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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

遥かなるジャズ

2020年09月28日 | ライブ演奏を聴く


血豆の引いた指先をながめていると、電話が鳴った。
「こんど、お訪ねしたいが、定休日はいつですか?」
最近、ふたたびオーディオ熱が沸ってきたと申されるアルテック所有者である。
「先日、天下の某ジャズ喫茶に3人で遠征し、スピーカーの前に立って
これだな、と感激していたんです。ところがマスターに....」
電話の向こうは、いささか気落ちしたご様子。
当方も昔あそこで、スピーカーの脇の壁を叩いていたが、
ヒエー、あぶなく地雷を踏んだ。
ジャズといっても、タンノイで標榜する音とJBLは、永遠に交わらないレールと知りつつ、
壁は叩いてみたくなるのがおかしい。
いろいろな客人の武勇伝を聞いて思ったが、
店主はマナーのことを申しているので、
あそこには御神体(JBL)の祀られている見えない御簾が下がっている。
手前3メートルはバージンロードかもしれない。
一度、神主様の話をテーブルの端で聞いたことがあった。
JBLのジャズより、そうとう良かったので納得した。
オーディオ装置というのは、その人間の半分の音も出て来ない。
2006.7/24
うたた寝していたらアップリンクの嬉しそうな♀の声で電話があった。
「リ-フレットを送ります」、今度封切りされる川向こうの映画のお話である。
水野上氏のジャズマッチなど、静かな紙媒体もゆっくり良いが。


田園の蜃気楼

2019年04月26日 | ライブ演奏を聴く


5月の田園に、蜃気楼が立つ様子を見たい。
4号線を進むこと1時間、加美町にある『バッハホール』に着いた。
中新田地域は、奈良の律令府が昔、軍営柵を置いて、
『城生の柵』と『色麻の柵』のあった、まぼろしの史跡である。
―― 廿五日。将軍東人従多賀柵発。三月一日。帥使下判官従七位上紀朝臣武良士等及所委騎兵一百九十六人。鎮兵四百九十九人。當國兵五千人。帰狄俘二百四十九人。従部内色麻柵発。即日到出羽國大室駅。
陸奥の多賀城と、秋田の大室を結ぶ軍道347号線を進軍した
按察使将軍大野東人が、月報を京の朝廷にたんたんと打電
した報告書が残されている。
「いくらなんでも、一日でこの距離は無理でしょ」
上奏の文面を読んだ後世の史家は驚いて首をひねるが。
北村英治氏は、中新田バッハホールのステージに登場すると、
暖かい眼差しで客席を見渡し、バデイ・デ・フランコの思い出や、
多くの履歴を語りながら、クラリネットを魔法のようにあやつり、
太い低音からみずみずしい高音まで、人間発動機のように吹きこなした。
ムッシュ北村の話術に聴衆が呑み込まれ、演奏に忘我の境に漂っていると、
誰か「はーくしょーん」と、絶妙の合の手をいれる集団が居る。
スタインウェイグランドピアノを弾きつつ『枯葉』を唄うピアニスト。
一度聴いたら忘れられないベーシスト。
穴のあく寸前までドラムスを敲き、緩急の凄いドラマー。
北村氏は、赤いベルトの金時計を眺めて、会場を見やり、
ケロリとして「また呼んでくださいね」と優しく言った。
ホール自慢のパイプオルガンは、きょうは音無しのかまえである。
エントランスに出ると、ジョルジュ・シムノンに似た男がいた。
道を渡って黄昏れの駐車場から音楽堂を振り返れば、
鳴瀬川と田川の合流地に、現代の城柵のようにバッハホールは浮かんでいた。
翌日、10年ぶりの、いなせな客人が登場し、
マランツ♯7をサブのラインで、ジャズを楽しまれているという。
2015.5/29

春一番

2019年01月09日 | ライブ演奏を聴く


春一番の強風の翌日、余震の隙を突いて、電話が鳴った。
受話器の向こうに聞こえたのは、四弦を操る記憶のベーシスト荘司氏である。
「いま御市の手前のパーキングエリアに居ますが、店を開けておられるなら
ちょっと高速をおりて珈琲をいただこうかと思います」
テレビ画面に見る谷啓氏と、どこか似ているやわらかな表情を思い出した。
震災のこの時期にこそ、普段当たり前に浸ったジャズの気分が懐しい。
四月のツアーを、仙台、三沢、三戸、大館、大仙、酒田の
ロードマップにめぐるそうであるが、
「ご無事の建物を拝見して、ことほぎたいものです」
と電話はご親切に申されている。
当方は、脳裏にアイデアが灯った。
DUOの奏する『虹の彼方に』をお願いすれば、眼前にライブ演奏が、
幕臣松平公の大広間気分で現れるのか。
錆びた金庫は頑として開かないが、このさいやむをえない。
まもなく店内に入ったお二人は、室内を見回してうなずくと、
このあいだの演奏音響が録音スタジオのように響きがよかった記憶を、
無言のカリスマ中川氏ときょうも奏してみたいと申されたのである。
さっそく譜面台が組まれ、楽器がケースから現れるのを見ながら、
ご自宅の住居も地震が強烈で、ご婦人よりもべースのケースを抱いて避難した
ところが問題ではあるが、その大切なウッド・ベースがセットされ、
いよいよブビビル、ブッビビン、と4月の薄花色の空気に流れ出した。
荘司氏独特の弦を操る指さばきがクリヤーな音を響かせ、
左手のフレームと一体に連動する指が、プフとかブピとか弦に触れて鳴るのが、
メロディーにことのほか抑揚を与え録音に聞こえない豪華さである。
しばらく地を這い、時に軽やかに飴色のウッドベースから響きが流れていくのを聴いた。
一瞬の隙をついてカリスマ中川氏は、サクスのバオ!としたメロディの開始を、
アサガオ開口部の先端にご自身が立っているような切実な音の切っ先を響かせ、
もし大勢の観客が、節分の仏閣の演台の周囲に参集していれば、
すかさずドッ!とありがたい気分でスタンディング・オべ ーションの沸くところである。
だが、英国は、延喜式のように静かに感動を溜めて、長く味わうのがタンノイだ。
冗談の優れた荘司氏は、
「タンノイのなにゆえかは、およそ記述で承知しましたので、
一年後にでも感想を披瀝してくだされば」
合いの手も流石である。
当方は、1曲が終わった流れを遮ってめったにねだってはならないリクエスト、
『オーバー・ジ・レインボウ』をずうずうしく希望した。
「ああ、その曲なら、有名なジャズナンバーですから、いきましょう、
我々は、レパートリィも千曲以上、たいてい大丈夫です」
楽譜をちょっと捲る様子に、むかし某所で見たコルトレーンのナンバーを、
代わりに演したマルサリス氏が、楽譜をめくる様子と、腰をかがめ譜面を片手で広げる
角度が堂々としてなぜかそっくりである。
『虹の彼方に』の演奏については、ジャズ好きなら、パウエルやティータムや、
ペッパーやゲッツなど、いろいろな音色で脳裏に彷彿とされることであろう。
だが、この日、ベースとサクスで、余震の間隙をついて繰り広げられた演奏は、
当方にとって松平公の日記の気分まで斟酌できたところが望外の喜び、
殿様おそるべし、の世界である。
ご自分の演奏に、当方が手放しで虹の彼方に行かれてもこまると思われたか、
荘司氏は、一言、わすれずに付け加えたのが聞こえた。
「オーバーザレインボーもよろしいですが、最初の『ウッドストーリー』はわたしの作曲です」
2011.4/22


WOOD STORY

2018年12月28日 | ライブ演奏を聴く


ひとに誰も、おじいさんとお祖母さんがある。
明治生まれの祖父は、囲炉裏でいつも自己流の義太夫をうなっていたが、
あるとき小児の当方が、練炭の『コタツ』に腰まで入って漫画を読んでいたところ、
なにやら足元が熱くなった。
そこで、のぞいてみるとズボンに火がついているではないか。
驚いてコタツから飛び出したところ、ボオ!と一気に炎が大きくなってカチカチ山である。
板敷きの間を走りだすことしか知恵がなかったが、傍の祖父も驚いて義太夫をやめ
当方を追いかける。隣室で来客と話をしていた父も駆け込んで来て、
ふたりはDUOで追いかけてきて一瞬の間に四つの素手を
バタバタとズボンの炎を揉み消したので事なきを得た。
みな、何事もなかったように元の位置に戻り、当方もズボンをはきかえて、
またコタツで漫画を読みだした。
そのような孫に甘い祖父も、当方が割箸の先に針を着けた矢で襖に向かって
ダーツ遊びを仲間とやるときは、おこっていた。良い絵が描いてあったらしい。
祖母は、当方が生まれたとき、すでに他界していたので、写真で面影を知るのみである。
師走をひかえた先日の、ひるめし時、二人の黒服が現れ、
当方のような峠の藁葺きの茶見世に、丁寧である。
一方は、奥行きのある笑顔が谷啓を思わせ、もう一方は
祖父の若いときの明治の気骨を漂わせ、あくまで礼儀正しい無言の御仁であった。
「タンノイは、なるほどこのような音色でなかなかけっこうです」
あたりさわりなくうなずいて聴いておられたが、室内の音響が気になるらしく、
しきりに見回し、
「ぜひ自分たちは、車に積んである楽器をここで鳴らしてみたいのである」
と、当方を見て言っている。
この世に、タンノイ以上の楽器があるというのか、二人の黒服は、
狭い空間でサクスとベースをいまからDUOでライブを、と気前よく言った。
そう言われた当方は、母屋に錆び付いている開かずの金庫がもし開くことがあれば、
そのときは一人百万でどうですか、と言うと、
「では前祝いにちょっとやりましょう」
いやはやまさかの本気にニューヨーク仕込みのジャズを、
タンノイに聴かせてくださるそうである。
すぐさま準備がはじまって、楽器をかまえた二人のつらだましいが、
レンブラントの絵のようにさまになっている。
これは、本物だと気がついた当方は席を離れて母屋に走った。
「すぐに来て。いま新しいタンノイが聴けるから」
もう待ち構えていたベースがドーン!と、すさまじい一発で弦がぶるぶるゆれ、
静かな語りかけるようなイントロがはっとするような溌剌とした美しさで鳴らしてゆくと、
こんどは気骨の雰囲気のサクスが、意外に艶っぽく、しかも話のわかる
おとなの気分を全開にして次第にスタンダードナンバーは圧倒的である。
目前のタンノイと重なって透徹したジャズのフレーバーに油断した当方は、
となりに言った。
「この演奏は、キミへのプレゼントだから」
眼の前でそれを聞きとがめたベーシストが、楽器の向こうから
にゅっと顔をのぞかせて言っている。
「事前の商談もなしに、そちらで一方的に話を進めてもらっては困ります」
どうも、ジャズのむこうで聞えていたらしい。
二人のDUOは、ニューヨークというよりイギリスの気品をサウンドにみなぎらせたが、
鍛錬の技量を、さりげなく演奏に透かし見せたのか。
もしタンノイノのジャズに、人の陰影があるとしたら、
このような人々の音楽が到達して得たものなのか。
2010.12/18


南部藩のパイプオルガン

2015年01月02日 | ライブ演奏を聴く
枯葉が午後の日差しに、そこかしこ定めなく散っている。
南部藩のオルガン演奏会に行ってみた。
このホールを地図でさがすと、雫石川と北上川で挟まれた地形が
北緯も近似にあるニューヨークのマンハッタン島と似ており、
ミッドタウンの位置に音楽堂があって、
県庁の位置がブルックリンと重なっている。
平安中期に、豪族のドン安倍氏により厨川の城柵が構築されて、
奥六郡なる自治圏が盛岡を中心に一関まで広がっていたが、
現在の盛岡市の人口はおよそ三十万人である。
ステージに据えられた3段鍵盤オルガンは、
立体駐車場から20メートル歩いた小ホールにあった。
建物の外観はビルディングに見え、内部に350席のゆるく傾斜したホールは
ギリシャ・ローマの円形劇場の石席につうじているのかもしれない。
観光旅行で見る中世ヨーロッパの教会堂のドームオルガンと、
楽器の部分が中心のこのオルガンでは、どのように違いがあるのか、
タンノイを自室で親しんでいるものが、このうえなく大がかりな3段の鍵盤を持つ
オルガン専用のオーディオルームを目の前にしたような気分がした。
このホールに参集した観客は期待に胸を膨らませ、
左隣りに着席した若い女性二人も「きょうがとても楽しみだったの」と頷きあって、
また背後に座った客人のところに何人かの人が親しく挨拶を述べに来ていた。
右隣り通路側の女性は着席の時「失礼します」とこちらに言ったきり、
身を小さく気配をまったく消していたが、
演奏がおわると拍手する手の動きだけが眼のはじに見えている。
その様子が、当方など両手のひらで空気を潰すようなバチバチとやるものと違い、
前方に手のひらの空気を逃がすような上品な拍手を初めて見た。
会場の私語ざわめきが静まったころ、いよいよ開演のチャイムが流れ
照明が静かに落ちると、女性オルガニストは観客の拍手に迎えられて、
凛々しさ優しさ、はにかみといったものを一瞬のうちに表すと、
前半の3曲の作曲家である『ディートリヒ・ブクステフーデ』について
「すこし説明をさせていただきます」と話している。
ジャズの場合、MJQのライブコンサートでジョン・ルイスが
「ネクストピースはスケイティング・イン・セントラルパークです」
など曲目を告げる言葉がタンノイから聞こえたりして趣があるが、
これから演奏する人が作曲家の地勢的な背景や音楽史上の特徴を
時間をとって話すことはめずらしく、教養がやわらかな言葉になった様子に感心した。
いよいよ演奏が始まって、初めて耳に届いたパイプオルガンの音は、
どうもタンノイのコアキシャルユニットから直進してくるものと同じ高さにある。
スケールは、さらにホール両側壁の傾斜角を持った反響版や、
高い天井の残響が豊かに増幅されて混和し、非常に堂々とした心地よい音であった。
前半の演奏が終わって短時間休憩の時ふと思ったことは、
コルトレーンが少年のころ牧師である叔父の教会でクラリネットを練習していたと聞いたが、
もし彼がそのときパイプオルガンのすさまじい低音を体験していれば、
後世、カルテットを組んだ自前の演奏団に、
さらにもうひとつドラムスを加え2セットほしいと言ったこと、
あるいは譜面の上に音符を敷き詰めたシーツオブサウンドや
スピリチュアルな曲想にどんどん向かっていくのは、
このパイプオルガン時代の幼年体験がなさせたものではないか。
などと、つい職業的分析を適当に隣人に話すと、なぜかまったく反応がなく、
かわりに前の席の客が振り返ってまじまじとこちらを見ていたので、
ひょっとして二本差しかな。
短時間の休憩の後、演奏はバッハの曲に入っていく。
しばらく聴いていると一瞬、音の曇りのような感じがあり、
思わず座席から10センチほど耳を前後に動かして解消されたのは、
前方左に座る人が音波を遮っていたとわかるほど粒立った音が
オルガンパイプの切り口から真っ直ぐに飛んで来るのだろうか。
音波の指向性はちょうどオーケストラの弦楽パートの受け渡しが、
音のカーテンの風で揺れるような見え方とその快感が似ており、
パイプの指向性を咎めるものではない。
またジャズドラムスのスネアブラシのシャッシャッという音に似た、
細かいタンギングが連続して聴こえているのは何だろうと、閉じていた目を開いた。
それは奏者が両手の指をすべて平らに伸ばして
鍵盤を細かく正確に団扇のように連打している機械音で、
もとよりオルガンパイプからの音ではないが、
ケーテン公がこれを聴けば周囲の側近たちに
「ここにさしかかったら今後は演奏中でもかまわぬから拍手しよう」
と言うのでは、と思わせる結構な技を見せるオルガニストが、
タンギング最後の一音をピッと止めたとき、
最後の音符の発した残映が、左前方から当方の顔を横切って
右後方に飛んでいった航跡が感じられたのは、いったいどうなっている。
すべての演奏が終了し、会場が拍手につつまれた一瞬、
挨拶に起立した奏者がその拍手をパイプオルガンのほうに向けて
手を示したのが印象的であった。
ホールの外に出るとき、花輪から一輪の花をくばってくださった。
それを土産に持ちながら、秋の午後の日差しを受けて、一関に戻った。
廊下のうさぎが、一輪の花を見ている。