傍流点景

余所見と隙間と偏りだらけの見聞禄です
(・・・今年も放置癖は治らないか?)

超人帰還、そしてUA93便

2006-08-22 | 映画【劇場公開】
○『スーパーマン・リターンズ』 ('06/監督:ブライアン・シンガー ) 

 公開初日に朝イチで観るほどのファンじゃないんだけどね~(笑)。結果的にそんなハメになったのは、この日の映画ハシゴの2本目とは共通点のない娯楽大作を観よう!という判断によるもので、確かにこの2本はあらゆる意味で両極映画だったのだが、 観終わってみれば共通点がまったく無い訳ではなかった。まあ、その共通点の行き着く先は真逆なんだけども。
 というわけで、ブライアン・シンガーである。私は彼の『ユージュアル・サスペクツ』に初めて出会ったときこそ「オモシロイ監督が出てきた!」とちょっと盛り上がってたんだけど、どうもその後がイマイチなので自分の中ではちょっとマイナス気味になった人だ。一般的に彼の出世作は、近年のアメコミ映画ブーム先駆けの一つとなった『X-men』な訳だけども、個人的にはその『X-men』で「……アンタにはアメコミ映画向いてないと思うよ。フツーの映画撮ってよ、頼むから!」と思ってしまっただけに、今回もぜーんぜん期待してなかったのよね。
 ところがとっこい! 意外にも、かなり充実した正調ハリウッド娯楽大作に仕上がっている作品だった。相変わらずアクションの撮り方は「う~ん……」だけども、その他の部分が丁寧に描き込まれているし、なんつっても今回はオープニングからして気合の入り方が『X-men』とは段違いですよお客さん!(笑) コレはね~、もう映画館で観てなんぼの世界。冒頭からオオ~ッ!という気にさせてくれたもんね(>結果的には映画で一番素晴らしいのはオープニング、という作品でもあったが)。シンガーさんたら、よっぽとオリジナルの『スーパーマン』を愛していたのね…そして、愛する古典を我が手で復活させたい!という監督の志が感じられる映画というのは、やはり気持ち良いものである。
 まあ内容的にはですね~、スーパーマンってのは本当に米国の神話でありおとぎ話なんだな、と。そのことを判り易過ぎるぐらいにハッキリと認識させられる映画ですわな。(ついでに私は「正統派ヒーローには興味がない」ということも、しみじみ実感したよ…)
 地球の民(というか米国)に恵みをもたらすことを使命するスーパーマン、その来歴を軽く振り返り、そこに人妻になりかけてる元(?)恋人ロイス・レインとの不倫話やら米国映画お得意の“父と息子による継承”話やら、悪役でありつつコメディ・リリーフであるレックス・ルーサーのエピソードやらで肉付けした物語を繋ぐのに、2時間半余りの時間は決して長過ぎとは感じなかった。ただ、確かにお話の捌き方はそれなりにスムーズではあるんだけど、全体的にはメリハリに欠ける印象で…それが本作最大の欠点かも。もっとも、似たようなことは『X-men』でも感じた気がするのでね~まあ、そのへんが私の中で微妙なのだな、うん。ということも判った。
 それにしたってスーパーマン@ブランドン・ラウス。CG処理をしてるのはわかった上で、しかし有り得ないほどの整った容姿は、殆ど3Dアニメというかポリゴン・キャラというか三次元化したアレックス・ロスの絵というか…人間とは思えないほど綺麗に撮ってもらってましたね。
(そして映画終盤、天敵物質で弱体化した彼が集団でリンチされるシーンでは益々美貌も冴え渡りで^^; ;嗚呼、コレは密かに楽しく撮ってただろシンガー!などと如何わしいことを思った私を許してください~;;)
 まあスーパーマンは人間じゃない、宇宙人だからイイんだよ!というオチです(笑)。いやホント、超人にかかれば不可能ナシなエピソード満載で笑うしかないですよ。飛行機が墜落しそうになろうが、東海岸壊滅危機が迫ろうが(>この辺りが、次に観た作品と少し被るのだが)スーパーマンが全て救ってくれる。そんな夢物語。いいじゃないか、映画なんて夢なんだから!という訳で、物語・俳優・背景含め、徹底したツクリモノで固めた娯楽映画としては実に真っ当な一本だったと思う。


○『ユナイテッド93』 ('05/監督:ポール・グリーングラス)

 ポール・グリーングラス監督は、北アイルランドの“血の日曜日事件”を映画化した『ブラディ・サンデー』その一本で私の記憶に刻まれることとなった。メロドラマ要素を極力排除し、大袈裟な演出は一つもなく“こうであったかもしれない光景”をそのままカメラに撮るだけで(ドキュメント・ドラマ方式)観る者の目と心を鷲づかみにし、それが“疑似体験”になってしまうような作品だった。
 そして今回も趣向は同じ。あまりにも近い過去の、全世界に衝撃を与え現在も世界(米国)を著しい混乱に巻き込んでいる原因となった事件の映画化である。2001年9月11日。米国内で起こった航空機での自爆テロ、WTCへの激突、ペンタゴンへの墜落の3機に加え、唯一テロリストの目標物には達せずに地上へ墜落したのがユナイテッド93便だった。目標地点に行かなかったのは乗客の決死の抵抗があったためで、映画は9.11の朝からそのUA93便墜落時までを描く。
 オープニングは朝、ホテルの部屋を出ようとする実行犯達がコーランを読む声から厳粛に始まる---それがひどく印象的なのは、映画を通して彼らの決意の壮絶さ(狂気)もまた、伝える描写をしているからだと思う。この日が“運命の日”であることを知っていたのは、彼らだけであった。
 その日、ニューヨークは見事な快晴。“いつも通りの朝”といった、各地の航空管制センターの様子。レーダーを通じて、早朝から4,200機余の飛行機の交通整理業務が始まる。やがて---異変が現れる。勝手に航路を変更する機に気付き、交信時に不穏な声を傍受したセンター職員たち。米国空軍の防空センターにも異常が伝えられ、その状況、現場の混乱が生じるなかレーダーから一機、二機と飛行機が消え、それでも彼らには何か起こったのかわからない。職場の窓から、或いはテレビ局のカメラで“何が起こったのか”を確認して、茫然と立ち尽くす職員たち。それでも彼らの1人はこう言うのだ「こんなに晴れてるのにビルにぶつかるなんて。パイロットは新米なのか?」---ここまでが前半なのだけど、もう最初からビシィーーーッと物凄い緊張感が支配する。描かれているのは、日常が思いもよらない惨劇によって侵食される様である。誰もが、考えもつかなかった。ワールド・トレード・センターが自爆テロで攻撃されるなんて。それを察したときには、誰もが手遅れだった。(出演しているキャストにas Himselfが多いのも頷けるほど、真に迫る前半でもある)
 そして後半からが、UA93便内での出来事。前半、“いつもの日常の延長”が描かれていた機内。目標地点に近づくにつれ4人の実行犯たちの焦燥感が高まっていく。そして静かに“使命”に向けて動きだす彼ら。コクピットに近づき、機長と副操縦士を手早く殺し(!)航路を変更したところで、ハイジャックが始まる。実行犯の若者たちは、殆ど英語を喋れない。瞬く間に恐怖と混乱が機内を支配していく。まもなく、電話でこれから起こるであろう事を知ってしまったパニック状態の44人の乗客乗員も、テロ実行犯の若者たちも、その追い詰められた必死さは同じだ。実行犯は使命遂行の為、乗客乗員は生き延びる為---目的の為ならなんだってする。たとえ人殺しであっても。それはある意味で戦争状態である。絶望的な状況のなか、ある者は家族へのラストメッセージを伝え、またある者は神の名を唱え、祈りを捧げる。神の名を唱えるのは、テロ実行犯たちも同じだ。
 このあたりで、生来の宗教心を持たない私は無常感で胸が詰まった(無常は仏教用語だけど)。元は同じだったはずなのに、双方が祈る2つの神は何故こうも違ってしまったのか? 私は決してテロリズムが“世界を変えるために”正しい手段だとは思わないが、同時にテロリズムには抵抗運動としての側面がある、ということをどうしても考えてしまう。9.11直後からそうだった。一般市民の命を奪い、自らの命も投げ出すようなテロをしなければならない、そこまで彼らを追い詰めたものは何なのか、と考えずにはいられなかった。凄まじいテンションの画面の前で身動きできぬまま、遣り切れない思いが突き上げてくる。そういう映画である。
 感傷的なシーンは皆無で、幾名かの乗客のヒロイズムも殊更強調はされない。テロ実行犯たちを糾弾するような描写もない。ドライで淡々として、冷徹でさえあるカメラが激しく揺れてブラックアウトして、映画は終わる。明確な主役などいない。この作品の主役は9.11と、その日のUA93便それ自体なのだから。

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 …さて目下、次なる“9.11映画”であるオリバー・ストーン監督の『ワールド・トレード・センター』はどうなのだろうか。『ユナイテッド93』と比べられるのは必然不可避だと覚悟はしているが・・・まあ、描く対象が違うから比べるのはおかしいとは思うんだけどもねー仕方ないよなコレばっかりは。現在、既に米国公開は始まっていて、噂では「まったく政治性がない」「ロン・ハワード映画のような、ストーン映画」とか言われてるらしい。ともあれ、自分の目で観るまでは余計なこと考えない!ということにしますが。それにしても予告で観る髭付ニコラス刑事、老け込み過ぎですよっ! 


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4 コメント

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Unknown (おぐら)
2006-09-09 00:48:26
「スーパーマン」今日見てきました。私、親に連れて行ってもらったのでなく、自分ではじめて映画館に見に行った映画が旧「スーパーマン」。音響のけたたましさににビビリつつ映画を堪能した憶えがございます。此度の「スーパーマン」は不倫や隠し子なんて要素を入れつつ、好きな彼女の愛の巣を特殊能力で覗き見且つ盗聴したりしたりの昼メロみたいなテイストが馴染んでるような浮いてるようなミョーな魅力のある一本でしたね。もちろん薄汚い男たちにタコ殴りにされて泥だらけで美しい顔をゆがませるスーパーマンのウエット・アンド・メッシ-な泥レスシーンはシンガーさんの真骨頂ですな。レックス・ルーサーはドクター・イーブルそっくりだし、飛行機パニック→ブラックサンデー→タイタニック→ERとなる展開もかなりヘン。王道と珍品の狭間を行く怪作でした。また詳しく感想書きます。
旧作は (shito)
2006-09-10 15:09:56
実は、観た翌日(だったかな?)テレビ放映されたのを初めてちゃんと観た、ダメな私です… >おぐらさん

ちゃんと観たことなくても、ある世代より上なら、おおまかな内容はおぼろげに知っている、というのがスーパーマンの強みなんでしょうね。



>彼女の愛の巣を特殊能力で覗き見且つ盗聴したり



ソコは大笑でしたわ~。ストーカーじゃん! 犯罪行為スレスレだよ、スーパーマン!! みたいな。子供出来たのを察しもしない、かなりマヌケなところも微笑ましく観れてしまうのも役得?ってところでしょうか…。

おぐらさんの詳細感想も楽しみにしております!



ところで私が自分で選んで初めて観た劇映画って何だろう?と思い返すに…『戦メリ』かな、と思ってたんだけど『西大后』だったかもしれないことに冷や汗が…。
Unknown (おぐら)
2006-09-10 23:19:27
旧スーパーマンはいわゆるポンチ映画ですがマーロン・ブランドやジーン・ハックマンが大作感を出しておりました。ブランドは省エネ演技で大金貰ったくせに「俺の出てるシーン以外はマンガだ」と完成した映画をクサしておりましたが、「スーパーマン」はもともとマンガだよ!と思ったもんでした。
マンガだってことを (shito)
2006-09-11 20:02:25
知らなかったのでしょうか(笑)>マーロン・ブランド

いやあ、大スター様らしい鷹揚なお言葉ですね。ただ、確かにオリジナルにブランドとハックマン出演していたのは観てオドロキでした。特にハックマン先生がレックス・ルーサーのようなお笑いキャラ(悪役だけど)をなさるとは…。