
オタクではないが、代理店というところにも興味があった。
江戸川にあったタイガービルのハーマンの次に訪ねてみたのは、
オルトフォンの当時の日本代理店である。
代々木の並木道をすこし入ったところに『オーディオ・ニックス』はあった。
鉄骨の階段を昇って二階のドアをトントンとたたくと柔和な年配の男性が顔を見せ、
ワンルームに、壁に向かった作業机が5つほど並んでいるのが見えた。
「このGTEを、トランスを外してGEの針を付けてください」
一般客が訪ねて来ることは無いのだろう。
どこから来たのかときかれて住所を言うと、ビクターの人ですか?
と勘違いされニコリとされた。
何十年も前のことだが皆、和気あいあい静かに組み立てのようなこと
をされていたように憶えている。針はその場ですぐ付けてもらえた。
いつもはアキバまで行って、名物おばあちゃんにお願いして、自宅に送ってもらった。
あるとき急いでほしいというと、若い衆がカートリッジを持ってどこかに消えていったが、
そのSPUは、ホールドベースが前後逆に取りつけられて往生した。
取りつけ角が傾いていても、ちゃんと音は出るからしばらく気が付かなかった。
名物おばあちゃんの居ないとき、代わりの人が菓子箱のようなものを開けて
「ではこれ」と代わりのSPUを渡してくれた。
家に帰ってセットすると、片チャンネルから音が出なかった。
電話するともう一個送られてきて、トクしたのだろうか?
オーディオ・ニックス時代の製品は、いまでもプレミアムがつくようだが、
我々の知らないノウハウが、彼等にはあったのではないか。
オルトフォンの蘊蓄をぜひ聞きたいものである。
☆読売新聞日曜版に連載していたドナルド・キーン氏から、
家の者に年賀状が届いた。
表も裏も自筆で、本物かどうか論議になっている。
☆牛乳店の社長がお見えになって「わたしの母校です」と、
サッカー全国制覇の感激もあらたに盛り上がった。
味のある勝ち進みでドラマのようである。
2007.1/9