仙波東照宮の次に向かったのは喜多院。
ここには五百羅漢もあります。
喜多院本堂。
平安時代の創建とされています。
慶長4年(1599)に27世を継いだ天海が家康の厚い信頼を得たことから大いに栄え、
寛永15年(1638)の火災後の再建時には、江戸城内の家光誕生の間や、
春日局化粧の間が喜多院の書院、客殿として移築されています。
二重の塔
境内には、ほかにも多くの文化財や史跡があります。
ここにはたくさんの昔の使用したものがたくさんあって、ただただ感動するばかり!!
写真が撮れないので、ここの建物から見た庭の様子を撮りまくりました。
川越城本丸御殿
川越城の「本丸御殿」は嘉永元年(1848)に藩主・松平斎典が造営したもので、
当初は16棟3400平方mの規模でしたが、明治維新以後次第に解体されて「玄関」と「大広間」だけが残りました。
昭和62年(1987)埼玉県上福岡市にある星野家の店が間取りや鬼瓦の葵のご紋などから
昔本丸御殿の一部であった「家老詰め所」であることがわかりました。
明治5年(1872)旧川越藩主が財政上の理由から当時船問屋として栄えていた星野家に払い下げたもののようです。
この「家老詰め所」は御殿の「大広間」から「坊主当番詰」を通った奥につながり、
書院造りの平屋で部屋が九つあり全体の広さは約180平方mです。
柱は15cm角で天井は高く質素剛健な造りです。
明日は山形に行くことになったので、小江戸巡りの続きは明後日になりそうです。
ここには五百羅漢もあります。
喜多院本堂。
平安時代の創建とされています。
慶長4年(1599)に27世を継いだ天海が家康の厚い信頼を得たことから大いに栄え、
寛永15年(1638)の火災後の再建時には、江戸城内の家光誕生の間や、
春日局化粧の間が喜多院の書院、客殿として移築されています。
境内には、ほかにも多くの文化財や史跡があります。
ここにはたくさんの昔の使用したものがたくさんあって、ただただ感動するばかり!!
写真が撮れないので、ここの建物から見た庭の様子を撮りまくりました。
川越城の「本丸御殿」は嘉永元年(1848)に藩主・松平斎典が造営したもので、
当初は16棟3400平方mの規模でしたが、明治維新以後次第に解体されて「玄関」と「大広間」だけが残りました。
昭和62年(1987)埼玉県上福岡市にある星野家の店が間取りや鬼瓦の葵のご紋などから
昔本丸御殿の一部であった「家老詰め所」であることがわかりました。
明治5年(1872)旧川越藩主が財政上の理由から当時船問屋として栄えていた星野家に払い下げたもののようです。
この「家老詰め所」は御殿の「大広間」から「坊主当番詰」を通った奥につながり、
書院造りの平屋で部屋が九つあり全体の広さは約180平方mです。
柱は15cm角で天井は高く質素剛健な造りです。
明日は山形に行くことになったので、小江戸巡りの続きは明後日になりそうです。