goo blog サービス終了のお知らせ 

ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

佐沼城へ

2019年10月22日 | 奥大道など車にて


宮城登米市の佐沼城は、1187年藤原秀衡の家臣照井高直がはじめに縄張りし、
平泉から直線にして35キロ、原田甲斐の墓のある米谷の東陽寺から
西に10キロのところにある、交易領地の城柵であった。
記録には、鎌倉時代は葛西氏の、戦国時代は大崎氏の、
幕末まで亘理氏の城となった。
豊臣家の奥州仕置で、秀吉の家臣木村吉清5000石が大抜擢され、
葛西領も含む30万石を与えられたところ、
不満が爆発した葛西大崎一揆がおきている。
一揆勢は木村氏を佐沼城に追い詰めたが、
蒲生氏郷と伊達政宗が救出したのか。
稲の刈入れの済んだ耕作地は、何事も無かったように、
これから冬に向けて装いを変える。
ビバルデイの四季ばかりか、意外やマイルスがダメだと言っているオーネットの、
初期のサウンドが車窓の空気に溶け込んでいくところが発見だ。
市街地から迫川に細道を分け入っていくと、
豪壮な門構えの農家が集団で並んでいる一画が有り、
いずれの家臣か由緒を誇っているようだ。
数キロ離れた伊豆沼の様子は、ユーチューブライブカメラで見るが、
広大な水面を現地で眺めるのは格別の情趣が有った。
研究センター展望台で食事でも、と階段を進むと、農繁期はお休みで、
かわりに水槽の各種貴重魚類や剥製標本を眺めることができた。
行く秋や 鳥蹄き魚の 目は泪
颱風の隙をみて芭蕉にかわり、僭越ながら伊豆沼を俳諧紀行する。
2017.10/28
洪水に備え、地震で堀の石垣が崩れたところの修繕があった。
うさぎの美食に、吉宗のやつ享保の改革を迫ってきた。


巣伏村へ

2019年07月29日 | 奥大道など車にて


映画の『アマデウス』のエンディングで聴いたK466であるが、
第一楽章途中のカデンツア記号のところから、
ベートーヴェンのアドリブが使われるのは有名な話である。
なぜそうなったか、意外だが
なまなかなカデンツアでは、くらい負けする。
モーツアルトの曲想に加筆された凄味に、
なるほど、と聴者は感心したのだろうか。
K466は、K550とともに、めずらしい短調である。
ジャズのアドリブでも、メンバーの差し替えで、
予期せぬ側面が齎されたりする事は、期待されるところであった。
ルート343をひさしぶりに走ってみると、
連休後の水沢から千厩にアスファルトを敷いた千年街道は、
再び静まって、寺院は庭の手入れが始まっていた。
北上川河畔に櫓のモニュメントが見える、789年の有名な古戦場『巣伏村』であるが、
このとき朝廷軍が敗走し、大墓公阿弖利爲、別名セニョール・アクラが勝利する。
水沢軍と東山軍に挟撃された朝廷軍は、マズイとすばやく逃げたにもかかわらず、
戦死者25人、矢にあたる者245人、北上川で溺死する者1036人、
裸身で泳ぎ来る者1257人の損害を出した、と『日本紀略』にある。
朝廷が計画している植民地政策は、歴史を騒がせて永く続いてゆくが、
このころ秋田では、大仙市払田に胆沢の柵よりも大きい城柵が築かれていた。
田圃から現れた数千本の杉柱の年代測定が800年である。
奥羽山脈を越え、100キロ歩く交易の道路が胆沢の柵まで走っているので、
ぜひ、車を走らせてみたいものだ。
雉の巣も 見らるる花の 葉越し哉
2017.5/18
廊下のウサギの好物は、厳密に
バナナ、リンゴ、ラビフの順番にリアクションがついている。
当方の指を初めて噛んだのは、
ウヌ、味をみたか。
きょうは32°人間より大切なのでね。

元日に奥大道を歩く

2019年06月21日 | 奥大道など車にて


2017年の元日、
いにしえの奥大道衣川参道から中尊寺に入ろうと、
一番奥まった駐車場に停めた。
OHH!
なぜか、義経の通った衣川口の参道は、見あたらなかった。
雪が無く、歩きやすい月見坂に、
大勢の参詣客の、ボソボソと私語が聞こえる。
遠くで、金色堂の閉時間をコールしている。
本堂の周囲の、立ち木やロープにおみくじが、
冬の花のように満開になっていた。
大勢の侍が、ぞろぞろ歩いた歴史の道であった。
南都六宗の建築に、青墨で賛を付けたような、
二階大堂の復元をいつか参詣してみたい。
2017.2/1
古典的なスーパーカブが停まって、
赤いパーカーにリュックの客が垣根でボソボソ。

時の晴れ間に

2019年06月07日 | 奥大道など車にて


ロイ・ヘインズ氏のビートに乗って、
国道4号線を北に進むと、花巻を過ぎてまもなく、
開けた風景に山並みが特別に美しい所がある。
811年に『徳丹城柵』が置かれたところであるが、
律令の最前線に置かれた志波城柵が、
雫石川の氾濫で、814年ついに撤退し、
研究の末、ここまで後退した。
350メートル四方の城柵に、鎮兵500人が配置されたが、
さすがに北上川の氾濫を用心し、官衙倉庫まで引いた運河、
400メートルの痕跡もあるらしい。
国道脇の小学校に、城門の基壇が残っている。
付近の歩道橋に登って展望しながら、
ヘインズさん、チキチンチキチンと強烈にプッシュする
あなたはお上手です。
2016.11/14
自分の廊下だと思って大の字に寝そべったら、
うさぎには、それが気に入らない。
縄張りにうるさいうさぎだ。


一関の棒道

2019年05月12日 | 奥大道など車にて


源頼朝の鎌倉が台頭するまで、
古都『平泉』が東日本唯一の都市であったというからには
新幹線で東京から北上する途中の車窓の眺めは、
そうとうなものであったに違いないと、想像力を必要とする。
高速道インターを一関に降りて、
左に進めば名勝巌美渓や骨寺荘園遺跡があり、
インターからハンドルを右に切れば市街地を通り、
新幹線の高架をくぐり磐井川を渡り、古道、今泉街道は
高田松原の太平洋に続いている。
ビルの林立した喧噪の都市も趣があるが、
シューペリアやフェラーリに跨り、のんびり奥大道を走れば、
風の音に音楽が聴こえるのは、ほんとうだ。
道の半ばの某店にEMT-930sTがあることを、
某人が教えてくださった。
ドイツの名機といわれる、放送局に使われるもので、
五味康祐さんや瀬川冬樹氏が愛用しておられた。
さっそく見学に駆けつけた。ところが、
ドアの傍のウインドウに戦艦大和の巨大模型があってめずらしい。
細部まで精密に造られ、1メートルありそう。
田舎のけっこうな風景に気を取られていると、市街地の様子を忘れる。
遊び来ぬ 鰒釣りかねて 七里まで
2016.1/27


白崖弥栄線

2019年05月11日 | 奥大道など車にて


藤沢の黄海古戦場をドライブした先日、
対岸の山塊を迂回する北上川が見えた。
茂った崖の中腹を削って一筋の線が走っているが、
あれは道路ではないか。
後日、地図を見ると
白崖と弥栄をむすぶ239号線である。
冬の晴れ間にちょいと弁当を持って駆けつけたところ
現地の眺めは、やっぱり凄かった。
車がやっと1台通れる細道が中腹を削って通り、
眼下には青い美麗な北上川が流れ、漁をしている一艘が浮かんでいる。
王之渙か、蕪村か
白日依山盡
北河入海流
欲窮千里目
更上一層樓
ばったり対向車と出くわして、相手は手招きしている。
幾つか待避路があり、無事にすれ違うと
車内で弁当をひろげつつ聴くピアノ・トリオの名曲は。
織田信長が領主なら、入口と出口に柵と高楼を造って
銭を取るような、見たことも無い景色が良かった。
2015.12/7

ゴールデンウイーク

2019年04月24日 | 奥大道など車にて


ゴールデンウイークは、日本だけかな。
観音山の中腹にあるという舞草刀鍛冶遺跡
の周辺を回遊してみた。
道は良いが、借り物のスーパーカーなので、
ギヤチェンジに非常に気を使うのは、当然だが。
滑走路のような柵の瀬ハイウエイにさしかかり
いよいよハイオクのパワーを試そうとすると、
やや、
業務車両が、田圃のあぜ道に!
おにぎりを頬張りながら想像してみると、
平安時代後期の柳の御所からみて、
観音山に、刀剣を産する煙の多く立ち昇る見ゆ、か。
翌日、
霜後の滝観光に、スーパーカーをゆっくり走らせた。
東屋のテーブルで、弁当をひろげると、
やや、
誰かバイクで鳥居のところからのぞいている。
御仁も相席で弁当を広げてみせるが、
おにぎりの、みごとな海苔の黒さと形の良さ。
後楽園のジャイアンツ戦で、隣りの家族がこっちの弁当に、
紙吹雪をかけてきたのを思い出した。
翌日、
金流川の河口が北上川にそそぐところを見に行った。
車で川面近くに立ち寄れるのは、非常にめずらしい。
カニ漁をする船が二艘、舫い綱に引かれている。
弁当を広げていると、バス釣りの人が居て、
川面にドブンと、魚が跳ねていた。
行く川の流れは絶えずして、
平安時代は、砂金が流れていたという。
石越の御仁がお見えになって、
七割ほど、完成したと申される。
蔵の中で聴く、バット・パウエルか、いいね。
2015.5/3

温泉

2019年03月02日 | 奥大道など車にて


先日お見えになった水戸藩士の3方が話しているのが聞えた。
「ブログが6月27日から更新されていませんね」
珈琲を淹れているとき、当方のことを言っているらしい。
どうしてもパスワードが入らないので、それから止めたのだが。
そういえば、楽天にもブログ蘭がある。
ところで、
明治生まれの祖父が温泉に出かけるとき、
麦藁帽に草鞋を履いて二日がかりだったが、
父が畑を埋め立てて銭湯を造ったので、
茣蓙の上で義太夫を唸りながら、芋茎の皮をむいたあとで
入浴できるように祖父はなった。
当時、小学生の当方は入浴が嫌いで逃げ回っていたが、
いまこうして、栗駒の温泉に浸かって、露天の雑木林を眺め
鼻腔から硫黄のほのかな香りが脳天に伝わる頃、満足感で満たされる。
車で40キロで到達する隠し湯は、街の周囲の地形にあるが
きょうは夏も終わりで、客が2人だけとは、もったいない。
高原の青い空の下を抜ける頃、八洲廻りのむくつけき団体とすれ違った。
喫茶に戻って『MidnightFreight』をボリューム大で聞くと
タンノイも、あいかわらず良い音である。
2013.8/23

早春

2019年02月21日 | 奥大道など車にて


日本のバブル絶頂期は1989年頃といわれ、
このころ然る地で所有物件を手放したところ、
購入価格の2倍になっていた。
だが、買換えに余得が効果を表す20年待たねば、
おなじことである。
日本中の小川のフチの空地にまで買い手の付いたころで、
全国土の総価格が2360兆円。
人それぞれ何事か計算し、
生き生きと大忙しであったころ、ジャズは。
夏用タイヤに替えたので、ちょっと走ってみようということになった。
郊外に出ると、白い道にまばらに車が走り、
草木も芽を吹き始め気分は最高である。
岩手のいちばん南の町に国道4号線が差しかかるころ、
脇道に入って昔の記憶を楽しんだ。
そこは前にも記録した花泉という土地であるが、
その隣が藤沢といい、温暖な町並みと広大な田畑を眺めながら
エンジンは妙に静かなことに気がついた。
さしかかった路傍の食堂を二三軒はしごしたい気分を我慢して、
中央林間の更科という食堂の天ぷらお重を思い出していたが、
かりに別荘を造れば、近くに北上川も有り、花の育ちもよさそうである。
おや、すると街路の対向車線をはみだすような大型の
消防車がピカピカ電飾を光らせて威風堂々と近寄ってくる。
操縦席が五合目のような上の方にあり、
航空母艦的、巨大な消防車はまだ見たことが無い。
麻布からでも走ってきたか。
すると隣の席の者が言う。
「あのような消防車はいまではどの町にもめずらしくありません」
モデルチェンジは乗用車だけではないそうである。
母屋の廊下の陽射しに、ウサギは気持ちよさそうに午眠していた。
2013.3/20

地震の343号線

2019年02月16日 | 奥大道など車にて


日本列島が強震に揺れた先夜のこと、343号線を海側へ走っていた。
そのとき車内に奇妙な振動がおこり警告音が鳴った。
路肩の事業所前のスペースに停め、携帯の緊急連絡から
大地震発生を知ったが、Royceのオーデイオ装置は、盛んに揺れているのか。
しばらく待っていたが回線混雑で通話できなかった。
そのとき、なんてこった、何者かが当方の車を、
道の反対側から探照灯照射している。
おまけに再び地震がユサユサと始まり、
このゆれで津波は?
道を引き返すべきか。
だが周囲に停電はまだおこらず、ふたたび竹駒方面にすすむと、
峠下の町から避難しているらしい車の長い列を見た。
ただごとではない。
前方の暗い夜景には電飾ライトを回転させた業務車両が遠くに見えて、
反射装束を纏った1台が行く手に現れ、
高田の海岸道路に近寄らないようにマイクで広報している。
では、大船渡に入るには隧道を行くのか。
そこはむかし道を間違えてゴミ焼却場の広場にはまりこんだところで、
あのとき係員が走ってきて「すみませーん、ご苦労様でーす」、だと?
いまもって謎であるが、土地勘のない者にすべてパズルである。
しばらく上下や左右に曲がった迷路を走ると、
トレーラーが二股道の半分を塞いで、いなせな若い衆がハンドルを動かしており、
当方もハンドルを左に切った。
街に警報の長いサイレンは鳴りわたって、やっと夜の大船渡朝集殿に着いてみると、
かっては通信パラボラアンテナ車両はじめ多数の車両で埋まっていた
騒然としたあの日がまぼろしのようだ。
急に静かな周囲は警報が解かれているらしく、
業務を終えた若い女性が一人、また一人門柱の鎖を超えて帰って行く。
当方が次に満員のコンビニから出たあとで、暗がりのヘッドライトに浮かぶ
この地にめずらしい熊本ナンバープレートを見た。
343号線を帰路、笹の田峠のループ橋を過ぎたあたりで、
ラジオから『リナ・ホーン』の歌うムーン・リバーが流れて、
地震のおさまった夜道は凍ったマイナス2度であった。
街道の寒さの森にひそむ鹿や狸に、先人の翁と合作によって一句詠む。
旅人と 我が名呼ばれむ 白い月
2012.12/9

6月に聴くホレス・シルバー

2019年02月10日 | 奥大道など車にて


梅雨の季節に343街道を走ってみた。
緑の木々が道の周囲の森や遠くの山々まで
全面に生茂って、雨に葉を濡らしている。
都心の渋滞に難儀した者がこの変化に富んだ道を走ると、
思わずカネ持ちのプライベート道路と錯覚するかもしれない。
ブルー・ノートの4185番はホレス・シルバーが1964年に
五重奏団のメンバーを変えて奏った自作曲であるが、
当方にはなぜかB面の方が気分が良い。
彼は何枚もLPを多作しているが、
自分の作曲をピアノ演奏してご満悦の気分がうつってくる。
最後の曲は、LPのジャケットになっているポルトガル系親父殿の、
連れ合いを曲にしたロンリー・ウーマンのトリオといって、
ジャズ演奏では59年のオーネット・コールマンと思い違って楽しんだものだが、
雨の343街道の雰囲気に、まあどちらの曲も甲乙つけがたく似合っている。
景色をチラチラ見ながら曲を聴いて、ゆっくり走行しないとあぶない、
というのは鹿が出る。
笹野田峠といえども、そこは、新緑とジャズのみ。
2012.7/1

パンク

2019年02月08日 | 奥大道など車にて


青葉若葉の光のどかな山や谷を眺め、
ぶらぶら走る春の343号線もまた情趣がある。
するとなにやら、ズブズビと路面で音がして、
急に車が傾いたではないか。
oh!パンクしている。
タイヤのメッシュの針金が覗いているところを初めて見たが、
そこまで消耗しているとは。
レコードの針もタイヤも、走る道具には寿命が有る。
購入して12年の車体は、6万キロ走って
めでたくゴールド免許証に変えていただいた強運であるが、
金ケ崎の陸運局から戻る途中、平泉の有名な速度検挙坂道に
差しかかったとき、前方にゆっくり黄色のロングトレーラーが走っていた。
こういうときは007モードに切り替わり、ブロフェルドの一団を警戒し
追い越すかどうか迷うが、下り車線を塞いで走られると、
空いている右に車は競走馬のようにせりだしてしまうものだ。
やはり黒車が脇道から飛び出してきて、前方の交差路に向けて
突っ切ろうという宮城ナンバーである。
中にイケメンが2人乗っている、ゴールド免許証危機一髪。
プレィリーが納車された昔、花泉の営業社員殿に無理をいって、
透明コーテイングをダブル塗装した効き目なのか雨晒しに耐えている。
が、操縦性能は記憶のトロッコのように動きがパッとしない。
パンクの車を公道から傍の隘路を下降させて農道に降り、
上着を取ってタイヤ交換にいそしんだ。
10分ほど過ぎた頃、午前中の天気の良い山麓の一軒家から
様子を見る人が現れたが、手伝いのいるほどのことはなかった。
きょうは仙台からジャズを聴く客人が現れて、そういえば
角五郎の早朝五時のスーパー駐車場でも、コーヒー自販機に
紙幣が入らないので手間取ったら、遠くから
塵取を持った警備員殿が掃きながら近寄ってきた。
ブロフェルドの一団は広域に活躍し、めったな油断は禁物である。グフ。
343号線のパンクの記念写真を、きょうは郊外のDP店まで取りに行った。
「75円のサービスポイントはすぐ使えます。どうされますか」
カウンターの女性が言っている。
それらの写真のなかに、最近の仕事場の様子の写っているものがあった。
棚の本のほとんどが頂いたもので、読んでいないことは楽しみである。
2012.5/18

宿場町

2018年09月22日 | 奥大道など車にて


さきほど通った道の傍らに、
芭蕉行脚の路と書かれた碑柱があるのを見たが、
切れぎれの旧街道に、何者かが、旅人の記憶を残そうとしている。
旅人を音楽に置き換えるとタンノイはさしずめ宿場町にあたるだろうか。
さて、宿場町に顔を出して、旅の人の偉業を拝聴しようとする。
外出から戻ると、季節のはがきが届いていた。
2008.4/4


連休の手すさび

2016年06月04日 | 奥大道など車にて

strong>奥州街道の帰路、

白いバイクが1台ジャズではソロと、

次に白いバイク2台並列走行中と、

時速50キロですれ違った。

ジャズのデュオで、真空管ならプッシュプルだが、

サイドカーは、ステージでなんと言ったかな?

街路樹の茂みにタミヤマーク看板があり、

プラモの接着剤を求めて初めての店に入った。

サラサラとそうでないのと2種合計500円。

――LSというメーカーがありましたが?

「いまはもうなくなりましたよ」

これをゴルゴのマンガでは符牒になっていて、

カウンターの下からアタッシュケースが出てきたりする。

やや、背後に誰か立っている。

ところで、

先日手に入れたITALERI製品を組んで気がついたが、

工作精度がとても良い。

組み立て図面の紙の質が柔らかく、絵もセンスが良かった。

ジミー・スミスのザ・キャットなぞ聴きつつ、

ご報告まで、草々


一関の棒道

2016年01月29日 | 奥大道など車にて

源頼朝の鎌倉が台頭するまで、
古都『平泉』が東日本唯一の都市であったというからには
新幹線で東京から北上する途中の車窓の眺めは、
そうとうなものであったに違いないと、想像力を必要とする。
高速道インターを一関に降りて、
左に進めば名勝巌美渓や骨寺荘園遺跡があり、
インターからハンドルを右に切れば市街地を通り、
新幹線の高架をくぐり磐井川を渡り、古道、今泉街道は
高田松原の太平洋に続いている。
ビルの林立した喧噪の都市も非常によろしいが、
シューペリアやフェラーリに跨り、のんびり奥大道を走れば、
風の音に音楽が聴こえるのは、ほんとうだ。
この道の半ばの某店にEMT-930sTがあることを、
某人が教えてくださった。
このLPプレーヤーはドイツの名機といわれ、放送局に使われるもので、
五味康祐さんや瀬川冬樹氏が愛用しておられた。
さっそく見学に駆けつけた。ところが、
ドアの傍のウインドウに戦艦大和の巨大模型があってめずらしい。
そこで足は、停まってしまった。
細部まで精密に造られ、1メートルありそう。
田舎の風景に気を取られていると、市街地の様子も忘れる。

遊び来ぬ 鰒釣りかねて 七里まで