
昔は早馬と言って緊急の通信ネットに馬が走ったほか、
気仙峠を越える婦女子も馬の背にゆられていたが、
各地の『馬検場』が消えていったのは、馬の役務が変ったからである。
子供のころ、雪で凍ったコンクリート道に荷馬車を曳いていた馬が、
眼の前でツルッと滑って、巨体がドウッ!と倒れたのを見た。
起きようと懸命に首を伸ばし、四ッ足をばたつかせる馬に、
蹄が雪にすべって馬喰のオヤジさんもねじり鉢巻きの
赤ら顔を引き攣らせて大あわてだ。
その時、近所の大人たちが示し合わせたようにどやどやと集まって、
白いブチ馬の巨体をなんとか持ち上げ引き起こすのに成功したが、
けっきょく最後は馬力よりも人力だった。
馬の活躍でもっとも過酷で勇壮なアスレチック・スポーツが輓曳競争である。
山ノ目のしばらく行ったところに、子供の目にローマのコロッセオのような場所はあった。
馬小屋で囲まれたグラウンドの中央に盛られた砂の土手に向かって、
四列に並んだ馬は役目を心得て、勢いよく馬そりを曳いて一斉に突進して行く。
周囲の勢子と人馬一体、鞭を奮って気勢を上げると、最後の土手を
必死の形相で暴れる馬に橇そりは乗り上げて脚力も限界だ。
各地の馬主や観客が千人も集まっている間近で見ると、誰もが平静を失う
怒声の飛び交う関ケ原の合戦さながらの時である。
いまそのような体躯の馬を間近で見るのは、藤原まつりの行列くらいか。
そういえば、明治の初め東北を一人で旅したイギリス女性探検家、
イザベラ・バードが、馬の旅を書いていた。
1.ほんの昨日のことであったが、馬の背にゆられて旅籠に着いたとき、
途中で革帯を落としたらしい。 もう暗くなっていたが、馬子は探しに
一里も戻った。彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、
「終りまで無事届けるのも当然の仕事だ」と言って、
どうしてもお金を受けとらなかった。
2.イトウは私の夕食のために鶏を買って来た。それを絞め料理しようと
準備したとき、所有者が悲しげな顔をしてお金を返しに来た。
彼女はその鶏を育ててきたので、忍びない、というのである。
こんな遠い片田舎の土地で、こういうことがあろうとは。
私は直感的に、ここは情の美しいところであると感じた。
3.旅籠で、朝の五時までには近所の人はみな集まってきて、
私が朝食をとっているとき、すべての人びとの注目の的となったばかりでなく、
土間に立って梯子段から上を見あげている約四十人の人々にじろじろ見られていた。
宿の主人が、立ち去ってくれ、というと、彼らは言った。
「こんなすばらしい見世物を自分一人占めにして不公平で、隣人らしくもない。
私たちは、二度と外国の女を見る機会もなく一生を終わるかもしれないから」
そこで彼らは、そのまま居すわることができたのである!
2010.3/17
身につまされる。