紙面から
昨年は紙面を見ながら書き、何がテーマになるかな、そう思い新聞の一面を見ると任天堂の営業赤字、19年前の神戸の震災、慰安婦等の記事が一面を飾っている。
個人的には任天堂の赤字には興味はなく(株の投資をしていれば別であるが)震災と慰安婦がメーンになるか、そう思い身近な震災について考えてみると意外とその記憶は私の脳裏から消えつつある、それが大抵の人の実情だと思う。
私も3歳の頃に福井地震を経験をしており、その時の状況は余り知らないが母から聞かされた状況はいまでもはっきりと覚えているし、その被災時の時、私がどのような状況に置かれていたかは聞いた限りにおいてはいまでも記憶に残っているし、実際地震があっても冷静な行動をとれるようにしている。
震災等の状況は知っている人が正確に事実を把握し、被害に遭った時はどう対応して、互いにどう連携し、助け合っていくかと言うことを次の世代に伝えて行くことは大切なことだと思うひとりです。
地震等は私の所では有りえないと言うことはこの地震国の日本では考えられないことだし、自然を破壊してこの社会の構造物が建っている以上、各地のいろんな場所で災害が起こりうると言うことを考えれば、おのずからずそれに対応できる環境、連携、繋がりの整備、新しい世代への引き継が大切だと思う。
そのためにも、神戸の震災にしても、三陸の震災にしても、その時の事実と犠牲になった人への供養、感謝の気持ちを、また命などを繋いでくれた支援者の暖かい心を忘れないで次の世代に伝え、補わなければならない対策を講じることも、教訓として語り繋いでいくことが大切だと思う。
また今回の三陸地震においては原発は安全と言われていた神話が崩れ、多くの人が故郷を追われた現状を考えると、その起きた原因をはっきりと検証して立地している地区、被害が及ぶ地域住民に対し説明すべきだと思う。
唯、言えるのは事故を起こした原子力がパンドラの箱に入っていて、それを利害で封印している所に問題が在るのかも知れない。
確かに人類は英知に優れているが自然が発するエネルギー(核分裂を含む)を制御することは不可能に近いと言うことも知るべきである。
その身近な例がもんじゅの運転かも知れない。
あれだけのコストと時間をかけても運転出来ない事実、誰も無駄と指摘しない、長い時間がいると言っても限度があり、発想の転換も必要であろうと思う。
日本の権力者は組織を作り、金で縛り、バラマキ、支配し、意に背くと排除して生活などを奪うと言う社会構造がいま問題なのかも知れない。
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