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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

ヤコペッテイ

2022年08月08日 | 奥大道など車にて


天気予報をながめて、夜の奥大道を一路、北に走った。
花巻街道にさしかかったころ、突然の牡丹雪が
夜空からフロントガラスに盛大に降りかかってきた。
ライトアップして走ると、雪女が衣を翻した白い壁で前が見えない。
おまけに、前方にビルデイングでも立ち塞がっているのだろうか、
屋上に大きなライトが3個点灯し、中央のライトが
バッ!バッ! と赤く点滅している。
突然、夜空をフワッと動いたので気がついたが、
奥大道の傍にある飛行場から離陸した巨大な旅客機であった。
ここが花巻空港らしい。
頭上の点滅するこれみよがしのライトは、
雪の夜の空にみるみる離れて小さくなった。
ヤコペッテイの映画 『世界残酷物語 』 に、
地上に二本の滑走路が見える。
太い一本は外国軍隊の造った本格的滑走路であり、
フエンスの傍にそまつに並んで造られたもう一本の草をむしった滑走路は、
村人が総出で、真似をしてこしらえたものである。
轟音をたてて着陸する隣りの輸送機を見ながら、酋長は、憮然として言う。
「あの天からの贈り物は、ほんらい我々のところに来るはずのものだ 」
なるほど。
すると酋長は一計を案じ、こんどは夜に村人を総出に松明を持たせ、
手製の滑走路の両側に並んでライトアップし、天からの着陸を待っている。
ここは、笑うところなのだろうか。
最近になって、映像はヤコペッテイ一流のジョークではないか、と思う。
奥大道は、いまでは国道4号線と名が付いて、
一里塚や金色の笠卒塔婆のかわりに、点滅する信号機が路面を照らす。
雪道を盛岡から無事に帰宅し、オーディオの席について、
英国のタンノイ社が米国で売りだした「アメリカ・タンノイ」の
音響に興味を持った。
『アメリカG・R・F』であるとか『タンノイ・ロックウッド・メージャー』など、
相当な外見と轟音で鳴ると騒がれて、好事家を悩ませている。
ユニットはモニターゴールド15なので、米松の箱を拵え、
オルトラーニ作曲『モア 』 をいつか聴いてみたい。
2013.12.30

342号線の小学校跡

2022年05月26日 | 奥大道など車にて


須川岳(栗駒山)に342号線をしばらく登っていくと
左手に昔の小学校の跡がある。
三角山のちかくの記憶が有るが、
はたちの夏休みに一泊させていただいた。
その夜、村の人が顔を出してぼちぼちといろいろ話を語る。
囲炉裏のそばでなんとなく聞いていると、
村でおきているさまざまの様子の紹介と、
困っていることはないか
それとなく尋ねていたような気がする。
ブランコのあった校庭もあれから数十年、
蝉の鳴き声もそろそろ鈴虫に変わって、
清浄な空気感が周囲に満ちているはずである。
この付近にも、隠し温泉があった。
2013.9.8
2008.6.14の大地震4022ガルで近くの橋が落下したが、
分校は残った。

旅の空

2022年05月11日 | 奥大道など車にて


タンノイの音は、枕をそばだてて聴き、
香爐峰の雪は簾をかかげてこれを見る。
平安時代は、遠方に住むひと、古都平泉を和歌に詠んでも、
じっさいに束稲山のサクラを観ることは難しかった。
あるとき、小雨にけむる北上川対岸を走って、
いまでは平らな農地になっている束稲山下を抜け、
柳之御所遺蹟を初めて見に行った。
横断歩道の傍に無断駐車した柳之御所は、大きな堀に囲まれ、
長屋王の建物にも似た豪華な書院や池や築山などの跡があった
いにしえの様子が想像されて、歴史に浸る気分の一刻は申し分ない。
御所の傍らを流れる北上川と、対岸の束稲山の間にも
多数武家屋敷や町屋が並んでいた記録があるが、
人口15万ともいわれる人々の経済生活はどのようなものか。
かりに、板葺き家が千戸も再現されて、どれでも一泊素泊まり千円。
そこにおじゃまして夜鳴きそばでも食べながら、
芭蕉は二泊したらしいから温泉でも入って一句詠む。
おもしろや ことしの春も 旅の空
2013.6.27
越谷栗名物かたじけなし


木の芽時

2022年04月23日 | 奥大道など車にて


ジャズLPで靴といえば、クールストラッティンのハイヒールかな
伊達藩一番町より春の便りが届いた。
高速道にも前後左右に春の靴
東北道を花巻から過ぎたあたりでポルシェ911に抜かれ、
ウッ、と思った頃、 出発前に小一時間、
荷風先生の『濹東綺譚 』 に目を通したことを思い出した。
濹東とは隅田川東をさしているらしく、わずか120ページの
1936年ころに書かれた新聞連載は時期的に
H・バレンタイン氏がパリのことを書いた北回帰線の4年あとのようだ。
かたや隅田川、一方はセーヌ河で、サーベルを鳴らす検非違使から
言問橋の番所に誘導され手持ちの風呂敷を開くように言われると、
襦袢女性下着や印鑑証明書や戸籍謄本が出てきた様子、
雨の傘に、背後からアナイスのような女性が小首を差し込んで来たので、
言われるまま家に行った様子などがたんたんと綴られていた。
当方は、用事を思いだし熟読できなかったが、
巻末に奥野という人物の解説がある。
2013.3.30


早春

2022年04月22日 | 奥大道など車にて


日本のバブル絶頂期は1989年頃といわれ、そのころ
然る地で所有物件を手放したところ、購入価格の2倍になっていた。
だが、買換えに余得が効果を表す20年待たねば、おなじことである。
日本中の小川のフチの空地にまで買い手の付いたころ、
全国土の総価格が2360兆円。
人それぞれ何事か計算し、生き生きと大忙しであったころ、ジャズは。
夏用タイヤに替えたので、ちょっと走ってみようということになった。
郊外に出ると、白い道にまばらに車が走り、
草木も芽を吹き始め気分は最高である。
岩手のいちばん南の町に国道4号線が差しかかるころ、
脇道に入って昔の記憶を楽しんだ。
前にも記録した花泉という土地であるが、隣が藤沢といい、
温暖な町並みと広大な田畑を眺めながらエンジンは妙に静かなことに気がついた。
さしかかった路傍の食堂を二三軒はしごしたい気分を我慢して、
中央林間の更科という食堂の天ぷらお重を思い出していたが、
かりに別荘を持てれば、近くに北上川も有り、花の育ちもよさそうである。
おや、対向車線をはみだすような大型消防車がピカピカ電飾を光らせ、
威風堂々と近寄ってくるのが見え、操縦席が五合目のような上の方にある。
空母のような巨大な消防車はまだ見たことが無く、
麻布からでも走ってきたか。
「あのような消防車はいまではどの町にもめずらしくありません 」
隣の席の者が言っている。
モデルチェンジは乗用車だけではないそうである。
廊下の陽射しに、ウサギは気持ちよさそうに午眠している。
2013.3.20


地震の343号線

2022年04月09日 | 奥大道など車にて


日本列島が強震に揺れた先夜のこと、
343号線を海側へ走っていた。
そのとき車内に奇妙な振動がおこり警告音が鳴った。
路肩の事業所前の空地に停め、携帯の緊急連絡から
大地震発生を知ったが、Royceのオーデイオ装置は盛んに揺れているのか。
しばらく待ったが回線混雑で通話できなかった。
そのとき、なんてこった、何者か当方の車を
道の反対側から探照灯照射している。
おまけに再び地震がユサユサと始まり、このゆれで津波は?
引き返すか。
だが周囲に停電はまだおこらず、ふたたび竹駒方面にすすむと、
峠下の町から避難しているらしい車の長い列を見た。
ただごとではない。
前方の暗い夜景には電飾ライトを回転させた業務車両が見えて、
反射装束を纏った1台が行く手に現れ、高田の海岸道路に近寄らないように
マイクで広報している。
では、大船渡に入るには隧道を行くのかな。
むかし道を間違えてゴミ焼却場の広場にはまりこんだところで、
あのとき係員が走ってきて、
「すみませーん、ご苦労様でーす 」
なんのこっちゃ ?
いまもって謎であるが、土地勘のない者にパズルである。
しばらく上下や左右に曲がった迷路を走ると、
トレーラーが二股道の半分を塞いで、いなせな若い衆が
ハンドルを動かしており、当方もハンドルを切った。
夜の街に不気味な長いサイレンは鳴り止んでいる。
やっと朝集殿に着いてみると、通信パラボラアンテナ車両はじめ
多数の車両で埋まっていたあの日がまぼろしのようだ。
警報の解かれた周囲は業務を終えた♀が一人、
また一人、門柱の鎖を超えて帰って行く。
満員のコンビニに寄って、官舎の駐車場に乗り入れた暗がりの
ヘッドライトに、熊本ナンバープレートを見た。
343号線を帰路、笹ノ田峠のループ橋を過ぎたあたりで、
ラジオからめずらしい『レナ・ホーン 』 の歌うムーン・リバーが 。
しばし耳を傾けたが、地震の止った夜道は凍ったマイナス2度であった。
寒さの森にひそむ鹿や狸に、先人の翁と一句詠む。
旅人と 我が名呼ばれん 白い月
2012.12.9

秋の巌美街道

2022年04月02日 | 奥大道など車にて


平泉から太平洋に向かう街道が343号線なら、
反対の日本海に向かう街道が国道342号線といって、
中世に平泉が大陸と交易した重要な街道である。
この砂金街道について、子供の時はピンと来なかったが、
唐辛子、唐木、唐三彩、教典など、馬の背にゆられて
入ってきたのであろうと想像する。
道の途中に、さきごろの烈震で中座した橋はそのまま残されてあり、
中尊寺経蔵別当の中世荘園遺跡があり、
岩山の隠し洞窟にはまだ砂金が入っているような噂もある。
久しぶりの秋の遠乗りで、荘園跡にたどり着けば、
遺跡発掘の説明板に、どれどれとつい見入ってしまう。
すると、背後に誰か立っている?
黄色のユニホームにアポロキャップの男性がにっこり、
「ゆっくり見ていってください 」 と言った。
―― あの鐘楼の鐘は意匠が凝って見えますが、と
たずねたわけである。
「この駒形根神社は、栗駒山頂の神社の分社で馬の木彫刻が
本殿に祀られたものが、明治の廃仏毀釈のときに、脇に移されました。
あの古鐘は、大戦の金属供出で兵器の材料になるところでしたが、
関係者が相談し土中に埋蔵しましたので、また鐘楼に釣り下がっています」
―― 荘園の中央を蛇行する川は、護岸がコンクリであるところが
わたしのような素人目には千年のイメージを妨げます。
説明の御仁は、嫌な表情もなく、言った。
「昭和の中頃まで昔の小川でしたが、川底が非常に浅く、
背後の連山に雨が多量に降る季節にはドッと溢れて、
あたり一面が湖水になったのです。
しばらく陳情し、いまのように深く掘った護岸工事ができました。
排水には直線の水路が水はけに常識ですが、学者のかたがお見えになったとき、
昔の蛇行そのままをたいそう喜ばれていました。
―― わたしのような観光客には、山頂に東屋があったら
空から荘園を見渡せるのに、とおもいます。
「以前と違って、景観保全区域になりましたのでそのかわり、
左奥の山裾に段になった特別の水耕田があり、
毎年豊作祈願祭りが催されるのですよ 」
専門知識人の、抑制のある自在な説明を堪能した。
当方と連れが聞くだけではまことにもったいないが、
谷を超えて空中を走ってくるダンゴといい、
さりげなく現れる専門の説明者といい、不思議な土地柄である。
そのとき、背後の山から谷に吹き下ろす一陣の風が、
荘園に広がる稲穂を黄金色の波にして中世そのままに渡っていくのが見える。
帰り道、マニュアルクラッチ車で、久しぶりに路面の振動を感じつつ
巌美街道を戻ると、脇の森林から伐採木を山のように積んだトラックが
割り込んで来たところが、風景に似合ってすばらしい。
平安の昔も、社殿建築に切り出された丸太を、
義経の遠乗り一行は真近に見たのか。
秋の342号線には、アール・ハインズの演奏する、
ロンサムロードが聴こえてくるようだ。
喫茶に戻ると、3人の客人が音楽巡りに立ち寄ってくださったが、
ベイシー楽団とサラボーンの演奏がタンノイで鳴るところを聴いて、
「ちょうどまえのところでJBLとマークレビンソンで鳴る
エラとベイシー楽団の演奏を聴いてきたところです」
たいそう喜ばれているが、マークレビンソンとは、はてな??
客人はこうも申されている。
「サラ・ボーンの最後の日本公演では、うちのホールでも唄ってくれました 」
淡々とした笑顔の、あやしい人々である。
2012.9.16

謎の二階大堂

2022年03月31日 | 奥大道など車にて


絵を見せられて、現物を見ないことには...と、
サザビーズで敬遠されるのが「絵に描いた餅 」 である。
『二階大堂』は、昔行って見た興福寺東金堂のような建築であったのか。
中尊寺を起点に、白河の関から陸奥の外が浜にのびていた
奥大道という幹線動脈を、
旅人になった気分でゆっくり歩み寄ってくるとき、
圧倒的光景で待っているのが二階大堂という。
奈良の東大寺をダウンサイジングしたような建物は、
二階層の窓に突き抜けた黄金の巨大仏像が顔をのぞかせ、
遠目にも山腹のギラギラ輝いているありさまが光々しくすばらしい。
旅人は奥大道に出現したあまりに強烈な物体を見せられて、
京に上る道すがらも思い出してはなぐさめられたようである。
そのころの歴史上の大事件は、チャンスをねらっていた鎌倉幕府大軍が、朝と晩に
毎日30万食も消費しつつ平泉に攻め上ってきた源頼朝事件であるが、
二階大堂を下から見上げて、頼朝はグッときた。
鎌倉に戻ると、同伴した絵師に頼んでおいたスケッチ絵図を
政務の合間も取り出してはながめ、ついに鎌倉の地に再現を決心させる。
そんなにいいのかと当方も遅れて鎌倉に駆けつけてみたが、
もはや焼失して二階堂という地名だけが残っていた。
頼朝に実現できたことが現代に不可能なはずはない、と誰も思っている。
桜山を背景にした風光明媚な地形に『柳の御所 』 をまず再現し、
二階大堂と、十円硬貨の裏にある絵柄と三点セットが楽しみである。
当時の平泉は、都市計画に風水を駆使しながら、祇園など
京の地名が散見されるように、先人の本歌取りの遊び心もあったらしく、
あるいは京から呼び寄せた大勢の職人たちのなぐさめであったか。
当方の知人宅の庭も「京の庭師を招聘して造作させました 」
と枕詞にいうほど、やんごとなきありがたさというものである。
子供のころバスに乗ると、停留所で 「ぎおん、ぎおん~ 」 
車掌の涼しい声がした。
御所の周囲を、見ず知らずの旅人に観光されては検非違使の都合もあり、
金色堂の建つ関山の中腹に奥大道のバイパスを通し、
中尊というネーミングの初めと終わりを二階大堂と金色堂で修飾したのかもしれない。
先日東山からパラゴン氏がお見えになったとき、
「歴史の地にホテルを造って、ライフワークとしたいものです 」
するとその平安調ホテルの一角に、ふんだんに木材を多用したジャズ喫茶を
造るつもりではないか、と驚いたが黙っていた。
平泉において、地元産ヌーヴェル・キュイジーヌを朝顔の姫君とたのしみ、
パラゴンで聴くビビットなビル・エヴァンスなど、
皆の衆は、いまから心待ちにされることであろう。
完成のあかつきに、3月11日は堂内の点灯を衣川里から拝観したい。
2012.8.30

6月に聴くホレス・シルバー

2022年03月26日 | 奥大道など車にて


梅雨の季節に343街道を走ってみた。
緑の木々が道の周囲の森や遠くの山々まで
全面に生茂って、雨に葉を濡らしている。
路面も丁寧に、都心の渋滞に難儀した者が変化に富んだ道を走ると、
思わずカネ持ちのプライベート道路と錯覚するかもしれない。
ブルー・ノートの4185番はホレス・シルバーが1964年に
五重奏団のメンバーを変えて奏った自作曲である。
当方には、やはりなぜかB面の方が気分が良い。
彼は何枚もLPを多作しているが、
自分の作曲をピアノ演奏してご満悦の気分がうつってくる。
最後の曲は、LPのジャケットになっているポルトガル系親父殿の、
連れ合いを曲にしたロンリー・ウーマンのトリオといって、
ジャズ演奏では59年のオーネット・コールマンと思い違って楽しんだものだ。
雨の343街道の雰囲気に、まあどちらの曲も甲乙つけがたく似合っている。
景色をチラチラ見ながら曲を聴いて、ゆっくり走行しないとあぶない、
というのは鹿が出る。
笹野田峠といえども、そこは、新緑とジャズのみ。
2012.7.1


パンク

2022年03月23日 | 奥大道など車にて


青葉若葉の光のどかな山や谷を眺め、
ぶらぶら走る春の343号線もまた情趣がある。
するとなにやら、ズブズビと路面で音がして、
急に車が傾いたではないか。
oh! パンクしている。
タイヤのメッシュの針金が覗いているところを初めて見たが、
そこまで消耗しているとは。
レコードの針もタイヤも、走る道具には寿命が有る。
購入して12年の車体は、6万キロ走ってめでたくゴールド免許証に
変えていただいた強運であるが、金ケ崎の陸運局から戻る途中、
平泉の有名な速度検挙坂道に差しかかったとき、
前方にゆっくり黄色のロングトレーラーが走っているのが見えた。
こういうときは007モードに切り替わり、ブロフェルドの一団を警戒し
追い越すかどうか迷うが、下り車線を塞いで走られると、
空いている右に車は競走馬のようにせりだしてしまうものだ。
やはり黒車が脇道から飛び出してきて、前方の交差路に向けて
突っ切ろうという宮城ナンバーである。
中にイケメンが2人乗っている、ゴールド免許証危機一髪。
こ車が納車された昔、花泉の営業社員殿に無理をいって、
透明コーテイングをダブル塗装した効き目なのか雨晒しに耐えているが、
操縦性能は記憶のトロッコのように動きがパッとしない。
おかげをもって運転は慎重に、ときに素早く。
パンクの車を公道から傍の隘路を下降させて農道に降り、
上着を取ってタイヤ交換にいそしんだ。
10分ほど過ぎた頃、午前中の天気の良い山麓の一軒家から
様子を見る人が現れたが、手伝いのいるほどでもない。
きょうは仙台からジャズを聴く御仁が現れて、
そういえば角五郎の早朝五時のスーパー駐車場でも、
コーヒー自販機におさつが入らないので手間取ったら、
遠くから塵取と帚を持った警備員殿が掃きながら近寄ってきた。
ブロフェルドの一団は広域に活躍し、油断は禁物である。 グフ。
343号線のパンクの記念写真を、きょうは郊外のDP店まで取りに行った。
「75円のサービスポイントはすぐ使えます。どうされますか 」
それらの写真のなかに、最近の仕事場の写っているものがあった。
棚の本のほとんどが頂いたもので、
まだ読んでいないことは楽しみである。
2012.5.10
背表紙が楽しい本棚も、震度5以上で盛大に落下する。

ピアノソナタ 『月光 』

2022年03月20日 | 奥大道など車にて


ベートーヴェンが30歳のときジュリエッタによせて作曲されたという
作品14番『月光』は、はじめに緩徐楽章が弾かれる変わった曲である。
これまでの印象では、右手の三連符と左手のオクターヴのバランスが
無限の難曲であり、とうとうめったにタンノイで聴くレコードがない。
テンポがゆっくりすぎると「気のきかないひと 」 であり、早すぎては「せっかち 」
いまだめぐりあえないレコードベストワンである。
月光ソナタをせっかくなのでイラストにすると、
月夜を走る蒸気機関車のようなおごそかにロマンなベートーヴェンが浮かぶ。
第二楽章になり、晴れやかなメロデイにジュリエッタの登場を思うと良いのであろうか、
この楽章は女性ピアニストの演奏が良いかもしれない。
最後の三楽章は、隔てる障害の出没を曲にしているように、
ウラディミール・ホロビッツの真っ直ぐな指と、あるいは直角に曲げられた
強打の自在に入り組んだ表現に感心するばかりである。
やはり第一楽章は、モラベッツも良いとは思うが、
グルダでもケンプでもルービンシュタインでもグールドでも、
まだ先があるのではなかろうか。
先日、久しぶりに343街道を走ると、高田の海と平行のメインストリートに
ガソリンスタンドが開いてアッと思った。
343号線の山沿いの区域は、道路をときどき鹿が散歩しているので、
スピードを出すものではない。
昨晩見たのは以前会ったニホンジカと違い、カモシカだった。
崖に身を寄せて車を避けている姿が、
あたりまえだが、なんとも賢い。
2012.4.17
鹿が増えすぎて食害にたまらず、
大槌町の猟師の活躍のテレビ番組をみた。
むかしお世話になっていた会社の食堂で、肉抜き料理を
注文する菜食人が居たので、「変ってる、 」 と言ったら、
「キミ達こそ、よく平気で肉を食べれるね 」

国道343号線の怪

2022年03月15日 | 奥大道など車にて


一関から高田、大船渡に走る道程について、
おそらく誰でも二つのことを警戒している。
ひとつは、いうまでもなく雪道に乱高下する坂道で、
御椀のフチをなめているような凍ったカーブを走るとき、
ラズモフスキーの演奏にみる超絶の緊張感さえ感じるのは、当方ばかりではない。
このとき非常に役にたつj=1/u=Pというギヤの減速比であるが、
エンジンブレーキを有効に活用すると、なんなく車体の安定を保ったまま
コーナリングが可能であることを試してみた。
ふと左右の白い絶景に見とれていると、動物がいきなり薮から飛び出し、
先日の場合は左車輪の前を数メートルも、
競争して走っていたのには呆れた。
これがF-1カーであったら、疾風の輪禍にまみれているところである。
まったくもって、お役所の道のりかたずけ班をわずらわせるところ。
343道の途中にいくつか待避所があって、車が停まっており、
2台がハの字に構えていたりするのを見ると、
左右どちら方向でも瞬時に出動できるように居るのかもしれず、
港の見える丘公園と考え違いして、さまたげになってはならない。
昨日の夜、竹駒橋にさしかかってとうとうパネルに、
黄色の給油ランプが点灯したのを見、ギョッとしたが、
車のみせた購入して初の機能である。
それからの道のりは、夜分の給油所を探しながらひた走って、
大船渡の近道はアップダウンに燃料を消費するため、
高田の無人の夜道を抜け『三陸道』を疾駆して、
とうとう最後の一滴で大船渡の出口の給油所に着いていた。
ガソリンタンクの底には水が沈殿しているというが、
水割りチェイサーで走っていたのかもしれない。
343号線の途中に、夜間給油所がいつか完成することを期待しつつ、
それにしても、途中の小川の橋に大きな説明板があって、
書かれてある昔話を車内からしばらく読みふけっていると、
傍を通った車がピッと鳴らしたのは、何 ?
F-1カーが無理であれば、1台4億円のブガッティで走ると風景はこのように。
2012.2.12
エンジンブレーキの制動を気に入った当方は、
のべつ幕なしに使ってミスター・ビーン状態だった。

秋深し

2022年01月26日 | 奥大道など車にて


一番丁から秋のハガキが届いた。
関ガ丘の哲人が、文化祭の帰りに珈琲を喫すると、
ウインドウズ95の最近の調子をご報告くださった。
当方もWIN.OS-2のハードデスクのパリパリ
読み込む音を鳴らして笑った。
最近手習いの麻雀で、六十年に一度あるかないか
といわれる東南北が各三牌と、発二枚がドラで、
リーチつもってしまったので、このゲームはもはやこれまでか。
ちょっと新しいあそびをさがそう。
秋の紅葉に一瞬雪の降ってしまった須川岳を
観光に行くべきか考えるが、
麓の路傍の売店に、
キノコや栗やリンゴが並んでいるという。
2010.10.31

炭焼藤太の伝説

2021年10月06日 | 奥大道など車にて


洛中、洛外に居宅をかまえていた『金の長者』の昔話は、
これまで多くの人々に楽しまれてきた。
当方が県境の自動車教習所にかよったのは、
自分で車を運転するためであったが、
彼の地の生活にまったく車を必要としなかった当方に、
教官たちは、疑問符をつけてめずらしく思ったうえ、
一緒に車に乗ってあやしいハンドル捌きをたしかめると、
「やっぱり、初めてですねェ」
と失礼な一言をもらした。
車の運転は、義務であればうっとうしいが、
坂道発進やペーパーテストを通過して、いよいよ免許証が発行されたとき、
気に入った車が届いて、天気のよい休日にエンジンを空ぶかしするのは、
タンノイの調子をみるように楽しい。
他人様に乗せてもらうのと違い、フロントガラスに広がっているのは趣味の世界である。
それまで気になっていた地理上のポイントに、
国道四号線の教習コースでみかけた『炭焼藤太』という
金の長者の遺跡標識があった。
炭焼藤太は、平安時代にこの地が京の都から見て秘境であったころ、
木を切り出して炭焼きを生業としていた伝説の人物であるが、
沢のあちこちに光っている金塊の値打ちを、京からやってきた娘に
はじめて教わって、採掘と販路を確立し大金持ちになった昔話である。
それからここは『金成自動車教習所』と、そのものずばりの地名が残って、
炭焼藤太や金売り吉次の採掘は平泉藤原三代の発展の原資になった。
聖武天皇の御代に、奈良の大仏に鍍金する砂金を、
はるばる馬をつらねて贈った史実があるといわれている。
最近の産出は途絶えているが、いまも沢に入ると数時間でわずかな
砂金を採ることができるため趣味の採掘マニアが出没する。
タンノイはいま、FRANK WESSの『OPUS DE BLUES』が鳴っている。
そういえばサイドでピアノを弾いているハンク・ジョーンズ氏は、
さきごろ川向うでライブを敢行し健在振りを見せていたが、
数日前のテレビコマーシャルで記念CDが黄金に鍍金され、
俄かに炭焼藤太の錬金伝説が連想された。
アルテックA-7でオーディオを楽しむ松島T氏がROYCEに現れて、
ライブの行われた当日に駈けつけ聴いたジャズ・ライブの感興を、
「満員のジャズ・トリオのライブを眼の前に体感して、
あのように素晴らしいものであったのかと初めて知りました 」
黄金のホーンのついたタンノイをうっとりながめて申されたが、
当方は、右から左にそれを受け流した。
みちのくのジャズ世界に、車も黄金もさまざまの物語を彩って続いていくようだ。
2009.10/11

透明に近いブルーの時間の駐車場

2021年09月20日 | 奥大道など車にて


旅先の朝六時の、限りなく透明に近いブルーの時間に、
一枚撮る。
駐車場傍らの自販機でモーニング・コーヒー缶を
買う操作すると、御札がはいらない。
遠くに人が現れて、箒と塵取りで映画のエキストラのように
掃きながら通り過ぎようとする。
朝6時に、働き者の人であるが、
たしか007のバハマのシーンにもこのようなのがあった。
このあと車は、爆破されて飛び散るのだが、
「あのー、ちょっとこの操作? 」
チリひとつない朝六時の駐車場は、心地よい。
申訳ないが、この御本、まだ未読である。
たまきはる 宇智の大野に馬並めて 朝踏ますらむ その草深野
2009.6/6