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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

日崖弥栄線

2015年12月08日 | 奥大道など車にて
藤沢の黄海古戦場をドライブした先日、
対岸の山を迂回する北上川が見えた。
茂った崖の中腹を一筋の線が走っているが、
あれは道路ではないか。
後日、地図を見ると
日崖と弥栄をむすぶ239号線である。
冬の晴れ間にちょいと弁当を持って駆けつけた
現地の眺めは、やっぱり凄かった。
車がやっと1台通れる細道が中腹を削って通り、
眼下の青い美麗な北上川に、漁をしている一艘が浮かんでいる。
ばったり対向車と出くわして、相手は手招きしている。
幾つか待避路があり、無事にすれ違うと
車内で弁当をひろげつつ聴くピアノ・トリオの名曲は。
織田信長が領主なら、入口と出口に柵を造って銭を取るような、
見たことも無い景色が良かった。

白日依山盡
北河入海流
欲窮千里目
更上一層樓

河崎の柵から黄海古戦場へ

2015年11月09日 | 奥大道など車にて
誰にもおじいさんと、おばあさんが居るのはよいとして、
祖父は、義太夫の持ちネタを3つ持っていた。
そのひとつが、
「いがみのごん太ァ!」
などと、炉端でキセルを持ちながら、不思議な抑揚で唸る。
幼児の当方は、びっくりだ。
天窓から射す陽光に、ハエが飛んでいたような気がする昔である。
いがみのなにがしが、義経千本桜の四段目の登場人物であると
理屈がわかったのは最近のこと。
十一月。
北上川沿いを下って、河崎の柵まで昼食を食べに行った。
「何を食べたの?」
コンビニ弁当とコーラ。
北上川は、秒速50センチでゆっくり流れている。
それから千厩川を越え、東の方から黄海古戦場を見に行った。
黄海中学校の傍の細道を下ると、
1057年11月雪の日に、鎮守府将軍源頼義の兵1800と、
安倍貞任4000が、猛烈な人馬の合戦した盆地が広がって、
黄海川が、熊館の傍を流れていた。
訪問したこの日は快晴で、稲刈りの済んだ田園の古戦場に、
幾筋も飛行機雲が見えている。
義経は、平泉から馬を飛ばして、この地を見学に来ていたか。
朝に平泉を出立すれば昼には着いている距離である。
黄海合戦のシーンは、スポーツではないので痛ましい。
せめてラグビーか、ニューポート・ジャズフェスのような喧騒であればなあ。
おんや、誰か入口で「チョコレートありませんか」と、お尋ねである。

秋の奥大道

2015年10月30日 | 奥大道など車にて
国道4号線は、どこまで行っても秋であった。
盛岡の駐車場2階から景色が見える。
そういえば先日、めずらしい客人があった。
「郵便貯金ホールのエバンスですね、行って聴きましたがこの挨拶は
自由が丘ファイブ・スポットの、いソノ・てルヲさんです」
タンノイを鳴らすジャズ徒然草庵主殿は御仲間とご健勝であられる。
庵主殿が来日アーティストの紹介をするステージをぜひ見てみたい。
ジャズに一家言持つ人々を、大勢知っているが、
皆さん、ステージのマイクに凄いことをお話になる、のではなかろうか。

飛脚便にて、袖の上やら、ベーカリー直送品いたみいる。

ゴールデン・ウイーク

2015年05月04日 | 奥大道など車にて
ゴールデンウイークは、日本だけかな。
観音山の中腹にあるという舞草刀鍛冶遺跡の周辺を回遊してみた。
道は良いが、借り物のスーパーカーなので、
ギヤチェンジに非常に気を使うのは、当然だが。
ハイオクのパワーを試そうとすると、
ややや、
白黒業務車両が、田圃のあぜ道に!
おにぎりを頬張りながら想像してみると、
平安時代後期の柳の御所からみて、
観音山に、刀剣を産する煙の多く立ち昇る見ゆ、か。
翌日、
霜後の滝観光に、スーパーカーをゆっくり走らせる。
東屋のテーブルで、弁当をひろげると、
ややや、
見慣れぬ御仁が、モーターバイクで鳥居のところに。
御仁も相席で弁当を広げてみせるが、
そのおにぎりの、みごとな海苔の黒さと形の良さ。
翌日、
金流川の河口が北上川にそそぐところを見に行った。
車で川面近くに立ち寄れるのは、非常にめずらしい。
カニ漁をする船が二艘、舫い綱に引かれている。
弁当を広げていると、バス釣りの人が居て、
川面にドブンと、魚が跳ねていた。
行く川の流れは絶えずして、
平安時代は、砂金が流れていたという。
夜の電話、女性の声で
「カーナビを買ったのでロイスと打ち込んだら地主町に着いた」と。
カーナビの会社の、気働きぞなもし。
蔵改造の御仁がお見えになって、
七割ほど、完成したと申される。
蔵の中で聴く、バット・パウエルか、いいね。

宮古

2015年04月08日 | 奥大道など車にて
岩手で2番目に高い山はどれか。
きちんと計測した人によれば、
それは遠野と宮古の境にある早池峰山である。
日本地図に三角定規を置くと、盛岡と一関と宮古は三角の頂点にそれぞれあたり、
宮古から一関に引いた線の中点に遠野がある。
そこで或る休日、国道106号線を、
盛岡から一路太平洋岸の『宮古』に車を走らせてみた。
3月末のことで雪が峠に残り、
閉伊川が道路と平行してゆっくり、どこまでも流れている。
およそ100キロの行程は、山と谷を眺めるドライブであるが、
三度ほど山峡がどうも同じ風景に見えるところがあり、
また山中に入漁料の看板が釣り道楽にいざなって、343号線と非常に異なっている。
二時間ほど快適に走って宮古市内に入った。
江戸時代の宮古港は、藩の米や材木など江戸に廻船する寄港地で、
料亭や遊郭が軒を連ね奥州有数の商港として賑わったそうである。
市内の遺跡に、蕨手刀や和同開珎が出土しているのがすばらしい。
湾を迂回すると、風光明媚な浄土ヶ浜があった。
奇岩と白い砂浜が、太平洋に突き出している。
旅の土産に、茶うけの和菓子を買った。
「きりさんそ」もちもちとした濃厚な味が、忘れていた郷愁を回帰させた。
「豆すっとぎ」京菓子のなかにこれを忍ばせれば、田村麻呂も腰を抜かすおいしさ。
「ひゅうず」見た目は八つ橋そっくりであるが、清少納言も絶気である。

『ケルビム』氏

2015年04月01日 | 奥大道など車にて
奥大道を南部藩から帰るとき、金ケ崎検問所を左に見て、
つぎに古代の鳥海の柵跡を貫通する国道4号線は、
いよいよ水沢区に到達する。
そのとき、道路はすっと空中に持ち上がって、あれっと思っていると、
やがて3つの枝道が謎のように左に待っていて、
一瞬の判断でどれにかパチンコ玉のように車は曲がって落ちていく。
どれが、フィーバー?
この判断が時速五十キロの流れに求められているが、
最近大きな標識が出現したので、
ジャズにあわせ、せつなの鑑賞をたのしむ。
その水沢の、緯度観測所の傍で少年時代を過ごされたお客が、
『ケルビム』というカスタム自転車で登場された。
部品は、ほとんどシマノ製とのこと。
すばらしい。
伊達藩から、春のハガキが届いた。

早春の花泉路

2015年03月21日 | 奥大道など車にて
うららかな早春の花泉路を車は南にのんびり17キロ進むと、
景色のひらけた前方に農作業車が停まっている。
さらにスピードを落としたそのとき、
斜面の上のほうから駆け降りてきた人が、
いそいで車を退かそうとしている。
「あの、油島の駅はどこですか?」
路なりに二百メートルほどさきにあると。
ジャズもぐっとスローテンポに、貝鳥貝塚の古代の湾はすぐそこである。
I CAN'T GIVE YOU ANYTHING BUT LOVEを
Muneyoshi Nishiyo氏のまじめな演奏によって聴いたが、
この曲を読んだのはゲイン氏の「ニッポン日記」210ページ。
マッカーサー将軍の『レジオンドヌール勲章』授賞式に、
連合国軍楽隊がこの曲を演奏しつつ、焼け野原を見下ろす高台の
屋敷の庭園で式は盛大に行われた。
碩学正剛氏の千夜千冊書棚にも並んでいる『ニッポン日記』は、
米国記者の遠慮のない筆致で失われた昔日が綴られており、
この曲がとても気に入った。
さて、いよいよ眼前に近くなった貝鳥貝塚は、
一説に山内丸山にもひけをとらない貝塚であり、
発掘された縄文人の完全体が、上野の博物館二階に展示されていると。
当方もむかし上野博物館で
ハナイズミなにがしと書かれたプレートを見たが、
動物か土器であったような気がする。
縄文人の食べた廃棄物が1.8メートルもの層になる厚みが
千年の暮らしに匹敵するらしく、E・モース氏の
明治十年ネイチャーに載せた東京府大井村の大森貝塚が有名で、
花泉では現在も広い面積で地下に眠っているようだ。
かりに油島から太平洋までの地形を模型で再現すると、
北上川の注ぐ石巻湾まで扇状地的に静かに傾斜しており、
ビー玉を転がせばすーっと落ちていくみたいである。
縄文の古代には、いま見ている地形が淡水や海水の湾を成していたというなら、
マグロの泳ぐ風景を見てみたいが、淡水であぶらのように静かな湾の島が
いまの名前に残ったのか。
油島駅の先にしばらく行くと、島状に突き出した岡の先から海ではなく
耕作田園が広がって、五月には青い稲穂で敷きつめられるのが稲の海である。
発掘された貝塚の場所は個人の所有地にあるのか
探すことができなかったが、二条に合流する川の地形を眺めて、
缶コーヒーなどを飲みつつ、坪庭のために売店にてスミレ三鉢を購入135円。
前日、喫茶にお二人の客があった。
シャーリーマクレーンが銀幕から現れたか、と人は言うかもしれない。
レジオンドヌール勲章はクラウディア・カルディナーレや
カミユやモーパッサンが辞退した。
ラヴェルがレジオンドヌールを断ったことについて、エリック・サティは
「彼は拒否したかもしれないが、あの音楽はレジオンドヌールを受け入れてる」
シャーロック・ホームズは『金縁の鼻眼鏡』で大統領から贈られている。



星はすばる

2015年01月02日 | 奥大道など車にて
星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。
緯度観測所のツアイス望遠鏡でむかし見た太陽黒点群が、
先年の一時、表面からまったく消え不思議に思ったが、
最近、こんどは地球65個の大きさに拡大中という。
ゴーゴーと燃え盛る音が、聞こえなくてさいわいである。
秋の好天にドライブの途中、川沿いの一本道で、あちゃー、車とバッタリ。
バックして道を譲るのは、どっち。
巌美街道を右に折れ、骨寺遺跡の発掘地を右に見て、
車で「星空日本一」といわれた衣川の里山道を分け入ってみた。
もし、ここの夜空に音があるなら、パイプオルガンの曲ではないか。
バッハの名曲トッカータとフーガ・ニ短調は最近の研究で、本人の作曲ではないと?
音符がバッハの技巧と違う素朴な配列に疑問があるようだが、
さまざまの曲で修練をつむオルガニストは、どのような直感か。
当方の好むオルガン曲は、勝沼のワイナリーを見学したさいに聴いた
樽の中から響く『フーガト短調BWV.578』が良かった。
先日オルガン演奏会で紹介のあった『ブクステフーデ』の作曲に、
「前奏曲とフーガ ニ短調BuxWV140」という曲があり、この主題の前半に
トッカータとフーガ・ニ短調が似ているらしい。

ライオンは眠っていた

2015年01月01日 | 奥大道など車にて
1057年の11月にあった『黄海の合戦』は、一関から南に古道を27キロ進んだ『藤沢』にある黄海小学校近くの古戦場で『陸奥話記』にも書かれているという。
有名な河崎柵に近く、ぜひ拝見したいとかねがね思っていた。
しかし車は、おなじ藤沢の「いわてサファリパーク」に着いた。

サファリカラーにペインテングされているバスが、何台も停まっている。
ゴールデンウイークには延々と車がじゅつ繋ぎであると、専属料理任は申しているが、
あっさりと今日は車両空間のなつかしいバスに乗れた。
女性乗客達が、エサをキリンやシマウマやダチョウや水牛、バッファロー、
あるいは日本で二か所しか居ないシフゾウのような動物に与えようと大騒ぎしている。
「相手にも選ぶ権利がありますから」
運転兼ガイド氏は見かねてつぶやいて、円熟のコメントが高座の三平師匠で、笑った。
ライオンやピューマのブースでは勝手に窓を開けないように言われるが、
頼まれてもお断りに緊張してライオン様に差しかかると、窓ガラスの傍10センチの休憩台にぞろりと猛獣の顔が並んで、眠っている。
昼間は、このように眠っているようにみせかけている哲学的ライオンであるが、眼が開いていたらとても恐ろしいことであろう。
このさい、しみじみ観察すると、2番目の奴のみけんに古キズが。
「カメラでこの近さでは口と鼻しか写りません」
運転も口もなにかと達者なひとであるが、ぽろっと当方が感想を漏らすと、
どうも相手に聞こえているのか、すぐにジャズ的反応がある。
ライオンの糞は、畑作物を荒らす害獣に相当な駆逐効果があるらしく、農家の人に喜ばれているそうで、
「無料ですか」
念の為、予定は無いが確認しておいた。
バスが通りすぎると、寝ていたライオンどもがゾロゾロと一斉に起きて散歩をはじめ、
するとなにを思われたかガイド氏、ギヤをバックにいれて、ふたたびライオンに近寄っていく。
ライオンは大儀そうに身をかわしてバスをやりすごしているが、
このライオンの立ち上がった勇姿を我々に見せようというらしく、
タテガミライオンがタイヤを噛んでパンクさせた話など、母屋のウサギ同様、自慢していると感じる。
そういえば『ライオンは寝ている』というヒット曲が昔あったが、
そのころビートルズもカバーしたThe Marvelettesの 「Please Mr. Postman」が、
新人とは思えないセンスでヒットチャートの一番になった激サビを思い出した。
手際のよいサファリパークは、順回路もコンパクトに設定されて、
のぞめばゾウに乗ったり、レストランもある。
陸奥話記の古戦場探索は次回にして、北上川と金流川を越えて帰ってきた。
喫茶に戻ると、ひさしく面会していなかったシャコンヌ氏が、ご自分の本領の授業で、
三十人の生徒を訓導し録音したCDを御聴かせくださるそうである。
「与えられた期間で、まだ満足の出来栄えではないかもしれませんが」
プッチーニの『トゥーランドット』の吹奏楽が、緩急自在にタンノイから流れてくるところを聴いて、リズムとメロディの織り成す色彩の瑞々しい立体感に慄然とした。
ーだれも名を知る者はおりません。ですが御教えしましょう。星星の瞬きの止まる明け方にー
音楽が極めつけのフレーズにさしかかると、
温和な御仁から想像できない、感動的なすさまじさであった。

テイク・ファイブ

2015年01月01日 | 奥大道など車にて
伊達藩の定禅寺ジャズフェスは、作並街道を左折した勾当台公園を中心に、9月に始まる。
八戸藩の南郷サマージャズフェスも例年7月、大崎藩のバッハホールは「新世代のスーパーカルテット」ライブがあるとのパンフレットが届いた。
なかに、ア・カペラのTake6が登場するとあり、6の拍子?
『テイク・ファイブ』について、宮城のお客がオリジナル盤のサウンドを記憶し、ご自宅の音とタンノイを比較するところから話題は始まったのをおぼえている。
この曲は、1959年ニューヨークのヴィレッジ・ゲイトナイトクラブで初演され、エンピツを持って5拍子で机を叩くと中の芯は砕けているが、一般に専門家はこの5拍子が上手い。
タンノイで、このようなドラムの皮が、はたしてドシンバシンと実際に鳴るものだろうか。
運転免許を取りたての昔、
新刊書の要件で来関された御二人を、書店めぐりにハンドルを握ったとき、
ラジオで流れていたのもこのテイク・ファイブであった。
隣町からの帰り、高館橋のたもとの食堂で昼食を摂った。
満足の気分で再び車を走らせると、ご両人はリラックスされて景色を見ながら名句をそらんじている。
山路来て 何やらゆかし すみれ草
すると、
「やはり野におけれんげ草、というあれの上の句はどうなんでしょうか、いつか知りたいものです」
と申されて、相手の人も、しきりに同意した。
はてな。当方は、ハンドルを握りながら「それ、知っています」と、思わず言うと、
後部座席は一瞬静まり返った。
ラジオのドラムは、いちじるしく変五拍子を刻んでいる。
そこは重要な場面で、当方の出るところでは無かった気がいまもする。
音楽は、間と役柄が大切だ。

『笈の小文』

2015年01月01日 | 奥大道など車にて
ゴールデン・ウイークも過ぎ、東北の観光地は静かになった。
フィトンチッドの充満する森林街道は、これからが盛りである。
通行量の空いた道をゆっくり走ると、里山にあたらしい細道を発見した。
周囲は若木の芽が青く茂り、山谷S氏のようにクマとは出会いたくない林道であるが、
車がやっとすれちがえる道の上空を、青い空がのぞいている。
『笈の小文』によれば、芭蕉は奥の細道紀行の二年まえも深川を出発し、
伊良湖崎、伊勢、故郷の伊賀上野を経て大和、吉野、須磨、明石へと旅をしている。
「その日は雨がふり、昼から晴れて、そこに松があり、
あっちに何という川が流れている、などという事は書いてもしかたがない」と、
まあ、時代的にいまはそれが良い。
さつきたち もう九日の 野山かな
松もつつじも所かまわずの森林に小鳥のさえずりが激しく、姿は見えない。
細道の前方に突然行き止まりの看板がみえた。
アスファルトジャングルに働いていたころは、森林浴もできず、
駅前を散策し古書店で紙のフィトンチッドを浴びていた。
棚の中古レコード、ジョン・ルイス作曲の映画『ミラノ物語』BGMに
奇妙な旋律のヴァイオリンが活躍する。
ジョン・ルイス氏はジャズ・サマースクールを開校して後進を育んでいた。

バイパス道

2015年01月01日 | 奥大道など車にて
伊達藩から、春の絵ハガキが届いた。
この日、ひさし振りに走った343号線で、街がひとつ消える異変を見た。
地図を調べると、これまで工事中のバイパス道が新開通した記念の日であり、
真新しい道路がすばらしい。
車がスイングしたついでに気がつけば、ジャズのアドリブ一小節が飛んでいたのである。
迂回して街中を走ると、歴史の今泉街道になる。

猿跳古道

2014年12月31日 | 奥大道など車にて
母屋にて弁当を拵え342街道の山登りをめざしたのは、
嵐の吹き荒れた翌朝の晴天を見てである。
きらりとした陽射しが透明な空気を木々の葉の裏まで透かし、
遠くの山々がくっきりと見えている。
しばらく登攀してはるか遠い山を眺め、ふと、
昔に見せてもらった山頂の激写スチールが心に浮かんだ。
谷川に新しく完成した橋を渡り、古い校舎の庭から振り返えれば、
考えたより高い空間に軽々と渡架している橋が見えた。
急峻な山肌に取り付くように車を走らせたところは、007ボンド映画も凌ぐ絶景であるが、
改装された路面はカーブも路幅が広く、とても走りやすい。
周囲の森林はまだ期待ほど紅葉していないことを見て、山登りをあきらめ、引き返す。
帰路の崖地に、やっと2台駐められるバルジがあって
『猿跳古道』という谷の下に伸びている細い道につながる。
眼下を眺めると、対面の山々の峰に樹林がパッチワーク状に密生し、
342街道の隠れた景勝である。
弁当をしばらく摘んで満足し、なにやら茂みの淡い色の高山植物に気がついた。
そこで車を降りて古道に踏み出してみた。
細道の下方から、谷川の水音がかすかに響いてくるが、
植物に覆われてまったく見通すことができない。
車が通れるなら渓谷の流れを見ようと車を進めてみたものの、
土管に嵌まって動けなくなったカワウソが脳裏に浮かんで、
たまらずギヤをバックにして這い戻った。
いささか残念至極の気分に、上のハイウエイの方角から
熊蜂のようなブンブンする音が聞こえる。
谷底まで、その古道は長い距離があるというなら、キャタピラーを履いた
ケッテンクラートを動かしたいものである。
喫茶に迎えた九州の客は、ナット・アダレイに似た横顔を見せ、
静かにソフアに座っている。
一年ほどアメリカに住み、西海岸でアルバイトのかたわら
ジャズのメッカを探訪した出来事を、昨日のことのように話してくださった。
「さきほどの、マイルスのサイドのピアノは誰ですか?ウイントン・ケリーのようにも聴こえるのですが・・・」
当方はタンノイの音色を楽しんで「委細はフミに」の心境であるが、
彼は一歩踏み込んで、心のアーチストをリアルに確認しようとする。
カーネギー・ホールにてマイルスと鍵盤をスイングさせているウイントン・ケリーは、
カインド・オブ・ブルーの「フレディー・フリー・ローダー」を聴けば、
エヴァンスと代わってセッションしたジャズのアトモスフィアがわかりやすい。
日本の各地に分布するジャズ喫茶の経験を、
一個の音像のように形容をわけて話そうとしてくださった。

342号線のモニュメント

2014年12月31日 | 奥大道など車にて
一関市街地の4号線からスタートする342号線は、
岩手側の道程を磐井川と並んで走り、
厳美の先で写真のように最も接近して、
やがて須川岳で源流を抜き去ると、秋田湯沢市まで長い道は続いている。
歴史的に342号線は、シルクロードが遠くオリエントの時代から
平泉をめざしてきた交易街道のひとつであり、
独特の風景が見せる以上の意味をもっていた。
厳美の先の骨寺荘園遺蹟に、面白い建物が完成している噂をきいて
ちょっと車を走らせると、
『交流館』という建物は、忘却しそうな中世の歴史の一瞬が、
目で見る形状になって楽しい時間が奥に留まっていた。
広いテラスに出てみると、
草原の遠くに黄色い岩の壁が長く連なって、
ちょうどシルクロード・オアシス都市敦煌の石窟のように見え、
案内の人に「洞穴など残っていませんか」と思わず尋ねてしまった。
珈琲を喫しながら、莫高窟の敦煌文献を思い出して
いつまでも眺めていたいと思わせる風景である。


霜後の滝に

2014年12月31日 | 奥大道など車にて
滝壷の底から見上げると、初めて偉容を知る『霜後の滝』が
あれからどうなったか、噂を聞かない。
好日、往復20キロを走らせてみた。
畳岩が層になって絶壁の釜の底になっているが
やはり岩は剥がれ落ち、剥出しに底にころがっている。
だが、何事も無かったように滝は流れて、
ラファロのベースも、カセットラジオから流れる。
藩侯が、幾度も鷹狩りに言寄せ、大勢の侍を交代で
宴席にはべらせた昔が偲ばれる、
ノリ巻きおにぎりと美酒の似合う
厳美滝のここは支流である。
花泉の客が、
最新のタンノイを応接間にセットして楽しんでいると申されて、
さらにスピーカーの下に置く台を工夫されているところをお聞きしたが、
隣の御婦人は、無言である。