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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

タンノイ・レクタンギュラー・ヨーク

2019年03月05日 | タンノイのお話


タンノイ社のレクタンギュラー・ヨークは、
30年もむかし秋葉原の佐藤無線で買った。
以来、壊れもせず鳴らしていたが、
バスレフの箱はロイヤルより、もっと低い音が出る。
低音好きには、そこが悩みで、このヨークが手放せない。
低い音は魔力である。
単純に比較すると、ロイヤルのほうがやはり箱が大きいぶんだけ、
折り曲げホーンの立体感の迫力は説得力を聴かせるが、
うんと低い「フッ」という空気感は、このヨークのほうが、出る。
では、究極の二者択一で、ズバリどっち?
これが奇妙なことに、部屋との兼ね合いが全てを決める。
箱を四個並べるのは、平安朝においてもあった。
おもしろいので、まだまだ研究中。
2013.9/7


五味康祐の「モーツァルト」

2019年01月22日 | タンノイのお話


紛失して35年ぶりに手にした『西方の音・天の声』を開いてみると、
まず第一行目に現れたのは意外にも小林秀雄氏のことである。
三鷹から鎌倉まで三度も出向き「小林先生」のオーディオ装置を三度も調整したので、
彼の書いた「モオツァルト」はその影響下に完成したのです?
遠回しにタンノイを聴いている耳のこだわりを刻印したものであろうか。
誰にも真似の出来ない五味氏一流のふしまわしに圧倒されて読み進むと、
モーツァルトについても、行間にオートグラフの鳴り響くありさまが聞こえるようだ。
耳は単なる機能であって、音は脳味噌が聴いていることについて疑いもないが、
いかに五味氏の鳴らしたオートグラフが今も鳴るといえども、
脳味噌まで借り受け鑑賞することは無理がある、とこの本を読むと感じる。
五味氏の鑑賞耳が、当時有数のオーディオ機器の中から選んだタンノイという流儀を、
芭蕉のたどった奥の細道をたどるように聴いてみるのであるが。
――音楽のもっとも良いところは、音符のなかには発見されない。それは演奏を待たねばならぬ、と言ったのはマーラーだが――
このように五味氏は書いて、アゴ髭をなびかせて鎌倉まで遠征し、
良い音楽は良い音の装置にまたねばならぬのですとばかり装置にガバッと取り組んで、
背後で困惑して立ち尽くす小林氏を見るようだ。
『西方の音』という書物の特徴の一つは、機器の型番や個々の金額が、
懇切丁寧に書かれて有ることで、我々入門者に、身銭を切って試した結果と、
オーディオとタンノイを賞味するおもしろさが楽しめるように導いているが、
タンノイだなぁ、とわかるひとつに、金管楽器の鳴りのことが書かれて有る。
タンノイを普通に鳴らすと、たいてい金管楽器に違和感を感ずるので、
Royceにお見えになるタンノイの使い手の衆が、サクスやトランペットを好きではない
と申されると、やっぱりあなたは正統派です。
当方も、それには悩まされたので、共感する。
モーツァルトは小さいときからトランペットが嫌いで、教育パパのレオポルドが、
息子を何とかしようと楽器を手に入れ吹いてみせると、モーツァルトは青ざめて
震え上がったとあるが、この描写はちょっとタンノイにバイアスがかかった五味氏の
言いすぎでないかと思うのは、『B』のライブがあったときどれどれと駆けつけて、
練達マルサリス氏の生々しいトランペットをたっぷり聴き、まるで、
きぬぎぬの朝のような美音にうっとりした。
よし、タンノイの音をこの部分はなんとかしよう、と思った覚えがある。
モーツァルトは、ドンジョバンニでもフィガロでも嫌いな金管楽器を楽想の性格に使い、
地獄の門の近くになるとトロンボーンを鳴らしている、と五味氏は書いているので、
モーツァルトではなくタンノイを使っている五味氏ならではの表現で、言いすぎではないか。
トロンボーンを吹いている人は、たぐいない美音のとりこになっておられることを知っている。
五味氏は、モーツァルトを解明するあかしの例として、トルコ風ロンドに触れているが、
『K331』が、母を喪った日の作曲であると気がつくや、この曲の聴き方に一定の
バイアスが生じてしまい、娘さんの弾くピアノにはおろか、多くの演奏家を書いた
五味氏一流の名文はつぎのとうり。
『ピアノをならい始めた小女なら必ず一度はお稽古させられる初心者向きのあのトルコ風ロンドを、母を喪った日にモーツァルトは書くのである。父親への手紙より、よっぽど、K三三一のこのフィナーレにモーツアルトの顔は覗いている。ランドフスカのクラヴサンでこのトルコ風行進曲を聴いたとき、白状するが私はモーツァルトの母の死後にこれが作られたとは知らなかった。知ってから、あらためて聴き直して涙がこぼれた。私の娘もピアノでこれを弾く。でも娘のでは涙はうかびもしない。演奏はこわい。涙のまるで流れないトルコ行進曲が今、世界のどこぞでおそらく無数に演奏されているだろう。』
当方は、35年ぶりにこの本を手にして、小林氏の著作と棚に並べることができたが、
それにしてもわずか247ページが、このように活字のすべてからタンノイの音が
全五楽章の交響曲のように鳴り響くのに、
廊下のウサギに餌をやりに行く足元が、おもわずよろめいてしまったではないか。
タンノイはすばらしい。
2011.8/19

正月

2018年12月07日 | タンノイのお話


森より大きなイノシシは出ない。
もしこの庭にイノシシが現れれば、
それは現実の縮尺で象のような大きさである。
竜安寺を見たとき、こじんまりしたスケールに拍子抜けした。
二千十年の正月、
タンノイのむこうに、百人のオーケストラを感じ、
サラ・ボーンの熱唱を聴けば、
森より大きなイノシシは出る、と
タンノイは言っているのか。
2010.1/1

ヨークとロイヤル

2018年12月05日 | タンノイのお話


ことし、364日すぎて、
しばらくタンノイ・ヨークを鳴らし続けた結果、ユニットも心得てきたか、
たまにロイヤルのような音に聴こえる。
ヨーク・モニター・ゴールドの38センチオリジナルから出る音は、
隣のロイヤルのバックロードの中を迂回して、
どのユニットが鳴っているのかわからないところが怪しい。
タンノイを支える3つの柱は、電源と管球とソースであると簡単に考えていたが、
最近の説は、セルフとアチーブメントとインティマシーである。
まったくもって、空気の振動は謎であり、当方以上に、
お見えになる客人は不思議に思っているようだ。
このうえさらに、二.三の妙手を夢想して、
いよいよウエストコーストの風がコンクリートの中で舞う、
絶景のタンノイ・サウンドが?
2009.12/30

THAT’S THE WAY IT IS Milt Jackson Quintet

2018年06月16日 | タンノイのお話


1969年8月といえば、人類が初めてどうやら月に立った翌月の、
シェリーズ・マン・ホールライブである。
夏が来るとMJQ楽団のほうはお休み、
臨時の強力な五重奏団のおこなったライブネスなサウンドが聴こえる。
ミルト・ジャクソンのメンバー紹介が、ラストのザッツ・ザ・ウェイ・イット・イズで繰り出されると、
人間の声と楽器の音が、みょうに心地よく調和することを感じるのは、タンノイのせいか。
裏庭に、ことしもクマガイ草が二つ成長したが、花をつけたのは一つ、
野生の珍草をわけてくださった山谷の仙人が思い出される。
2006年5月16日

田尻町のテナーマン

2018年01月27日 | タンノイのお話


松島T氏が、「娘です」と申されて、ROYCEに別立て2人を連れてきたとき、『田尻のタンノイ氏』は、しきりに首をひねった。
「彼とは長いつきあいですが、一度も見たことがないです」
だが、謎の話はすぐに忘れて、愛用のテナー・サクスの話になった。
「いっちょう、やってみて」とお願いすると、
車からズルズルとケースを引いてきてブロローッとはじまったサウンドは、
ART PEPPERかロリンズか、ライブセッションをこなす達者なフィーリングである。
御仁の愛用のスピーカーが『タンノイ・ヨーク』というところに、当方はこのうえない見識を感じる。
あるとき「トーレンスの回転ベルト、余っているのありませんか?」
と電話があったので、わけをたずねると、音が揺れてそろそろ限界だと申された。
-----綿棒5本と、近所の整備工場でバルボルをサカズキ一杯分、手に入れるように、言った。
ジュースのストローで、バルボルをターンテーブルを抜いた穴に数滴らす。
次に綿棒でお掃除。滓が残らないように繰り返して。
仕上げは、スピンドルを戻したとき、ぎりぎりあふれる寸前のバルボルを垂らしておく。
理想は、粘性の違うバルボルを調合するのだが、とりあえず説明して電話を終えた。
本人の自由裁量であり、まもなく反応があった。
「すばらしい音です!」
やっぱり、ベルトのせいではなかった。
田尻の御仁のお話はおもしろい。
郷里に帰ったときご母堂に、彼は言われている。
「ここは都会じゃないからね、そのボーボーいう音、近所にさわりがあってはねェ」
楽器もオーディオも、弁慶の泣き所は大音量なのか。
田尻町には、国立博物館に収蔵されている重文の『遮光土器』が発掘された遺跡がある。
2006.5/7

高田市のロイヤル

2018年01月24日 | タンノイのお話



TMR氏からロイヤルの写真が届いた。
『845プッシュプルアンプ』もエージング中とのことで、このままゆけば残るは「マランツ#7」と「オルトフォンSPU」である。
だが、TMR氏はROYCEより先の、昔夢に見た音、異なった選択になるのであろうか。
「ウエストミンスター・ロイヤル」の音像と調和する木の香りと響きは、
写真の中から聴こえるのではないかと、一瞬じっと耳を澄ましてみる。
ロイヤルのハカマの下にプラスチックのキャスターが付いている。
取り外す前に音を出してロイヤルを移動させ、響きと音像の兼ね合いを決めるわけだが、
低音の量感を増すには奥へ、抜けをよくするには前に出すようだ。
響きすぎはカーペットやタペストリーやソフアで吸音すれば定位は良くなるが、音は痩せる。
ロールオフとエナジーに触ると音はタンノイでなくなってしまう、といわれる迷信は、本当?
2006.3/22

葛飾のON氏

2018年01月24日 | タンノイのお話


葛飾のON氏がオーディオ装置を一新されたことは風の噂にきこえていたが、その写真にアッと釘付けとなった。
新しいスピーカーがイタリア製であると知って、愕然とした。そこにタンノイの姿は無い。
ON氏といえば、北は北海道から南は宮古島まで三十を超えるオーディオ愛好家の「歌枕」を探方され、上杉邸でタンノイを聴いた経験の深いタンノイフアンだが、Royce設計のとき貴重な石井音響理論の資料を見せてくださった、大変お世話になった方だ。
これまでタンノイ一筋の人に何が起こったか、新しく選ばれたイタリアのスピーカーなる逸物を聴くしかないと決意した。
千葉の大先生にいきさつをお話しすると「おもしろい、ご一緒しましょう」と申されてスケジュールを空けてくださった。
葛飾駅前のロータリーは夕暮れ時の人と車でごったがえしていた。
待ち時間、駅の売店で珈琲を呑みながら、数小節を囀っていると、いつか前のカウンターに3人の女が並んで耳を傾けており、Sug氏は傍らで調子を合わせリズム楽器のかわりに膝を叩いている。
雑踏を歩きながら、田舎と違う久しぶりの大群衆に身を置くと、妙な戸惑いをおぼえた。
一関のメインストリートは100メートル離れてもバレバレだが、ここは3メートルも離れると知人とすれ違ってもわからない人混みの具合がよい。
帰郷した次の週、一関の公会堂を大町に抜けようと、並木道の先を曲がると、ちょうどハイカラな空色のオープンカーが走ってくるのが小さく見えた。
おやおや妙な車が!眼のやり場に困ったとき、路上には誰もいない。
木漏れ陽の射す白い路をあっというまに車は接近していやな予感がしたところ、車はスピードを落とし、どうだといわんばかりに通り過ぎた気分の太さに憮然としたが、まてよ?どこかで見た有名人であるような。
さてON氏と待ち合わせた葛飾薬局の前に、間もなく同好のY氏もお見えになった。
最近コンクリートのオーディオルームを新築されたY氏の、理論と美意識をいずれ探訪させていただきたいものだ。
一年ぶりにお会いしたON氏はスーツの上着の下にストライプのネクタイをタイバーで止めた一種礼装で、Y氏はそれに小声でひじを突いたが、三島由紀夫が初対面の映画俳優のズボンの折り返しを印象的に記述していたことを思い出した。

2.
立派なドアを開けて通されたオーディオルームは、快適な木の響が暖かい劇場のような雰囲気で、舞台の上に据えられたスピーカーは『アマテイ・オマージュ』といい、クレモナの名器になぞらえて音色を暗示したものである。
馬の尾を使った高級バッグの仕上げに似た正面のネットは、あくまで繊細に美しく、このようなスピーカーにジャズをお願いしてよいものかためらわせるほど凄い。
O氏は黙ってボリュームツマミをスルッと回して、いきなりカウントベイシーのビッグバンドを舞台いっぱいに轟かせ、当方の思惑をあっさりと思いきり吹き飛ばした。
音は人なりとよくいったものだが、まったく予想だにしなかったイタリア・サウンドの放射を受けて、ただ陶然として聴き惚れた。
イスから大きな身を起こして空間に耳の方向を回遊しておられた千葉の大先生が、おもむろにスピーカーの鳴りっぷりを賞賛のあと「クラシックの弦は高い位置で聴いた方がさらに良いでしょう」と言っておられる。
大先生は初めてRoyceにおいでになったとき「スピ―カー背後の吸音板は上2列はいらないでしょう」とご託宣した地獄耳である。

ON氏のオーディオ・ルームで炸裂した美音は、ポンペイの発掘された劇場のように音楽世界にいざなって、日常の些事から気分をイタリアに解き放ってくれるかのようだ。
トニーベネットとエバンス、マイルスのクッキン、サラボーン、次々聴かせていただいて、その間なぜかタンノイのことをまったく脳裏に浮かばせなかったのはさすがである。
タンノイ同盟の輪(そういうものがあれば)からON氏の欠落は、とてつもなく大きかった。
2006.3/16


所謂、タンノイの音

2017年12月28日 | タンノイのお話

1.
『タンノイ』の音はこうだ。といっても、それがどうもおかしい。何一つ実態が無い。寒くても暑くても、晴れても雨でも音が変わる。何層にも積み重なった音の記憶から四つの隅を決めて、きょうの音はこのへんかと、あきれてタンノイを見る。
富士の山にも、裏富士、赤富士、逆さ富士とあるように、タンノイにも四つ姿を認めるのはたやすい。
弦を濡れたように甘美に鳴らす、高域はそよそよと、中域はしっとり、低域はホール感たっぷりで、これを高松塚古墳の座標でいうと『玄武』。
中域から高域にかけてすぱっと切れ味のよい正宗の名刀のような音、低域も小股の切れ上がった粋の良さ、「マークレビンソン」で鳴らしたような音は『青龍』。
中高域はくっきりと力強く、低域はドシンバシン、タンノイなのに音が前に出てくるこいつは何者『白虎』。
夢に聴いた、生を越えたなまなましさ、低音はこもらず、グランカッサは壁をゆらし、ベースの音はくっきりと温かく、サラの声は生きているよう、シンバルは青く光り全ての音が前後左右に実在して鳴るのは『朱雀』。
きょうは2006年4月1日エイプリルフール。

2.
作曲家と作詞家で、どちらが偉いのだろうか。これを断言した人にまだあったことがない。
『タンノイ』のことを考えたときに、ユニットとエンクロージャー(箱)で、どちらが偉いのか?というより、重要なのかを考えたが、箱よりユニットのほうが先に誕生したのかもしれない。
タンノイの同軸ユニットに対し、幾つかのエンクロージャーの設計デザインがあるが、性能を追求した複雑な構造は高価になってあまり数が売れない。
一説によれば、タンノイ社は第二次大戦の末期に、始めにアルテック社の開発した同軸ユニットを密かに買い求めて『モニター15』のプロトタイプを造り、それが『モニター・ブラック』であるという。見ると、黒く塗られた38センチ・ユニットは、アルテック・ユニットそっくりだ。
それを改良されたのが『モニター・シルバー』で、このときにほぼ姿形は完成された。五味康佑さんが堪能したタンノイはさらにこの改良型の『モニター・レッド』である。
真空管アンプ時代のこれらの製品は、インピーダンスやダンピングファクターなど管球の性能を最大限考慮して設計されたが『モニター15』の名前のとうり、主だった販売のお得意さんは、一般のほか、「EMI」などレコーデイングスタジオや各国の放送局であった。
タンノイは一時的に、アメリカのスタジオの6割を制覇したと物の本に書いてあるのが、タンノイ・ファンにとっては、すばらしい。
スタジオの要請で、許容入力やインピーダンスの要望を取り入れた『モニター・ゴールド』が造られて、ここまでがタンノイ・ファンにとって第一期黄金時代である。
このあとタンノイ社は工場の火事で自前の紙漉工場を失い、コーン紙を西独逸クルトミューラー製にしたり、マグネットをフェライトにしたり、アメリカ資本が入ってスタンスが変わったり、CDやトランジスタ・アンプを意識した設計になった事情で、大いに変貌していかねば時代に乗れなかったのか。
五味康佑さんのとりこになった『モニター・レッド』をオートグラフかGRFの箱に入れて、管球アンプでしみじみと聴けば、そこにタンノイの音の故郷が聴こえるのだろうか。

3.
タンノイの音は、音それ自体にタンノイが有るわけではない。まずせせらぎの音やバイオリンの音が先に有って、それを録音したものを、タンノイのスピーカーで再生すると、ほんのりタンノイの音が加味されて「タンノイの音は良いね」となる。
タンノイのスピーカーなら、みな『タンノイの音』なのだが、タンノイにもいろいろなユニットがある。
中古市場で高額に取引されるのはほぼモニター・レッドと、モニター・ゴールドで、この、製造終了になって手に入りにくい中古を、新品より高い値段で求めるのはいかがなものか、「ストラディバリウス」や「アマティ」の世界なのか。
当方の『レクタンギュラー・ヨーク』に入っていた『モニター・ゴールド15ユニット』を撮影した。
芸術的気品を感じるこのユニットは、直径38センチ、8Ω、アルニコ磁石。センターキャップの中に1キロヘルツより高音部を再生するホーンが仕組まれていて、一台のスピーカーに見えても2ウエイの同軸ダブルユニットであるのが有名だ。
エッジ部分は最近のウレタンスポンジと違いハード・エッジといわれるもので寿命は永い。
同軸であることの功罪はあるが、すべてを呑み込んで『タンノイの音』は鳴る。ただひれ伏すのみ。

4.
タンノイ社がいまだに2ウエイ同軸ユニットを改良し続け、他社が造らなくなったいまでも、次々と新製品をリリースしているのはおもしろい。
低音と高音の二つのユニットを一つに複合させた同軸構造のメリットは、音源が一点から発してステレオ音像の定位が自然だといわれるが、人がタンノイの音を好むのは、まさか定位が良いからだけではない。基本設計を担ったガイ・R・ファウンテン氏がいなくなったいま、いつ、同軸ユニットが中止されてもおかしくはないが、次なる責任者が同軸構造を止めたときに、こちらの気分がタンノイから離れていく危惧があるのは、デュアル・コンセントリック(同軸構造)がなんらかの音色の約束の証になっているのかもしれない。
これまでも同軸ではないタンノイの大型装置がいくつもリリースされたが、なぜか名前すら思い出せないのが申し訳ないくらい、忘却の彼方に去っていったような気がする。
伝説の『タンノイの音』は、同軸ユニットに依然としてこだわるフアンを悩ませ、あるいは嬉しがらせて人をとりこにしているが、そもそも『タンノイの音』とはメーカーが保障したものでもなく、誰もそれをなんとなく知ってはいるが口にすることができない奇妙な空気の振動なので、いわば色即是空、空即是色、さもなければヒマラヤの雪男や宇宙人のように不確かなもの。
幸いにして聴いた人だけが知っている。聴いたことの無い人は笑っている。騙されたと思った人は怒っている。失った人は泪している。ある意味、幸福と不幸が手を繋いでいる怪しいスピーカーかもしれない。

5.
初めてコカコーラを飲んだとき、とても不味くて笑った。初めてビールを飲んだとき、ウッ、金返せ...と思った。はじめて赤ワインを飲んだとき、これはひどい、と思った。
ところがタンノイだけは、最初から「これだ!」と思った。
まだこれだと思い続けているのが情けなくも嬉しい。
ところで、あるときラジオを聴いていたら、「英米人は雨の音を、数字を数える部位の脳みそで聴いておられ、日本人は言語をつかさどる脳みそで聴いているとわかりました」
とんでもないことを学者が言っている。
「蛙が古池に飛び込んだ音を、だから情緒で認識することは彼等にはどうなんでございましょうか」
「ワビ、サビに該当する英語はありません」
ROYCEに登場するお客に此の話をすると、たいていの人は「うーん、そこから攻めてきましたか」と山賊の待ち伏せに驚いて笑うが、笑いごとではない。
KG氏から『リービ英雄氏』のお話をうかがったことがあったが、そのハイクの英訳を読んで、バイリンガルの日本人はどちらの脳をはたらかせるのか、またひとつ疑問が。
タンノイの音の好きな人と遭っていると、そこに一つの不思議がみえる。
タンノイの音を好まれる嗜好回路が煩悩のなかに開発されていて、前ふりのネゴシェーションがいらないことである。
縁ある人も無き人も、『ただ聴く澄明、水の滴るを』と、KG氏は壁に揮毫してくださった。

『タンノイオートグラフ・レッドのT氏』

2017年12月26日 | タンノイのお話

世田谷のT氏は、タンノイオートグラフ・モニターレッドを所有されクラシックレコード・コレクションの底知れない遍歴が他を寄せつけない。
そしてジャズである。
あまりの多彩なコレクションに、評論をなりわいとされているのかと、最初はちょっと引いてしまった。
ご職業も年齢もつまびらかでないT氏の最近ひとつわかったことは、お酒が、オーディオと同じくらい好きとのことで慶祝。
桜も七分のうちから上野の御山に遠駆け、多少の寒さはやせ我慢し、花見の宴を決行したお話には、季節の節目を楽しまれるいなせな江戸っ子を彷彿とさせるものがあった。
そこに人柄をちらっとのぞかせたのである。
あるとき、写真で拝見したT氏の自作管球アンプは、希少な球のコレクションをあしらった大変見事な作品であった。
なにぶんタンノイ・モニターレッドの所有者である。
届いた写真から、いつか我が迫町の大先生の解説を得て、その音色を想像してみたい名人の手すさび、不思議な管球の逸品であった。
オートグラフなど大型タンノイについて、真の音を究めた人は少ないと言われるが、ウーハーコーン紙が大きいコアキシャルタンノイは、温度湿度で音が定まらず、メフェストフェレスの見返り微笑という難物である。
憑きモノと人には言われて、手をかえ品を替え攻略のためアンプを繰り出し、いつか聴こえる音を待つ。
ちょっとやそっとの微熱では振り落とされて身が持たない。
ところが妙なる音を聴いて掴まったら一巻の終わりという、ジョンブルのスピーカーだ。
T氏から届けられたLPの1枚に目を留めたのは秋田から登場されるTK氏。
ガレスピーとパーカーの並び立つステージの端で、緊張してサクスを握る当時まだ少年のコルトレーンが写っている。
「CHARLIE PARKERE IN LIVE PERFORMANCE の現物を見たのは初めてです」
と申されたのでさっそく鳴らしてみた。
「当時にして、すでにここまで演奏されていたのですね」
と、感想にキメをつけた秋田TK氏にも教わることが多かった。

2.
ところで、そのT氏から或る日のこと電話があった。
「...どうも、世田谷のTですが・・・・・」
御仁と会話をするのは、この日が初めて。
「やあどうも、こんにちは。東京のお天気はいかがですか」
定休日で、こちらはノーテンキだった。
「じつはいま、店の前に来ているのですが、通りかかったもので、一言ご挨拶をと・・・・・」
世田谷からベンツを駆って、ご家族と温泉旅行の途中、立ち寄ってくださった。
御年齢、御職業ぞんじあげず、なれどタンノイが取り持って良く知る方である。
先方もきっと笑って、音の偵察にこられたのだ。
店舗のドアを開けてみると、T氏は上品な奥方と御令嬢を従えて、ベンツから堂々と長身を現した。
ROYCEのタンノイも、格好をつけるいとまもあらばこそ、休日の昼寝にあわてて最後まで調子が戻らなかったのが悔やまれる。
「わたしの音は、やや乾いた音で、演奏家の息使いが聴こえるような調整です。アンプもいろいろ造りましたが、タンノイにはトランスドライブが良いと思っています」
ご家族のあたたかいまなざしを、時折思い出す。
2006.2/12


ザベストオブジャズ101人のこの1枚

2017年12月15日 | タンノイのお話

或る日突然、「原稿依頼の電話」があった。
聞けば相倉久人、平岡正明、野口久光、油井正一、立松和平、色川武大、ジョージ川口、服部良一、藤岡琢也、菅原正二といった執筆陣に伍して紛れ込ませるというのである。
よろしい。このときムムッとアタマに浮かんだのが千葉の大先生だが、
「ホ、ホントかよ!」
空いた口を塞ぐことも忘れ、さぞかし驚くことであろう。
それでは、原稿はこんな感じに。
『むかし、川向こうの某ジャズ喫茶に、ジャズ好きの御一行を案内したことがある。移転前よりますます良い音になっていると聴こえる蔵造りの音だ。左のスピーカー片チャンネルだけを聴いても充分厚みのある深いジャズが鳴っている。いいね、この音。やはり、スピーカーの右と左を合わせなければ音楽にならないようでは、これを凌ぐことはできまい。感心して席に戻ったそのとき「やってますかー、よかったよかった」とドアの暗がりのほうから若い男がスキーの板をかついで入ってきた。
隣のイスにドカリと掛けると「ここのジャズ喫茶はどうなってんでしょうか」と当方にむかって言う。ほほう、どれどれと聞くと、来る途中ヒッチハイクに手間取ったので、電話で営業時間をたずねたらいきなりガチャリと切られちゃったそうである。
「マスターは居ますか。どの人ですか」ときくので「ほら、あの黒いシャツの人だよ」と教えてあげた。若者は立ち上がり背伸びして奥の部屋に視線をただよわせていたが「うーん、居る居る。これでよし」と言った。なにがこれで良しかはわからないが、富山県からはるばるヒッチハイクでやって来たのだ。
「リクエストってできるんでしょうか」リュックをもぞもぞさせていたが、中から小箱を取り出した。それは、あのコルトレーンのインパルス・コンプリートである。
「これを聴くと疲れがとれるんです。肉体労働なもんで」いつも肌身はなさず持っていると言った。
「どうかなあ、リクエスト」と、首をかしげたそのとき、ちょうど曲が変わる短い静寂があった。
目の前のJBL2220と375と075からバウン!と一斉に放射された音像が店内を直進して、まともに浴びた若者は「ウワーッ!」といって電気に打たれたようにテーブルに身を突っ伏した。スイフティ!
鳴った曲こそ若者が憬れてはるばる聴きに来たコルトレーンだった。水際立った偶然をまのあたりにし、ピピピと背中に涼しいものが走った。
若者は三曲ほど聴いてから「もう、帰らなければ、終電が」と、きっぱり立ち上がった。富山から来て三曲でお帰りになった「ベイシーの客」である。
この『コルトレーンの神髄』というCDは白眉といわれ、8枚目には驚きの別テイクもある。6番のデイアロードでは何度も中断し修正して3回4回とテイクを重ねていくトレーンのナマの声を聴くことができる。コルトレーンは少年時代に伯父の教会でクラリネットとアルトサクスを憶えたそうだから、残響の強い教会堂の体験と後年のシーツ・オブ・サウンドの因果はあると思う。ROYCEに据えつけたタンノイという英国のバックロードスピーカーは、この教会堂の空間の余韻というものを暗示して、静謐な空間に燃焼するコルトレーンの神髄にひとつのアプローチを演出している。ケルン大聖堂という石造りの巨大なホールに入ったときに驚いたが、こうあってほしいという音楽を夢想すると、ジャズもオーディオも、はてがない』
2006.12/5 手鎖りかまいなし、原稿料まで戴いて、あいすまぬ。


ジャガー氏ふたたび

2015年01月01日 | タンノイのお話
悠久のジャガー氏は、この初夏にふたたび姿を現すと
4枚の写真を見せてくださった。
当方の眼は、そこに釘付けになった。
さらにもうひとつオーディオルームが写ってあり、
そこに『まぼろしのコーネッタ』が鎮座している。
ジャガー氏は言う。
「やはり、コーネッタはすばらしい音ですね」
当方のレクタンギュラー・ヨークをまえにして、
そう申されて涼しげな御仁である。
一瞬輝いて空間に消えていった音楽を視界にさがせば、
それは心の旅の空であるが、
当方はこのままで良いと思っていたサウンドに、
翌日、天井裏の物置から工具を取り出し、
カートリッジのバランス修正に、やっととりかかった。
「ロイヤルにゴールド15をビルトインした音を楽しみにしています」
水戸のタンノイ氏もいわれる、新機軸テーマ山積の日々好日であるが。
それはともかく、廊下のウサギの頭を撫でて、庭のさつきに水をやった。

衣川安倍館

2015年01月01日 | タンノイのお話
前回、雪に隠れる風景を、安倍館橋周辺から見た。
その地形のおもしろさに惹かれ、またまた眺めに行くと、
千年も前に栄えた城館はすでにないが、
発掘図を参考に想像を描いて古人の時代を偲ぶ。
一関の『小松の柵』を守備していた先頭軍団は、
征夷大将軍をたてて押し寄せてきた律令軍に一敗地にまみれると、
二か所の軍道に分かれて
この奥州衣川「安倍城柵」まで退却したと、歴史書にあった。
弁当でも広げて周囲を眺めると、春の景色がひろがって、
ゆったりした人々の時間が流れている。
芭蕉ではないがしかたがない、一句。

衣川 雪のなごりや 春めぐる

泥田廃寺跡

2015年01月01日 | タンノイのお話
寒気の緩み始めた啓蟄のころ、眠っていた虫が動き出すと
ネコヤナギの芽がふくらんでフキノトウが咲き出す。
先日訪問した石坂の柵に近い小山に『泥田廃寺跡』がある。
年代的に柵と同じ千年前の礎石が残っているそうで、
けっこうな門構があったが、現在は雑木林になっているらしい。
この地も、千年いろいろな変遷があって
現在の賑わいが有ると歴史は伝えているようだ。
タンノイは、様々の装置が有徳人の館で鳴り響いているが、
或る時、
写真のJBL装置を探訪させていただいたことがある。
その音はどうであったか、いまも思い出すと楽しい。
オーディオ装置を訪問して聴けば福音。
音楽は一様ではない。



'16 TONS'

2015年01月01日 | タンノイのお話
タンノイの38センチ・ウーハーを壁にセットして、
いよいよプラターズの'16 TONS'を聴く。
エンクロージャ奥に長く畳まれたバックロード・ホーンの、
はたしてその効果やいかに。
むかしラジオで聴いた、この'16 TONS'という唄は、
アパラチア盆地の第9鉱区で
16トンの石炭を掘る過酷労働の独り言で、
唄の内容が読めると、はてなと思うのは
『魔笛』も同じである。
しかし、さいわい英語がよくわからないのは都合がよい。
低音の魅力を、しばし楽しむ。
オンリー・ユーとか、サマータイムとか、夕日に赤い帆など、
これを楽しんでいたのは当方に少年の日のあったころ。