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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

2018年03月19日 | 花鳥風月雪女


「いま見えただろ。羽根の下の青いやつ。あれが松風毛だよ」
ふーん、と空を横切る鳩の胴体を見上げてなんとなく解ったような気がした。
子供の時、先輩の鳩の飼い主に「まつかぜけ」とは何か?と尋ねたのである。
六.七羽の鳩がグルグル、高く低く旋回していた。
後年になって、それは『松風系』と言って、日本有数の鳩の品種の呼称であるとわかった。
「アントワープ系」などと同じである。
「鳩主はアゴの下が陽に焼ける」という、何かを揶揄した東欧の諺があるが、
このあいだ毛越寺の傍の道を通ったとき傷ついた鳩を見かけて、
大人しく捕まってくれたので、家に持ち帰りダンボールの箱で回復させた。
妙な足輪が二つ付いていたから、レース中に鷹に襲われたのかもしれない。
回復した頃あいに、堤防に持っていって放すと、
一度物凄い速さで旋回してから、あっというまに消えた。
しばらく空を見上げ、二か月も飼った一瞬の結末に、呆然とアゴの下を陽に焼いた。
鳩は、電話のない頃、貴重な通信アプリで、中世の城郭には鳩小屋がある。
寝るところと食事の場所を分け、あるいはつがいの一方を残し帰巣本能を利用した。
地面に降りて啄む鳩は狼藉者で、寄り道せず一気に巣まで飛翔してこそ鳩である。
十五羽飼った鳩が、地面に降りたりすると、子供心にガックリきた。
いまではどうでもよいが、一直線に消えた鳩は流石だ。
遠来の人々を車に乗せ、鳩をひろった観自在王院の車宿を久しぶりに通った。
達谷窟で『最強の護符』に感心し、千年の磨崖仏を見上げた。
柳の御所から、金鶏の峰を北上川の向こうに眺めたのち、晩餐に我を忘れた。
鱈の南蛮併味噌を昼食にして、いっときを回想したが、
内気な廊下のウサギはやっと普段に戻ったな。
2006.6/3


グレン・グールド

2017年12月17日 | 花鳥風月雪女

「エロール・ガーナー」ともちょっと違う唸りであるが、『エロイカ変奏曲』を弾きながら『グレン・グールド』は唸っている。
ある日曜の昼下がり、『タンノイ・ヨーク』から離れたところでポーン!と鳴った。
玄関に来客である。
「ピアノ教室の案内ですが、どうぞこのパンフを見てください」
わざわざ集合住宅の四階まで上がってきたその若い女性は、一枚のチラシをドアから差し入れると立ち去った。
さて、わが部屋にオーディオ装置はあるがピアノは無い。
『エロイカ変奏曲』を聴きながら、事の次第をしばらく考えた。
グールドにピアノを教えたほうがよい?と思った人が、たった今、ドアを開けて目の前に居たのだ。
タンノイの音はピアノと間違えられてけっこうだが、しかし『グールド』は伝わらなかったのであろうか。
これがオーディオ装置ではなく、グールドが本当にピアノを弾いていても、
やはり「ピアノ教室」のチラシを持ってやってくるのがこの国の人情と定めなのか。
十年以上昔の、神奈川でおきたシーンをいまもなつかしく思い出す。

☆グールドの愛読書は、漱石の『草枕』といわれるが、ピアノの聴こえかたがそこで変わっては困る。
2006.4/4


旅立ったKAI氏

2017年12月11日 | 花鳥風月雪女


ドアを開けて、悠々と藍染めの着流し姿を現されるのはKAI氏である。
透明なメガネのときもあれば上半分アンバー着色のときもあり、視線のまったく見えない濃い色のときもある。
「ピカソがモンマルトルのカフェーでテーブルクロスの端にちょっとサインして珈琲は無料となっていたそうです」と昔聞いた美術の先生の話に感心したことを言うと、次から短冊状の紙に書いた自作の一句を「どうぞ」と慇懃に差し出されて着席されようになった。
KAI氏はあるときシベリウスの音楽の印象を話しておられたが、現実に音楽を聴くよりどうもイメージが豊かにひろがるのはなぜかと、その話術に呆れる。それではせっかくのオーディオ装置も所在無しで、立直しに思い浮かんだ曲が武満徹のノーベンバーステップスである。
レコードの片面を針が移動するあいだ無言で聴いて居られたKAI氏は、予想に反し音楽のことにまったく触れず、他の話をして帰られた。
はたして数日して再び登場されたKAI氏が、この日はいつもの短冊でなく〈Royceについて〉というなにやら短文を装丁されたものを差し出しながら
「あのノーベンバーステップスをまたお願いします」と言われた。
日常の創作の合間に書き上げられたそれは、オーディオ装置と空間についての印象とのことであった。
山里の竹林の間をビューと風が吹き抜けるような横山の尺八の音色と、しじまを居合いのように切り裂く鶴田の五弦琵琶のコラボレーションがタンノイから流れている時、ふと見るとKAI氏は小脇にその初盤ジャケットをしっかと抱え、めったなことでは放すまいというように、ときどき抱え直しているのが見える。
何ごとが起こっているのかよく考えた。
「そのレコード、どうぞお持ちください」
と言うと、はじめてレコードジャケットはテーブルの上に解放された。
KAI氏がみせた予想外の反応に、ジャズ喫茶は喜んでばかりもいられないが
「ヘンリーミラーという作家から届いた手紙を、複製してお持ちしたので差し上げます」
開店のとき、心よく稀覯品をくださっていたKAI氏である。
「尺八には『オーシキチョー』といって黄昏時に寺の鐘がゴーンと永く余韻を引いてたなびく様子を表現したような音律があり、東洋人の心音です」と申されて、紙に『黄鐘調』と書いた。尺八にまつわるこれまでのさまざまの出来事を話しておられた。
鐘で思い出されるのはムソルグスキー〈展覧会の絵〉の終章『キェフの大門』の鐘の音だが、アシュケナージのピアノによりガランガランと打鳴らされる鍵盤の和音はフィナーレの総奏が音の壁となり迫ってくるときの、塔の上から降ってくるロシア風の『黄鐘調』がロイヤルのバックロードホーンによって絶妙な効果が聴かれて圧巻だ。
あるとき、千葉の大先生が「ラヴェルの展覧会の絵ですが・・」と言われ、ラヴェルとことわりをいれるのはなぜだ?と一瞬思ったが黙っていた。ムソルグスキーのピアノ原典をオーケストラ用に編曲したのはラヴェルであるが、依頼したクーセビッキーに演奏権が独占されたためストコフスキーのように独自に編曲しなければ演奏がままならなかった現実がある。
大先生の言い様を聞いて、ジャズ一色の人であるとそれまで思っていたがクラシックもぬかりはないのかもしれない。
KAI氏は、以前には「それほど会う必要は思いません」と語っておられたミラー氏に、いよいよ会うこととなって、先年渡米されたそうであるが、そのときニューヨークの友人が機転を利かしジャズクラブに案内した。
僥倖というべきか、そこでビル・エバンスのライブを聴かれる千載一遇の好機に接した。
だがジャズに関心のなかったKAI氏に、それはほとんど意味を持たなかったので、エバンスの三つ揃いスーツ姿だけを印象に残して帰国された。
日本で偶然、プレイボーイ誌の裏表紙の写真に同じジャズクラブのエバンスを見て驚いたとは、ビレッジバンガードのことか。
窓辺のテーブルに相対しハイデッガーやライン河に浸した尺八のことなど滝のように流れてくるお話を聞いているうち、忘れたまま終わってしまった。
さて、小沢トロント響横山勝也の『ノーベンバーステップス』のレコードを持ち帰られ、かたずをのんでお聴きになった氏であったが、ご自宅のアンサンブル装置から聴こえた音は、Royceで記憶していた音楽が萎えた音になっていたと後日ポツリともらされて、それはタンノイの威力か気まぐれか。
空の青く澄んだ日のこと、そのKAI氏は京都郊外に終の栖を移されることになったと、少しの間メガネをはずして直接Royceをながめた。
Music is in the heart! Not in the world in the society! と壁面に大書されたのはKAI氏である。
『音楽、それは心に響くもの。世間で踊れるものならず』
Royceに遊んだ氏が記していた。
2006.2./19


GYブルース

2017年09月26日 | 花鳥風月雪女



GYブルース

ホイジンガによれば、中世末期の文化の基調とは一種の夢と遊びであった。
とはいえ、ホイジンガもROYCEのような経験をすれば、そうとばかりも言っていられなかったかもしれない。
空を覆っていた寒気団が少し緩んだ年明けの定休日、ROYCEの前に車が停まった。めずらしいG君が登場したので招き入れてジャズを聴いた。
正午を迎える前、時計の針を見ていてふと思いついたことがあり、長距離ドライブに車を出してくれるかたずねると、彼は快く了承した。国道を南下しながら、これは北上川を見るためのドライブだから、と言うと「ハイハイ」と、うるさいことは尋ねなかった。
さっそくルート342を快調にしばらく行くうち、G君は「ああ、わかりました」と言った。エエッ、どうして?何が解ったのかたずねると、この道路は以前仕事で何度か通ったそうである。G君がワンボックスカーを購入し、ピカピカの車体をROYCEに横付けした日をいまも憶えているが、あれから数年をへて、だいぶ活躍した車は、少々くたびれつつある。ところが、カーステレオのジャズの音は別物だった。
「車内をシールドしたり音響にはだいぶ手を入れました」まんざらでもない笑顔をうかべると、カウントベイシーとデュークエリントンの名盤「ファーストタイム」を取り出した。
「これが手に入るとは思いませんでした」とショップでの運命の出会いを詳細に開陳しながらサイドボックスを開いてマイフェイバリットCDを何枚も見せてくれたが、そのとき車内に充満したコンポの絶妙なスイングに、彼はふーっとため息をついて、破顔した。
周囲の景色は背後にゆっくり流れ、穏やかなハンドル捌きの車は時速60キロでしばらく走って、とうとう冬の北上川に到達した。川面は淋しい空色で、芭蕉も万葉調で一句詠む間もなく、突然大きな橋が目の前に現れて、道は大きく曲がっていた。
今さらに何をか思はむ梓弓 
駒駈けて立つ北上の岸
どうやら道を間違えてしまい、白い雪の上でうろうろしていた農家の人を見つけ車を降りて追いかけると、オヤジさんは土蔵の向こうに隠れたが、立ち去るでもなくこちらが近づいてくるのを待っていた。これが能舞台なら太郎冠者のたたら踏みの場だ。
「栞」という料亭の場所を尋ねると太郎冠者は「まだだいぶあるが、あの橋をわたって川の向こうだから」と遠くを見やりながら「あそこはむかし旅館だったので行ったことが有るけど、何の用事ですか」と、まけずに尋ねてくる。二郎冠者はそれには答えず自分だけ聞いておいて、橋懸りをさっさと車に戻って申しわけない。
平泉にも能楽堂があって、帰郷したころ丁度ウイーンフィルの室内楽アンサンブルがコンサートを聴かせるというので聴きに行ったことがある。人込みをかきわけると目の前にコンタックスカメラがニュッと現れて道を塞いだので、視線を人物に移してよくみると、それは川向うの「ジャズ喫茶B」の主人とそっくりの人だった。
能楽堂は音響的に、タンノイバックロードホーンのような構造と違い、ジャズ的にストレートでふくよかさがたりない。だが床の下には、大きな壺甕が幾つも埋め込まれてあって、太郎冠者が床をトンと踏めばその壺に音が反響するようなバックロードホーンになっているそうだ。仙台からROYCEにお見えになった釣鐘制作者とその話しになったとき、寺によっては、音の響きを増すために釣鐘の下の地面に大きな壺を埋めるそうである。
そうした音響の機微を賞味するのは、耳ではなく人の心ではないか。KG氏から届いた本「唯脳論」では、こころは構造ではなく機能だとあったが、これらの能楽堂やタンノイやROYCEを分解しても、機能のままでは、そこに音楽はない。
そこで、これが音楽の始めと終わりかと思われたROYCEの最近のある現象を思い出す。
昨年の10月、懇意のSS氏が2年ぶりにお見えになったとき、2人の女性を連れてめずらしい土産話をたくさん聞かせてくださった。それは聴いたことのない話の連続で、JBLとタンノイの競演のようなもので笑った。
それからややあって、正月6日に一人でやってきたY嬢がその時の人であるとわかったが、ROYCEに女性が一人で現れるときは、亀甲占いを待つまでもなく凶である。
以前ROYCEに出現した女性のときも、雇い主が堅くなって恐る恐る来店し、当方のご機嫌を様子うかがいに来るほどであったので、気付かないふりをすると何者のアイデアか、またしても、その「くノ一」を送り込んできたものだ。
動物は、副交感神経で会話しているというのはほんとうらしく、メッキは剥げ2回でホストの役は終わった。
このたび「あなたはわたしの好みだ」と言い放って颯爽と登場したちょこざいなY嬢のことは、統計的にいっても怪しい出現ではあるが、見栄え良く含蓄のある会話がおもしろいのでしばし拝聴させていただいた。
押したり引いたり、なんとかこちらを動かして、解らないことは本を読んで調べようとする努力家であると自分を言い、コンパニオンとして、黒のスーツで会社の重要な契約の場を無言でサポートしたり、布団の上でも、どのような演技でも、場に合わせて振る舞うことが出来ますと、いっきにオクターブ音符を跳ね上げて豪語するではないか。ジャズのボリュームを下げて続きを聞く。
和服でも、チャイナドレスでも、お好みの服装で、いろいろ持っています。海外旅行でも大丈夫というプロフェッショナル?であると申されて、Y嬢のわかりやすいボギャブラリーに当惑しつつ、女学生が卒業式の送辞を読むような楚々とした表情も見せ、能楽鑑賞以上の民族芸能があった。
「どこか行きたいところあります?温泉はどこがお好き」Y嬢は、旅行や温泉が好きらしい。二万円くらいだから自分が出しても良いという。ふーむ、挑発している。
会話の間に、早くに亡くなったという父親の思い出と子供時代のドラマチックな出来事を織り成し、その人生の絵巻物が目に浮かぶようなリアリティに、チャックウエインのフライミートウザムーンがタンノイから流れて、オクターブスイングもいよいよ佳境だ。
異性との交際について、父の教えを金科玉条のように「オンナは、亭主が求めたら、いつでも断らないで応じなさい」とか、本気でそう思っているのか、首をかしげるようなものもあるが、聞けば抱腹絶倒。どうやら理想のタイプが、早くになくなった強烈な個性の父親なのだろうか。
「男性は、どうせ生まれつき何人の異性とも平気で遊べるのでしょう、父がそう言っていたわ」と、ソロボーカルで催眠術をかけてくる。
45度の角度から見るY嬢は、あの有名なビリーホリディのジャケットに似た個性的なマスクを日本的お嬢様ふうにして、「SSさんに、何度も頼んだのにここに連れてこようとしなかったのは、やっぱり焼いて、二人を会わせるのを警戒したからなのね」と、澄ました声で、いかにも一筋の運命をたどるような、Y嬢自作のアドリブジャズボーカルが、タンノイから流れるジャズにあわせて快い。
だが、時あたかも前日のテレビ新聞が、この後の当方の運命を警告するかのように、仕掛けにはまった中国外交官の事件をニュース報道していたではないか。
「そうと決めつけず、だまされて聴いていれば良いじゃないの、コルトレーンだと思って堅いことを言わずに」と無言で揶揄されれば返す言葉もないジャズ喫茶だから、やはりどこの先人のジャズ喫茶も会話厳禁にしてしまって、店が正しい機能を果たすようにされたのであろう。
「ところで、だれか結婚したい相手でもいるの?」と、集中攻撃をかろうじて牽制すると、特定の人物を思い浮かべているらしく少し動揺し、自分でそれは無理と決めているふしがある。
Y嬢はビールが飲みたいといって、当方にも勧めるが、それは遠慮してリンゴとナイフを彼女に渡して皮を剥いてもらった。
「ジャズがガンガン鳴っていたら1時間ぐらいで帰ろうと思ったけど、」と、Y嬢はスピーカーの上の時計を見るといつのまにか針は午前二時を廻っていた。
理屈はどうあれ、隣の県から遠征したこのような芸能有段者の育まれた町というところを見たいものだ、と、口にすると、
「わたしの経験をいっぱい話してあげるからどんどん書いていいわ。わたしも書くのが好き」
決して言葉ほどには崩れない、背筋を伸ばし膝に手を揃えてあくまで上品なY嬢はちょっと首をかしげて考えていたが、自分のフアンクラブがあると言って、携帯電話にメールアドレスを5百ほどメモリーバンクしていると微笑みながら、当方も採集されK501番にしてくださるところであったので、「ウチの電話は、内緒話も筒抜けるから」と固辞した。
やがてY嬢は車を運転して颯爽と夜の闇に消えていった。
これは、今後が心配されるケースに違いない。こんどはこちらが越境して答礼し、事の実態を俯瞰しようとやってきたわけであるが、ホイジンガ氏ならどうされたのか。
Y嬢の料亭の入り口に立って「入る」と決めるのはその時の気分だが、
「母にはなんでも全てを話しているの」Y嬢は言った。それはとても好都合なことであった。
当方の思惑を何も知らず、入り組んだ街路を懸命に左右の標識を気にしながらハンドルをあやつっておられるG君に声をかけた。
「さて、どこか食事できるところを探して、ね」
G君は、そうですかハイわかりましたと答え、こんどは商店街の左右の看板を忙しく眺め出した。通りかかった郵便局員を見て、車を降りて「栞」の場所を尋ねると、局員は不動の姿勢で教えてくれた。
近くの信用金庫の駐車場に車を止めさせてもらって、目的の料亭にむかった。「エンジンは自動的に切れますから」とまだ唸っている車を尻目にG君も後ろに続いた。
昼食には少し早く客は我々だけで、女将は入ってきた客を一目見て他所者と感じ用心しているのであろうか、能舞台の摺り足のような静かさで応対に出た。
女将とは昨年の十月にROYCEで一度会っている。あのときの、Y嬢の母親と称する人には、海に漂う海洋生物のように柔らかく、時の流れを楽しむ雰囲気があったものだが、今、そこに居る人は別人のようで、なぜか哲学者のようだ。SS氏とY嬢と一緒にみえたときの記憶と、どうも別人のようで、はてなと思ったが、仕事とプライベートで変身するのが正しいか。Y嬢はいなかった。
定食でいこうと決め注文したあとで、G君はトイレを、とか電話を貸してくれとか騒々しいのが残念だ。にわか結成で、もうすこし演技指導せねば、チームとして深みがない。
「今、宮城県に知り合いのマスターと来ていますが、本当です、ウソではありません。遅れますが宜しくお願いします」などと電話の向こうの何者かにG君の言うのが聞えて、はじめて彼がどこか事業所のようなものに属していることを知った。
そういえば、あらためて気が付く。自分のプライバシーについて妙に口が堅く、気にも留めなかったが、JAZZとダーツに凝っている以外のことを当方は知らなかった。G君について初めて気が付いたことがまだあって、運転中、後続の車に運転席から指で合図を送って先行させたり、あしらいに非常に慣れている。
G君は電話が終わると、厨房まで追いかけて女将に通話代を払うまめさだが、出発の時も、
「車の暖房はつけなくても良いですか」と確認し、食事代を払おうとしたり、駐車を他人に注意されるとさっさと折り合いをつけ、ガッシリした体型から受ける風圧の割りに繊細であった。ROYCEにおける彼はほとんど口数が少なく、置物のような人なので、あらためて発見したことである。
一段落したG君が席に戻ってジャズの話題を言ったとき、会話が遠く厨房まで聞えたらしく、JAZZと聞いてはじめて女将はROYCEを思いだしたか、得心した様子が遠目にうかがえて、ジャズ好きな瀬戸内寂聴のようにいよいよ賢く黙ってしまった。この殻に籠もってしまった様子には、いささか気の毒と思わないわけではない。
もしいま女将に、なんでもジョークにする余裕があれば、とっておきの挨拶があるだろうか、ストーブをもう一台点けてくださって、当方と決して視線を合わそうとしなかった。
箸を動かしながらふと我に返ると、大きなどんぶりに顔を伏せていたG君は、メガネを曇らせておいしそうに汁物をたいらげるとJAZZの話にもどった。
女将は姿を現して、こちらと視線を合わせずに、煎れたお茶をスーッと当方の前に差し出して置いた。
寺島靖国が駅前のTのマスターを評して「沈黙が、客の苦にならない人」とスイングジャーナルに書いていたことを、女将の振る舞いを見ていて思い出した。Y嬢の申していた母の好物の缶チューハイも、それゆえとうとう土産に出せずじまいになった。
テーブルの上の2枚の紙幣に、「別々ですか」とお尋ねがあった。我々の居るあいだ、他に家人の気配はなかった。
「さあ、いこうか」なぜかナポレオンのような気分になったのがおかしい。
G君に声をかけて腰を上げた。
駐車場で、車はエンジンがかかって待っていた。
「自動的にかかるんです」と、さらりと言ったG君は、先に立ってドアを開けると、何事もなかったようにハンドルを握って、ジャズを鳴らした。ひょっとして無断駐車なのでエンジンはかけたままにしたのであろうか、表情から何もわからない。
当方の一切の思惑と別次元で、透明に存在したG君は、山のあなたの空遠くドライブに来て、たまたま見かけた料亭で昼食をしただけであった。女将にとっても何事も無かったが、無いということが、これほど色を含んでいたのはおもしろい。
一杯の抹茶の景色に、泡立つところと平らな部分に庭の池を見るのは茶道だが、最後に女将が差し出したお茶にも深い景色があったのかもしれない。
先日のSS氏は、ある事情があって一か月ほど料亭に逗留した日々の様子を三人で大笑いに話していた。そのさまざまの舞台となっていたのが、いま昼食をとった料亭であった。
人は一日生きればそこに気泡が生じ、日々に新しい気泡を抱えていずこへか歩んでいる。その間隙を縫って現れた当方の出現に、そしてG君の素性に、Y嬢は、こちらがそうであったようにさまざまに思い巡らすのかもしれない。どうです、いかようにも思われるスマートな越境答礼。
ゆえに観世三郎は「秘すれば花なり」と室町期の乱世に極意をのべたが、それはいまだに本当だ。秘する値のあるものは花になるであろう。
自分は突然耳の聞えなくなったオーディオマニアのように、今鳴っている音を、他人の表情から読み取ろうとした。今日の出来事で、思いがけない収穫は、浮かび上がったG君の風体であった。かれは料亭で、一緒に本棚から雑誌を取ったが、わたしが読むのを止めたら彼も読まなかった。また、時速60キロのスピードを堅持しながら、長い距離を一度も身体を揺らすようなショックがなかった。これはまるで、社長のお抱え運転手の技量を持つ怪しい男である。
車をROYCEの前で停めると、透明なG君は再会を約束して機嫌よく発進していった。
最後に鳴っていた曲はたぶんSTEP LIGHTLYである


『羅城門』の2

2016年08月12日 | 花鳥風月雪女

黒沢映画で再現された羅城門は、

朱雀大路南端の佐保川の川底から発見された。

714年の新羅使の入京にさいし、正七位の官僚大野東人が、

羅城門の前に騎兵170騎を率いて出迎えている記録が残っている。

海を越え遠路を到着した新羅使の一行は、羅城門をくぐると、貢物を載せた車を並べ、

道幅七十五メートル、真っ直ぐ三千七百メートルの朱雀大路を宮城に向かった。

では、なぜ今昔物語には、さびれた様子が記録されているのであろう。

おそらく遷都によって平安京に主体が異動し、用済みになったと思われる。

大映の陣容をフルに活用し、せっかくの瓦を一万枚焼いて、

全体の姿が再現されるところを見たかったものである。

律令建築の様式では、建築現場からそう遠くないところに瓦工場跡が発見されるので、

官営建築の推理も、発掘は忙しい。

そのとき、

連休をいっとき海辺の故郷で過ごされたデザイナーがスタスタ現れて、

渡航で見た異国の記憶などを話題に、

タンノイのジャズを楽しんでくださった。



コラボレーション

2016年08月09日 | 花鳥風月雪女

伊達藩から夏の絵はがきが届いたので、

コラボしてみた。

そのとき、

東京から来ました、と

メガネのフチに金の鎖をさげた御仁は、

「まもなく、リタイアするのですよ。さてふっふ」

といいながら、ポケットのたくさん付いたジャケットを

あちこち指を入れ、黒い小型のカメラでパチパチ撮った。

「兄はギブソンのギターで、球で音が決まる、とこだわりましたが、

ほほう、このアンプは何という球ですか」

「たいていのは聴いているが、このロリンズは、ジャケットは」

「エヴァンスのこの雰囲気は、初めて聴きました」

レンタカーのハンドルを握ると、

「普段外車なので、これむずかしい」

といいつつ、上手に発進していった。

ちあきなおみのサマー・タイムでも、

タンノイで聴いてみようかな。

伊達藩の片平丁に暖簾のある『ブリックメンズクロージング』のマスターを見たのは十数年前のとある一日であったが、

英国紳士の様相にジャズをまとって不思議なかただったので、良く記憶している。

入道雲に夕日が射すと、雲の片面がレンブラントライトに赤く輝いて、

ポストからハガキを取り出した。

宛名の青墨文字を眺め、モンブラン万年筆かと思われる。


ジャズ喫茶の本

2016年01月29日 | 花鳥風月雪女

「東日本のジャズ喫茶めぐりの本を、出すのです」
一昨年の7月の初旬に取材で登場した御仁は、
ちょいとキャノンボール・アダレィに似て、
ジャズ喫茶串刺しの使命のような風圧が有った。
ニコリともせず用件を話し、
求道の武芸者のように、てきぱきと取材して、
タンノイを聴いて写真を撮影して去った。
あれから、1年7ヶ月の時がたつ。
1冊の本に時間をかけていては経費も心配である。
ブラームスの2番のように3ヶ月くらいで、やらないと。
これはおよそ、こっちはボツになったか、と思ったが、
心に何かを秘めている印象の創造者が、無口の分だけ
そうとうな厚みの各地のジャズ喫茶の出来栄えを思い、
ページをめくって無音で聴いて楽しんでいた。
そうして、ついに忘れてしまった。
きょう、封書が届いた。
事情がわかり了解した。
A3サイズの、写真ゲラ見本が同封されて、
まぎれもなく、ウチのアンプである。
全国を足で網羅する計画の、
ジャズの心はどこから来るのだろう。
誰も、まじめな顔をしているが、
そこに、おもしろいものが隠れているのか。

出初めの纏

2016年01月19日 | 花鳥風月雪女
音に聴く エゲレスの箱の あだ牡丹
触れじぞ 夢の 寝言なりせば か。
ときに夢にまで出る、タンノイの麗奏

揃いのはっぴのまち火消し衆が 、
冬の空に 
今年も纏を振って ことほいでくださった。
竿の上の馬簾が なんどもシャッシャッと宙に舞う
みごとな伝統のわざに、いたみいりました。

学校林の先の温泉

2014年12月31日 | 花鳥風月雪女
ひとの心を、51の文字で表すと習ったのは小学生のころである。
或る日、こどもたち揃って列を作って、学校の裏山の奥深く
どこまでも進んでどうなるかとおもったころ、
左の斜面に取り付いて皆で登ると、
杉の苗木を先生は分配して、初めての植林ということをした。
もしいまもその杉の木があるなら、大勢で植林したので、
数百本の大木となって鬱蒼とした森になっているはずである。
そのことを考えながら、当時は切り開かれていなかった4号線バイパスを
平泉の方に向かって、車は進んでいる。
子供の時は,夢にも出てきた不思議な奥地は
左手に、何の不思議も無く切り開かれた景色で見えた。
そこからしばらく、不思議な奥地に分け入って車は細い道を進むと
突端の森の先に突然、近代的な建物が有って、
そこが目的の大浴場宿泊温泉である。
駐車場の半分以上にさまざまの県ナンバーの車がみえ、
このような謎めいたところにいともあっさりと、大勢の人は、集まっていた。
あきらかに技芸を駆使した近代的な建物は、まずフロントで鍵を受け、
しゃれた装飾で飾られた通路に、幾つも区切られて固有の店舗が並び、
それらに目を奪われながら進んでいくと
堂々とした構えの浴場が、ちょうど良い明るさで
全面ガラスのおおきな壁で仕切られ内部が見えているが、
実際に入ってみると、各仕切りごとに工夫された湯船が大小しつらえてある。
ちょうど、ローマのカラカラ浴場を日本風に小型にアレンジしたかのようなピースが、
ひとつの空間に点在しておかれてあり、そこから見える外部に、
また大きなガラスの壁で見通せるテラスに幾つか湯船があり、
プールに造られた物や四角の巨大な一個の岩を刳り貫いて湯船にしたモニュメントなど、
全部を湯浴みして回るとすれば、何回かのチャレンジが要りようである。
当方が、受付の女性から渡されたキーは、
測ったようにロッカーのドアと身長が合っていたが、
ヘラクレス用のものは、無い。
入浴に長時間堪能し、着替えて奥の休憩室に行くと、
安息の傾斜を形にした長椅子がある。
芭蕉は、奥の細道の途中の路銀は「誰がどのようにまかなったのか」
つい考えたくなるような休憩をして、すばらしい温泉ハウスに楽しんだ。
宿泊逗留すれば、けっこうな料理も賞味できることがパンフレットに載っていた。

露地

2014年12月31日 | 花鳥風月雪女
きょうの日経平均は1万4千776円
他人の懐中ながら
2万6千円まで昇った日本を見たい。
二メートル四方の露地に飛び石を五個置いてみた。
芭蕉月待ちの露地?

栗駒路

2014年12月31日 | 花鳥風月雪女
457号線を三日月山の傍を抜けて
右に、栗駒山へ登ると、
世界谷地湿地帯や展望台や温泉がある。
観光客を迎える施設は一部まだ閉館しているが、
義経の隠し湯というところを謹んで訪問する。
奥から受付の人が現れて、簡単に応対してくださった。
廊下を奥に行くと左右に戸口が有り、
義経と家来3人入浴できる熱い湯船があり、
隣の露天に張り出した床に
2人入れる微温の湯船がしつらえてあった。
一句ひねるにもってこいの静かな雑木林をみていると、
なにか森の動物が現れそうである。
この湯では発句もむずかしいことはやめて、
硫黄の香りにたゆたう気分がすばらしい。
晴れると、山路は天界の眺望が広がっている。