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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

北上川観光船

2019年03月03日 | 旅の話


旅は道連れ、世は情け
テムズ河もセーヌ河も観光船は行き交っている。
ほとんど揺れのない広いデッキに長い椅子が並び、
観光客は左右のビルの景観を眺める。
ライン川は川幅が広く水量も多いので、観光船の構造は少し違う。
ケルン市では大型の頑丈な渡し船が、
大勢の観光客を河を渡すためだけに乗せていた。
箱根芦ノ湖の海賊船は大勢の客を乗せるが、
なぜか湖面を走るわりには揺れを感じた。
松島の観光船は、外海も走るため揺れるので
漁船のように頑丈にできている。
かりに、急ぎ旅の人が松島から北上川を遡って平泉に乗る船は、
ボデイを丈夫にしなければならず、大型巡視艇や魚雷艇を国から
払い下げてもらって、船に改造するのが安上がりかもしれない。
だが、日がな一日、のんびり釣り糸でもたらし、
船底の魚をながめ、活花や写経をして、
おいしい食事を摂るには、どのような船が良いのか。
天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
2013.9/2


『曾良旅日記』

2019年02月24日 | 旅の話


芭蕉の『奥の細道』に随行した河合曽良の直筆記録は、
1978年重要文化財になった。
夕方仙台ニ着。 其夜、宿国分町大崎庄左衛門。
未ノ尅、塩竈ニ着、湯漬など喰。
雨強降ル 馬ニ乗リ、加沢 三リ、皆山坂也 一ノ関黄昏ニ着 合羽モトヲル也 宿ス。
十三日天気明 巳ノ尅ヨリ平泉へ趣 一リ、山ノ目 壱リ半、平泉ヘ以上弐里半ト云ドモ弐リニ近シ 伊沢八幡壱リ余リ奥也 
などのような記述もそこに見られる。
芭蕉の一行と同じコースを、磐井橋傍の宿から平泉の方向に
旧国道4号線を行くと、途中の右手に小さな駅がある。
当方が小学生のとき利用した東北本線山目駅である。
駅から塩竃の臨海学校に一泊体験で家族に見送られ、
多くの学童と集団で茶碗2杯の米と出発した大事件が有った。
大広間に大勢でメザシのように並び就寝するとき、
メガネの校長先生が言う。
「いいかな、電気を消すよォ」
波の音がザワーッと耳に響いて、なかなか寝付けなかった。
現在、駅は最新型の駅舎に変わり昔の面影はないが、
漱石の『草枕』などを広げ、じっと蒸気機関車の到着を待つ気分は、
おそらく止まった時間が一服の絵でさえあろう。
気がつけば、子供のころ広大に感じた空間が、
地球が半分に縮んで時間がある様子は不思議である。
山あいの道を昔の記憶をたどり住宅地を分け入ってみると、
子供の時にハトを飼っている人を探して以来、
半世紀ぶりにであったが、すばらしい。
翌日、青森から帰路をとった三河湾の御仁が、
ROYCEに立ち寄ってくださった。
これまでナゾであった滑走路型スピーカーの背面を
写真によって見ることができたが、後面開放型の湾曲した形状に、
ユニットの配線が写っている。
当方は、ますます、音楽の様子が雲を掴むように遠くなったが、
御仁は既成の装置を凌駕した自信を静かに滲ませているのが希望である。
フッターマンアンプをマルチにご使用になって、そのうえ勤務先に
「たしか、タンノイ・ロイヤルもありましたね」
と申されるほどの、再生音響がわるかろうはずはない。
2013.5/5

立春、夜明けのマイルス

2019年02月02日 | 旅の話


熟睡している丑三つの刻に、
親に命じられ遊びに行っていた家で、
「さあ、起きて」
と起こされた。
中学生であった当方が眠い目をこすると、
大きな男がゴム製のダブダブの服を着せてくれたが、
ゴム合羽が歩いているようにして夜道を港に降りて行った。
五隻ほどの船が、出港の準備で、薄暗い海にざわついている。
はじめてこちらに漁を経験させる船主は、無言で、
波を分ける舳先にすっくと立って、遠く沖を見ている。
やがて船乗り達は、
くろい浮き玉の浮かんでいる仕掛網の周囲を取り囲むと、
十数人がタイミングをそろえて声を発し、
網を手繰りあげはじめたとき、
最初に見えてきたのは、魚の背を別けて
揃って網の中を泳ぐイカの群れである。
最近、三百キロの黒マグロが網にかかったニュースをテレビで見て、
ふと遠い記憶を思い起こした。
最近のモーゼルワインが、カビネットでも非常に甘さと酸味のコントラストとコクが旨く、
少々のつもりでオルトフォンの針圧も指先に軽い。
漁の出港にも、雪の夜道のドライブにも似合って、タンノイのマイルスは鳴る。
2012.2/5

朝の大船渡

2019年01月29日 | 旅の話


旅の宿に、鳥の声で目が覚めた。
薄くカーテンから外を覗くと、周囲の建物はまだ眠っているが、
遠くの景色はすでに明るい。
薬師堂温泉のみやげという『駒かすみ』を、ポケットから出されて
それを朝の茶受けに、けっこうな味である。
正面の山の形が、彫刻のようにおもしろい。
スケッチしてみた。
街は、しだいに変わってきた。
よくみると絵の建物が直立していないが、ペンが曲がってもうしわけない。
朝の、まだ陽のあたるまえの街。
2011.11/13


秋深し

2018年12月25日 | 旅の話


一番町から秋のハガキが届いた。
関ガ丘の哲人が、文化祭の帰りに珈琲を喫すると、
ウインドウズ95の最近の調子をご報告くださった。
当方もWIN.OS-2のハードデスクのパリパリ読み込む音を鳴らして笑った。
最近手習いの麻雀で、六十年に一度あるかないかといわれる
東南北が各三牌と、発二枚がドラで、リーチつもってしまったので、
このゲームはもはやこれまでか。
ちょっと新しいあそびをさがそう。
秋の紅葉に一瞬雪の降ってしまった須川岳を観光に行くべきか考えるが、
麓の路傍の売店に、キノコや栗やリンゴが並んでいるという。
須川湖の撮影 Kouji氏
2010.10/31


透明に近いブルーの時間の駐車場

2018年11月13日 | 旅の話


旅先の朝六時の、限りなく透明に近いブルーの時間に、一枚撮る。
駐車場傍らの自販機でモーニング・コーヒー缶を買う操作すると、
御札がはいらない。
遠くに人が現れて、箒と塵取りで映画のエキストラのように掃きながら、
傍を通り過ぎようとする。
「あのー、ちょっとこの操作?」
チリひとつない朝六時の駐車場は、心地よい。
たまきはる 宇智の大野に馬並めて 朝踏ますらむ その草深野
2009.6/6

松島や

2018年09月09日 | 旅の話


レコードの『右』回転を決めたのは、右利きの人である。
レコードが左巻きなら、逆に曲がったアームを、左指で盤に乗せることになったかな。
『バッチア・フィレン』を聴いて、秋の始めに旅をする。
船がゴン!ゴン!と唸りをあげ岸壁を離れたとき、後部デッキから海が見えた。
この松島にて、芭蕉も感激のあまり飽和したという未完の一句を、
ぜひ、ひねりたいものだが、不穏な天候に大きく揺れるデッキで、
小さな子が親にしがみついて泣きだしている。
海鳥の餌にエビ煎を売っていた乗務員が、
見かねて飛んできて何か言っている。
もっと、のんびり舟遊びを期待していた当方は、ふと、浮き袋、救命胴衣を、
付近に捜す気分になったが、100人以上も乗っている客は、
イザというときどうするのか、発句どころではない。
そんなことはおかまいなしに、ガイド嬢のアナウンスは島々を結んで行く。
「松の1本生えたあの島は、舟遊びした伊達政宗が、
庭に運んできた者には銭千貫を与える、と賞賛したセンガンジマ?でございます」
260あるという小島のあいだを縫って、海龍丸は進む。
ところで、歴史館に停めてきた車の駐車料金はどうなるのかな、ひるの弁当は?
「海の青と空の青や、観光客の放った餌に群れて、海鳥はきょうもさまよう」
芭蕉もたぶん、とり混み中につき、歌どころではなかった。
2007.10/15

ケルンへ

2018年07月27日 | 旅の話


1974年9月30日はハンブルクを通過し、
午後にレバークーゼンに到着して、昼食を頂いた。
リンゴの皮剥きナイフは15キロ離れたゾーリンゲン製だが、
地球をリンゴのサイズにすると、外皮厚は
モホロビチッチ面までリンゴの皮ほどに過ぎないと。
ケルン大聖堂に入ってみたが、法隆寺のような凄さであった。
管球アンプと幾度か大地震をくぐり抜けて
ラス・フリーマンとシェリーマンの
『ブルー・モンク』を、粛として聴く。

オクトーバー・フェスト

2018年07月15日 | 旅の話


静かにビールを味わう季節になった。
いまころミュンヘンでは『オクトーバー・フェスト』が始まっている。
1974年10月4日、秋のミュンヘン『ロウエンブロイ』の大テントに入った。
そこには数千人の観光客や市民が、中央の舞台の軍楽隊が吹き鳴らす
ババリア舞曲のしり上がりに煽りたてる音楽に揺れて、
ゴーッという騒音とビールの泡で遠くが霞んでいた。
「ハポンか?」
男女集団が、長椅子をずらして我々を座らせてくれた。
どんどんいこう、と言われて、さっそく回してもらったジョッキを掴んだ静岡人が、
小柄な人であったから、大男、大女のドイツ人の間に挟まれて、
「キンダー?」と可愛がられている。
普段は生真面目なドイツ人も、このときは陽気に上気した顔で男も女も太い腕を巻くって、
ノドの奥までビールに浸かり、ジョッキを傾けていた。
ガイドは言う。
「ドイツでは、自分の腹の下を見て、足の爪先が見えるようならまだ一人前ではないんだ」
パルス、ビルゼナー、ヴァイスの大テントをのぞいて陶然として夜道を歩くと、
上空のあちこちの柱に備えられたジーメンスのスピーカーから、
勢いのよい音楽が聴こえてくる。
暮れ泥む公園に即席遊園地がつくられて射的や回転ブランコ、覗き小屋で賑わっていた。
高速ブランコで、毎年何人も怪我人がでるのは、フラフラで乗っても誰も止めないからという。
1974年は「カモメのジョナサン」が翻訳されて話題になり、
ビル・エバンスがエディ・ゴメス、マーティー・モレルと日本に遠征し、
M・J・Qが解散コンサートで驚かせた年だった。
2007.9/23

アウトバーン

2018年07月11日 | 旅の話


Dusseldorf Hiltonでバスタブに浸かっているとき停電があった。
それで、所在なく薄暗いバスタブの湯に浮かんで一日のことを漠然と思い返したわけである。
「このトンネル横手に、戦時中の飛行機格納庫があります」ガイドが言った。
WWⅡのプラモデルマニアにとって、アウトバーンのトンネルに造られた秘密格納庫の話は耳をそばだてる。
バスは無情にも、あっというまに封鎖された壁穴横を通りすぎた。
停まっては危ない。追突されるので。
組立工場とも聞くが、いずれ、穴の中からメッサーシュミットが出てきて、
自動車道路を滑走し飛行機が飛び立つのである。
フロントガラスの先にひろがるシュバルツバルトも、
パイロットからあのように見えたのだろうか。
気分が同じはずはないけれど。
幼稚園にあがるまえの記憶で、父親と自転車に乗って国道を平泉に向かっている。
頭の上の方からオヤジの声がする。
「掴まっていろ、ハンドルに」
平泉の外れの国道に飛行機が不時着したという情報をどこから聞いたのかオヤジは、
幼時の当方を乗せて20分も走ったのだろうか、そのとき東北本線の
側の白い国道の先から離陸したと思われる黒い物体が、
ババババと爆音を響かせて、上空を飛び去って行くところに遭遇した。
昔の飛行機は、こまかいことを言わなければ直せてしまうのであろう。
乗員が手を振っている黒い機影を記憶に残して、その場をUターンしゆっくり家に戻った。
日本の国道も、電柱が離れているところではなんとなく離着陸ができたのだ。
バスルームの明かりは停電ではなく、ライトが消えていた。
日本の高速道は、アウトバーンをモデルにしたといわれ、
東北道では岩手山が綺麗に見える所がある。
『オールド・タイムズ・セイク』でも聴いて走れば、それは芭蕉の知らない景色だが。
2007.9/29


シャンゼリゼ通り

2018年05月04日 | 旅の話


シャンゼリゼ通りに、観光客のために公衆トイレがあったので入ってみると、
近所のおばあちゃんが編み物をしながらお掃除とチップを乗せる皿の管理を
していたが、いまでもそうしているのだろうか。
皿に各国のコインが載っていたところが観光都市だ。
シャンゼリゼとは、シャンプス・エーリッセオンというラテン語で、
日本でいうところの高天原、神々の集まる場所であると教わった。
昨日寄ったお店のご主人に呼び止められて後を付いて行くと、
完成したばかりの、まだ誰も使用していない花の生けられた御トイレで、
迎賓館のような備えつけの和装の什器が良かった。
これまでの印象の一番はシャンゼリゼのものだが、
新品のこれにはかなわない、神々の賢所である。
午後になって訪問したさる先生のお屋敷で、百年以上前の貫禄のある執筆デスクに、
「座ってみなさい」と言われてその気になった。
いぜん「あなたの文は、キーボートをポチポチされた様子が見てとれますから、
やはり文章は、万年筆が宜しいでしょう」
もったいないお言葉をいただいて、気分だけでも勉強になればと深く思ったのである。
広い卓上に、太いモンブランの万年筆とインク壺があった。
キャップのてっぺんに金平糖を上から見たような白いマークが付いて、
いうまでもなくモンブラン山の頂上を空から見下ろした冠雪の模様であることを、
映画でボガードは傍の女に説明していると、グッとのぞきこまれて、
ありがちなシーンになったことを思い出したのは、当方のいたらないところだ。
2006.5/9


SAXOPHONE COLOSSUS

2018年05月02日 | 旅の話


『サキソフォン コロッサス』 を聴きながら、
松島T氏はポツリと『カキ』が好きだと申される。
カキ?それは当然一番丁のグルメ・グルマンであるから、
牡蠣をイメージして、酢醤油に浸した海の白い珍味を脳裏に浮かべた。
ホテルを抜け出してシャンゼリゼ通りの裏道に迷い込んだ一行は、
とある食堂の明かりに誘われ、路端のテーブルで牡蠣とワインを冒険した記憶を浮かべる。
氷を敷いた皿に牡蠣を持ってきたのは、トリュフォーのベルナデットに似た娘で、
夜10時を廻っているのに飼い犬とたわむれ跳ね回っていた。
「いやいや違う」
T氏が両指でマルをつくってみせたのは、果物の柿のことだった。
レコードの「You don’t know hat love is」に針が移動し、
ロリンズのテナーに促されるように庭の柿の木を思い出した。
落葉掃きに丹精した甘柿が裏庭にある。
毎度、野鳥のデザートになっている柿を、こんどもいでおきましょう。
T氏はそうとう柿が好きらしく、買った袋がいま車にあるそうだ。
ちなみに、氏の食事は玄米で、
「白米は、いろいろおかずを必要としてやっかいです。
玄米なら、漬物と吸い物があればトリオとして充分な演奏になる」と申される。
傾聴しておきましょう。
車に乗るとき「柿を楽しみにしています」と4号線に消えていった。
2006.10/28

英国

2018年04月26日 | 旅の話


初めにヒースロー空港に降り立った1974年10月11日は金曜日だが、
角川書店が『ジャッカルの日』を出版した翌年のことである。
入国管理官の厳しい視線を、これだな、と思った。
フレデリック・フォーサイスは、空港の何十キロか先に屋敷を構え農業をしているらしい。
ロンドンの夕食、格式のあるレストランに入ったはよいが、
通されたテーブルは半地下の煤けた予備室のようなところで、
引率した商社員G氏はいささか面目を失った。
そのうえ折角の赤ワインが(良い味だと思ったが)グラスの底に澱が沈殿し、
あからさまに眉を顰めるとウエイターに、「支配人を呼んでくれ」と申し渡したので、緊張した。
G氏は流暢に厳粛にしばらく抗議して、支配人を困らせている。
それをみて我々一同は、ちょんまげを撫でる気分で、もうそのへんで、と思った。
G氏は勅使供応役のように、我々に気を使っていた。
メトロポールホテルに宿をとった我々は、2階で急停止したエレベーターに立ち眩んで、
胃袋のワインが一回転した。
ロンドンは、夜9時を過ぎても外は明るかった。
夜更けの人の少ないテムズ川にそった街路の一角に、
老夫婦がスロットルマシンで、ゆっくり遊んでいる。
一つはなれたところに座ってまねをしてみると、なかなかコインは出なかった。
チャップリンのような老人が寄ってきて、こうするんだよというようにレバーを引くと、
なるほどチャラチャラン!と受け皿に何個か落ちてきた。
大急ぎでやっと見つけた小さなオーディオ店で聴いた、240ボルト電源の、
イギリスのタンノイの音を、そこでまた思い返した。
※Zeiss1.4/85
2006.11/28

東大寺梵鐘12月30日

2018年04月11日 | 旅の話


巷に雨の降るごとく、
ヴェルレーヌの鐘も、良寛の鐘も、
ノートルダムの鐘も雄弁に喋っている。
チャイコフスキーの1812年の鐘は軍艦マーチのようだ。
眼の前の、日本三銘鐘といわれる「東大寺の梵鐘」は、
明日の六根三世の煩悩を吹き払う大働きをまえに、
微塵の興奮もみせず落ち着き払っていた。
そっと触ってみると、わずかに振動しているように感じるが、
指の鼓動であったかもしれない。
タンノイのユニットも、振動して歴史を創っている。
すべてを、振動宇宙というそうだ。



東大寺
正倉院の香木『蘭奢待』に「東大寺」の文字が隠れている。
初めてその建造物をまのあたりにして大きさにびっくりした。
フェノロサは薬師寺東塔水煙の造形美を「凍れる音楽」と讃えたので、
それを鳴らすのはさしずめ「タンノイ東大寺ロイヤル」ということになるのか。
当方のタンノイはウエスト・チャーチであるが。
先日、宮城のオーディオ開発者から、
「そういえばコーラルの1メートルウーハー製品化を勧めたのは、わたしです。ふっふ」
と電話があって、さまざまの先端技術の現況を教えていただいた。
宮城は賢人哲人がひしめいて凄い。
あのころコーラルという会社のステレオセットは秋葉原でも、とても良い音で、
欲しかったが手が出なかった。
コーラルの1メートル・ウーハーをぜひタンノイに組み込んで、
東大寺伽藍の中でバッハなどを聴いてみたい、と
開発者に当方はあぶなくせがんだ。
ところで遣隋使SA氏は、再び中国に渡っておられる。
平泉に『二階大堂』という鎌倉期の建造物があったが、
模型で見ても東大寺を模倣したのかと思える威容で、
義経を平泉に追討した源頼朝も、気に入って鎌倉に同じ堂を造ったと言い伝わる。
それで鎌倉に行ってみたら、二階堂の地名だけが残っていた。



唐招提寺講堂
奈良の都も、年末には人がいなくなる、という話は本当だ。
或る年の12月30日平城宮跡に立つと、
もと官庁街であったところはポンペイの遺跡のような記憶も大地に留めず、
あまりに印象が薄い。
唐招提寺の講堂が、朝集殿(霞ヶ関ビル)を移築したものときいて、
足を伸ばしてみた。
誰もいない。
当時の御役人の勤務時間は、朝の四時から昼の十二時までであったそうな。
天平時代の木造弥勒菩薩坐像、持国天、増長天立像と三体が、
いわばジャズ・トリオで静謐な空間に、濃厚な無音の存在感をみせている。
土門拳は言う。
「キミね、仏像は走っているんだよ」
シャッターを切る心を述べたが、たしかに仏像はスイングしているようだ。
夕刻、ホテルを抜け出して、駅前の市場に食料の買い出しに出掛けた。
暖房の風をまともに浴びて、風邪をひいてしまったが柿が美味しかった。

2006.12/2


箱根彫刻ノ森美術館

2018年04月11日 | 旅の話


千里に旅立て、路粮を包まず。
三更月下無何に入と云いけむ昔の人の杖にすがりて、
貞亨甲子秋八月、
江上の廃屋を出ずる程、風の声そぞろ寒気也
「野ざらしを 心に風の しむ身かな」

芭蕉の『野ざらし紀行』は箱根の関を越えて始まったが、
天下の嶮の上に、彫刻群はあった。
眼に見えないジャズやクラシックの気分を、眼で見ようとする。
物言わぬ造形が、永遠の時間を一瞬にとどめてゴドーを待ちながら
そこに佇んでいるようだ。
2006.12/6