goo blog サービス終了のお知らせ 

ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

ピサからミラノへ 

2020年09月06日 | 旅の話


レオナルド・ダ・ビンチは、ピタゴラスにあこがれていたと伝記にあるが、
ミラノのシステーナ礼拝堂に絵を書いたのが残っているというので見に行った。
絵は『最後の晩餐』といって僧院の食堂の壁に直接描かれた大きなものである。
我々旅行団が到着したとき、大学教授といわれる痩身のメガネの女性によって、
絵は修復の真っ最中で、ぼろぼろに剥落退色した壁画は痛々しかった。
多才でやりかけの懸案をいくつも抱えたレオナルドが、ちょっと手を加えては
櫓を降りて他の現場に立ち去った、と伝記にかかれていた。
絵は、キリストの頭部が最後まで未完成のままだが、
同時進行したダビンチに未完成はめずらしくない。
関係者はやきもきし、スポンサーに鋭く問い詰められたダビンチは、
「いま『ユダ』のモデルの顔が見つからなくて困っているが...」
といって相手の顔をしみじみのぞきこんだ。
突然ぴかっとカメラのストロボが光って、
やぐらの上で特殊なゴーグルをはめて絵筆を振るっていた女教授は、
「やめなさい!」と叫んだ。
まぶしくて手元がくるうのだが、誰かがまたストロボを焚く。
教授は振り向いて「やめろと言ったのに!」
叫んでいるのは、そうとう頭に来ているのだと東洋人の当方はおののいた。
カメラは室内が暗いと勝手に発光するので、メカに弱い日本人にとっては、
どうすることも出来ないから、皆あわてて呆然としている。
ところが後から入ってくる日本人がまたシヤッターを切ったとたん。
さすがに当方が「やめろ!」と、教授に向かって日本語でさけんであげた。
いまでも不思議なのは、叫んでいるのは教授だけで、
係りのイタリア人多数はみな平然としてだれも静止しないし嫌な顔一つしない。
どうもかおかしい。
イタリアはドイツと違って、万事鷹揚で、だいいち、国宝を修繕中に、
観光客を入れてオカネを稼いでいるのがナゾだ。
教授も「やめろ」と叫んでいながら、本当は退屈な修繕に調子をつけているのかなと、
イタリアであるだけに思う。
ひとり倉庫のような部屋でこつこつやるより、観客の居るライブセッションのほうが、
張り合いがあるし写真にも写ってちょっと有名になるのだ。
さすがに、ジャズは鳴っていなかった。
2006.4/5

栗駒の湯 5

2020年09月02日 | 旅の話


中に入ると、控えめな外観と異なって、映画に登場する北欧のホテルを思わせる、
地形を利用した清潔な内装で気持ちが良い。
耕英熊氏は我々を引き連れて、象牙の塔の教授の回診のように、
各所で働いている従業員に気軽に声をかけながら、奥へ奥へと進む。
ゲームルーム、バー、会議室など豊富な設備を案内してくださった。
『I』にある大浴場は、標高を勘案すると高層ビルの展望台よりはるかに高く、
湯船に浸かって大きな一枚ガラスに下界を眺望する贅沢な大理石風呂であった。
ここで一時を、芭蕉の旅を偲びながら湯に浸る。
目に青葉 山ほととぎす 初鰹
この句を矢立ての書き始めに江戸深川の庵を出立した芭蕉は、
五月の雨に紙子を濡らしながらついに奥州平泉に着いた。
念願を成就して一関に戻り、いま自分の居る栗駒の湯をわずかに南に、
十五キロほど離れた尿前しとまえの関所から出羽の國に抜けて、
「奥の細道」を旅して行った。
時代は遷って、二間続きの華麗な個室が並ぶ都会的な旅籠が、
高山に一年中満々と温泉の湯を湛えていたが、
旅の情趣は芭蕉の時と今も変わるものではない。
夏の或る晩のこと、寝苦しさにふと外に出たYO氏が月の明かりに見たものは、
栗駒の山腹に架かる不思議な夜の虹である。
翌日、耕英熊氏に質すと、
「永く住んでいるが、そんなものは見たことがない」
栗駒の湯に浸かって、とりとめのない会話に夢中でいたら、
次第に湯は熱く感じられて湯あたりするおそれがある。
タオルを湯船に入れないで―と書かれた壁の注意書きが眼に入り、
あわてて頭に乗せた。
「貸し切りのきょうは大丈夫です」
YO氏は、万事遺漏なき姿勢を崩さなかった。
2006.3/6


栗駒の湯 4

2020年09月02日 | 旅の話


充分にエネルギーを蓄えた我々は、耕英熊氏の案内で、
栗駒山頂近くにある町営のリゾートホテルに向かった。
カーラジオから流れるボビィ・ティモンズのピアノに乗って、
YO氏の軽妙なハンドルさばきの車は飛ぶように走る。
「いのちを大事にね!」
カーブで車が傾いたとき、つり革をしっかり掴んで警告の声を上げた耕英熊氏だが、
ところがハンドルを握ればこの人がもっと速いと聞いて、人はわからない。
「アトリエの奥さんはポルシェを飛ばして栗駒の駅まで○○分で行ったらしいです・・・」
思わず途中の交番を指折り数えてババリア・アウトバーンを、
スカーフのちぎれそうに疾走したリーフェンシュタールをちょっと思い浮かべる。
吊り橋を通過したとき、谷底をのぞいているカップルに目をとめた耕英熊氏が、
わざわざ二人の所まで車を戻して大きな声をかけた。
「こんにちは!飛び降りないでね・・・」
エッ!と耳を疑ったこちらよりさきに、カップルは肯いて笑っている。
冗談が通じたようだ。
栗駒道は岩手側のように雪の積もる季節に閉ざされるのではなく、
世話役の耕英熊氏も道幅ギリギリのブルドーザー除雪に一役かい、
通年走れるように整備されているそうだ。
やがて山道は栗駒山の穏やかな斜面に開けた岩場にさしかかると、
そこは駐車場と休憩所の備わった展望台である。
須川岳と別称される岩手県側の九十九折りの断崖とは、まったく様相を変えて、
なだらかな山腹が裾野を広げ、水沢市からはるかに仙台市まで、
ぐるりと一帯の地形を眺望させている。
晴れ渡ってどこまでも見通せる景色を、大勢の観光客が指さし歓声をあげているが、
天界から見た一関市街とおぼしきところは驚きを通り越して気の毒なほど小さく、
大地の割れ目にこびりついて、眼を疑った。
だが耕英熊氏は言ってくれた。
「夜景の一関は宝石のように輝いています」
少し安堵して、キャノンボールクインテットのSTARS FELL ON ALABAMAを
タンノイでボリュームいっぱい聴く気分がする。
宇宙に打ち上げられたNASAの飛行士も、
母なる地球から脱皮したゆえの感慨をもらしている。
栗駒山の西の秋田県側に廻れば、鳥海山を望む場所があって、
一関在住の写真家KS氏の名作「鳥海赤富士」を思い出した。
展望台から1キロほど登ったところにリゾート施設『I』はあった。
続く 2006.3/6



栗駒の湯 3

2020年09月02日 | 旅の話


釣堀の広場には、好天に誘われて大勢の観光客が集まっている。
食堂前に並んだ七輪からイワナを焼く芳香が売店のほうまで漂って、
空腹を抱えた人間は見えない網にからめ取られた。
そこに恰幅のよい男性がいて、トレードマークのバンダナを締め、
いま採れたばかりの一抱えもある『舞たけ』を押さえて、
従業員にあれこれ指図をしている人が耕英熊氏であった。
カリスマ店主を中心に、その周囲は踊りを舞っているようだ。
直径50センチの大舞茸が売店に陳列されたとき、
三万九千円の値札を見た観光客から賞賛のため息がもれた。
「これを買ったら、当分おかずは舞茸だけだな」
どこかのオヤジさんが家族につぶやいたのが聞えた。
採れたての瑞々しい色つやに寄って匂いを吸うと、
天然ものは隣に並んだ人工栽培のカゴのものと違って芳香が深く、
リンゴの匂いや、コケや枯葉の香りがする。
バンゲルダー刻印のブルーノートであった。
耕英熊氏は忙しい店の落ち着くのを見計らって、
駐車場を挟んだ上の屋敷に我々を案内してくださった。
陽射しの明るい空き地の鶏小屋に、志津川のSS氏のところで拝見したことのある
鳥骨鶏が五羽、おっとりと休んでいた。
番犬のポチは、横になったまま尻尾を一回振っただけでつれない。
巨大な大黒柱のある玄関を右手に過ぎて、人の立ち入らない一角に
本格的な養魚池が何面も連なっていた。
大量のイワナや鱒が水面を飛び跳ねて勢いよく回遊しているが、
これは永年の研究をかさねた企業秘密、薬品を使用しない天然の
湧水による養魚池というものであるそうな。
敷地の奥に登ると、木立に隠れた茂みの先を耕英熊氏はどうぞと指し示した。
秘書と入れ替わって覗いたそこに、大名屋敷の庭園の借景で見るような、
奥まった谷と一筋の小川がひっそりと陽に輝いていた。
釣り堀や売店の喧噪もここまで届いてはこない。
そのとき上空に大きな影が走って、何事かと天を仰ぐと、
鼠色の大サギが音もなく木立の上を滑空し、
池の天然魚を好むのはどうやら人間だけではないようだ。
食堂に戻って、天然魚とキノコの天ぷらが五品もあしらわれた料理で
秋の味覚を楽しんだ。
続く 2006.3/6


栗駒の湯 2

2020年09月02日 | 旅の話


YO氏が、アトリエのテラスの下から来訪を告げてしばらくすると、
大きなガラスの戸が開いて和装の上品な女性が笑顔をみせた。
招かれたアトリエの天井の高い空間の壁に、
森の風景と幻想が美しく調和した濃密な絵画が何枚も展示されてあった。
何処か遠くからビバルディが聞えている。
コーヒーを淹れてくださった麗人とYO氏の会話を聞いていると、
時も居場所もふと忘れてしまいそうである。
一時を過ごしたころ、新たに二人組の女性観光客の訪れがあって、
「水沢から来ました」と会話している。
我々はそこで腰を上げた。
車は再び森の木立の道を縫って、
高原の中腹にある緩い坂道の十字路を曲がる。
次に向かったところは、Royceにて旧知の耕英熊氏のお屋敷であった。
続く 2006.3/6


栗駒の湯 1

2020年09月02日 | 旅の話


「天然イワナの釣り堀のそばにおいしい食堂がありまして、
N先生の画廊で絵画の鑑賞も出来ます」
或る日Royceに登場した謎の人物YO氏は誘ってくださった。
火曜の朝にお迎えの車のドアが開くと、ブッパッ!
カーステレオから御機嫌なジャズがこぼれた。
秘書を伴って片雲の風に誘われ訪ねた栗駒高原は、
一関から西に30キロほど登った宮城県の国定公園の中にある。
沖縄のヨットハーバーから栗駒に赴任したYO氏は、
合掌造りにJBLパラゴンを据えてジャズを鳴らすという雄大な計画を持っている。
「どこかに古い民家があれば手を入れて住みたいものです」
道は次第に標高を上げ景色は変わっていくが、YO氏のお話も耳が放せない。
藁葺きの民家の、障子を開け放した二間続きの畳の上で、
風に流れるC・ブラウンのユーアーノットザカインドを想像した。
お話を伺っているうち元町や三渓園の話題から、
横須賀の生まれであると意外な展開をした。
ヨットを操って航海士の免許を持つYO氏のように、
帆に風を受けて人生の船旅、どこに錨を下ろすのか自由な人も居る。
「この谷地は必見です」
栗駒の湿原に白く伸びる丸太道の上を先にたってスタスタと進んで行く、
半ズボンにデッキシューズ姿の身のこなしは、
今もヨットの甲板を歩いているようだ。
リンドウの小さな群落に見とれていたら、何処からやってきたのか、
現れては消える旅人の行列と秋の高原をすれ違った。
湿原の散策を満喫して車に戻った一行は、またしばらく山道を行くと、
小さな林と丘を越えた木立の中に画家N先生の山荘はあった。
「ここが森のギャラリーです」
続く 2006.3/6

伊豆沼の旅 2

2020年08月29日 | 旅の話


博物館の写真展はとても充実したものであった。
楽しんで帰宅した夕刻に、電話が鳴った。
「めずらしい客人をこれから同伴しますが、」
FU氏が電話の向こうで申されて、
いま作品を拝見したばかりの宮城の写真家YS氏が来訪された。
YS氏のオーディオ装置は、JBL蜂ノ巣ホーンが組み込まれているそうで、
レコードは二千枚コレクションされているときき、ギョッとする。
数時間まえに鑑賞したYS氏の大型写真パネルは、
広大な冬の闇緑の森を背景にして、一面鹿の子模様に雪が舞い、
あるいは白い点となって空中に静止している。
葉の落ちた枝の先にいる大鷲は、
今にも油断なく、無限の遠くを見ていた。
写真の森の背後から「アトキンスン」のベースが鳴っている。
聴こえてきたのは気のせいか。
お会いしたYS氏は静かな人であるが、ジャズの刀の鍔鳴りが聞こえる。
いつか音をたしかめたいものと、また「千社札」がはらりと浮かんだ。
写真家達のパネルの並んだ回廊をゆっくり歩んだ豪華な時間を、
しばらく思い返した。
2006.3/3


伊豆沼の旅 1

2020年08月29日 | 旅の話


SA氏のお住まいのすぐ近くに、渡り鳥の飛来地で有名な伊豆沼がある。
大きな湖で野鳥の観察に趣味人が押し寄せ、引きも切らない。
野鳥に魅入られてシャッターチャンスに半生をかけてこられた写真家達がいた。
SA氏のオーディオルームにてご一緒したFU氏がその人である。
FU氏はアルテックスピーカーでジャズを楽しんでおられるそうであるが、
もちろんSA氏のアンプの熱烈なフアンである。
あるときRoyceにみえたFU氏から、ご自宅の装置の写真を見せていただいた。
マグニフィセントともう一組、ウーハーが片チャンネルに
2ユニット収まったスピーカーが写っていた。
ダブルウーハーのいかにも堂々たる迫力で、これは『歌枕』だなと思った。
ぜひ聴かせていただきたいものである。
FU氏の属する写団の写真展が、伊豆沼の博物館でおこなわれる案内があって、
秘書を伴って晩秋の伊豆沼を初めて眺めに行った。
行けども行けども湖は見えなかった。
「まっすぐ行ってY字路を左に行きなさい」
道路工事をしている人達は教えてくれたが、
大きな湖なのに、どこまで行ってもそれらしいものはない。
一面田んぼの広がる道をさらに飛ばして行くと、行き止まりの様な坂道があった。
坂道を登り上がると、突然そこに視界がひらけて広大な伊豆沼が広がっていた。
2006.3/3


地殻変動

2019年05月16日 | 旅の話


1974年9月30日はハンブルクを通過し、
午後にレバークーゼンにて昼食を頂いた。
リンゴの皮剥きナイフは15キロ離れたゾーリンゲン製だが、
地球をリンゴのサイズにすると、外皮厚は
モホロビチッチ面までリンゴの皮ほどに過ぎないという。
最近廉価で手に入れたsonyCF5950であったが、
翌日には地殻変動が起きる前からテープが動かなくなった。
管球アンプと幾度か大地震をくぐり抜けて
ラス・フリーマンとシェリーマンの
『ブルー・モンク』を、粛として聴く。
2016.4/18
お、決勝で残れば次はいよいよタイトル戦ですか。



ロンドンバス

2019年05月13日 | 旅の話


味噌ラーメン店で早い昼食を済ませ、
S画伯の没後30年「あこがれの欧州」展を見に行った。
S画伯については、毛越寺の池のほとりで写生中のところを
お見かけしたことがあったが、
展示作品から、パリやロンドンの膨大な心象風景を見ることが出来た。
同じ博物館の隣のブースでは『舞草刀展』が併設され、
ついに『舞草』と銘の穿たれた刀身を拝見でき嬉しい。
平安から鎌倉に移る時代の美意識に、意外を感じる。
思ったより細身の、繊細な印象である。
一関舞川の道路を走ったとき、観音山のふもとで
「ここは舞草刀のふるさと」
と書かれた大きな表示板のあったことを思い出した。
通りかかった2人の小学生に道を尋ねると、
標準語の、はっきりした受け答えに時代を感じる。
観音山に連なる白山岳の発掘で古代のたたら製鉄跡が発見され、
鞴の羽口、 鏃、おびただしい鉄滓などが確認されたそうである。
英国で、団体の移動に二階バスに乗ったが、
運転手はカンバービッチ氏に似た人で、
カウント・ベイシーも、やはりロンドンの移動は
赤い二階バスであった、のだろうか。
白夜でなかなか暗くならないので、テムズ河の公園に行き
スロットマシンをやったのは夜の10時過ぎ。
2016.2/8


キツネの関所

2019年05月01日 | 旅の話


遠野を通過したとき、高名な道の駅に寄った。
駐車場の傍らに1本280円のトウモロコシが、
こんがり湯気を出し、弥次喜多道中だ。
風景を見ながら皮をむいて後部座席にいると、
並走する釜石線に、蒸気機関車がもくもく煙を靡かせて来た。
路肩に何台も駐車しているのは、そういうことだったのか。
カッパ淵や、キツネの関所でトウモロコシを奪われるか、
握り直した旅の空である。
過日、残暑のころ、
ガラスのドアに半身を覗かせる人影が、
「駅に家族を送ってきまして、ちょっと寄らせていただきました」
ご持参の特別カッティング盤から凄まじい音で、マイルス楽団が噴き出した。
「聴かなければ、よかったな」
気を取り直した御仁は言う。
黄色のシャーシとはべつに発注しているアンプが11月には到着すると。
震災が、多くの生活人の暮らしを激変させてはいたが、
かといって、オーディオを忘れるはずもなく、
耳の奥に響く記憶の音像は、人の姿そのものである。
行く川の流れは絶えずして、こしかたと装置の変遷を、
ジャズを聴くように聞かせていただいた。
2015.8/31
それから時が過ぎて、八戸の八食市場にて焼いた牡蠣を頬張った。
テレビで孤独のグルメが八食に登場した映像を見てみたい。


宮古

2019年04月23日 | 旅の話


岩手で2番目に高い山を、
きちんと計測した人によれば、
遠野と宮古の境にある早池峰山であると。
日本地図に三角定規を置くと、
盛岡と一関と宮古は三角関係の頂点にあたり、
宮古から一関に引いた線の中点に遠野がある。
そこで或る休日、国道106号線を、
盛岡から一路太平洋岸の『宮古』に車を走らせてみた。
3月末のことで雪が峠に残り、
閉伊川が道路と平行してゆっくり、どこまでも流れている。
およそ100キロの行程は、山と谷を眺めるドライブであるが、
三度ほど山峡がどうも同じ風景に見えるところがあり、
また山中に入漁料の看板が釣り道楽にいざなって、
343号線と、性格が非常に異なっている。
二時間ほど快適に走って宮古市内に入った。
江戸時代の宮古港は、藩の米や材木など江戸に廻船する寄港地で、
料亭や遊郭が軒を連ね奥州有数の商港として賑わったそうである。
市内の遺跡に、蕨手刀や和同開珎が出土しているのがすばらしい。
湾を迂回すると、風光明媚な浄土ヶ浜があった。
奇岩と白い砂浜が、太平洋に突き出している。
旅の土産に、茶うけの和菓子を買った。
「きりさんそ」もちもちとした濃厚な味が、忘れていた郷愁を回帰させた。
「豆すっとぎ」京菓子のなかに忍ばせれば、田村麻呂も腰を抜かすおいしさ。
「ひゅうず」見た目は八つ橋そっくりであるが、清少納言も絶気である。
2015.4/7
奈良の客人はスペインレストランを経営されて、店内にJBLと、
アルテックとタンノイが並んでいるそうである。

学校林の先の温泉

2019年03月14日 | 旅の話


ひとの心を、51の文字で表すと習ったのは小学生のころである。
或る日、こどもたち揃って列を作って、小学校の裏山の奥深く
どこまでも進んでどうなるかとおもったころ、
号令で左の斜面に取り付いて皆で登ると、
杉の苗木を先生は分配し、初めて植林ということをした。
いまもその杉の木があるなら、大勢で植林したので、
数百本の大木となって鬱蒼とした森になっているはずである。
そのことを考えながら、当時は切り開かれていなかった4号線バイパスを
平泉の方に向かって、車は進んでいる。
子供の時に、あれから時々夢にも出た奥地は
左手に、何の不思議も無く切り開かれた景色で見えた。
さらに未踏の奥地に分け入って車は細い道を進むと
森の先に突然のように、近代的な建物が有って、
きょうの目的の大浴場温泉である。
駐車場の半分以上に他県ナンバーの車がみえ、
謎めいたところであるが、一関インターに近く
いともあっさりと、大勢の人は、集まっていた。
技芸を駆使した近代的な建物は、まずフロントで鍵を受け、
しゃれた装飾で飾られた通路に、幾つも区切られて固有の店舗が並び、
それらに目を奪われながら進んでいくと
堂々とした構えの浴場が、ちょうど良い明るさで
全面ガラスのおおきな壁で仕切られ内部が見えているが、
実際に入ってみると、各仕切りごとに工夫された湯船が大小しつらえてある。
ちょうど、ローマのカラカラ浴場を日本風に小型にアレンジしたかのようなピースが、
一体の空間に点在しておかれてあり、
外部に、ガラス壁で見通せるテラス状には幾つか湯船があり、
四角升型や、巨大な一個の岩を刳り貫いて湯船にしたモニュメントなど、
全部を湯浴みして回るとすれば、チャレンジの意欲が要る。
入浴に長時間堪能して、奥の休憩室に行くと、
安息の傾斜を形にした長椅子がある。
芭蕉は、奥の細道の路銀は、誰がまかなったのか、
現在であれば、直筆の紀行文一冊が一億円である。
宿泊逗留すると、けっこうな料理も賞味できるとパンフレットに載っていた。
2013.9/26


初めの一手

2019年03月13日 | 旅の話


将棋盤に向かって
相手にお辞儀をして
最初の一手を深く考える。
タンノイにも
そういう静寂の間合いが有る。
母屋にて到来物の餃子(ギョウザ)
かたじけなし。
2013.9/22
先を行きすぎ、
ボストンバックを持ち帰る。

栗駒路

2019年03月12日 | 旅の話


457号線を三日月山の傍を抜けて
右に、栗駒山へ登ると、
世界谷地湿地帯や展望台や温泉がある。
観光客を迎える施設は一部まだ閉館しているが、
義経の隠し湯というところを謹んで訪問する。
奥から受付の人が現れて、簡単に応対してくださった。
廊下を奥に行くと左右に戸口が有り、
義経と家来3人入浴できる熱い湯船がある。
隣の露天に張り出した床には
2人入れる微温の湯船がしつらえてあった。
一句ひねるにもってこいの静かな雑木林をみていると、
なにかしら森の動物が現れそうである。
この湯では発句も、むずかしいことはやめて、
硫黄の香りにたゆたう気分がすばらしい。
晴れると、山路は天界の眺望が広がっている。
2013.9/20