監督: 三浦大輔
出演: 池松壮亮 、門脇麦 、滝藤賢一 、中村映里子 、新井浩文 、三津谷葉子 、駒木根隆介 、赤澤セリ 、柄本時生 、信江勇 、窪塚洋介 、田中哲司
鑑賞劇場: テアトル新宿
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フリーター、女子大生、サラリーマン、OL、保育士など、ごく普通の人々が六本木のマンションの一室に集まり、毎夜繰り広げる乱交パーティに明け暮れる姿を通して、性欲やそれに伴う感情に振り回される人間の本質やせつなさを描き出していく。(映画.comより)
絶賛、なんでしょうね。世間的には。
そして絶賛しないといけないような同調圧力も見受けられますが(そういうの嫌いですけどw)、正直そうとも思えなかったかな。
というのはたぶんですが絶賛の方たちとは違って、私は全く別の視点からSEXを観ているからでしょうね。当然と言えば当然ですが。
演劇が主体ということで、「舞台としてせるための演出」がまずベースにあって、全体としてはそこから出てなかったような印象。
まずのっけから疑問に思ったこと。最初に自己紹介とかってするんですかね。ニックネームとかシステムの説明とかはあるように思いますが、ここで素性や職業を明かすってまずありえないと思うんですけどね。というか、もっと全体的にこういう乱交クラブ的なものってもっとハードなんじゃないでしょうか。こんなにセンチメンタルにいろいろ語る暇はないような気がする。「集まったのは性欲を満たしたいだけの男女」ならば、こんなにのほほんとしてないでもっと他にすることあるのでは?(苦笑)
そのハードさをストレートに描かないところが「舞台的」に感じてしまうんですよね。性について語りたい、検証させたいという意図はわかるんですが、車座になっておしゃべりしましょう・・・ っていう「手つなぎ」みたいな、「みんな仲良し」みたいな雰囲気ってどうなんでしょう。そこに集まったメンツにもよるんでしょうけど、「私はこうなの、ではあなたは?」的な語りは映画の中だけであって、現実世界ではその枠に当てはめられてしまうのはとても違和感がある。
例えば『17歳』や『アデル、ブルーは熱い色』を観たときのように、「性と真剣に向き合う」「性を突き詰める」感覚っていうのが一向に伝わってこない。ここに出てくる人物たちの「性に対しての向き合い方のベクトル」がたぶん全く方向性が異なっているだけの話なのかもしれませんが。
「その場に集まった人による奇妙な連帯感」、そこからの人間カースト作成という流れとして進行させたいのはわかるんですが、そこから一歩踏み込んだ「個人的に性についてどう思っているのか」という視点が本当に弱いんですね。あったとしても断片的な言葉、それも薄っぺらい表現やセリフであったり、また稚拙な行動だけだったりもする。
そもそもキャラ的に偏りを感じるんですね。男も女も1人は既婚者で3人独身という設定。夜通し六本木の乱交クラブに来れる人という設定ならこれが限界かもしれませんけど、年齢層が若者層ばかりなので現実味が薄いのも、観終わった後に釈然としない理由の1つ。
若者的な目線、そして男性目線での進行だけだと正直私なんかが観ていても全くノレないんですよね(苦笑) 女性客も多く観ているということなんだけど、これで納得しちゃうようならちょっと考えた方がいいかも。
で、必ずこういう作品ってマスコミが煽るんですよ。これに女性が賛同する姿を記事にしたいんだろうけど。
例えばですが、もしも「普通の主婦が昼間は乱交クラブにいて、夜は何食わぬ顔で家で過ごす」的な作品があったとする。それっておそらくはバッシング対象になるんじゃないかと予測します。理由は「男性から見て不快だから」→マスコミは叩く方向の意見を集める、こういう流れになる。本作が絶賛される方向性にしか持っていってないのは、内容が「男性に主導権がある性への目線」だからで、同じくまだまだ男社会なマスコミから見れば当然好奇の対象だし、女性の反応を面白おかしく取り上げる。無理くりな力なんだろうと勘繰りたくもなる訳で。
もっとも本作を「高度なギャグ」として鑑賞するんなら話は別なんだろうけど、それにしても性をギャグにしてしまうことしか発想がないのも豊かじゃない。あれだけ最初は渋っていた女子大生が何故挑んだのか、人間関係の歪みや好奇心程度なのは若さゆえのことだから仕方がないとしても、保育士やOL、常連の3人はそれなりに経験もあるんだろうからそこから何か導き出せるものがあってもよかった。単に女同士のいがみ合いや、奇妙な人というところだけに落とし込んでしまったのはもったいなかった。
男性陣に関してはもう単純すぎて何も言うことはないというか・・・笑。 そもそも男そのものが性に関しては単純すぎるので内省的な描き方ができないですからね。
終盤、女子大生がフリーターに下した審判については結構溜飲が下がった感じで(笑)、こんな一方的すぎる展開に一矢報いたようにも思う。そして店員の行動はどうにも最後に浄化しましょうという意図にしか読めなくて。これだけあけすけなんだから最後までゲスくやってほしかったですよ(苦笑)
性をギャグにしかできない、真正面から向き合わないのは日本の風土というか、日本人の国民性なんでしょうね。「個としての性を考えることができない」ことを証明したことが「高度なギャグ」なのでしょう(笑)
★★ 2/5点
なんでフリーターの携帯から女子大生に携帯を鳴らすことを店員がしたのかとか。
よくわからない。
恋の渦がもう一度見たいけど時間が・・・・
つなぎとして携帯を使いたかったんでしょう。
だとしたら理由を知りたい。
女子大生は経験豊富なのになんで最初逡巡していたの?だったら行かなきゃいいのに!
じれったいなあ。
あと、柄本くん夫婦は何がしたかったの?
とか意味不明なことの連続でした。
これ、roseさん爆睡したのでは?
私ですら瞼が落ちかけました。(笑)
や、最後の方まで起きてましたよ(笑)
窪塚くんのスマホまできてやばかったですが(笑)私にしちゃ頑張ってました。
>だったら行かなきゃいいのに!
>柄本くん夫婦は何がしたかったの?
理由とか背景がきちんとしてないのに、立派に出てきてるんで、肝心の中身がぼやけちゃう感じじゃなかったですか?
だから改めて考えるとおかしいなと思うんだよね。
これは本当にそうですね。密室劇なので対話が本当に重要になる作品なのに、そうしたツッコミ方は本当に足りなくて、むしろ相手をとりあえず知るためだけに会話というものが成立している。そこが物足りなく感じましたね。
その辺がごっそり抜け落ちている。おっしゃる通りだと思います。だからどこか薄っぺらく、ただの笑いとして片付け、ヘラヘラ笑っていられるんですね。むしろ、脚本家もしくは監督が、本来つきつめて考えるべき問題意識を感じてもいないし、もしくは考えるほどの知性を持っていないのだと思います。私は途中で諦めましたよ。
今日、私のTLの舞台好きの人が、この作品を評して褒めていたのですが、その点もやはりこの作品の娯楽性に関してであり、彼は『12人の怒れる男たち』が監督はやりたかったのだろう、という意見でした。私もこの彼と同じような意見ですね。娯楽として楽しむべき作品として作られており、そこに真実を反映させるほどの力量はない、ということです。
『アデル、ブルー~』はケシシュのことですから、掘り下げ方が半端ないんだろうなと思うと、今から楽しみです。
そう思いながら見てました。この程度かよってね。
>脚本家もしくは監督が、本来つきつめて考えるべき問題意識を感じてもいないし、もしくは考えるほどの知性を持っていないのだと思います。
脚本家&監督は、常日頃こういう問題を考えてないのか、考えていても考え及ばなさそうで、場合によっては経験値もなさそうな気配すら感じましたね。
単に風俗として扱えば話題性もあっていいのでは、ということだけで演出したとしたら、これを真摯に見に来た客(特に女性客)に対して、申し開きの仕様がないと思うんですけど。
『アデル』、お楽しみに。これと比べたら本当に失礼なくらいの(!)深淵さでした。
と深く考えるほどのことでもなかったです。
中村エリコさんに、直接お会いしたことがあったので、がんばってるなあ~という応援はしたいです。
むしろコミカルですらありました。
でもそこを性の深淵っぽく考えちゃうとすごい違和感なんですよね。