
海の要塞の東の湾から、対岸の丘陵にまた一つの要塞がある。
或る空の青さの透明な初夏の休みに、初めてその要塞の離れにある
持仏堂を遙拝しようと遠征した。
一関から走ること1時間。
背後から猛烈なスピードで追い上げてくる車に辟易して道を譲ると、
髪をなびかせた女がすぐ側を疾走して行った。
地図を、縦に見たり横に見て、幾つもの峠をこえ、
尾の大きいタヌキのなきがらが道端に倒れているの避けながら、
農作業帰りの老夫妻の車に、道を尋ねた。
「後を付いてきなさい」
歯の隙間を見せて頷く古老を、山を回り込んだグニャグニャの道に
追いかけたが、信じられないスピードで彼もまた疾走している。
二股の道でついに見失った。
「ああ、その家なら」
道端の婦人が、頬被りの手拭いをはずして指さした方向にしばらく走ると、
突然木洩れ陽の間から持仏堂の瓦屋根が見えた。
当主は、作業着の上からザァザァ、ホースで水をかぶっていた。
「松林の殺虫液を頭から被ったので、しばらく待っとりやンせ」
食べきれないほどの珍味がテーブルに並んでいたが、
やっとサラの半分まで減らしたところでおなかが苦しくなったのである。
当主はさきごろ、勇躍高価なマツタケの菌を買って、
「生えたのはシイタケ! 」
と痛恨事を言いながら、国定公園の崖に大量に棄てられたゴミが
御公儀に露見して、先週村の衆が総出で清掃した事に話題はうつった。
焼酎を愛呑んでいるが、本当は日本酒がいい、ですと申されて、
立ち上がると、廊下を離れのほうに向かい、文机の書類の山から、
当方の喜びそうな書き付けを広げる。
それから庭の芝生を踏んで大きな御堂の前に立つと、
そこに静かな時間が閉じ込められていた。
漆黒の仏像を、はじめて遙拝する。
膝に腕を揃えて、当主は言った。
「あの左右の襖絵でスが、模様が狭く感じる
ことは...ありませンか?作り直させたのです」
いえいえ....りっぱなものと思います。
当主はツと立ち上がると、遙拝した由緒ある持仏の傍に回り込んで当方を招き、
光背の支柱と仏像の関係が、あのように開き加減でよいのか、
どこぞで見たことはないかたずねて真剣である。
先週は、観光バスが門前に停まった、とぽつりと申される。
庭に出て、しばらく考えてみたが、昔訪ねた、湾の対岸の要塞と、
眼の前にある要塞の構造は、建物や間取りがそっくりなのは何故だろう。
当主が車で先導し、半島を回り込んで送ってくださったが、
やはり猛スピードで、アクセルを踏んでも踏んでも追いつかない。
そこで、奇妙なことに気が付いたのである。
この半島にはスピード標識がどこにも無い。
景色を楽しむのはイナカモノのすることか。
☆絵は張択端の清明上河図、部分。
2007.3/6