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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

フィレンツェ 1

2021年03月17日 | 旅の話


テレビで、フィレンツェのニュースを見た。
そういえば、フィレンツェというところに、行ったことがある。
ヨーロッパ中世の石畳の街、日本の安土桃山時代には、
ダビンチやミケランジェロがここに暮らしていた。
「モナリザ」が、あるときルーブル美術館から忽然と消え震撼させられたが、
2年後にフィレンツェで発見された。
絵は里帰りしていたのである。
歴史の街を究めようとすれば、
何年住むと気がすむのか。
ホテルでの夕食後、散歩に出て、
気が付いたときには迷子になった。
通りかかった痩せた男に道をたずねると、
笑わない大学生は黙って広場に連れていった。
腕に刺青をした不気味な男女の革ジャン集団が、
オートバイに跨り、ブルンブルン円卓会議の最中で、
ぎょっとした当方 「かんべんしてよ」。
男は、ホテルの道順を聞き出そうと、ていねいに何かを喋っている。
ウタマロか、空手か?
「ジローッ」 という視線の男女が、一斉に上から下まで
レントゲン光線のように、爆音を吹かして照射してきた。
見る旅人が、見られる旅人になった
瞬間のことは、忘れられない。
大学生はホテル前まで付いて来てくれたが、
最後まで一言も喋らなかった北イタリアである。
2007.7/21


ナポリ

2021年03月12日 | 旅の話


『ナポリ』というところを、東洋の島国から
はるばる見物に行ったことが有る。
観光バスでいよいよナポリに入ったとき、
幼時から花のパリとナポリのあこがれをB氏に聞かされていた当方は、
先を越したなんともいえない満足感に、じゃっかん興奮したのである。
道端の草花でも1栞栗林荘に手帳に挟んで持って帰ってあげようか。
だが、ナポリの何を見ろ"Vedi Napoli, e poi muori!"と諺に言うのか、
イタリアならどこにもある煤けた石造りの街並みをグルグル廻りながら、
疑問はつのるばかりだ。
すると、それまで日本人ガイドアルバイトにまかせっきりで
沈黙を守ってきたナポリっ子ガイドから何かお言葉があるという。
全員注視してジョゼッペ氏の口元を見た。
立ち上がった彼は喋れるのであった。しかも饒舌な巻き舌で。
「カメラを持っている者は、みな右の窓に寄って、シャッターを切る合図を待て。
おもしろいものを見せる」 と、お言葉は通訳された。
「あー」 という一瞬のうちに通りすぎたそこは、
残像によれば、アパートとアバートのあいだにロープが渡されて、
洗濯物がいっぱい翻っている、健康的なのどかな光景だ。
それがどうしたというのであろう。一斉に切られたシャッターを
満足そうにジョゼッペ氏は、再び沈黙の人になった。
あとで、日本人ガイドをつかまえて、ジョゼッペ氏のこだわりの風景に解説を求めた。
ジョゼッペ氏は、アパート住民群とライバル関係の土地っ子で、
ロープの洗濯人種を世界中の笑い者にしたいのだ、とのことである。
ナポリ人は手強い。
やがてバスが小高い丘に上がったとき、紺碧の地中海と弓形の湾が
眼下にどこまでも展望して、遥かにベスビオス火山が見えた。
坂道の途中にて、バスを待っている屋台が売っていたアメリカンチェリーを
つまみながら、歴代のローマ皇帝が好んだ絶景を見て、
一句と思ったが、気分が芭蕉にならないのが不思議だ。
ガイドブックにこう書いてあった。
"Tutte le strade portano a Roma." 全ての道はローマに通ず
"Se son rose, fioriranno." もしそれが薔薇ならば咲くだろう
当方がイタリアを訪れた2年後の69年と72年にエヴァンスはヨーロッパツアー興行し、
放送局録音テープが後年発掘されて話題になった。
再び渡ったとき伊フィロロジー盤をついでに探して、買ったのは
ナイキのTシャツ千円だ。
多賀城市から『LE-8T』を愛聴するジャズ好き客人が登場した。
シェリーマン・ホールの『Round Midnight』を聴きながら、
古代日本の陸奥の国府と長安の都を想った。
そうとうな隔たりではあるが、いつか七重の塔のあった街を探検してみたい。
2007.4/20



岩魚、山女

2021年03月04日 | 旅の話


平泉の奥に、おそろしい魚の棲む沼があるときいて、ある天気のよい日に出発した。
地図にもないような道を分け入って、車は野を越え山を越え、
「意外に遠いね」などと道に迷って、畑仕事をしている人に尋ねながら
ついにたどり着いたそこは古い分校の跡で、
敷地の奥まったところがキャンプの人のための釣堀兼養魚場となっていた。
誰も釣っていないのは、穴場なのか?
棚田のように3段に分かれた沼は、魚の成長に合わせて住み分けられているらしい。
我々は魚釣りは趣味ではない。
ただの風光明媚をめでる野次馬であるが、恐ろしい魚という風聞に惹かれ、
昔B氏にいただいた職人造りの釣竿というものを、やっと使うチャンスがきたと
弁当を持ってこうしてやってきたのだ。
管理事務所らしいところに挨拶に行くと、釣竿と餌を貸してくださった。
ところが、沼の縁にいよいよ立ってみたが、これはなんだ?
魚がザワザワと寄ってくる。
餌をつけた糸を垂らすとパシャパシャッとすぐ魚がかかった。
釣り上げたその魚といったら、黒にシロのブチの獰猛な顔でこちらを睨んでいる。
だれもが、ギャッといって、その魚を掴もうとしない。
皆で譲り合って、しかたなく大きな木の葉で顔が見えないように
やっとのことで針をはずした。
これほどの怖い魚があろうとは。
なさけないことに、もう、だれも針に餌をつけようとしなかった。
いちおう糸を垂らしかっこうをつけると、魚が争って金属の針に食いついてくる。
どうなっているのだ。
もう誰も糸さえ垂らさず、じっと沼の深みをなすすべなく眺めているだけであった。
はやり釣りというのは、鯛や、フナが、20分に1匹くらい
かかってくるのが良いのではなかろうか。
ほうほうの体で、事務所にもどり釣った1匹の料金を置いて帰ろうとすると、
「ちょっと、お待ちください」
若い衆が魚をビニールにくるんでドライアイスまで入れて持たせてくださった。
家に戻って焼き魚にしてみると、これは、かってないほどおいしい。
もっと釣ってくればと、口々に反省した。
魚は怖いけれど「ぜひ、また行こう」と。
帰りの道で、白い髪を靡かせた人と、車ですれ違ったような気がする。
2007.2/5


モナリザ

2021年03月04日 | 旅の話


絵はモナリザ、スピーカーは『タンノイ』がよい。
音楽は、タンノイの音にこだわる。
リズムとメロディとハーモニーを楽しむのに、ラジオがⅠ台あればよいが、
『モナリザ』は至宝と子供の頃からきかされて、パリに行けば一目見よう。
美を誤解して、写真に眉まで描いてみたモナリザは、ルーブル美術館にあって、
厳かなガラスのケースに収まって以前より遠くなっていた。
モナリザの前に立ち、謎といわれる微笑をしばらく見て、そこで思ったひとつは、
自分がいつのまにかモナリザより年上になっていたことで、
これには意外に驚いた。待ってみるものである。
謎の微笑を隠したモナリザに、タンノイのサランネットとチークのフレームがかさなり、
タンノイの、はまってしまう魅力が人騒がせで。
アンプを替え、電源を吟味し、巷間に唱えられる薬石をならべて試す。
遠路をいとわず他人を訪ねては聴き耳をたて、アトリエまで建ててみる。
すべて心の『モナリザ』のためなのか。
わずか5ミリの厚さのレオナルドのモナリザに、人は長蛇の列をつくったが、
笑えまい。こちらのモナリザの厚みは50センチ。
レオナルドが生涯アトリエの奥に隠して一人で眺めていたモナリザとの対面は、
できればクルー館で、レオナルドに案内されて実現したかった。

☆ このモナリザに、べつのバージョンがスイスにあるとテレビで放映されて、
新しいタンノイが登場したときのように心騒いだものである。
☆ 水戸のタンノイ氏は大型タンノイの所有者だ。先日、函館に3軒のジャズ喫茶を
はしごされたそうで、それぞれの装置の音色を伺い印象をきかせていただいた。
かって、山形に行かれたときも、腰を上げるだんになって「LPも、かけることがありますか?」
と未練が残ってたずねたそうだが、「はやく言ってくだされば...」と。
音と店の様子と一つのフレームに収めて、黙って、あるがままを聴くのは楽しい。
2007.2/2


箱根彫刻ノ森美術館

2020年10月17日 | 旅の話


千里に旅立て、路粮を包まず。
三更月下無何に入と云いけむ昔の人の杖にすがりて、
貞亨甲子秋八月、
江上の廃屋を出ずる程、風の声そぞろ寒気也
「野ざらしを 心に風の しむ身かな」
芭蕉の『野ざらし紀行』は箱根の関を越えて始まったが、
天下の嶮の上に、彫刻群はあった。
眼に見えないジャズやクラシックの気分を、眼で見ようとする。
物言わぬ造形が、永遠の時間を一瞬にとどめてゴドーを待ちながら
そこに佇んでいるようだ。
2006.12/6
草の戸に 我は蓼食ふ ほたる哉   其角
あさがほに 我は飯食ふ おとこ哉   芭蕉


ポンペイ

2020年10月12日 | 旅の話


ポンペイの広場はベスビオスの火山灰の下から姿を現して、
歴史の記憶を蘇らせた。
2千年前の街のまだ三割は土の中に安眠しているが。
村の食堂で昼食のナポリタンをとっていると、
どこからともなくヴァイオリンと打楽器を持った老人達がテーブルのそばに来て
トリオで演奏を始めたではないか。
こ、これは、チップはどうなってるの?
食べていても気がきではない。
だが、なかなか良い気分だと気がついた。
どんどん、お願いします。
こんな演奏でホントにいいのか?
彼等はニコリともせず恐縮して演奏しているので、
ノセるのに皆で苦労した。
あきらかに近所の普通の村の人であった。
2006.12/4
火山に埋もれないで、増改築もせずそのままで住んでもらっていたら、
服装も、日常も変えず、ローマ時代がそっくりセットになって。
街路を歩いてみたが、みょうに落ち着くのは旅の空か。
芭蕉も月見坂を、三百年前の金色堂へゆっくり歩んている。

東大寺梵鐘12月30日

2020年10月12日 | 旅の話


巷に雨の降るごとく、ヴェルレーヌの鐘も、良寛の鐘も、
ノートルダムの鐘も雄弁に喋っている。
チャイコフスキーの1812年の鐘は軍艦マーチのようだ。
眼の前の、日本三銘鐘といわれる「東大寺の梵鐘」は、
明日の六根三世の煩悩を吹き払う大働きをまえに、
微塵の興奮もみせず落ち着き払っていた。
そっと触ってみると、わずかに振動しているように感じるが、
指の鼓動であったかもしれない。
タンノイのユニットも、振動して歴史を創っている。
すべてを、振動宇宙というそうだ。
2006.12/30
ツアイス85mm。このあと下鴨神社へ行くと、また人影無し。


唐招提寺講堂

2020年10月12日 | 旅の話


奈良の都も、年末には人がいなくなる、という話は本当であった。
さる年の12月30日平城宮跡に立つと、もと官庁街であったところは、
ポンペイの遺跡のような記憶も大地に留めず、あまりに印象が薄い。
唐招提寺の講堂が、朝集殿(霞ヶ関ビル)を移築したものときいて、
足を伸ばしてみた。誰もいない。
当時の御役人の勤務時間は、朝の四時から昼の十二時までであったそうな。
天平時代の木造弥勒菩薩坐像、持国天、増長天立像と三体が、
いわばジャズ・トリオで静謐な空間に、濃厚な無音の存在感をみせている。
土門拳は言う。
「キミね、仏像は走っているんだよ」
シャッターを切る心を述べたが、たしかに仏像はスイングしているようだ。
夕刻、ホテルを抜け出して、駅前の市場に食料の買い出しに出掛けた。
暖房の風をまともに浴びて、風邪をひいてしまったが柿が美味しかった。
2006.12/1
唐招提寺五重塔は江戸時代に焼失し、心礎石は東京椿山荘にあるという。
いつか、行って見たい。

東大寺

2020年10月11日 | 旅の話


正倉院の香木『蘭奢待』に「東大寺」の文字が隠れている。
初めて建造物をまのあたりにして大きさにびっくりした。
フェノロサは薬師寺東塔水煙の造形美を「凍れる音楽」と讃えたので、
それを鳴らすのはさしずめ「タンノイ東大寺ロイヤル」ということになるのか。
当方のタンノイはウエスト・チャーチであるが。
先日、宮城のオーディオ開発者から、
「そういえばコーラルの1メートルウーハー製品化を勧めたのは、わたしです。ふっふ」
と電話があって、さまざまの先端技術の現況を教えていただいた。
宮城は賢人哲人がひしめいて凄い。
あのころコーラルという会社のステレオセットは秋葉原でも、
とても良い音で、欲しかったが手が出なかった。
コーラルの1メートル・ウーハーをぜひタンノイに組み込んで、
伽藍の中でバッハなどを聴いてみたい、と開発者に、あぶなくせがんだ。
ところで遣隋使SA氏は、再び中国に渡っておられる。
☆平泉に『二階大堂』という鎌倉期の建造物があったが、模型で見ても東大寺を模倣したか
と思える威容で、義経を平泉に追討した源頼朝も、気に入って鎌倉に同じ堂を造った。
それで鎌倉に行ってみたら、すでに建物は失われ、二階堂の地名だけが残っていた。
2006.11/30
当方の食卓にイチジクの糖蜜漬が並んで美食であるが、
マッドサイエンティストの御仁は、お元気か。

英国

2020年10月11日 | 旅の話


フレデリック・フォーサイスは、ヒースロー空港の数十キロ先に、
屋敷を構え農業をしているらしい。
『ジャッカルの日』のような逸品は、まだ書けないだろうか。
ロンドンに着いて、格式のあるレストランに入ったのはよいが、
通されたテーブルは半地下の煤けた予備室のようなところで、
引率した商社員G氏はいささか面目を失った。
そのうえ折角の赤ワインが良い味だと思ったが、グラスの底に澱が沈殿し、
あからさまに眉を顰めたG氏はウエイターに言った。
「支配人を呼んでくれ」
なにかやるな、と緊張した。
G氏は流暢に厳粛にしばらく抗議して、支配人を困らせている。
それをみて我々一同は、ちょんまげを撫でる気分で、もうそのへんで、と思った。
勅使供応役のように、業務で我々に気を使っていたのである。
メトロポールホテルに宿をとり、2階で急停止したエレベーターに立ち眩んで、
胃袋のワインが一回転した。
ロンドンの夜は、9時を廻っても外は明るかった。
夜更けの人の少ない街路の一角に、スロットルマシンが並んでいて、
老夫婦がゆっくり遊んでいる。
一つはなれたところに座ってまねをしてみると、なかなかコインは出なかった。
チャップリンのような老人が寄ってきて、こうするんだよというようにレバーを引くと、
なるほどチャラチャラン!と受け皿に何個か落ちてきた。
夕食後、大急ぎでやっと見つけた小さなオーディオ店で聴いた、
240ボルト電源のイギリスのタンノイの音をまた思い返した。
2006.11/28



ヴェニス

2020年10月09日 | 旅の話


アッピア街道を北上して、モンテ・カッシーノ僧院やひまわり畑を、
車窓にながめながらヴェニスに着いたとき、陽は傾いていた。
ヴェニスはアントニオ・ヴィヴァルディの暮らした都で、協奏曲「四季」は
『冬』の透明な大気を張りつめるタンノイならではの描写に魅かれる。
アーヨの盤は低音がたっぷりサービスされて、
いったい何丁のコントラバスかと思うほど豪華だが、
オーディオの最後に立ちはだかっているのは低音である。
朝、ホテルのロビーにゆくと、集まった皆の衆が口々に文句を言っている。
昨晩、一斉に使用したので三階から上はシャワーのお湯が途中で枯れてしまったが、
それがヴェニスだった。
フランソワーズ・アルヌールの『大運河』、
シェイクスピアの『ヴェニスの商人』、
ともかく見どころ考えどころがおそるべき量で煮詰まって忙しいけれど
モダン・ジャズ・カルテットの『たそがれのヴェニス』は、
旅の気ぜわしさをなだめるように、ゆったり演奏される。
☆ヴェネチアンガラス工房に立ち寄ると、支配人は言う。
「赤い色は金を溶かして発色させたのです」
2階のゲストルームに招き入れられた我々は、ヴェニスの商人に
入り口と出口のドアを閉められて袋のねずみになってしまった。
ガイドブックに、ヴェニスほど治安のよいところは世界に無いとあるが、
異民族、丁々発止。
2006.11/14
関丘樋口氏が元気な姿をみせ、ホスピタルや酔族舘や新居や、
もろもろのお話が有って良かった。

機内食 ルフトハンザ

2020年10月07日 | 旅の話


仏蘭西はあまりに遠し...
朔太郎の憧れたフランスに、多くのジャズメンは渡っている。
ひょんなことから、1ドル360円の昔、当方も渡った。
羽田からルフトハンザでアンカレッジに着いたとき、
ラウンジに立って窓の外の乗ってきた旅客機をながめ、
はたして無事に帰国できるか危ぶんだ。
やはり飛行機は恐ろしい。
サンテ・グジュペリも行方不明である。
ドイツ人の機長がゆっくり翼の下を歩いて機体を点検している。
そういう不安を忘れるには、食事である。
退屈しないように4回も機内食が出る。
「カフィ?テイー?」
スチュワーデスが、かいがいしくサービスにまわっている。
レット・ガーランドの『ミスティ・レッド』などをイヤホンで聴きながら
旅情をなぐさめたが、隣りの席の写真屋のおやじさんはずーっとタバコを吸いっぱなし。
「大変だ!」
右隣りに座った店主が機体の奥から駆け戻って言うには、
異変に気がついたドイツ人スチュワーデスがトイレのドアを開けたら、
どうやらズボンを下げてタバコを吸っていたらしい....××
2006.10/14
薔薇が庭に一個、今季の作庭もおわった。
伏見の別邸にはいまだ遠い。

シャンゼリゼ  

2020年09月09日 | 旅の話


シャンゼリゼ通りに、観光客の公衆トイレがあった。
入ってみると、近所のおばあちゃんが編み物をしながらお掃除と、
チップを乗せる皿の管理をしていたが、いまでもいるのだろうか。
チップの皿に色々な国のコインが乗っていたところが観光都市だが、
みなユーロになったのかもしれない。
シャンゼリゼとは、シャンプス・エーリッセオンというラテン語で、
日本でいうところの高天原、神々の集まる場所であると教わった。
昨日寄ったお店のご主人に呼び止められて後を付いて行くと、
完成したばかりの、まだ誰も使用していない花の生けられた御トイレで、
和装の迎賓館にあるような備えつけの什器や出来栄えがよかった。
これまで印象の一番はシャンゼリゼのものだが、新品のこれにはかなわない、
神々の賢所である。
午後になってお伺いした先生のお屋敷で、百年以上前の貫禄のある執筆デスクに、
「座ってみなさい」
その気になったのは、いぜん
「あなたの文は、キーボートをポチポチされた様子が見てとれますから、やはり文章は、万年筆が宜しいでしょう」
もったいないお言葉をいただいていたので、気分だけでも勉強になれば。
広い卓上に、太いモンブランの万年筆とインク壺があった。
映画では、キャップのてっぺんに金平糖を上から見たような白いマークが付いて、
モンブラン山の頂上を空から見下ろした冠雪の模様であることをボガードは、
傍の♀に説明していると、グッとのぞきこまれてありがちなシーンになった。
2006.5/9




車シリーズ

2020年09月08日 | 旅の話


一輪車でも、クルマは車である。
さすがに見かけなくなった3輪車だが、ROYCEに登場した二輪車で
めだったのは秋田のさる人物が乗ってきたBMWのオートバイ。
ベー・エム・ヴェーは、バイエリッシェ・モートレン・ヴェルケ・アーゲーで、
バイエルン州にある。
ワーグナーの本拠ノイシュバンシュタイン城に遠征したとき本社のそばを通った。
ガイドが円筒形の建物を指して、
「あれはシリンダーのフォルムをモチーフデザインしたのもので、設計したのは日本人だ」
と教えてくれた。
独逸は工業製品が良いね、このカメラもドイツ製だよと『コンタックス』を見せると、
ガイドは「押せば写真が出てくるのか?」と顔が本気なので、
その話は終わりにした。
仙台からお見えになるジャズ好きの客人が友人とめずらしい2台で登場したとき、
すかさずパチリとやりました。
2006.5/21
パトカーがズボッと入ってきて、ワインを買った時、
「矢沢栄吉のライブに行ってきた」とご報告があった。

ローマの休日 

2020年09月06日 | 旅の話


ローマは一日にして成らず。
セルバンテスの書いた小説「ドン・キホーテ」に登場する言葉である。
すべての道はローマに通ず。
ローマに行って白い線を越えたらそこはバチカンだった。
人口792人のバチカンはこのローマの中にある。
公用語はラテン語。
1615年に隣りの宮城県の『支倉常長』がここにやってきて法王に会った。
青葉城も立派だが、常長はバチカン城を見て驚いたであろう。
タンノイが好きというだけでは、法王は会わず。
タンノイは一日にして鳴らず
2006.4/6