
枯葉が午後の日差しに、そこかしこ定めなく散っている。
南部藩のオルガン演奏会に行ってみた。
このホールを地図でさがすと、雫石川と北上川で挟まれた地形が
北緯も近似にあるニューヨークのマンハッタン島と似ており、
ミッドタウンの位置に音楽堂があって、
県庁の位置がブルックリンと重なっている。
平安中期に、豪族のドン安倍氏により厨川の城柵が構築されて、
奥六郡なる自治圏が盛岡を中心に一関まで広がっていたが、
現在の盛岡市の人口はおよそ三十万人である。
ステージに据えられた3段鍵盤オルガンは、
立体駐車場から20メートル歩いた小ホールにあった。
建物の外観はビルディングに見え、内部に350席のゆるく傾斜したホールは
ギリシャ・ローマの円形劇場の石席につうじているのかもしれない。
観光旅行で見る中世ヨーロッパの教会堂のドームオルガンと、
楽器の部分が中心のこのオルガンでは、どのように違いがあるのか、
タンノイを自室で親しんでいるものが、このうえなく大がかりな3段の鍵盤を持つ
オルガン専用のオーディオルームを目の前にしたような気分がした。
このホールに参集した観客は期待に胸を膨らませ、
左隣りに着席した若い女性二人も「きょうがとても楽しみだったの」と頷きあって、
また背後に座った客人のところに何人かの人が親しく挨拶を述べに来ていた。
右隣り通路側の女性は着席の時「失礼します」とこちらに言ったきり、
身を小さく気配をまったく消していたが、
演奏がおわると拍手する手の動きだけが眼のはじに見えている。
その様子が、当方など両手のひらで空気を潰すようなバチバチとやるものと違い、
前方に手のひらの空気を逃がすような上品な拍手を初めて見た。
会場の私語ざわめきが静まったころ、いよいよ開演のチャイムが流れ
照明が静かに落ちると、女性オルガニストは観客の拍手に迎えられて、
凛々しさ優しさ、はにかみといったものを一瞬のうちに表すと、
前半の3曲の作曲家である『ディートリヒ・ブクステフーデ』について
「すこし説明をさせていただきます」と話している。
ジャズの場合、MJQのライブコンサートでジョン・ルイスが
「ネクストピースはスケイティング・イン・セントラルパークです」
など曲目を告げる言葉がタンノイから聞こえたりして趣があるが、
これから演奏する人が作曲家の地勢的な背景や音楽史上の特徴を
時間をとって話すことはめずらしく、教養がやわらかな言葉になった様子に感心した。
いよいよ演奏が始まって、初めて耳に届いたパイプオルガンの音は、
どうもタンノイのコアキシャルユニットから直進してくるものと同じ高さにある。
スケールは、さらにホール両側壁の傾斜角を持った反響版や、
高い天井の残響が豊かに増幅されて混和し、非常に堂々とした心地よい音であった。
前半の演奏が終わって短時間休憩の時ふと思ったことは、
コルトレーンが少年のころ牧師である叔父の教会でクラリネットを練習していたと聞いたが、
もし彼がそのときパイプオルガンのすさまじい低音を体験していれば、
後世、カルテットを組んだ自前の演奏団に、
さらにもうひとつドラムスを加え2セットほしいと言ったこと、
あるいは譜面の上に音符を敷き詰めたシーツオブサウンドや
スピリチュアルな曲想にどんどん向かっていくのは、
このパイプオルガン時代の幼年体験がなさせたものではないか。
などと、つい職業的分析を適当に隣人に話すと、なぜかまったく反応がなく、
かわりに前の席の客が振り返ってまじまじとこちらを見ていたので、
ひょっとして二本差しかな。
短時間の休憩の後、演奏はバッハの曲に入っていく。
しばらく聴いていると一瞬、音の曇りのような感じがあり、
思わず座席から10センチほど耳を前後に動かして解消されたのは、
前方左に座る人が音波を遮っていたとわかるほど粒立った音が
オルガンパイプの切り口から真っ直ぐに飛んで来るのだろうか。
音波の指向性はちょうどオーケストラの弦楽パートの受け渡しが、
音のカーテンの風で揺れるような見え方とその快感が似ており、
パイプの指向性を咎めるものではない。
またジャズドラムスのスネアブラシのシャッシャッという音に似た、
細かいタンギングが連続して聴こえているのは何だろうと、閉じていた目を開いた。
それは奏者が両手の指をすべて平らに伸ばして
鍵盤を細かく正確に団扇のように連打している機械音で、
もとよりオルガンパイプからの音ではないが、
ケーテン公がこれを聴けば周囲の側近たちに
「ここにさしかかったら今後は演奏中でもかまわぬから拍手しよう」
と言うのでは、と思わせる結構な技を見せるオルガニストが、
タンギング最後の一音をピッと止めたとき、
最後の音符の発した残映が、左前方から当方の顔を横切って
右後方に飛んでいった航跡が感じられたのは、いったいどうなっている。
すべての演奏が終了し、会場が拍手につつまれた一瞬、
挨拶に起立した奏者がその拍手をパイプオルガンのほうに向けて
手を示したのが印象的であった。
ホールの外に出るとき、花輪から一輪の花をくばってくださった。
それを土産に持ちながら、秋の午後の日差しを受けて、一関に戻った。
廊下のうさぎが、一輪の花を見ている。