雑誌を見て細目を研究
されておられたが、こればかりは鳴らしてみないとたしかなことはわからず、
61センチウーハーの附いた「ハートレイ」だって候補になる。
ひょっとして我が憧れの「タンノイ」にも61センチウーハーが附く日は
来るのだろうか。ぜひ、きてもらいたいものだ。
2006.3/12


K氏のマグニフィセント 1

2020年09月01日 | 訪問記


ある日のことK氏は訪ねてこられて、Royceの音を気に入ってくださったか、
その後もよくおみえになった。
K氏は独特の静かな語り口で専用の一角を持つ存在感をみせ、かといって見慣れぬ客と重なると、
たちまち空気に溶け込んでしまう不思議な方であったが、それで驚くのは早かった。
一年も経つか立たぬかのうちに、氏の所有するアンプがなぜかRoyceの
メインとサブの座を占領し、いつのまにかRoyce用の環境をお作りになったのである。
さすがにあるとき怪しんでお宅を訪ねてみると、
そこにあったアンプの代わりはやはり無く、据え置き台のみが堂々と在った。
今はRoyceに籍を入れたアンプであるが、この台の上に鎮座していた当時も凄かった。
片チャンネルだけで40キロの小山のような巨大なアンプで、高田のジャズ喫茶Jのマスターも、
「うへっ」 とのけぞっておられたが、
消費電力がベラボウな845プッシュプルは空前絶後の存在感がある。
「やはり、こちらに戻しましょう。ここの台が空なのはどうもマズイ」
空白の台座を心配すると、K氏はすこしも騒がず
「とんでもない、いいからいいから」
ということで、なにがとんでもないのかわからなかったがそれからずーっとRoyceに在る。
この845アンプは「サッシー・スイングス・ザ・チボリ」を聴いて、すぐその特徴がわかった。
常用の300Bとくらべてサラの声もますます張りが出て、エーッ、バッキングがこんなに居たの!
というくらい全員演奏の音になる。
K氏がそれまで持って居られた300Bモノプッシュでも十分な装備であるのに、
なにかにひらめかれたK氏はさらに勇躍このアンプをメーカーに特注する。
何百キロも車を飛ばして工場に組み上がる過程を何度か見に行ったそうであるが、
そのような旅はうらやましいが、特注じたい凡人にはむずかしい。
いまも合計七十キロのアンプを見てはときどきそれを納得する。
ジャズを聴きながら聞くK氏の話はいろいろと面白い。
K氏の瀟洒な庭に石で囲った池があって、
ある日その池のほとりに鷺が舞い降りたのを縁側から見たK氏は、
これは絵になる、とたいそう喜ばれた。
だが次の瞬間驚いた。
鷺は池に入り大事な鯉をしっかりくわえて飛び去ったのである。
光景を想像してめまいを覚えたが、ぜひその庭の写真がほしいとねだると、
ある日「これが庭の写真」と、忘れたころに撮ってきてくださった。
めくっていくと最後に不思議なものが写っていた。
ちょうどそのとき鳴っていた曲まで衝撃のついでに憶えているが、
あの空席だったアンプ台の上に、黄金色に輝くシャーシの「WE300B」を挿したアンプが、
デンと載っていたのである。
実に大きな電源トランスに「ウエスタン300B」がそれぞれ2本も刺さって、
シャーシはなんと真鍮製である。
あきらかにRoyceを上回ることすこぶるの造りに唖然としたが、
「いえいえ、たいしたものではありません」
いつもの様子に微塵の変化も見せない氏であった。
するとだいぶ前に、ひそかに特注し一人たのしんでおられたというわけか。
さぞかし楽しい毎日であったろうが、隠し事はいけません。
Royceにわらじを脱いだ845はこれで帰るところがなくなったので、
昔から居たような顔で用心棒アンプとなった。
そのK氏が一時熱心に探しておられたものに《マークⅢ》という
放送局用のプレーヤーがある。
これがK氏にとっては夢にまで出てくるとおっしゃるほどの意中のアイテムで、
雑誌に投書して探すなど八方手を尽くしておられたが、大昔に製造は終了しており、
おもに放送局に納入された重量級ダイレクトドライブであったからまったく世間の反応がなかった。
それで一ランク低いⅡ型を取り寄せてみたものの、
やはり横綱と小結ほど違っては、あきらめきれるものではない。
ところがである。なぜかそのマークⅢが続けて2台も
別々の所から譲りましょうと連絡が入ってしまった。
一方は、タダで差し上げますとのことだったそうで喜色満面となりつつも、
一台で止めるのが普通だが、K氏は落ち着いたもので二台とも入手された。
そしてその落ち着きはムダではなかったというべきか、重量40キロもあったので、
あるとき台の上に据えようとして腰を痛めてしまわれ、しばらくRoyceにお見えにならなかった。
イスに座るのも大義そうでイタタ・・・といいながらその実、大変満足そうに見えたものである。
また、K氏は廊下に三菱の305業務用スピーカーを置いておられた。
出力アンプを内臓するタイプで普通の人が持たれるなまなかなシロモノではなく、
しかし置き場所が廊下というのは暗にいらないと言っているに等しいのだが、
当方も二組のタンノイを持つ身で、やはり廊下に置くことになる。
廊下というのは左様に注目の場所であるが、K氏は大事なセットは二階に上げているらしい。
との噂もあって、ときどき写真では御開帳される軍団の装備も、全容は誰にもわからない。
続く 2006.3/12

S氏の桃源郷

2020年08月31日 | 訪問記


それは数年前のある日のこと、地図を頼りに1時間以上山里に、
車を乗り入れた、そこに装置は在った。
つるりと額をなでながら山谷S氏は、
「このあいだお酒が入って足元ふらついて300Bを踏み潰してしまって」
いまだショック覚めやらぬ失敗をぽつりともらされた。
アキシォム80がジャンクの山から頭を出し、部屋中オーディオトランスやレコード、
雑誌等々がいっぱいの床が見えない桃源郷で、
来訪者は与えられたスペースから一歩も踏み出すことはかなわない。
みるとS氏とて獣道を爪先立つように歩かれるので、
真空管の1本くらいは犠牲になってもおかしくない、
ミニ秋葉原のラジオセンターがそこにあった。
ジャケットの無いレコードも積んであるがどうやって選曲するのであろうか。
ケースの無い剥き出しのトーレンス124に、今はめずらしいロングアーム用の
ボードがつけてあり、名前は忘れたが、アームパイプとシェルがカマキリのように
つながっている指かけをひゅっと掬って、山谷S氏の表情は童心に帰っていた。
はじめて見る形式の自作スピーカーから出てきた音は、
ペッパーのミーツザリズムセクションで、一聴しジャズもクラシックも両方聴く人の
調整バランスかなと聴こえたのだが、なかなか良い! 音だった。
この音はタンノイとは違う音色ではあるが好みである。
山谷S氏の自作になるスピーカーユニットはアルテックのようにも見える。
だが、アルテックからこのような音はまだ聴いたことが無いと、
サクスのフレーズを耳で追いながら思った。
ペッパーのサクスはチャルメラ的な音になる部分があって、
これが装置の特徴を測るにはもってこいだが、
氏の調整になる装置はすべて感心するばかりである。
これこそがバイタボックス、スリーウエイのマルチチャンネルの音ときかされ、心底感心した。
自作300Bアンプで駆動するバイタボックスは、日頃聴きなじんでいる
タンノイと比べて、自分のものさしで言えば、しばしばそれ以上の音も現れては消え、
硬い音もやわらかい音も甘い音も辛い音も必要なときに出てくる小気味のよい装置だった。
「これはすばらしい音ですが、ところでプリアンプはどれですか?」
山谷S氏はニコッと表情をくずして、弁当缶のようなケースを指した。
EMT927のヘッドアンプ回路を真似て造ったそうで、
ゲインを調整する真鍮の棒まで様子が似ておりあっけにとられる当方であったが、
いきなりパワーアンプから球を一本引き抜いて別の球にひょいと差し替えた。
音が出ている最中のアンプであり、ぎょっとして身構えるこちらをかまわず、
電源が入ったままのアンプは一瞬音が溶けるように崩れてから、
再びアートペッパーがサックスを持ち替えたような音を出す。
あまりのサービスにふたたびあっけにとられていると、
「やっぱり球で音が変わるねー」
満足そうであった。
「ウーム、これはあとの球のほうが断然良いですね」
と言ってはみたものの、どうも欲深い耳には曲によってどちらも捨てがたいとも思える。
だからアンプや球は増えてしまうのであろう。
バイタボックスはコーナーホーンを昔、某所で聴かせていただいたので覚えているが、
大型の純正エンクロージャーには遠くでゴロゴロ鳴っている雷が、
しだいにそばに来て、バリバリ鳴り響くような箱鳴りがあった。
これがオーケストラの斉奏でコントラバスの唸りが倍加して、
にくらしいほど具合がよく個性的である。
山谷S氏の固い木材を使った自作の箱は予想に反して抜けがよかった。
箱鳴りは必要な場合もあるし邪魔なこともある。決めるのは心の耳である。
「昔、川向こうのSB氏も来ましたよ」
氏は思い出話をしてくれた。
おお、するとたった一つしかないこの席は、
かのSBマスターもお座りになった席なのであろうか。
そのとき先ほどから沸き起こっていた疑問を尋ねてみた。
多数の装置を聴く経験なしにこれだけの音のバランスはまとまらないと思うのだが、
いったいどのようなオーディオ遍歴をされたのであろう。
答えはあっけなくわかった。
むかし東京で働いておられたころ暇をみつけてはジャズ喫茶や秋葉沼めぐりをした。
館山のコンコルドをはじめ、寺さんのメグにも足をのばされた、
申し分の無い武者修行ぶりである。
千葉の大先生が「寺サン」と言うので感染してしまったが、
大先生は言う。
「ファンキーは二階のアルテックがいいかな、うーん、アルテックいつか使ってみようかな」
なぜかジャズは当分休憩といってCDを500枚か送り届けてきた。
あまりの枚数にたじろいだが、まだ数千枚あるから、といわれて遠慮なくいただいてしまった。
喫茶・Bに行ったとき、スピーカーに尻を向けて?座ることを教えてくれたのも彼であった。
逆さ富士とか逆見の天の橋立の境地もあろう。
山谷S氏は滑らかな動作で、
「なにか聴きたい曲がありますかネー」
といいつつ決してリクエストはさせずに、次々とレコードをかけ替えてゆく。
そして曲の途中でもおかまいなしに切り上げる。
こういう人には初めてお目にかかれたが、なにかすばらしい。
レコード演奏バッパーとでもいったらよいのか、真似のできるものではない。
カルーショーははじめてまともに聴いたが、キースジャレットの非常に良い演奏がかかって、
ジャケットを見せてくださいとお願いすると、
「これね、ジャケット、無い」
とのことで、やはり人生一期一会もあるなと思う。
まだ聴き足りたわけではなかったが、謝して部屋の外に出ると、
庭のすぐ背後にピラミッドのように裏山がそそり立ち、
上って来いと手招きされているような気分になる。
S氏によれば、熊が出るから止めたほうがよいとのことである。
マツタケの宝庫を熊に守らせている仙人の話を聞いたことがあったが、
山谷S氏は仙人なのだろうか。
山で熊と出くわして格闘した逸話を直接ご本人から漠然と聞かされたのは、
それからしばらくあとのことだが、腕に残る名誉の痕跡を思いだして、
そういえばある大雪の日、そのS氏から電話をいただいたことがあった。
「いま、新しく300Bを組んでますが、ところであの、是枝さんのアンプ来ましたか?」
かくも熱心な方がごろごろしているこの地の「歌枕」を訪ねて巡る、
これが漂泊のジャズの旅か。
2006.3/2