
767年に造られた伊治城柵は、
一関から国道4号線を南へ25キロにある、
千年以上前の官庁街の遺跡である。
雪は消えて、穏やかな陽気にハンドルも軽い。
いよいよ、発掘の逸品を拝見しに管理センターに向かった。
ラジオはジョージ・コールマンのサクスにトニーのバスドラが
ズドーンと鳴ったようだが、ノンプロブレム。
国府多賀城の前進基地、栗原区に
数千人の移民を投入した古代律令府は、
壮麗な建築群を打ち建てて周囲を圧倒している
本腰であるが、歴史は糾える縄のごとしであった。
まぼろしの政庁跡の一角に建つ管理センターにて、古代のよすがを探す。
現代では街路が入り組んで、目的地が隠れん坊している。
困ったな、と走っていると自転車でやってくる少年がいる
すぐさま車から飛び降り小学校の跡地を尋ねると、
「では、付いてきてください」
坂道もなんのその、どんどん走る栗原の中学生であった。
昼食時にもかかわらず、履物を並べ快く迎えて頂いた。
発掘品は、多賀城様式の瓦が地中から掘り出され
たりすると吟醸酒で乾杯となるが、
このセンターの誇る無二の逸品がケースに展示されている。
パンフレットに出土ポイントがマークされ、非常に珍しいものである。
いつか城柵の復元のかなう日が、来ていただきたい。
喫茶に戻ると、
モニター・レッドの御仁が埼玉からお見えになって、
今度アルテックも入れてみましたと申される。
レコードは千枚、とご謙遜であるが、
千畳敷にジャケットを並べてごらんなさい。
眺めるだけでも大変でしょう。
2016.3/4