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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

『小松の柵』

2015年01月01日 | タンノイのお話
黒松は、築山の上で突風にゆさゆさと揺れている。
枝苅りしようと、頂辺まで梯子を登ったとき釣山連丘が見えた。
山の一角に、中世の烽火台遺構がいまも残されている。
この烽火は、どこに向けて焚かれた信号か。
プレ平泉のころ、中央と対峙する安倍一族が奥六郡を治め、
対する律令政府の拠点多賀城柵は「伊治柵」を造営し、
ひたひたと勢力を伸ばしつつあった。
境界線の一関に、防御の第一関門『小松の柵』があって、
千年もまえの遺構ながら、野手倍のとなり谷起島が擬定地になっている。
『則赴松山道。次磐井郡中山大風澤。翌日、到同郡萩馬場。去小松柵五町有余也。安倍宗任ノ叔父僧良照柵也』
暖気流が一瞬、冬空を通った節分の日。
釣山運動公園に登り、はたして「烽火」が小松の柵に向けたものか、
想像を実際の景色を見て確かめようと車を走らせた。
『小松の柵』擬定地は「南に深流の碧潭をおび、西北に碧立の青巌を負う」といわれ、
覚べつ城の候補地でもあったが、訪ねてみると凄い地形のところである。
磐井川と久保川がひょうたんの形に入り組んだ細い谷起島橋からの眺めは、
ダビンチのモナリザの背景に描かれたアルノ川と似ている。
康平5年1062年安倍貞任は、源頼義の本営を攻めるが敗れ衣川柵に退去.
その後、衣川関・鳥海柵を頼義に攻略され、厨川柵に籠る(陸奥話記)。
安倍宗任と良照がこの柵の守備に就き、萩ノ荘には軍事訓練馬場があった。
御近所の古老に「むかし競馬場があって皆で楽しんだ」と聞かされたことを思い出した。
この谷起島の地は、川と窪地崖に市街地から隔てられていたが、
実際に計測してみると新幹線の停車駅までわずか5キロで、釣山の烽火台まで三キロ、
しかも思っても見なかった当方の黒松まで直線二キロの距離を意外に思う。
ポール・マッカートニーが若い頃であれば、そっくりここを買い占めて
ホームグラウンドにしようと考えたかもしれない、閑静な景勝地であった。
節分に、ふたりの客が寒い喫茶に現れて、子供のためにオーディオ装置をあつらえたい、と言っている。
なるほど。
「むかしはジャズを聴きました」と漏らすところが、丁寧でどことなく怪しい。

『白鳥の柵』

2014年12月31日 | タンノイのお話
正月三日 乙未条
依物忌無他行、右衛門督方上達部等被来
ふとした気分で、『しろとりの柵』を見に車を走らせた。
ここは柳之御所から北上川を五キロ遡上したところにあって、
律令時代には白鳥八郎が居た。
厨川二郎の兄弟のことで『安倍十二柵』のひとつである。
航空写真では、小山が突き出て北上川を遮蔽し、
水流はしかたなく円を描き周囲を迂回し、
また気を取り直し流れている、流域随一の珍景である。
城柵跡の地形には、約束のようにY字で白鳥川がそそぎ、
一時はあの覚べつ城の候補地となったまぼろしの遺蹟である。
正月の混雑をさけ束稲山のふもとの新道から車を進めていくと、
新しく拡幅した立派でありながらあやふやな道があり、
橋の直前に白鳥舘遺蹟の案内標識を見る。
通過する長い橋から見下ろす北上川は、
雪解け水を満々と湛え、光をキラキラ反射しゆっくり流れていた。
白鳥柵のたもとに大きな沼が見える。
この沼は古代には水流の一部であったが離れて残ったらしく、
律令時代の中世に水運の荷揚げ場として活躍をみせ、
沼を汲み出して底を調べれば、千年前からの人工遺物が
マヤの池のように出るはずである。
立地を利用し、代々城柵は構築され水運や奥大道を監視したので、
小山に盛り上がった遺蹟にはそれなりの遺構があるが、
平和な時代になって現代の住居が静かにあった。
舗装された道が遺蹟の奥まで通り、住宅の側を忍び足で見学して、
いにしえの正月気分を味わった。
ところで年末に、フィラデルフィアの名手といわれた若いリー・モーガンに
雰囲気の似た客が現れ、克舌良く近況を聞き、ヒヨコの菓子までいただいた。
リーモーガンは、カーティス・フラーやアート・テイラーなどと組んだ
1957年八月の録音をタンノイによって聴いてみたが、
『Lee Morgan Vol.3』の「アイ・リメンバー・クリフォード」で満足しつつも、
バッキング諸兄が変わると演奏さらに昂進する刹那があった。

五味康祐さんのタンノイ

2014年12月31日 | タンノイのお話
五味康祐さんが『西方の音』という書物にくわしく書かれた『タンノイ』による音楽の遍歴は、
秋の夜長をとても楽しませてくださった。
三鷹にあった五味さんのタンノイの書斎は、
芸術新潮に載った写真でおよそを想像できたが、
記述にたびたび登場する『S氏邸』
という、非常に気になるもう一方の殿堂については、
しばらく謎のままであった。
最近、或る本の存在を知り、
五味さんの本と書棚に並べると良いのかもしれない。
また、
五味さんがマイフェイバリット20盤を秘かにランク付けし、
第一番がモーツァルトの『魔笛』をカラヤンが振ったデスク
であることに驚いた ! が、このようにタンノイの楽しみは、
いちいちレコードを鳴らすほかに、雑事が次々と湧いて
奥が深い。
ところで
ロイスを通りかかって、タンノイを聴いて居られる客は、
「そういえば、クラシックも聴きます」
と、過去のご自分を話している。
----はじめから長野の人ですか?
深くお尋ねする意図はないが、すると
「栃木の足利で高校まで暮していました」
穏やかな人であった。
中央の写真が、初めて対面するS氏邸のあるじ。