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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

トゥオネラの白鳥

2018年09月12日 | 花鳥風月雪女


どこかに忘れた憧れを呼び戻そうとする、
静寂のなかに息づいている呼び声が聞こえてくるこの写真は、
先日の客人がもってきてくださった作品の1枚だ。
当方も、伊豆沼に遠征したことがあって、はたしてこのようなシーンが、
あの沼のどこにかくれていたのかと、びっくりした。
腕におぼえのある人々が、ちょっと刀の鍔をパチンと鳴らしてみせた感じが楽しい。
まだほかにも、大勢の腕利きのひとたちが控えているので、
オーディオ装置だけではなく、絶景のフレームを見せていただきたいものだ。
ラックスの38FDというアンプでジャズを聴くこのドラマーは、
カメラとスティックを自在に操って、あるときはロイスで控えめに珈琲を飲む。
この日は、棚から抜いてきたというソニー・スティットのアルバムを、
写真と一緒に楽しませていただいた至福の一時。

☆わかりきったことだが、白鳥のこの一枚を選んだ感想を。
絵は寒鴉枯木、歌は雪月花、ゲージツは真善美破。
写真の「真理」は、左上の民家の灯りにあって、蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」
とちがい一軒であるところ自然の闇と白鳥との関係に絶妙のバランスを見せる。
「善」は三羽の鳥の物語る平安。「美」はめずらしい光の角度ともろもろのタイミングという、
真善美のそなわった佳品と感服しました。
もし、家が3軒並んでいたら、黒沢明なら二軒をつぶすのではないでしょうか。
2007.11/18


海から見る陸奥国分寺と多賀城

2018年09月09日 | 花鳥風月雪女


松島で腹ごしらえもおえ、次にいよいよ隣町千二百年前の遺跡、
大伴家持の多賀城跡と陸奥の国分寺跡をめざす。
海から帆船で入港したいところだが、古代の街並はすでにないので、
車で中心部に乗り入れる。
多賀城遺跡は小高い丘陵に広がり、当時は海岸線も内陸に入り込んで、
いまからは想像も出来ないような絶景が広がっていたようだ。
外郭地形を神社の丘から眺め、大満足は当方だけであったが、
家持と芭蕉の旅をしのんで、歌枕に一時を過ごした。
2007.10/16

荘園遺跡の2

2018年09月02日 | 花鳥風月雪女


「神代より 斯くにあるらし 古昔も」
と歌われた万葉の風景を、本寺荘園遺跡に訪ねてみることの続きの話。
磐井川の傍らの道を、どこまでも標高を上げて行くので、しだいに空気も景色も澄んでハンドルを忘れる。
このとき難しいのは車のスピードのことである。
この道に許されるスピードは50キロであるが、なんとなく
『ルマン24時間レース』のコースをしのばせるところがモノ騒ぎで、
ホネデラ耐久レースがいつか開催され、世界遺産を横目にスポーツカーが
空気を切り裂いて驀進する時が来るのかもしれない。
路の途中で、いくつか立ち寄るべきところのひとつにアイスクリームの店と蕎麦の店がある。
美味しいモノで無口になった人々をそっと見ると、
満足げに瞑想し、タンノイを聴いているときと、どこか似ている。
遺跡を俯瞰するには駒形根神社に登るよう教わったが、
そこで、不思議なアザミの花を見た。
自生したものか特別に植えられたものか、探索してみたが、
鳥居の周囲に2株だけ、その色の見事なアザミは大きく育っていた。
これまでで最高のアザミの色である。
鳥居の石段の右手に小さな鐘楼がある。
梵鐘は大きくはないが、形が観世音寺の7世紀の鐘と似ているような気がする。
おそれおおいが、小さく突いてみた。
予想外に良い音であった。
そういえばROYCEにおみえになった人から聞いた話で、
ミジンコ博士も最近ここを訪れて
「お、いいねー」と申されたと。
2007.6/22
スケッチは正確ではない。


骨寺荘園遺跡

2018年09月02日 | 花鳥風月雪女


『荘園』という千年もむかしの営農遺跡が磐井川の上流に発見されたと聞いて、
或る日、太古の昔を訪ねてみた。
ROYCEの傍の磐井川を10キロ遡るとそこは厳美溪で、
KO氏のウエスタンWE-16Aホーンがある。
また、空跳ぶダンゴで有名な某居宅には大変な装置が鎮座している噂があるが、
当方は依然として拝聴していない。
厳美溪からさらに上流に7キロ遡ったところに山谷仙人がおり、
ゴトウホーンやバイタボックスが美麗な音響であたりをはらっている。
山谷からさらに3キロ上流に本寺HONDERAというところがあり
古い文献に骨寺と書かれて目的のところである。
『骨寺村荘園遺跡』は、「吾妻鏡」にある中尊寺ゆかりの別当の所有と、
古図の分析をした碩学の証明で、川や道、田園が太古の絵図のまま残っている
希有の存在であるそうで、いったいそれはどこにあるのだろう。
さんざん車を走らせてのどが渇き、自動販売機のボタンを押したとき、
渋いガラス戸をにゅっと開けた男が
「駒形根神社に登れば見える」と教えてくださった。
県道を北東に入ると、急に異次元の空間が開けて駒形根神社は有り、
石段のそばの明晰な掲示板によって、世界遺産の候補地となった遺跡の概要を知ることが出来た。
神社に詣でてお賽銭をと箱を探したがそれらしいものはなく木戸の隙間に挟んだら、
ほかにもいくつかお賽銭がそのままになっていた。
杉の木に絡んだ藤の花がみごとで、ビルの四階ほどの高さまで咲いている。
朽ちかけた鐘楼の傍らから見た、谷あいに広がる田園風景は忘れ難いものである。
現在生活されている人にとって、庭先まで車で踏み込まれるのは迷惑なことで、
何台も車が連なるようになるとき、いずれ侵入禁止となるであろう。
山懐に抱かれるように千年ものあいだ変わらず耕作されてきた風景は、
見る者に、ふしぎな安らぎと感慨を憶えさせ、倦きることがなかった。
2007.6/1
スケッチは記憶によるもので、正確ではない。

春は、あけぼの

2018年08月28日 | 花鳥風月雪女


春は、あけぼの。
やうやう白くなりゆく山ぎわ、少し明りて、紫立ちたる雲の、細くたなびきたる。
山は、小暗山、鹿背山、御笠山。
木の暗山、入立の山。
忘れずの山、末の松山、方去り山こそ、「いかならむ」と、をかしけれ。
五幡山、帰山、後頼の山。
朝倉山、「よそに見る」ぞ、をかしき。
大比礼山も、をかし。
臨時の祭の舞人などの、思ひ出でらるるなるべし。
三輪の山、をかし。
手向山、待兼山、玉坂山。
耳成山。
…枕草子一段、十段

一関において、名前の通った山といえば、関山中尊寺。
西行が桜の歌を詠んだ束稲山。
芭蕉の句碑のある蘭梅山。
日本昔話に唯一名の載る観音山。
夜桜に顔を染める釣山。
勇壮な山は室根山。
遠景に見える一番高い山は須川山。
その須川山頂から見える一番高い山は鳥海山である。

☆写真家 幸次氏撮影


調律師

2018年07月07日 | 花鳥風月雪女


「わたしは、楽器の調律の仕事をしている者です」
青森から仕事の帰りと申される、こざっぱりした口髭の、
注意深く刈り揃えた巧みな造形の客であった。
あなたは「絶対音感」についてどう思われます?
「自分にそれはありませんが、あるいは絶対音感は、仕事の支障になるかも、しれません」
ピアノも、オルガンも、チェンバロも演奏の最中にだんだん音程は変わっていくという。
バッハ平均律クラヴィーア曲集とは、
この調律の仕事が1オクターブに12等分された成果が音楽になったものだろうか。
ジャズでは、ラとシを半音下げた調律を『ブルー・ノート』というと、聞いたことがあった。
このタンノイの音量で、大切な鼓膜の負担になりませんか?
「大丈夫です。自宅では、いま『ハーベス』を鳴らしています」
真摯な客は、興味深いことを申された。
「自分の参加したプロジェクト『バッハのカンタータ全曲録音』のCDがあるのです」
それを聴きたいとお願いすると、車からケースを持ってきてくださった。
「ロイヤルで聴いてみて、非常に良く録音されていると思います」
安堵の表情をみせておられたが、クラシックはアンプのボリューム設定が難しい。
もっと大きく鳴らしたかったが、途中で変えたくないものである。
「このようなCDもあるのですが」
次に取り出されたのは、かの『マーク・レビンソンCD』で、レビンソン氏はベーシストであることは有名だが、
このCDにかぎって本人のベース演奏が轟いてこないのが惜しいけれど、音楽はとても良かった。
しかし、
いかにタンノイ好きといえども、このCDはLNP-2LとJBLで聴いてみたい。
調律師、錬金術師、陰陽師、風水師、占星術師。
どれも第六感を働かせて夢を掴む仕事の響きがある。
川向うに向かう車を見送りながら、音楽の世界を支えている一群の人の存在を思い起こした。
2007.3/26
中央に座っている女性が「これはエバンスですね」と言いました。




海の茶室

2018年06月12日 | 花鳥風月雪女


雛がいよいよ巣立ちをするときになって、
列車にゆられて漁村の要塞まで行ったことがある。
はじめて会う当主は、書道の筆を休め、麦わら帽を掴むと縁側から庭に降りた。
瓶の底のようなレンズのメガネが、陽にギラと反射した。
あとをしばらく付いて歩いて、峠のけもの道のような笹藪をかきわけたところは、
眼下に広大な海の広がる崖の上。
蔦を掴んで足場を探しながら当主は降りていく。
崖の岩場つたいにやっとのことで後を追うと、
垂直のように降りている背後に、ドーンと打ち寄せる波の音が聞こえる。
当主は、紺碧のうねりが、すぐ足元に見える岩場に立って海を見ていた。
わずか3畳ほどの岩のくぼみに溜まった絶海の砂場である。
崖を背にしていると、眼の前をぐーっとせりあがってくる青い波が怖いようだが、
リアス海岸の大洋を見た気分は、今も言葉がつかない。
「ここは、誰も降りたことがないよ」
独特の濁声で水筒の御茶を注いでくれたから「野点て」だったのか。
四半世紀も過ぎた或る日、要塞の土蔵に秘蔵されている骨董の写真を、
遊びに来た叔母が見せてくださったことがある。
そこに写っていた『泪雫』と竹筒に書かれた1本の茶杓だけしばらく憶えていたが、
JBL4350を三重のアルミサッシ防音室で鳴らしているという客人のご婦人が
骨董店に遊んで、遅れてROYCEに入ってこられた。
「それは『なみだ』といって、利休が切腹の時、弟子に与えたもので徳川美術館にあるそうですよ」
怪訝な顔をすると「茶道の弟子たちに残した五本のうちの1本かもしれませんね」
そのとき、タンノイのジャズのかなたにドーンという波の音が、鮮やかに浮かんだ。
2007.2/6
タンノイRHRをパラビッチーニのアンプで鳴らす客人が、数年ぶりにお見えになった。
同伴の人々のマニアックな評論には恐れ入った。
ひとり寡黙な人物が、年齢の話になったときラファロの演奏のように個性をみせたのが、とても良かった。

Anita O'day

2018年05月26日 | 花鳥風月雪女


アニタ・オディの唄う『サントワ・マミー』を聴いてみたかった。
アダモの唄は、女心を忖度して気分がせつない。
さすがにジャズ・トリオでこの演奏をしても、
ボーカルがなければ「道を説くキミ」になってしまうのか。
カウント・ベイシーのサントワ・マミーも、そうとうなものだと考えるが。
熟年になってアニタ・オデイの唄声はパワフルで、白人の喉にめずらしい貫禄がある。
むかし聴いた全日空のコマーシャル「イージー・ライフ」は、
タンノイで聴くと弩迫力で誰の唄かと驚いた。
表現に幅があるので、シャンソンも頼まれれば歌詞をさらって「クスッ...」と照れながら、
それなりに唄ってみせたのではなかろうか。
彼女はA列車で行ってしまったので、いろいろ想像するだけで、実現はかなわぬこととなった。
2006.11/25

パリ祭

2018年05月04日 | 花鳥風月雪女


7月14日はパリ祭。
「きょうはパリ祭だ」と、何年もまえに田舎の破れ部屋で言った男がいる。
当時の巴里は、はるかに遠い國だったが、その部屋は特別な空気が立ちこめていた。
子供の時、その話をきいていた当方いよいよ、パリの空の下セーヌが流れる景色を見に。
おのぼりさんとしては、路上のスタンドにて記念になりそうな新聞を物色していると、
「タダで読マナイデ」と店員が言った。
フランス語、読めない当方にむかって、それはかいかぶり。
『ムーラン・ルージュ』に行きたかったが満席で、『リド』にまわった。
一番よい席は、舞台のそばの食事付テーブルらしいが、
ワイン1本だけの外野スタンドに節約した。
日本の伝統芸では、歌舞伎座のようなものだろうか。
ストロボライトに踊り子がストップ・モーションする意外なショーだった。
パリ祭なら、遠くで思うものでよいかと、タンノイでイブ・モンタンを聴く。
☆そのむかし『ウィンドウズ3.1』と格闘していたある深夜に突然電話が鳴り、
訝って受話器をとると「きょうはパリ祭だ」の御仁からの「30年ぶり」の電話であった。
或る人物の消息を知りたいと、遠い声で言っているが、
中学のころ一度見て以来の伝説の人間が、電話の向こうにいた。
1メートル90はあろうかという巨人が、ジャンパーの肩を少しすぼめて、
中央町を歩いているところを思い出すと、ついでにモーツァルト40番が聴こえる。
この巨人の部屋の蓄音機で聴かされた人がハミングしていた40番。
2008.7/14

ALL MORNIN' LONG

2018年04月29日 | 花鳥風月雪女


「あなたこのお水、呑んでごらんなさい」
窓際の席にどしりと陣取った淡谷のり子嬢風のご婦人は、
メタメタのブルースを聴きたい、と注文を申されながら、
持参のボトルの湧き水を当方に勧めている。
どこの土地にも、宮水や湧水があって、年配の人を嬉しがらせているが、
街ではティーンエイジャーは湧水の販売機に直行している。
この水で珈琲を淹れてみると、美味しい。
紙を広げ、ペンを握り、秘境の湧水までの地図を書いて、
「検査済みだから」と自信たっぷりに申されている。
やがてタンノイのレッド・ガーランドを伴奏に、ご婦人の文化人類学上の回想は、
涙と笑い無しには聞けないブルースだ。
大型ジープで登場する秋田の客が「初心者のころに聴きました」とガーランドを懐かしんだが、
ガーランドは元ボクサーで、秘境の湧水のように音楽をくりだし、ブロック・コードをきめて、
リングの勘をピアノのキーに懐かしんでいるようだ。
帰りぎわ、ご婦人がワイン棚の商品を選んでいると、
業務車輌が急に店の脇道にズボッと入って来たのが見えた。
「うるさいわね」
ご婦人の、ブロック・コードもジャズであった。
2006.10/8

THE SIDEWINDER

2018年04月28日 | 花鳥風月雪女


庭木に水を注いでいると、上空をヘリコプターが旋回した。
バタバタバタ。
椿の花弁が1個落ちて、ガラス窓がビビビリ、と鳴っている。
そういえばバッハの『トッカータとフーガ』のオルガンに耳を澄ますとき、
ROYCEの室内も共振することがある。
かげろうのような一瞬の儚い清明が、時の証に韻を踏んでいるようだ。
バッハの盛大なオルガン音は、さるところではどのように鳴っているのか聴いたことが有る。
空の曇っている日、ロンドンのウエストミンスター寺院に入ると、たまたまそれが、
石の壁に音の波がしみわたりつつこだまし、上空にゆっくり煙りのように立ち登っていくのが聴こえた。
小耳に挟んだそれは、甘いやわらかな低い音である。
タンノイで、バックロードホーンの威力を聴こうとボリュウムを上げると、
トッカータとフーガも脱穀機のようなすさまじい音で鳴るが、是非もない快感だ。
現実には、ウエストミンスター教会の遠いオルガン音は、
ちょうどそのとき『スペンドール』で小さく鳴らしたような、良い音であった。
ジャズでもクラシックでも経験する「鳥肌の瞬間」とは何だろう。
それは鯉に似た、感動なのか。
あるとき六法全書に『恋』という字は無いといわれて、法典に鯉は必要でなかったのか、
意外だが、約束も証明も要らない、いらない興奮をタンノイに求めてきたのかな。
『サイドワインダー』をまだ5回しか聴いていない人は、
聴かないためにそれを持っているとか言って、
感動を冷凍パックして、針を置く日を先延ばししている。
何度も同じ女人とデイトしていれば、鯉も次第に薄らぐから
『ワルツ・フォー・デビィ』などの場合は、少々聴き通して、
鯉からアイにフェーズが変わってしまったのである。
新鮮な出会いのために、多くのフアンは
斬新なカッティング盤の再登場を待っているのかもしれない。

☆ウエストミンスター寺院には、ニュートン、ダーウイン、ヘンデル、チョーサー、ディケンズ、ハーディなどなど、起こしては大変な人物たちが眠っているそうだ。
2007.4/18

吉祥寺の客

2018年04月18日 | 花鳥風月雪女


早春、残雪残るROYCEのまえに3台のタクシーが停まり、
ゾロゾロと見慣れぬ女性たちが降り立って、
建物を、ニコニコ見上げている。
はてな。
中央の男性であるが、吉祥寺のジャズ導師ではないか?
「いや、どうも」。
10人のジャズ女性集団が、タンノイを聴いてさざめいているとき、
「前回より、大分音が変わったようですが?」
要所で導師がやわらかいフレーズを発すると、
おしゃべりをしている女性たちは、サッと口を閉じる。
エリントンのような統率の雰囲気は、不思議な楽団編成だ。
ハーレムの導師の姿を見たのは、自分が初めてなのだろうか。
どうです、これがジャズ喫茶の発展型、融通無碍な旅姿です、
ということなのだろう。
「ここにある本はご主人の蔵書ですか。古書店でこれを見るなら、
思わず襟を正したくなるような内容ばかりですね」
杉並KG氏からダンボール70箱届いた書物のことだが、
導師の著作も、ジャズの地平線にゴシック聖堂になって聳え、
個性的なジャズプレイヤーが乱舞する語り口を、いましがたのように思い出した。
「これから、Bに行きます」
吉祥寺から行列を組み、川向うまで『御馬揃え』という一団に、
なみのことでは驚かない近所の人達が、
走り回っている様子が窓の外に見えた。
2007.2/25
秋田街道まで走ると祭畤の入口は封鎖されていたが、雪は解けていた。

福井のPJL・Club

2018年03月25日 | 花鳥風月雪女


福井県から遠征されたPJL・Clubの人が1本の電話の後、
イエローなんとかという場所から行方不明になった。
それではと探しに行くと、4号線を、うちわでぱたぱた煽ぎながら、
お二人がいかにも旅の風情をただよわせて歩いてくるのを見た。
朝、福井をバスで立って仙台に直行7時間、
ふたたび乗り換えて到着されたのであった。
なにやら大事そうなファイルを見せていただくと、
これまで訪問された全国のジャズ喫茶の地図や資料が納まっていた。
PJL・Clubはジャズライブ・コンサートのために組織され、
150人の会員を誇っているそうで、日本の各地に交流団体があるらしい。
このような団体のパワーが、時には世界をあっと刮目させるマグマを秘めるのであろう。
『ジャズ批評』46号に、コルトレーンが66年7月に来日した詳細が載っているが、
12.18.20.23.24日の5回新幹線で移動している。
1966年7月08日羽田国際空港着、東京プリンス泊。
1966年7月11日東京サンケイホール
1966年7月12日大阪フェスティバルホール
1966年7月13日広島公会堂
1966年7月14日長崎公会堂
1966年7月15日福岡市民会館
1966年7月16日京都会館第二ホール、大阪松竹座
1966年7月17日神戸国際会館ホール
1966年7月18日新宿厚生年金会館
1966年7月19日新宿厚生年金会館
1966年7月20日大阪フェスティバルホール
1966年7月21日静岡市公会堂
1966年7月22日新宿厚生年金会館、東京ビデオホール交流ジャムセッション
1966年7月23日名古屋文化講堂
1966年7月24日東京ビデオホール交流ジャムセッション
1966年7月25日羽田国際空港から帰国。
旅慣れてきた後半、トレーンは誰かの差し入れた尺八を、
列車内で手にとって吹いている写真が有るが、ディア・ロードか。
2006.9.10

ジャギュア

2018年03月21日 | 花鳥風月雪女


ジャガーはジョンブル気質の片鱗が乗り心地にもあるというが、
それはどんなものだろう。
昔、ダブリュ・オー・セブンの第一作で、
海から上がってアクアラングを外したショーンコネリーが、
フォーマルスーツの裾をピッと引いて歩き出すシーンで、
ドッと笑いの湧いた英国試写会だ。
そういえば、T・S先生に伴われてロンドンから、
80歳の矍鑠たるジョンブルが、ROYCEにみえたことがあった。
なにが気に入らないのかニコリともせず、タンノイを見て
「どこの国のスピーカーか?」ときいてくる。
タンノイ・ロイヤルを、自分の国で見たことが無いという。
「リクエストは、何にします?」とたずねたところ、
「ヴェルディ」と一言ご所望。
「また来てください」とドアの所で通訳させると、
靴のひもを結びながら「ボソボソッ」と何かを言っている。
――― なんて言っているの?
この(高齢の)おれにまた来いってか、と翻訳された。
謙遜か諧謔か、貫禄のブレイク氏に似ている客は去っていった。
ジャガーに乗ってウエストミンスターの客、四谷からおみえになった人は、
諧謔とは縁のない快活な紳士である。
2006.6/6