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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

志津川街道の旅 1

2020年08月29日 | オーディオのお話


昨日300BPPアンプの修理が完了しSA氏はご友人を伴われ
二台をROYCEに搬入してくださった。
定電圧回路をバイパスするか名医は逡巡しておられたが、
やはり従来の音で、ということになった。
SA氏は先日まで一人で中国に渡り特殊な技能を生かしてかの地の発展に寄与していた。
仕事が終われば異郷の人々と白酒を酌み交わし身振り手振り交流したお話を伺い、
杜甫李白の世界に更けてゆく夜を思った。
万葉の歌人大伴家持が、
『あずまなる みちのく山に くがね(黄金)花咲く』
と詠んだ東北の産金地帯には、黄金のオーディオ装置もあちこちに眠っている。
SA氏のご紹介で、あるとき大型JBLの3チャンネルマルチセットを鳴らしているという
SS氏を訪ねたことを思い出す。
無類のオーディオマニアのK氏が、御自分の高級車をご提供くださった。
初めて乗った車は、路面の上を吸い付くようにゆったり移動して、
大型スピーカーのようなけっこうな案配である。
途中、北上川にかかる大きな橋のたもとで車を停め、
大戦中、米国のグラマンが機銃掃射したといわれの残る
鉄橋のアングルに弾痕を探していると、地元の老人が通りかかって
「あのへんだ」
漠然と天を指してみせた。
やがて道は海辺に抜けると、そこにおだやかな志津川の町は広がっており、
近代的に整備された海浜公園から美しい景観が広がっていた。
一関から直線にして50キロの距離である。
SS氏とは一度の面識があるが、どうも以前から知っていたような気がする人
と思うのはなぜか。
迫市にあるSA氏のオーディオ工房に入り浸ってアンプ作りに熱中し、
遅くまで作業してそのまま泊まり込むことしばしばで、ついにSA氏の奥方が
「あなたたちはどうなっているの?」
と冗談話がオーディオマニアの身につまされる。
お宅に到着したとき、ちょうど工場から出てこられた人がいて、
SS氏ではないのかと遠目に眼をこらした。
SS氏も、こちらを何者か?と波長が遭って、
「きょうはいよいよ、装置を拝見しにまいりました」
と挨拶すると、SA氏からもお話が通っていて快く工場に案内してくださった。
その途中、左手に牛舎があり数頭の牛が真っ黒な宝石のような眼をして、
口をもぐもぐさせていた。
その右手に鳩小屋のようなものがあって思わず覗き込むと、
微妙な鶏が一匹。眼を凝らすと初めて見る鳥骨鶏と言うそうな。
SS氏はひょいと抱き上げて箱から外に取り出し目の前にどうぞと置いてくれた。
育ちがよいのか大人しくトサカに羽根状のふさふさしたかんむりを持ち、
蹴爪がクエスチョンマークに曲がっている優雅な動きの鶏であった。
いよいよ案内された工場の一角に鎮座しているJBLを見てドヒャーとのけぞった。
観葉植物に隠れているがどう見てもベイシーと瓜二つのビッグシステムではないか。
予想外の光景に息を呑んでSS氏を見ると、パチパチンとスイッチをさわって
切り替えて、まず「げんこつ」のほうを鳴らしてくださった。
ほかに蜂の巣ホーンもあって適当に気分にまかせて鳴らされるそうである。
メインの大型装置が鳴り始めると、驚いたのが
真空管で駆動した時のベイシーサウンドである。
JBLを6台の真空管マルチで鳴らしたらどうなるか、オーディオマニアなら
あれこれLPジャケットと音を空想しないではいられない。
それを実現しているのがSS氏だ。
この音の印象は、点ではなく面で放射されるサウンドといったらよいのだろうか。
とろりとした濃厚な音である。
工場の機械の音とJBLサウンドが溶け合って、自分の好みと違和感無く
JBLを楽しめたので、かえって首をかしげるしまつである。
ユニットのパワーが騒音を楽々と押さえ込むのであろう。
「これは重要文化財級のすごい内容です」
微笑まれるので、さもありなんと底力のある音にクラクラしながら
さされた指のさきを良く見るとスピーカーのことではなく、
真空管やコンデンサーの並んでいる航空母艦状のデバイダーを指している。
一抱えもある大きなマルチチャンネルネットワークは、
迫市SA氏の設計になる管球デバイダーであるが、
中身はすべてUTCのトランスでかためてあるそうで、重量もかなりありそうだ。
たんたんとしたSS氏が唯一自慢された物件であった。
三相200Vから電源を取っており、
「工場のラインと同時に稼働すると、やはり音がちょっとゆるいですね」
と言われたが、やがて静まり返える無人の構内に、
ひとりJBLスピーカーが楔を解かれて、マイルス、ロリンズ、コルトレーン、
続々とステージに駈け上がって乱舞する光景を想像すると、
うわさの黄金郷を見たような気がし、思わず興奮がわき上がる。
工場の操業も終わって一杯やりながらズズズン、ズババンと鳴らしていた或る夜のこと、
外に出てみたら、牛どもが一列に横に並んで工場の方に聞き耳を立てて、
首を振っていたそうであるからすごいマルチ装置だ。
正確に言うと、とほうもなくジャジーな牛どもである。
2006.2/24


銘球WE300BPP 

2020年08月29日 | オーディオのお話


5年目にしてはじめてWE300BPPアンプから煙が出た。
大変なことになった。
100Vのアンプを無理矢理105V駆動に改造してもらって、
やっぱりやってみるものだと悦に入っていたが。
そのときタイミング良く、今、大阪から戻っておられると、
隣町のSA氏からメールをいただいた。
ROYCEの中枢アンプのクオリティはこの方が担っている。
頑丈な真空管アンプもいつか壊れる運命で、
技術ある人のサポートが不可欠だ。
このSA氏は凄い。こんな音にしたいと注文をつけると、
ダメとか嫌とか、言ったことがない。
口をへの字に結んで考えておられる。
無理難題のときは、コメカミをぴくぴくさせておられる。
頭脳がフル回転しているのだ。
フィラエンザールのウイーンフィルの75人のスケールや、
サンデイアットビレッジバンガードのスコットラファロの
ベースの出来栄えは、この人にかかっている。
マイルスのトランペットは、じつはアンプが吹いているのだ。
ROYCEのモノアンプはWEを各2本使用し、
電源トランスの重いだいぶ回路に凝ったアンプで、
「またこれと同じ物を造るのは、かなり気力がいります」
と溜息まじりに申されるS氏に、
「こんどぜひ、誰も造ったことのないような凄い最終アンプを造りましょう」
更なる傑物を持ちかけている自分に気が付いた。
WE300Bという管球は一旦製造が終了し、刻印モノ1本10万
といわれるマニア垂涎の幻の銘球だが、
そんなサイフの不条理をナゼ4本も使うのか?
それは使った人でないと解らない愉悦があるからだ。
しばらく遣隋使をなさったSA氏が、中国製の300Bを大量に輸入したので
20本ほどROYCEに置いておきましょうと言われた。
そこでさっそく差し替えてこの3万円の球を鳴らしてみた。
なかなかよろしい。これでも良いのでは...。
一週間ほどしてモトに戻して聴いたWEの瞬間的印象というものがある。
解る人には値段は正しい。
2006.2/17


野分き

2019年06月01日 | オーディオのお話


オースチン・アンプのノイズがひどくなってきた。
音が変わってはマズイので、ここは我慢である。
ついに、バリバリ!という雑音で、問題の1本を変えた。
だが、高域も伸びて分離が良くなった、というのは負け惜しみで、
あまたある同じ型番でも、失ってわかる発見があるとは。
もはや、音楽を聴いても仕方がない。
オイオイ。
そうもいっていられないので、
壊れた5751を挿して、また聴いた。
ほんとうに、素晴らしい。
かけがえのない球であった。
台風一過の骨寺荘園まで、昼食に行く。
神社に昇ると、見渡す限り稲穂の刈り入れが、半分終わっていた。
護岸工事が有るらしく、ミキサー車がめずらしい。
見所の あれや野分の 後の菊
初期のコンタックスは、底板が脆弱で、
三脚に付けるといつか巻上げが動かない。
タイガー戦車にも欠点はあったが、そういうものである。
2016.10/3
九州のミステリアスなスイカ、良かった。
梅雨にそなえ、母屋でカーディガンを拝領した。
個人発行の日銀兌換券はそのままだか。


ハインケル111Z

2019年05月11日 | オーディオのお話


年明け早々、ハインケルの珍しいプラモを譲っていただいた。
ブロームウントフォスなど、まだほしい飛行機があったとは。
巨大なグライダーを牽引するため連結翼で馬力を強くした機体である。
72/1だが、二機分なので意外に大きく、感動した。
このまえ、川の傍の東屋でおにぎりを食べたとき、
テーブルに同席された見知らぬ御仁も
山谷S氏のことをご存じで、
当方としては仙人S氏の調整になる後藤ホーンサウンドの、
強烈なヴェートーヴェンを、ぜひ聴きたかったものである。
風の噂で、河崎の柵の御仁が80センチウーハーを、
54センチに交換ビルトインされて、
相当な仕上がりであるという。
また、
花泉のマグニフィセントの御仁が、
ピカピカ未使用のナグラSNSを手に入れたのを見た!という噂も。
西行の 庵もあらん 花の庭
2016.1/23

雪五尺

2019年05月08日 | オーディオのお話


垣根にスズメ達が、盛んに群れて遊び跳ねている。
時が移って、
いまだに謎のBC3は、高値の花のままあっさり市場から消えた。
幾つか理由を想像すると、ユニット生産が止まった、
開発者が変わった、
ほかにもっとよいもの思いついた、
高くて売れなかった。
スペンドールに大型装置の重金属音をもとめて、
アンプなど手を尽くしてみたかったが、
奥入瀬の客人はそのような音のことを、
「世界が違います」
と申されている。
これがまあ ついのすみかか 雪五尺
2015.11/16

坪庭の花

2019年04月10日 | オーディオのお話


レコード盤の音溝をひろった振動は、
微妙なコイルによって0.2ミリボルト発電され、
4個の接点から長いパイプアームに受け渡される。
そこの部位をカートリッジの接点端子といい、
両者は単にバネの圧着で、高額なオーディオ装置もここで非常に怪しい。
遠目に鏡面でありながら、拡大すると月面のような接点は
ミクロの接触でありそうだ。
あるとき、鉛筆の芯カーボンを塗ると良いとの情報を、
当方は真剣に試してみた。
驚いたことに、時間が経って何が起こったか、
非常にデフォルメされた奇妙な特性に鳴っていることに気がついたが、
それは当方に都合のよい、好みの音であった。
いわば押しの強い低音とギラッとした高音。
問題は左右のバランスが偏っている導通になってしまっている、
右端の席にいつも居る当方にぴったりのバランスであるが。
しののめの夢うつつの時刻に、
めずらしくヘリコプターの爆音が一直線に屋根上に接近し、
低い高度で飛び去っていった。
午後に現れた5人の客人は、
約50年前の江戸の某所で同級生と申されて、
当方の専用席に着座した人は良いとして、ほかの位置はどうか。
とても個性的な面々の片鱗をみせ春夏秋冬の景色に遊ぶと、
2台のタクシーに分乗して去っていった。
聴取位置で音に差があってはやはり、
思い立ってドリルで研磨し通常に戻したところ、
左右バランスは回復したが、あの音も消えてしまっていた。
それが、オーディオである。
2014.6/3
さて、ウサギはこれから歯医者さんまで。

一関の平安遺跡「泥田廃寺跡」

2019年04月05日 | オーディオのお話


啓蟄のころ、大地が暖まり眠っていた虫が動き出すと、
ネコヤナギの芽がふくらんでフキノトウが咲き出す。
先ごろ訪問した石坂の柵にほど近い小山に、『泥田廃寺跡』がある。
「堂跡三ケ所泥田山の内何の堂跡共申儀は相知不申候得共四方四五闇宛にて于今礎石相残往古よりの堂跡と申伝古瓦掘出し申儀も有之候処一向由緒等相知不申候」 ―― 宝暦13年1763風土記。
柱5間・張間4間の礎石建物と内陣に須弥檀の東柱礎石が見つかり、
けっこうな門構であったらしく、平安時代の布目瓦の出土があった。
現在は埋め戻され、雑木林の広場になっている。
この地もいろいろな変遷があって、現在の賑わいが有る
と歴史は伝えているようだ。
タンノイは、各種様々の装置が有徳人の館で鳴り響いているが、
当方、写真のようなJBL装置を探訪させていただいたことがある。
その音はどうであったか、思い出すと楽しい。
2014.3 /11


『マイケル・レビン』

2019年03月26日 | オーディオのお話


ハイフェッツ、メニューイン以来の神童とは、いったいどのような演奏か。
倉庫から発掘した『マイケル・レビン』のチゴイネルワイゼンを聴くと、
縦横無尽の野太い演奏がハリウッド・ボウルオーケストラの槍襖のような
演奏をバックにしてドドドッと響いてくる。
おもしろいと思うのは、ちょっとディカプリオに似たレビン氏、
グァルネリ・デル・ジェスと信じていた楽器でしばらく演奏、録音していたという。
仕切りなおして数年かかって、やっと本物を手にできたのが1958年のこと
といわれているので、この録音が、前か後かはわからない。
やすやすと圧倒的な技巧の演奏を聴いて、とても満足した。
夭折といってもよい生涯は、リパッティをしばらく連想する。
「新しい管球アンプを手に入れまして」
傍の客人が、タンノイを聴きながら、
「どれどれ、ちょっとそのジャケットを」と申されて、
すかさず同伴の御婦人もメモ帳をバックから取り出しペンを走らせる。
呼吸のあったさりげなさは、芭蕉と曽良の旅のようである。
演奏は熱いが、3月はまだ寒い。
碑文谷の寮の3畳間に入れたのがパイオニア製の三点セットで、
とても良い管球アンプにチューナーまで付いていた。
そのころ、同社の製品で富士のように聳えていたのがCS-100という。
オーディオ調整用テストレコードにキャピトル盤があって、
ハリウッド・ボウルオーケストラがスタジオ演奏していたが、凄く上手で感心した。
2014.3 /2

『アルテック・システム』

2019年03月25日 | オーディオのお話


軽薄短小が良いとする時代の前に、重厚長大の時代があり、
そのころの秋葉原界隈にはさまざまの特技を分担する、
多くのオーディオショップが軒を並べていた。
あらゆる技術評論を咀嚼して、なんでも取り揃え、
客のどのような無理難題にも耳を傾け、
「明日までに揃えておきます」と答え、
あるいは客をちょっとまたせて、二軒先の店の倉庫から借りてきて
目の前にポンと置いたのを見た。
青い眼の外人が「パラダイス!」と、愉悦の表情を見せた秋葉原。
飾ってはあったが、音の出なかった『アルテック・システム』を、
まだ聴いていないのが残念だ。
重厚長大は、そのまま続き、未知の世界があると考えていたが、
どうもそうはならなかった。
昨日の新聞に、ひょっとして小氷河期が来るのではないか、
と載ったきょうの地球にて、ひとまずタンノイを聴く。
2014.2 /23
誕生日に携帯をもらったが、小さくて
どうも電話番号も、頭に入らん。
軍用無線機が、なつかしい。

『ハーツフィールド』

2019年03月25日 | オーディオのお話


雪の奥大道を走って、一番緊張の迫られる区間は、
前沢、平泉街道のゆっくり曲った長いスロープである。
景色は良いが、風に凍る原野をトラックと並走してスリルに間断がない。
そのとき目の前を、時速55キロで驀進する除雪車が現れた。
これにピッタリ付いて走れば、どうかな。
ヨーロッパ戦線で、総統はポルシェ博士に
「最強の戦車」というものを提案されたが、史上最重量180トン
の『マウス』は、ロシアのクビンカ博物館に鹵獲展示されている。
強力な火砲は非常に良かったが、巡航時速25キロは
除雪車と同じスピードで移動が弱点であった。
だが、いま目の前の除雪車は猛烈なスピードで粉雪を撒き散らして走っている。
つくづく、性能は現実を見ることが肝要であると、除雪車はすばらし。
ラジオが鳴らす『FOUR&MORE』のマイルスは
ハーモン・ミュートを使っているのか、トニー・ウイリアムス18才、
ハンコック23才、ロン・カーター26才とは本当だろうか。
クロージング・ゴーゴーでアナウンスがパーソネルの紹介を始めると、
カーネギーフィルハーモニックホールの聴衆の歓声が耳を覆った。
『パラゴン』や『ハーツフィールド』でこの感興を味わったら、と思われる。
2014.2 /22
九州限定チロル、合せ羊羹、ウサギが横目でかたじけなし。



バイタボックス191

2019年03月24日 | オーディオのお話


英国『バイタボックス191』の鳴り響く音は、
非常に独特の音色で、憶えている。
大きすぎず小さすぎず30畳に納まりよいキャビネットの重厚な飴色は、
音楽に品格を約束しているようであったが、
ことのほか音色個性的で、たじろいだ。
当方には、同じ英国のタンノイの方が使いよく思われたとはいえ、
『191』を諦めているわけではない。
あるとき、山谷S氏の調整になるバイタボックス4ウエイを聴いて、
この人物であれば『191』も、自家薬篭中の慣らしかたで音楽が
聴こえるはずと、内心で唸った。
S氏の調整で鳴る『191』を聴いてみたい、と時々思う。
そのとき、北上街道の赤信号で停車していた前の乗用車が、
突然、抜く手も見せず屋根にライトを乗せ、反対車線にパッと疾駆して行った。
対向道路の信号無視を、追っていったものらしい。
これと同じ記憶を思い出すのは、目黒通りで突然何台かのクルマが
次々反対車線にターンして、あるいは新聞社の社旗をはためかせて疾駆していく。
ハンドルを握るタクシー殿に、ラジオを聴かせてと頼むと、
「都内のどこぞの御殿にセスナがいま墜落しました」と、臨時ニュースが流れた。
2014.2 /18
上品を絵に描いた客人が、碁敵の客人を同道されてタンノイを聴いた。


MCカートリッジ

2019年03月17日 | オーディオのお話


左は拝領の品、
右は最初に購入したムービング・コイルの国産品
中央はデンマーク・オルトフォンSPU-A型
先端のダイヤモンドチップは
エジソンが発明した当時の竹針や鉄針から進化した。
これら『カートリッジ』は、多数が世界各地の金庫にしまわれて、
次の出番をうかがっている。
針の音をまともに聴こうとするあまり、
数百万両を投じてレコード回転台を室内に置いた人もいる。
良い音のカートリッジは、針交換しない。
稲妻や 闇の方行く 五位の声
2013.10/3
きょうの柳の御所は静まりかえって、束稲山が目の前に迫っている。
庭園から須川山は見えず、金鶏山の奥に焼石岳が広がっていた。
当時は、領民の報告や行事をこなす順番待ちで、
厩に、美麗な駿馬が並んでいたはずである。

2台のピアノ

2019年03月16日 | オーディオのお話


オーディオ・サウンドを楽しむ者が
ステレオ装置のピアノ定位にこだわるとき、
2x = 2x
という単純な事実を、ジャケットが親切に黙示している。
ビル・エヴァンス ピアノ、電子ピアノ
サム・ブラウン ギター
エディ・ゴメス ベース
ジョン・ビール エレキベース
マーティ・モレル ドラムス
ミッキー・レナード アレンジ指揮オーケストラ
2台のピアノで同じキーを弾けば
音像は、エヴァンスが2人いるのだろうか。
街路を走ると、次第に路面も地震の修繕が進み、
方々の家屋の土台も回復しつつあった。
2013.10/1


響き

2019年03月11日 | オーディオのお話


オーディオ・アンプ作りも
家作りも
音の響きをイメージしながら考えるところは
似ていた。
完成するまで、どんな音になるか
まず、わからない。
2013.9/18

毎年3月11日は誕生日だが、
とんでもない日に重なった。
静かに神妙に、紹介状を取りに行った。