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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

周の五千字

2019年01月11日 | 花鳥風月雪女


一関に、函谷関に近い風景をさがせば須川岳の渓谷沿いに、それはある。
いまから2300年前といわれる周の時代に、
5千余字の殷の文字を、函谷関に残して歴史のかなたに去った者がいた。
殷文の意味にゾッコン感銘したのちの財力者は、印刷技術もない時代の
知っているかぎり手を尽くし、全部は無理でも写筆収集して、
墓所にまで携えたものであるが、2千年後の現在にも隠然と伝わった。
字は殷の象形文字であったので、解釈に謎があって諸説がおこったが、
数十年前のこと中国の貴人の墳墓から、突然2千年ぶりに数千字が掘り出され、
時空をこえた原書の謎の半分は解消したらしい。
残る謎のひとつは、現代に失われた象形文の判読がいろいろに読めて、
だれにも本意に迫れない未知の可能性が残ってしまった。
震災にあって時間のできた当方も、その上篇第一章の解釈に、
ジャズ的に挑戦してみたのだが、第一章はハンガリー舞曲5番の調べにのって
脳裏に浮かぶのが似合っていると思う。
道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名万物之母。
故常無欲以観其妙、常有欲以観其儌。比両者同出而異名。
同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。
『好きなジャズの曲ばかり聴いて、それがジャズだと思わんほうがええ、って知っとるがな。
タンノイとJBLで、どっちがジャズかって、かんたんに決まるもんでおまへんにゃ。
名あるアーチストはんが欲ば捨てて、どえりゃぁノった録音だが、
いんやー、めっぽう良さげな、あのビレッジ・ヴァンガード、たまらん。
そいで、JBLでもタンノイでも両方で聞いてみなはった人が言っとったが、
ぎょーさん売れた同じ録音LPでも、スピーカー、
やっぱ組み立てた工場が違えば味が違うモンやち。
なんぼのモンや、などと言わにゃあで、
音の出る門は意味がある。きばりなはれ』
函谷関を連休に通過した秋田のアルテックたまゆら巧芸団とおぼしい人が、
仙台の慇懃な紳士と立ち寄ってくださった。
秀麗なご婦人をかたわらにして、しばらくアルテックの汲めども尽きぬ魅力の
かずかずを伺った。
仙台の御仁には、想という殷文が漂っているような、何か?と目を凝らしたところ、
人の陰に見えなくなったのが不思議。
竹簡の歴史にも、今後まだ発掘はあるのか。
2011.5/13

Night Has A Thousand Eyes

2019年01月06日 | 花鳥風月雪女


760年の再来ともいわれる強烈な地殻変動が押し寄せ
当方のSUPも壊れて、時代の空気はそのとき停止したようだ。
あたりまえのきのうと、一夜明けた日の、
ご飯のおいしさが同じにあるとはかぎらない。
目の前の夕餉がやっと揃った数日あとに、
それを喜べるためには何かが足りないことに気がついた。
そのとき、ユサユサといつもの余震がおこって味噌汁がゆれて、
すこしほっとして箸をつけた。
当方は鳴らないタンノイとともに、
頼りない陸地のうえに住んでいる。
子供の頃、よく聞かされていた母親の故郷に伝承の、
大地震と津波の話であるが
「まず、目の前の海が沖まで引いてね、
そのときカラカラカラと石が音を立てて湾の奥に落ちていくんだと」
子供時代のC先生の授業に、スイスの物理学者が日本に現れて人気が騒がれ、
「記念に出版された著書が思いのほか売れて、アインシュタイン氏は首を傾げていたが、
『E=mc2』を理解できたのはそのころ日本で3人だけ、といわれているのになあ…」
と話しておられた。
『相対性理論』という漢字の意味を、C先生は小学生に言っても仕方がない
と省略したが、純粋な我々日本人は、
接吻などという漢字が書物に散見されるだけで
興奮する民族でそのころあったと、遠回しに観察されたも同然か。
それなら『性』を除外してもう一度見る漢字の様子が、この相対という
二点間の慣性と重力場の距離に地球と月が引き合うとき、
潮の満ち引きや地震と関係してくることを、抱擁などの漢字と同列に
興奮してみるのも、震災の恐ろしさを知れば、非常時のいまは意味がある。
アインシュタイン氏は、お砂糖をまぶして恐ろしいことを言いに、
日本にやって来たのかもしれない。
3月も終わりになったころ、やっと配給ガソリンを満タンにできたので、
頼まれたわけではないがわずかな荷物を積んで三百キロの沿岸の旅に
出発したのは、子供の時に聞かされたあのことがとうとう起きてしまったのかと、
何かに背を押されるようでもあった。
もはや世代も替わってかくそくなく、取り込み中の迷惑を承知で
陣中に見舞ったところ、家を無くされた人は
「ここに上がって、うどんを食べていきなさい」とやさしく言い、
屋敷の無事であった人は、忙しさを山のようにかかえて不在であった。
廃材のやっと避けられた海と同じ高さの湾岸をいくと、
余震でドーンと揺れる交差路に体を張って交通整理の人がおり、
大阪○警も東北の沿岸の突端にいた。
呆然とした帰り道、フロントガラスの先に赤光を見て我に返ると、
夕暮れの340号線から無数の赤色灯をキラキラさせた光が次第に近づいてくる。
業務を交代する品川ナンバーの白黒車両が、四十八台の隊列に
それぞれ電飾を回転させたムカデのように連なって、
対向車線をゴー、ゴーと帰っていくところとすれ違った。
震災直後に見た闇夜に電灯のない黒々とした家並みは、
国道四号線に点々とヘッドライトだけが音もなくゆっくりいずこにか通過していたが、
それをコルトレーン楽団が有名にした『夜は千の眼を持つ』というテーマを思わせ、
フォーメーションの中心にサクスで光っている眼と、夜の星の意味を、
初めてひとつ想像することができた。
英国の詩人の書いた、昼は太陽が一つの眼で空から見ていることを、
夜は星々がまるで千の眼のように、ささやく言葉の心を見ていると。
LPプレーヤーが直ったとき、タンノイの表現する千の眼を、
いずれあたらしく鑑賞してみよう。
2011.3/31


聴く鏡

2018年12月27日 | 花鳥風月雪女


『聴く鏡』の御仁は、目の前の丸テーブルに居て、
薬師寺の座像のようにおごそかにかまえている。
店内にあるマルチシステムから放たれるジャズという名の即興音楽を、
十年ぶりに訪問し拝聴している当方は、ありがたい気分に浸っているが、
それもこれも、融通無碍の人物が急にやってきて、ぜひとさそわれ、
さきほどドアを二枚くぐったのである。
店には四辰図のようなフェーズの音があると人は言い、そのひとつは、
店内の明るい照明におだやかな音量で鳴る音、
つぎにほの暗い時間帯にみられる透明で闊達な音、
次に、研ぎ澄まされた音の切っ先が飛び交って、
指で掴めるような空圧が左右の鼓膜をエキスパンドする強烈至極の音、
そして結界の丸テーブルに居て聴く天上の音とあるそうだが、
もうひとつ忘れてならないのが街の七不思議の一つに数えるひとのいる、
己の心に聴く謎の『鏡の音』である。
さて、融通無碍の御仁は、きょうの昼、急にやってくると、
当方が古くて新しいパソコンの部品構成に悩まされている隙を突くように、
「これから『聴く鏡』という著作にサインをもらいに行くので、
よろしければ様子をたまにはごらんになってはいかがですか」
それももっともなお話であった。
これまで十年も姿を知らない謎の人物について、
お客の噂のまぼろしが語られ、エスピレチンのように虚空を切っている。
昨日も「秋田から電話したところ、いきなりガチャリでした」
と現れた客はいうが、はたして本当にジャズは鳴っているのか。
休みがちも趣味のうちであるが、一度、音を聴いておけばそれで良い。
まだ客の居ない午後一番に店内に向かった当方は、
ジャズを聴く客席の位置をどこにするか選んでいると、
あいにくマリソン・ライターがそこに置かれていた。
「こちらにきてください」
書籍にサインをもらったらしい融通無碍の人物が奥の丸テーブルで呼んでいる。
いわゆる結界に、一歩踏み込んでいくと、『鏡の御仁』はJBLという仏閣の
奥の間に、仁王のように鎮座してジロリと当方を見て無言である。
にじり寄って下座に、よろしくお願いしますと辞を低くし、
なにも返ってくる言葉がないので、かってに判断し椅子を引いた。
それから時計の長針がかれこれ10分も移動するあいだ、互いは黙っていた。
融通無碍の御仁は、まったく会話がないのでおそれをなしたか、
さっきひとり姿を消すしまつだ。
しかしジャズを聴く者はいざとなれば、誰も沈黙は、じつは得意である。
御仁は、厚く積んだ原稿用紙に太いモンブランの二本を載せたまま、
じっと何か見えないものを見ている様子だが、以前会ったのは
かれこれ十年も前のことなので、おそらくこちらの記憶がないと思うが、
当方も先日、東京から来たと申される客に、
「道で、かの人物と会ってもせっかくだが、見分けができないかもしれない」
と当方が言うと、驚いた客は申される。
「この雑誌に写真が載っていますから置いていきます」
しかし、そのような適当な写真に、だまされてはいけない。
ここに来るとき見てきたそれと、いま見る本物の実像は、まったく違うではないか。
その様子は体躯もがっしりし、眼光するどく、くちを直線に結んで
ゆったりとかまえ、微動だにしない。それを撫愛想ともいえるが、健康そのものである。
しかたなく無言のまま、御仁を前にしたなんとも良い気分に浸って、
周囲の壁面をのんびり眺めジャズを楽しんだ。
この結界の一角は、背後にレコードの再生ルームがあり、
いわば宗易の待庵の二畳ともいい、これまでも貴重な歴史をきざんだ
重厚な空気がただよって、ほの暗いなかに周囲を取巻いて利休好みのような
由緒の有り難い品々がいっけん無造作に並べてある。
雑然としながら魅力的に、ポートレートや記念サインや壁片側の千冊積み書籍など、
御仁の歴史がそこからも眺められ、せっかくこの店を訪ねる遠来の客が、
チラとも覗けず、はてはシャッターの下がった入り口を見たばかりで、再び新幹線で
帰る人も多いそうであるが、やはりその期待が再訪を促すのは、音ばかりではないのか、
と漠然と感じる充満したものが、そこに御仁とともにある。
客席から見て腰板壁に隔てられたこの空間については、
客席のすぐ側にあるにもかかわらず、古代中国の科挙ともまがう御仁の詮議
がまずあって、なかなか座れないとroyceに来るお客は申されている。
皆、払われるようになかば呆然とし、憮然と応対の感想をのべている。
かりに、当方のように、望んだわけではないがかってに座って、
あいかわらずブスッと沈黙している鏡の御仁をまえに、くるりと九十度曲がって
聴こえてくるJBLマルチ装置の音を平然と楽しく聴いていると、
タンノイは至高の音ではあるが、なるほどこのような究極といってよいシーンのJBLに、
思わず内心、ニッコリだ。
そのうち、気がつけばサクスの音色があたらしく空気を染めはじめて、
柱の向こうに掲げてあるジャケットをサッと覗きにいくと、やはり『modern art』で、
ペッパーが楽器を横に半傾像している。
「これは駅前のタルのマスターのお気に入りで、喫茶の壁に
おおきく引き伸ばした写真を貼っていたんだよね」
と、席に戻りつつ独り言をもらしてしまった。
タルのマスターは、すばらしい。
するとなにかしらぬがややあって、目の前に菓子皿がすうっと置かれた。
お茶受けとは豪勢なジャズ喫茶だ、と感心して、
しばらく席を外して戻った融通無碍な御仁に聞く。
「あなたが来たときもこのような菓子が出るわけ?」
「いいえ、ぜんぜん...」と笑っている。
菓子とは子供扱いか、と内心不思議でいると、ドアの方が賑やかになって、
車椅子の客が入ってきた。
迎えに行った鏡の御仁が我々の丸テーブルに誘導し、交わされる話が耳に入る。
客は、これまでJBLのマルチ装置を標榜して研鑚を積んだいきさつを当方に言った。
「座標軸がわからなくなると、いつもここに足を運んで来たのですが、
ここの珈琲はおいしいですね」
カップを太い指で摘んで言った。
そこで菓子皿をその客のほうに押しやっておいて、当方もカップの深い色の
珈琲を覗いてみると、次々入ってくる客の応対に忙しい鏡の御仁は
しばらく戻ってこなかったが、ふたたび突然こちらの前に、
まえより大盛りになった菓子皿がもう一個置かれたので、ぎょっとしていると、
鏡の御仁はこんどは麦煎餅をビニール袋から取り出したその片手を、
にゅっと目の前に突き出して当方に食べろという。
裏千家でもなんでもよいが、日本一のジャズ喫茶の突き出されたお茶受けというものを
目の前にして呆然としていると、鏡の御仁は云う。
「こちらの土産の煎餅だが、秋田名産で、いくら食べても腹にもたれないんだよ」
いわゆる茶席の亭主のような解説があった。
声の柔らかい「鏡の御仁」の顔を見ると、さきほどまでの構えた様子はどこかに消え、
意外に人なつこい笑顔で、ニコニコしているではないか。
この御仁は、そういう笑顔もできるのである。
いやはや、アート・ペッパーさまさまの、タルのマスター効果というものであろう。
そこにまた、ジャズ幾星霜という様子の客が入り口を開けドア越しに、
黒ずくめの当方を見てなぜかニコッとしたが、丸テーブルにいるこちらを
受付役かなにかに見えてしまったのかな。
その客は、もう一つある丸テールに座ろうとしたのであるが、どこからともなく吹く風に
あっさり一般席に連れ去られてしまった。
様子から気がついたのは、まずはじめに正面で正しくジャズを聴きなさい
という延喜式の初めのことわりのようなものと思うが、当方も、
特段の用事があるわけでもなく一般席でかまわなかったのであるけれど。
ところで、鏡の御仁の重用するモンブランの万年筆について、
キャップの頂辺にある白い星形はモンブラン山頂の冠雪である。
むかしあるとき、隣に掛けている女性にそのキャップの模様を見せて話していると、
ふーん、と女性は覗き込んでいる。
そこに突然、人が現れたので、女性はなぜかあわてて
一メートルもサッと傍から離れた。
それ以来、モンブランの雪については、あやしいと、記憶がいっている。
2010.12/1


優駿

2018年12月12日 | 花鳥風月雪女


春の便りが届いた。

万年筆の具合と絵柄に、優駿公園の桜の香りがする。

万馬券のほほえみを握りしめて、一着といわず

大名行列で乗り入れたいものである。

2010.4/1

J・D・サリンジャー

2018年12月09日 | 花鳥風月雪女


サリンジャーが『ライ麦畑』をリリースした51年ころのニューヨークは、
アーリー・ハードバップの熱気を『ディグ』などに聴くことが出来るが、
当方は幼稚園にも上がっていなかったのか。
彼は、軍隊でノルマンディ上陸作戦もやっていたとは驚きだ。
日本で翻訳が出版された64年は、
マイルスがウエイン・ショーター、H・ハンコック、ロン・カーター、T・ウイリアムスと
ベルリン・ジャズ祭に奔放でスリルなサウンドを聴かせ、
コルトレーンは、マッコイ、ギャリソン、エルビン・ジョーンズと、
『A Love Supreme』カルテットのピークを演じていた。
白水社本を読んだ頃、鯛焼きが1個10円で、
学校帰りにたまたま一緒に店に入ったのは良いが、
「あれっ」、とサイフを忘れて彼女に払ってもらった。
「その話は、100回も聞きました」
母屋の食卓で、周囲に言われる。
サリンジャーを追悼して1961年3月のマイルスを聴く。
2010.1/29


面影

2018年12月05日 | 花鳥風月雪女


高校の数学の時間、つかつかと教室に入ってきた教師は、
チョークを握って黒板にいきなり書いた。
まだ上げそめし前髪の林檎のもとにみえしとき
前にさしたる花櫛の花ある君と思いけり
「この作者がわかるか?」と、ご指名である。
教師が一度も見せたことのない縦文字スイングであるが
数学でも青春を扱うのか七大難問に、
戦後生まれの我々は、息を呑んだ。
「フジムラじゃないの」
彼の授業を思い返すとき、数式の記憶が出てこない。
ジャズを聴いた客人が『プラターズ』の78回転レコードを持って現れ、
ふと、個性的な教師の面影が浮かんだ。
ところで、トーレンスの78回転にSPUをのせると、しっかり音は出ているが、
見たこともない高速回転でそら恐ろしくなる。
まんいち針が飛んだら8万両が無事には済まないか。
途中で針を上げ、当方のLPレコードに取り替えたが、
トニー・ウイリアムスもハーバート・リードも個性的で、
それに代わる人がいまだ現れていない。
壁際のお客が、一部始終を観察していて、言った。
「この代えたLPを、以前から持っていたわけですか?」
2009.12/28

クリスマス・イヴの客

2018年12月05日 | 花鳥風月雪女


店が寒いので断ろうとする当方の気配を遮るように、
電話のむこうの女性は、「ぜひ!」と言っている。
クリスマス・イヴに一人で現れて、ピンク色のブーツの紐をほどくと、
名古屋近郊のふるさとのことを、海と山に近い雪の降るところで、
寒さには慣れているそうである。
タンノイ・スピーカーの並ぶ部屋の景色を喜んでしばらく耳を傾けたN嬢であるが、
ジャズにそうとう溺れているのかそれとも、いっとき流行った亀甲占いであろうか?
「ジャズ・ピアノを少々やります」
あくまで控えめにつぶやくと、自分の始まりは世良ユズルとラムゼイ・ルイスに惹かれ、
喫茶『いーぐる』も『キャンディ』も『メグ』も知っており、
鳴っているレコードのジャケットを裏返しワルター・ノリスの名前を見ると、
あぁ一緒にやったことがあるとつぶやいた。
Monteroseの『STRAiGHT AHEAD』をすごい良い音だと喜んでいたが、
どうにも不思議な音がするらしく、
パーカーと、マイルスと、ロリンズとコルトレーンを聴きたいと言っている。
そういうことをめんどうに思った当方は、特別に、
バックヤードに招いて、好きなものを選ぶようにいうと、
ハンプトン・ホースのワニのジャケットをなつかしそうに笑い、
しばらく何事か思い出していたようだが、彼女はふるさとに帰るとき、
持っていたレコードを処分したのである。
5杯目の珈琲を注文しようとするN嬢に言った。
――うちは同じ人に二杯以上出さないので、四杯呑んだのはあなたが初めてだが、
ところで、現在のあなたに自分の行動を制約しているなにか、が有る?
彼女はいささか真剣な表情になってしばらく考えていたが、
もしそういうものがあれば、この時期、ここに一人で居るはずはない、
とのお言葉である。
それは、喜ぶべきかそうでないのか、クリスマスの謎であるが。
今回の一人旅は、所用のついでがあったと話し、
一関に来ることを友達にいうと周囲は「うらやましい」と言ったそうである。
タンノイで鳴るチャーリー・パーカーを、まったく想像もしなかった別人と言い、
ロリンズ、マイルスと聴き進むうち、
「いままで知っている音とは違うが、たぶん低音の不安定さの効果がとてもおもしろい」
と遊んでいたN嬢は、やがてイヴの夜の街に一歩踏み出しながら言った。
「なにか、キツネにつままれたようです」
2009.12/24



鹿踊り

2018年12月03日 | 花鳥風月雪女


5才の或る日、海の傍の要塞の庭に面しているガランとした奥座敷にひとり居る。
さきほどから提灯で照らされた夜の庭には、
笛や太鼓の囃子にのって鹿子装束の集団が、
背中から伸ばした長い白い二本の竿をゆらゆらさせて
勇壮に祭りを踊っているのが見える。
一列に揃って腰を折るたび、揺れる長い竿がヒューンと地面を叩いて、
それを廊下に仁王立ちの和服姿の当主が、酒で上機嫌の赤い顔をして、
両手を口にメガホンのようにあて、大声で掛け声を入れている。
『鹿踊り』の集団は、
両手に持ったバチで太鼓を叩きながら、
間合いを揃えてクルリと廻ったり飛んだりするたび、
庭にいて遠巻きに見ている集団はどよめいているが、
座敷の奥に座らされていると、庭の喧噪が遠い世界のように思える。
そこで、一人仁王立ちに鹿踊りに囃子声を掛けている当主にむけて、
背後から声をかけてみた。
「おじさん!」
男は、ぶあついレンズの丸いメガネの顔を一瞬振り向かせると、
「オウ」と答えて、それからまた一時の無駄も出来ないかのように祭りの方に向いた。
鹿の踊りが庭から退場するまで、おじさん!と掛け声をくりかえしたが、
当主はそのたび上機嫌で「おう!」と一瞬だけ振り返っていたのがおもしろい。
やがて、人の居なくなった廊下に出てみると、
白い割烹着姿の二人の女性が、庭の外れの生け簀のようなところから、
白い腹を見せる大きな魚を抱えて小走りに運んでくるのが見えたが、
いよいよ宴会がはじまったのか。
この鹿踊りは、五葉山をはじめ岩手に生息する山鹿の象徴が、
古来の自然に対する畏敬の心として郷土芸能に伝承されたが、
背中から伸びる白い二本のササラは角ではなく、
御幣のように結界をあらわしているとされ、いまも各地の暦に舞踊っている。
SS氏の撮影による様々の光景は、遠い記憶をよみがえらせてくるが、
谷の奥の動物はエゾ鹿なのか。
2009.12/1


スタンペン・ジャズクラブのオーヴァー・ザ・レインボウ

2018年11月29日 | 花鳥風月雪女


いつのことかジュディ・ガーランドの披露した『オーヴァー・ザ・レインボウ』も、
サラ・ヴォーンや美空ひばりや、フランク・シナトラが唄い、
モダン・ジャズ・カルテットやキース・ジャレットも演奏している。
もはや新曲ではないが、
「このようにミディアム・レアに料理してみました」
という技芸の達人が次々あらわれて、
どれどれと、食欲は昂進するのであった。
むかし大先生からいただいた、ストックホルムで1976年に
『アーネ・ドムネルス・クァルテット』が演奏したライブは、
ちょっと聴いただけではまるでアート・ペッパーである。
そこに入ってきた元船長さんは、香川と徳島の若者を連れて、
コーヒーをお願いします、と言っている。
徳島といえば阿波踊りの國であるが、われわれシロウトでも踊れるか尋ねると、
桟敷席のコースではない一般の広場で一杯ひっかけてやるのが良い、という。
客人が肩からすっと持ち上げた2本の腕が、ちょっと空に踊ったのを見たが、
まぎれもなく本場の阿波踊りであった。
一方の香川の客人は、自分の生まれたところは田園風景が広がっているが、
丸亀藩の領域であると申され、聴いたことのない音であるとタンノイを言う。
「きょうはもう、このまま休みたい気分」
と言いながら営業車に戻っていった。
丸亀藩といえば、宮部みゆきが小説に書いた『ほう』の丸海藩のことかもしれない。
伊達藩に行く途中の日曜夜にラジオドラマで聞いた「西田敏行、竹下恵子」
二人の朗読は、まことにジャズで、おかげで道を1本間違えてしまった。
2009.11/1


夜の訪問者

2018年11月28日 | 花鳥風月雪女


閉店後に来る人は、夜の訪問者である。
なんでしょう?
と、タンノイのある部屋に灯りをつけてお通しすれば、
まえに一度お見えになった若い取締役殿が当方のとなりに座し、
会社がセカンド・リリースするCDのことを二言紹介してくださった。
CDとカタログを手ずからくださって、そのうえ
『ご本人』までを、眼の前に紹介してくださった。
すこぶる附きのソウルフル・ボーカルを歌う本人が、眼の前にいる。
だが、すぐその人は遠ざけられ、迫力のある代わりの人が前に座し、
隣は取締役である。
離れたところに三人の関係者と思われる見識を滲ませた人が居られて、
遠くで静かにレイ・ブライアントやオスカー・ピ―ターソンが鳴っている。
ふと、これまでのROYCEのジャズ・ボーカルとお客の関係を思い出していた。
仮想現実空間にあって、すこぶるつきの淙々たる黄金の歌い手が、
無尽蔵な五十年前からのレコード盤で日夜出没し歌いまくっているジャズ喫茶。
来客達も、何十年もボーカルを楽しんできており、
「なるほどROYCEの音だね」と納得しつつ、脳裡のレパートリーと照合し、
過去を振り返っていると、突然、未知の歌い手が鳴り出して、
頭をひねっても、誰かわからない。
無視するには惜しいほど、すばらしい。
ジャケットが見えるところになければ、いったいどうなる。
大抵のお客は、尋ねることをしない。
もしも、HOW…?ときけば、そんなことも知らないのかぁ、
というカースト制度が惹起され、スルーされて答えが無いかもしれない。
そのうえ質問は、お客のランクとして永遠に刻印される。
賢いお客はトイレに立つか、帰り支度をして、ジャケットを眼で探し、
平静を装っているものすごさ。
良い演奏に巡り合うということは、そのような対価の衝いた夢の出会いであった。
預かったCDはサイドメンの腕の凄さとが相まって謎の歌手が、
来年のいまころはジャズの蒼流を席捲しているに違いない。
当方の眼の前に座った人が、すごい迫力でプロモーションしてくる。
むむむー
いったい「あなたは、何者ですか?」と、おもわず尋ねた。
せっかく尋ねたのに、スルーされて、答えのないのがやっぱりジャズ喫茶。
2009.10/24

2018年11月20日 | 花鳥風月雪女


庭の凌霄花を掃き寄せていると、
ポストに夏の到来を告げるハガキが届いた。
3行メッセージがあり、ホームページをつくられたとのこと。
万年筆の筆跡であるが、どこかで見たような記憶にうーんと考えると、
泉鏡花の原稿の字が浮かんだ。
ジャズに造詣の深い一番丁のまだ行ったことのない店が、
セビルロードにあるような佇まいで、
ベイシー・イン・ロンドンがさりげなく鳴っていたりするのではないか、
などと妄想する。
2009.8/1

二本松市の客

2018年11月19日 | 花鳥風月雪女


「ジャズはやっぱりハード・バップ」
と申されるご婦人連れの御仁は、
タイ捨流の剣豪丸目蔵人といった風圧でロイヤルの前に座った。
二本松市のご自宅には、タンノイ・スターリングによって、
ジャズからクラシックから汲めども尽きぬ美音の世界があると申されて、
カラスのアリアや、こちらのとうていおよばない秘蔵盤の一端を開陳される。
タンノイ・ロイヤルもこのような御仁を相手に、
いつにもまして大電流が供給されているような。
オーケストラや、一通りの鳴り具合を検証され、やがて傍に控えるご婦人の合図を心得て、
午後からは川向うの本陣に向かわれるそうである。
二本松と聞いて、そういえば昔、
この季節の湘南の『油壺』に撮影に行ったことがある。
海を背景にしたスチールがよいなぁと思い立って、
難解な女性に「こんど、どうです」と言って、さいわい、
波の高い入江の岩場に三脚を構えることができた。
大勢の海水浴客も片々に、マリーンに出入りする大型ヨットの舳先が
波を分けて目の前を横切ってゆく。
昼になったので、眺めのよいレストランで昼食をとった。
軽音楽を耳に食後のコーヒーをゆっくり、
全面ガラス張りの外に広がる青い外洋を見渡していると、
ふと、景色の左に聳える高層の建築物が目に入ったのだが…
「あんなところにホテルがある?」
誰が泊まるのだ。
しばらくして彼女はいつもの快活ぶりと違う、小さな声で言った。
「きょうは、遅くなってもいいんです」
ああそうなの。
そこに深い意味はあるはずも無いのだが、
幼少は二本松市です、と言っていた記憶の、言葉の万葉集か。
『WALKIN』録音の後、ホレス・シルヴァーはジャズ・メッセンジャーズを組み、
マイルスは新しいコンポを組み、クラークはパリへ。
みな蠢動するサウンドの新境地にむけて旅立ったので、
これが豪華メンバーの最後の演奏になったワンダー・ワールドを聴く。
2009.7/12

夜のタンノイ

2018年09月24日 | 花鳥風月雪女


夜のタンノイが、昼と違った音で鳴ることにはわけがある。
「夜の音を知りたくて、やってきました」
と申される客人は、オーディオ装置の振動の景色が、
楷書体が草書体のように、昼と夜で違うものになることを知っている。
光は振動であると物理現象に言われているが、タンノイの音も振動で、
飛び交う音波は光の振動の満ちた空気中を、鼓膜まで到達する。
光と闇を伝播するときの周波数の違いは測定器に計測されないといい、
議論の対象にならないが、なるほどそういえば、
昼のデイトと夜のデイトでは、たしかに違ったなあ…
人間に置き換えて理解しようとする人には、周波数以前の心得があるのだろう。
良寛の詠んだ歌のこと。
『月よみの 光を待ちて 帰りませ 山路は 栗の いがの多きに』
五合庵に遊びに来たふもとの庄屋さんにあてたものときき凄いと思ったが、
三十才歳下の貞心尼が訪ねてきたおりのものと異説があり、
タンノイとJBLいじょうに月の下でも歌の鳴りが違ってきこえるのが妙だ。
2008.5/8


屋根

2018年09月24日 | 花鳥風月雪女


屋根は陽除け雨避け、とはいえ、空に描かれた伝承文化である。
「隣家の屋根の葺替えをします」と棟梁が来て言った。
翌日、いなせな若い衆達が空に駆け上がって、
手際よく分解と組立てを始めたのを見た。
長方形の鋼板を二列合わせた接合部を、大型の万力でギュッ、ギュッと
かしめつつウエイトリフティングのように弾みをつけて降下していくのが見える。
10時と3時にいっとき静かになるのは、親が呼んでも中休みの珈琲タイムで、
そのとき廊下のウサギも思案顔に隠れた姿を現し、
いつも松の枝から覗き込むカラス・ギャングとは一風違う光景に驚いている。
棟梁が、作業の終わりにヒモの先に吊るした磁石で道路を探るのは、
落ちた金貨か古釘なのか。
翌日、塗装師親方が店舗に現れてリーチイン・クーラーを開け、
「ザ・ゴールド」を掴んで言った。
「お宅のモスグリーンの屋根を見て、ぜひ塗り替えてみたい、
という意欲に駆られています」
高い場所で恐縮だが、だいぶ傷んでいるので望むところ。
「どうぞお願いします。こんど富籖が当たった、その時に」
すると塗装師はにっこり名刺を手渡して去った。
塗りたてペンキのうえに桜の花びらが散らないように、季節のタイミングは大切だ。
2008.5/3


VIOLETS FOR YOUR FURS

2018年09月16日 | 花鳥風月雪女


雪の降った1月、傘を持った二人が一関に登場した。
コンクリむき出しのクールなROYCEで、室温もあがらず、
コートはそのまま着て、と言うと、快活な男性は傍のストーブのそばに女性をエスコートした。
どうやら、都心のタンノイをBGMに流すクラブからおみえになったようである。
幾つもある店のうち、そこの装置は『B&W』であって、
タンノイとは対極の音で鳴っているそうである。
これまで一関に遠征されたグループの4店舗目になるのか。
かたわらの女性が視線を外している清楚なコートのエリに、
おや、スミレのブローチが。
・・・・ 反則ワザの符丁だ。
『コートにすみれを』
 君のコートのえりに一輪のすみれを差したら そこだけ春になった
 12月というのにまるでそこだけ4月のような
コルトレーン30才の初リーダー盤に登場して有名な曲は、
シナトラの唄った曲が、ガーランド、チェンバース、アル・ヒースに支えられた。
タンノイで聴くなら、インパルス時代のエルビン、マッコイ、ギャリソンと比較したくなる。
川向うに訪れた前回組の逸話が、このときジャズを背景にご紹介があった。
・・・・ よーし、腰を据えてと、席にやってきたマスターに、
S・モンクではないがストレート・チェイサーをオーダーしたところ、
『自分のぶんを注文する前に、まずそちらの女性のオーダーを決めなさい』
オー!
花の御江戸に4店舗のクラブをかまえるオーナー様は、驚いた。
ライブ・シーンはさっそく店に帰って面々に報告され、盛り上がったらしい。
コルトレーンもよろしいが、『We are』から1曲、K・odaの古典を、
ドーンと、ボリュームいっぱいに鳴らした。
アッ!`0’;.../ とスミレの眼が宙に浮いている、タンノイGEC管である。
ところでコルトレーンは、しだいに一気呵成に燃焼し、追随に容易でなくなった聴衆の、
噂を聞いたマイルスが様子見に駆けつけている。
ステージのうしろでしばらく聴いて、
「ヤツは、何をやってるんだ?」
音楽ですよ、とお仲間は答えているようであるが、
二人はあの時に、ラウンド・アバウトしているのか。
2008.2/8