
レオナルド・ダ・ビンチは、ピタゴラスにあこがれていたと伝記にあるが、
ミラノのシステーナ礼拝堂に絵を書いたのが残っているというので見に行った。
絵は『最後の晩餐』といって僧院の食堂の壁に直接描かれた大きなものである。
我々旅行団が到着したとき、大学教授といわれる痩身のメガネの女性によって、
絵は修復の真っ最中で、ぼろぼろに剥落退色した壁画は痛々しかった。
多才でやりかけの懸案をいくつも抱えたレオナルドが、ちょっと手を加えては
櫓を降りて他の現場に立ち去った、と伝記にかかれていた。
絵は、キリストの頭部が最後まで未完成のままだが、
同時進行したダビンチに未完成はめずらしくない。
関係者はやきもきし、スポンサーに鋭く問い詰められたダビンチは、
「いま『ユダ』のモデルの顔が見つからなくて困っているが...」
といって相手の顔をしみじみのぞきこんだ。
突然ぴかっとカメラのストロボが光って、
やぐらの上で特殊なゴーグルをはめて絵筆を振るっていた女教授は、
「やめなさい!」と叫んだ。
まぶしくて手元がくるうのだが、誰かがまたストロボを焚く。
教授は振り向いて「やめろと言ったのに!」
叫んでいるのは、そうとう頭に来ているのだと東洋人の当方はおののいた。
カメラは室内が暗いと勝手に発光するので、メカに弱い日本人にとっては、
どうすることも出来ないから、皆あわてて呆然としている。
ところが後から入ってくる日本人がまたシヤッターを切ったとたん。
さすがに当方が「やめろ!」と、教授に向かって日本語でさけんであげた。
いまでも不思議なのは、叫んでいるのは教授だけで、
係りのイタリア人多数はみな平然としてだれも静止しないし嫌な顔一つしない。
どうもかおかしい。
イタリアはドイツと違って、万事鷹揚で、だいいち、国宝を修繕中に、
観光客を入れてオカネを稼いでいるのがナゾだ。
教授も「やめろ」と叫んでいながら、本当は退屈な修繕に調子をつけているのかなと、
イタリアであるだけに思う。
ひとり倉庫のような部屋でこつこつやるより、観客の居るライブセッションのほうが、
張り合いがあるし写真にも写ってちょっと有名になるのだ。
さすがに、ジャズは鳴っていなかった。
2006.4/5