18日は岩手県平泉に行き、中尊寺を見てきました。
朝8時の開園と同時に入ったのは良かったのですが、お土産屋さんも開いてなければ、お堂も開いてない状態。
中尊寺・金色堂だけは開いていましたが、他のお堂は中が見られませんでした。
(´・ω・`)ショボーン
*画像にマウスポインターを置くとコメントが出ます。
月見坂を歩いて行きます。最初の登りがなかなかきつくて汗が出始めると、涼しい風が吹いて心地よかったです。
月見坂を上った山門跡付近に弁慶堂があります。
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現在残るものは、一度消失した後に改築されたもの。
弁慶堂内部には義経像と弁慶像があり、人形ながらも威圧感たっぷり。
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・・・だそうです。
ここも閉まっていて、内部は見れませんでした!!(*`д´)ノチキショ!!!
中尊寺本堂に着くあたりにこんな風景が見えました。
こうやって義経も見下ろしていたのかなー
中尊寺は天台宗の東北大本山。
藤原氏の初代清衡公が建設したもの。
清衡公の夢見た極楽浄土の空間を金色堂からは体感することが出来る。
義経はこの地で約8年もの年月を過ごした。
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嘉祥3年(850)に慈覚大師が開山、藤原氏初代清衡が長治2年(1105)から21年かけて再興。
堂塔40あまり、禅坊300あまりがあったと伝わっている。
14世紀に多くを消失してしまったが、現在も3000点の国宝、重要文化財を抱えている。
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度重なる火災によって創建当初の建物で残っているのは金色堂のみ。
金色堂は松尾芭蕉が奥の細道の中で「五月雨の 降残してや 金堂」と詠んだように光堂とも呼ばれ、床や天井・壁面なども金箔で飾られている。
堂内には螺細がちりばめられ、4本の七宝荘厳の巻柱には、12光仏が輝き、皆金色といわれた。
須弥檀の下には、清衡・基衡・秀衡のご遺体と泰衡の首級が収められている。
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中に入ってじっくり見たかったのですが・・・。
ここで入る入らないで意見が分かれ、結局は私が折れることになりました。
(´・ω・`)ショボーン。一度来たら、もう来ない場所なのにぃ。
一人で中に入っても良かったのですが、その後が恐ろしい展開になることも考えられたので諦めました。
金色堂を外から眺めていると、陽が当たる柵のところにトンボが集まってきました。
ちょうど陽が当たって、日向ぼっこをしていたようです。
少し離れた場所から撮影したので、ボケてます。
当初は二階建て造りの鐘楼であったが、建武4年(1337)の火災で焼失。
梵鐘は康永2年(1343)の鋳造。
銘に中尊寺の創建や建武の火災のことなどを伝え貴重である。
今ではこの鐘を撞くことはほとんどない。
鐘身 高さ113.2cm
口径 86cm
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こういう昔のものを見ることは、勉強にもなりますね。
次は、厳美渓編です。( ̄m ̄*)ムフッ