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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

タンノイ・チェビオットの客

2017年03月19日 | 巡礼者の記帳


装置やレコードの写真を見て、音が聴こえるでもないが、

自由に想像できるところが、華である。

雑誌をめくって、音量も自由自在。

そこに、仙台ナンバーの大型車が、停まった。

客人は、タンノイ・ヨークとチェビオットを鳴らしていると申され、

オープン・デッキを担いで録音に勤しまれた記憶を話してくださった。

ご自分に似合ったスピーカーが、世の中にあるのでは、

と、道奥の旅である。

「最後に、もういちど確認しますが、いままで鳴らした音は、
すべて中央のヨークなのですか」

これから、新しい人生に航海されるご様子で、

貫禄を滲ませつつ、目の前のタンノイの音に混乱がある。

トミー・フラナガンの背後で、

ニールス・ペデルセンが機関銃を撃っている秋である。



旅人

2017年03月18日 | 巡礼者の記帳

芭蕉は道の記の先達に、紀貫之、鴨長明、阿仏尼を挙げている。

どのような書物か、考えているとそこに、

バックパッカースタイルの御仁が、やってきた。

―――そういえば芭蕉は、奥の細道を旅するにあたり、

芭蕉庵を処分して、藤堂家に道中の鑑札保証を頼んでいますね。

「エッ!家まで売ったのですか」

―――タンノイの英国では、家庭電源は240Vでした。

「エッ!本当ですか」

こちらの話に、ジャズが混入して、Bパッカー氏は忙しい。

藤堂家や関東代官伊那家に出立の挨拶している芭蕉であるが、

そこで何か、頼まれ事をしたのであろうか。

旅日記が現在評価額、一億円はくだらないという。

増刊号があれば、ぜひ読んでみたかった。

「低音で、ネットが揺れているのをはじめて見ました」

64センチウーハーを試してみたいと申されて、パッカー氏は次に向かった。

西行も、二十代と六十九才の時、奥州をめぐっている。

『Austin TVA-1』

2017年03月18日 | 巡礼者の記帳


タンノイ・ヨークにセットした『TVA-1』は、英国Michaelson & Austin社が1979年に初めて発売し、パラビッチーニ氏の設計回路と言われている。

ドイツのケルン・オーディオショーに出品され、管球アンプの黄昏れ時代に世界をあっと言わせた。

選りぬかれたGEC製KT-88出力管と巨大な特注トランスによって出力70+70W、

多くのタンノイフアンが好んで使用する。

今回のトラブル12AX-7球は、メーカーは「それ、消耗品です」ともっともであるが、

自分の使っていた5751球が、なぜか聴き良く、他の球には出せない音がする。

そして今回、

同じ製造の5751球に差し替えたところ、新しく非常にまともな音になって結構だが、

当方はあの壊れた球のほうが良い。

失ったモノの個性に初めて気が付いた。

真空管は長く使っているうちに、かってにセルフコントロールを心得て、

こちらの耳と相談し換骨溶解していたのかもしれない。

音楽は、いろいろな『12AX-7』が、別の演奏をしている。

先日お見えになった客人が、

「自分のクオードのタマもGECです」と、念を押されていたが、

必ずや、そうとう良い音で鳴っていることが想像されて、

低音が勝手に隣家で鳴っているようです、と困られた表情が良かった。

川上と この川下や 月の友

『アルセーヌ・ルパン』氏

2016年12月05日 | 巡礼者の記帳


アート・ペッパーは1957年1月19日の朝に突然呼び出され、

ロスの坂道を登ってコンテンポラリースタジオに入ると、

中で待っていたマイルスのリズム隊ガーランド、チェンバース、ジョーンズから

一斉に歓迎された。

西海岸と東海岸のジャズ流儀が融合したセッションが始まったが、

貴重なサウンドが後世に残されたものであると、人は言う。

A面1曲目は、ヘレン・メリルの唄う「ユー・ビー・ソー」で超有名な唄だが、

ペッパーはジャズ的哀愁を、

重戦車のようなマイルスリズム隊のサウンドにちりばめて、

個性的な音の景色を描いていった。

You'd be so nice to come home to

「あなたのもとに帰れたら どんなにいいかしら」

という作詞とは異なるディテールでありながら、

4人の演奏の巧みな嵌合が眼前に展開しはじめると、

楽器の立体感までが耳を奪って気を逸らさない。

そこに、アルセーヌ・ルパンのような男と、

いぶかしげな様子の女性が入ってきた。

ジャズを聴きたいそうである。

ルパン氏は深くソフアに構えて、なにやらカタログを眺め、

女性はこちらの移動に合せてにこやかに会話しながら

ロックオンしたサーチライトのように向きを変えて、

珈琲を淹れて行くと、起立して待っておられる。

ドリス・ディとペギー・リーを合わせ持った雰囲気の人であるが、

関東から、このような方がお見えになることがある。

職業規約上細部を割藍して、ご報告まで。


『虹の彼方に』

2016年10月21日 | 巡礼者の記帳


1939年のミュージカル映画「オズの魔法使い」で唄われた

『オーバーザレインボウ』は、全米20世紀名曲コンテストの1番になった。

ジュデイ・ガーランドは、次のように唄い始める。

Somewhere over the rainbow Way up high

どこか虹のかなたの空のはてに

いつか子守唄で聞いた国があるはず

どこか虹のかなたの青い空の先に

夢の願いのかなうところがある、と。

アーレンの作曲に、ハーバーグ が後日作詞して、

キース・ジャレットや

サラ・ボーンや

アート・ペッパーも奏しているので、

耳を澄ませば、いずれか思い出せそうである。

しかし出来栄えは松竹梅に分かれる難しさがあるようだ。

ペッパーの演奏も、気合いの入ったオーバーザレインボウより

肩の力を抜いた時の演奏が、何度も聴いてみたくなる。

SPU-Aの調子が良くなかったので、

アームからはずして針の角度を調整していると、誰か人影が。

ちょっと珈琲を、と申される聡明なご婦人と、

音楽や装置のことは、あまりわかりません、との御仁であったが、

ややや、

前傾姿勢でドボルザークの9番を耳に納めて、

「よろしい」 と、申されたではないか。

芋の葉や 月待つ里の 焼畑

秋の客

2016年10月14日 | 巡礼者の記帳


雨上がりに、蜘蛛の巣がレース模様に水滴を光らせて、

朝の庭は、静まっている。

客人が、ハーフ・マラソンのあとに立ち寄った。

「アルテックを真空管で聴いています」

誰もが烏丸族の末裔であるはずはないが、質問した。

―――ご一緒に、京のジャズ喫茶に、行かれるのですか。

男性がジャズ喫茶の名前を一つあげると、

女性が続いて、ほかの名前を二つ言った。

景色は、いよいよ刈り入れの秋である。

里人は 稲に歌詠む 都かな

小津の魔法使い

2016年10月14日 | 巡礼者の記帳


横丁の松の大木が天を衝くように苔むし、

斜めに幹を伸ばす婀娜姿がすばらしい。

人は耳から溺れるとは言うが、

タンノイにおぼれて、

朝顔の一輪に、眼からおぼれる。

そのとき、喫茶に来客があった。

慎重な客人は、ピアノトリオが好みと申されて、

銀縁のインテリジェントなメガネを外しながら、

「わたしの生まれは尾道です」

新潟に5年居られて、最近この地に着任された。

尾道は、中世から瀬戸内海の交易に発展したところである。

各地をわたり、歴史の耳でジャズを聴く。

1953年に撮影された『東京物語』であるが、

原節子が到着するとき尾道駅の入場券が3000枚売れた人気と、

定点ローアングルのモノトーンストーリーには、

永井荷風の気分があるそうだ。

行く秋の 芥子に迫りて 隠れけり


支倉常長

2016年10月14日 | 巡礼者の記帳


ドスッ!というドラムスの音に、ブイーンとベースが鳴って、

ベーゼンドルファーでもスタインウェイでも、

八城氏の指が鍵盤を跳ね回っているところを聴くと、

窓の外は、秋である。

「大きなスピーカーを見に来ました」

無言のお客と、髪をうしろに束ねたお客と、

真ん中で一手に会話を盛り上げる人物が

「藤沢に住んでいます」と申される。

藤沢は黄海古戦場の先にサファリ・パークがあり、

海から来た文化が一旦醸成されるところである。

傍を流れる北上川は、やがて豊里や桃生を過ぎて海に入る。

伊達政宗はスペイン提督と相談して1614年、

桃生郡水浜で南蛮船サン・ファン・バティスタ号を建造した。

工人800人、鍛冶700人、大工3000人が集まった。

現在も、復元船が月の浦近くに浮かんでいるそうである。

見に行きたい、と母屋でウサギに聞こえるように言うと、

携帯ナビを持つように言われた。

あちこちウロウロするのが最高なのだが。



豊里紀行

2016年10月14日 | 巡礼者の記帳


平安時代の『桃生の柵跡』まで一関から直線で48キロを行くと、

登米大橋から257号線を北上川沿いに南下する途中に、

平泉の秀衡が水運管理のために置いた『赤生津館跡』が有る。

気仙沼鉄道線の御岳堂駅付近のそこは大河がグイとカーブして豊里町である。

豊里町のお客は言う。

「わたしは歴史が好きで、とくに中国の三国志が対象です」

喫茶の前に停まったクラシカルな大型の国産車は、すぐに形式が思い出せないが、

『サンセット77』でハリウッドを走っても似合いそうな逸品ですね。

「いえいえ、家を出るときエンジンの音がちょっと」

「あの桃生柵跡の図で、現在の北上川はどこを流れていますか」

謙譲の人で、究明は具体的である。

平安時代も、このような人物が赤生津館を守っていたのだろうか。

夜の庭に、鈴虫がはじめて鳴いた。

ラフマニノフの2番

2016年10月14日 | 巡礼者の記帳


ホウの木と椿木の間を抜けた蝉は、クモの巣に捕まって、

バタバタ、ジイジイ。

大蜘蛛は静かに接近している。

帚木を握り、蜘蛛の糸をバッサリ断ち壊した。

つぎの日、前代未聞という台風が押し寄せて、

屋根のトタンが、ボコボコと不気味に鳴る。

風速40メートルが本当なら、松も幹から飛ばされかねない。

このような時に、粛然とラフマニノフの2番ハ短調も良いが、

お客は、昼休みの休憩時間に「ちょっと珈琲を呑みに来ましたが」と申されて、
車の女性を連れに戻った。

「事業企画で、さきほど盛岡から一関に来ました」

その様子はエリオット・ネスの背後に並ぶ、渋い俳優に似ている。

「よければ、ラフマニノフ2番を聴きたいものです」

さーて、

あれをタンノイで聴いたら、午後は仕事になりませんよ。

千年昔の、大極殿の上にも、風神は来ていた。

『彼女たちは中宮のもとに戻ってその日の出来事を一部始終報告するが、
侍従殿が追いかけてくる話になると一同は大笑いした。
「ところで歌はどうした。殿上人が聞きつけるから女房達の歌がないでは済まされまい。手軽に詠んでくればよかったのに。あまり儀式張っては興ざめになるからここで早く詠みなさい」
中宮に言われて相談をしていると、侍従殿から歌が添えられた卯の花が届く。
「これを使って早く書け」と中宮がご自分の硯と紙を提供したが、
譲り合っているうちにまたも大雨になって雷がごろごろ鳴って、
藤原の一族郎党が続々と雷のお見舞いに参上してくるのでまた返歌のことは紛れてしまった』

台風のイノベーションは、変わった。

※ インタビューされる本田圭佑の風貌や指の長さが、ラフマニノフ氏似である。

『羅城門』

2016年08月11日 | 巡礼者の記帳

奈良政府の威信をかけた羅城門は、

海外の外交使節を迎える帝都の凱旋門であったが、

黒沢映画では、凄い迫力で朽ち果てている。

「この門がひとつあれば、撮影はほかにカネかかりません」

金庫番を説得し大金を使って時代考証した羅生門は、

間口33メートル、奥行22メートル、高さ20メートル、

柱は周囲4尺の巨材18本を使った。

屋根瓦も「延暦十七年」と彫り、4000枚焼いたらしい。

広場に出来上がった羅城門は、出費に見合った巨大さで、

監督自身が、まさかここまで、と驚いた。

映画は当たらず、心配していた大映社長は、何名か処分している。

後日になって、外国人が賞賛しはじめ『金獅子賞』を得る。

ところで、

映画の羅城門は、当方の趣味に年代的に驚くべき近似を暗示していた。

奈良羅城門   711年 帝都の威信をかけた凱旋門

仙台多賀城門  724年 東北総局の南大門

宮城桃生城門  759年 海道支局の南大門

宮城伊治城門  767年 山道支局の南大門

岩手覚べつ城門 780年 山海道統合支局、北上川沿いの南大門

岩手胆沢城門  802年 岩手総局の南大門

千年昔の建造物はすでに無いが、黒沢監督の仕事ぶり、すばらしい。

箱庭で、オニヤンマと黒アゲハと黄アゲハが飛んで、

桃生城に近い海浜からお見えになった客人が、ご家族のお話を聞かせてくださった。


『籔の中』

2016年08月09日 | 巡礼者の記帳
1922年新潮に載った芥川氏『籔の中』は、
羅生門という映画になったものを見た。
今昔物語やビアスの月明かり、に原典があるといわれる。

『今昔物語集』の「羅城門登上層見死人盗人語第十八」は、淡々とした文章だが、

芥川はエッジを効かせた迷路に組み直した。

そうこうしているとき店舗前にサイクリング車が停まって、

カッコイイデザインに、つい価格を質問してみると、

「大層なものではありません。5万なにがしですが、特別に2万6千円でした」

タンノイを聴きながら、能吏の御仁はぽろっと申される。

「まあ、ジャズも組織も、中間管理職は大変です」

メンバーの顔ぶれや気分によっては、竜巻や台風になるジャズである。

ロリンズとアシュトンがテナーサクス、

オリバーネルソンとフィルウッズがアルトサックス、

ダニーバンクがバリトンサクス、

JJジョンソンとジミークリーブランドがトロンボ-ン、

ケラウェイがビアノ、ケニーバレルがギター、

ブッカーがベースでダンロップがドラムス。

ロリンズ作曲の『アルフィー』を聴いていると、豪華な陣容が映画音楽に嵌合し、

いっとき羅生門が開かれたかのように、タンノイのサウンドは華である。

アンブローズ・ビアスは、軍隊を指揮し、また事業で成功しているが、

奇妙な辞典を残し1910年にメキシコにて行方不明になった。

彼のビアスの辞典が翻訳され、それが送られてダンボールから出てきたものを読んで、

やっぱり途中で当方は、廊下のウサギの機嫌を見に行った。

夏馬の遅行 我を絵に見る 心かな



鳥矢崎古墳群

2016年08月09日 | 巡礼者の記帳

分け入っても 分け入っても 青い森

342号線が骨寺荘園遺跡を過ぎたころ、左折して橋を渡ると、

舗装された涼しげな道が青い森にアップダウンしている。

途中で、やぶの中から白い山ユリが涼しげに顔を出す。

まもなく道の別れるところにさしかかり、左折すれば、

青稲が植えられて周囲のぴしっと刈り込まれた田圃が、

カラバ公爵の農地のように延々と続いて、道は一関に回遊してゆく。

レッド・ガーランドのスローなバラードの聴こえる風景である。

また進むと、右手は栗駒山の方角で、まもなく栗駒町鳥矢崎古墳群がある。

陸奥七不思議のひとつ、消えた伊治公呰麻呂は、

栗原郡の蝦夷の有力者で人望と機知が有り、律令政府の行政に貢献した。

778年伊治城柵をあずかる従五位下の官位に昇る記録が有る。

彼の息子も元気が良かったが、同僚の都会言葉に業を煮やし、

一説に、男女の鍔迫り合いか結局大乱になってしまう宝亀の乱がある。

呰麻呂は、息子の起こした事件で覚悟を決め、

仙台多賀城柵と、みずからの伊治城柵を焼き討ちし脱藩する。

乱の後、歴史から消えた呰麻呂の消息について、記録が無い。

先年の鳥矢崎古墳群の調査から、従五位下の帯留などが発掘され、

終焉の地をついに発見と、推理されているそうである。

昨日、呰麻呂の栗原市から悠揚として迫らぬご様子の紳士がお見えになった。

カミン・ホーム・ベイビーのアブダリマリクとベン・タッカーの

二丁のベースの嵌合具合を楽しんで演奏が終わると、

「フルートのハービーマンは少々記憶に有りますが、マイルスもアガルタから入ってカインド・オブ・ブルーに行く、逆のコースを辿りました」

ハービーマンの風貌は、セニョール呰麻呂に似ているような気がする。



きょうの重力場

2016年08月09日 | 巡礼者の記帳

お勧め、という小説が、

伝説的な禁書、斜め読みをたくらむ俗物を寄せつけぬとも。

海の物とも山の物ともわからぬ、比喩と晦渋の垣根を張り巡らし、

点景的人物の巧みな描き方。

いにしえのインカ文明を後光のように背負い、

ロンドンの地図を塗りつぶしていくらしい。

コルトレーンとドルフィーが、延々と、

『青海波』をやっているような感じかね。

この書物の登場で、H・ミラー氏をして

「チョーサーよ、シェイクスピアよ、君たちは終わった」

たはは、そうなの?

ウサギに餌をやる時間が来てしまったので残念だ。

そこに白い大きな乗用車が停まった。

登場された6人の方々は、

時にはオーケストラの列にいる

タンノイと対極のリアリズム集団である。

―――嫌いな作曲家の演奏もあるのでしょうか?

「我々は、楽譜にある音符の再現に勉めるので、好きも嫌いもありません」

そのときタンノイで「くるま場草」が鳴って、

ウイーンフィルの緩急自在のゆらきがスポットライトのように移動していく。

音楽が一転、ジャズになると、

各位の概念や持論が、決壊したダムのように、

レスターヤングと宇野功芳氏のことや、

楽器の音色の好き嫌いであるとか、

琥珀色の液体と音楽が縦糸と横糸に編み込まれていった。

おそらくこれらが、

ニュートンやアインシュタインのいう

時空の歪みにおける重力場の昇華という、

定理の談笑かな。

しまった、読んだものが移ってしまった。

きょうから7月である。

アラド234

2016年06月04日 | 巡礼者の記帳

手に入れた接着剤でアラド234を仮組みしてみた。

プラモは、むかしに散々造って悟りを開いた結論は、完成させてはつまらない。

ペイントもそこそこ、気が済めば分解して箱に戻す。

『アラド234』は、大戦末期にドイツ・アラド社がジェットエンジンで200機納入した。

零戦のスピードが500キロのとき、アウトバーンの上空を700キロで飛んだ。

当方が注目したのは、翼が、下に反っているように見えることである。

夜半に稲妻がカーテンに光り、凄い雷鳴が聞こえて、

ガラス戸口まで行って外を見ると、激しく雨が路上に降り出した。

闇夜の稲妻に一瞬、遠く道を渡る3人の人影が浮かんだ。

にわか雨が追いかけていく。

翌朝、またキットを箱から出して仮組みし、意味不明の組立図に往生するが、

以前届いた列車砲のときは図面が入ってなかったので、まだましである。

などと思ったその時、

北海道からと申される三人の客人が登場した。

タンノイは、あまり聴いたことが無いそうである。

「ジャズでこの音なら、クラシックを聴いてみたいですね」

「このベースの音は、自分の好みです」

「Bに行くときチリ紙を持てといわれるのは、音の良さに涙が出るからですか?」

「昨夜、稲妻で路上に浮かんだ三人とは、我々です」

北海道の人々は、これから平泉を観光すると申されて、

気心のかよったジャズ・トリオのアドリブで、去っていった。

※RTSでバスのフロント越しに撮ったアウトバーンに、アラドを合成。