rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ベリー類豊作の兆し

2021-05-08 22:10:35 | ベリー類の栽培


今年は、ワイルドベリーがたくさん生っている。
しかも、粒が大きい。
冬に肥料をあげたからなのか、それとも天候がワイルドベリー好みだったというのだろうか、今までにない収穫だ。
まだ結実していないけれど、ラズベリーも調子がいい。
葉が茂って、花も多く付けてる。
期待が、暴走気味に膨らんでしまう。
バラも早く咲いて、ほうら、見事でしょう?
紫の勝手にクレオパトラは、濃艶で蠱惑的な芳香を放っている。
もちろん、私がすっかり虜なのは言わずもがな。
真っ赤すぎて陰影が飛んでしまい、うまく写真写りできない赤いバラも、今回はどうにか収まっている。
季節は、何か急いて進みたがっているように感じる。
「いつもはこうだ」「こうなるはずだ」と、経験に囚われていてはまずいような、そんな気配があると思うのだ。




40歳のわけは?

2021-05-05 22:55:05 | 随想たち

快楽の園 ヒエロニムス・ボス

元小さい人が、ポツリと「40歳まで生きたらいいかな・・・」とつぶやいた。
親としてはギョッとし、すぐさま言いようのない寂しさとやりきれなさが心を覆うのを感じた。
たしかに、自分自身50歳くらいで生涯を終えたいと子供のころ思っていた。
漠とした不安もあったが、長く生きることに苦痛と自分の存在する理由が無いように思われたからだ。
しかし、自分の子供がそれを口にすると、なんとも悲しくて辛い。
若さゆえの未来に対する不安はいつの時代にもあるだろう、けれどもバブル後の日本は、若い人の生命力を食いつぶし、コロナ禍になってさらにそれが加速している。
よく生きたいと努力をしても、報われそうも無いこの閉塞感に、心が蝕まれているようだ。
働いて、安全に住めて食べていけて、時にはちょっとした楽しみを持てるという、ささやかな生き方も困難な時代。
ましてや、生涯の伴侶を求めたり、自分の子供を持って育て、家族を作りたいという、生き物の流れに沿うことすらままならない。
生き方、幸せの価値観は人それぞれにしても、その自由さえ厳しい空気に支配されている。
絶望は、人をたやすく殺してしまう。
富める者はさらに富を欲し、際限の無い渇きに突き動かされる。
すっからかんに搾り取られた後に残るのは、絶望だけ。
パンドラの箱の隅におずおずといた希望だけれど、それも霧散してしまったかもしれない。
あと20年生きるのでさえ辛いと感じている若い人たちがいるなんて、文明文化の終焉ではないだろうか。
こんな世界にしてしまって、彼らの先に生きているわれわれは、何の言い訳も出来ない。
地球は美しく、われわれの命を養ってくれているのに、希望を絶やさないよう知力を尽くしていかなければなるまい。


生涯キュビスト、ファン・グリス

2021-05-04 22:35:01 | アート

アニス・デル・モノの壜


果物皿とチェックのテーブルクロス


ギターを持つハーレクイン

スペイン マドリード生まれのフアン・グリスは、ジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソと同時代にパリで活躍したキュビズムの画家。
コラージュの技法も取り入れた鮮やかな色を使うところが、他の二人との違いだろう。
ポップなところが、今の感覚にあっていて、部屋に飾りたくなる絵だ。
それは、かなり平面化されて軽く感じるところが、そう思わせるのだ。
ね、いいでしょう?

続きのフローリスト

2021-05-03 22:28:53 | 日記




元小さい人は、今日も花を飾っていた。
新生活に加えコロナ禍で変わる様々なことへの対応で、気持ちの余裕が失われていた一年だったようだ。
ここへ帰ってくる頻度も多くなり、いろいろ落ち着いたのだろうか。
何かと制約の多い日常になっていて嘆いても仕方がなく、とにかく無事に健康を保って生き抜くことが大事。
我が家のフローリストは、見落としがちな身近な美しさを拾い上げて、心の安定を図っているように見える。



フローリストと虹

2021-05-02 23:07:39 | 日記




元小さい人が久々にフローリスト気分で作ったブーケ。
クリスマスローズを中心に、所謂雑草ハルシオンやシロツメクサなどをアレンジしたものがお気に入りだそうだ。
似たような諧調の色の組み合わせでシックなところがポイントという。
ポピーやタマスダレも、庭の縁や畑を歩き回って摘んできた。
どの花も、それぞれ美しさを備えていて、人の都合で雑草などと毛嫌いされているだけなのだ。

今日も全国的に天候が不安定で、風が強く吹いたり雨が降ったりと落ち着かない。
所によっては雹が降り、落雷もあったようだ。
おとなしく家の中でくつろいでいると、家人が「虹だよ」と声を掛けてきた。
元小さい人とともにカメラを持って外へ出る。
まだ雨が降っていたが、そんなことはお構いなしに東の空に大きくアーチを描く虹を見上げた。
広角のカメラをもってしてもフレームに収まりきらないほどの見事な虹だ。
家族3人でカメラを構え、感動の言葉を口にしながら写真に留めようと走っていく。
寒気がぴりりとした空気を落として、空はきりっと澄み渡っていた。

自然は、我々に感動も糧も与えてくれるが、時には脅威や絶望も容赦なく落としていく。
生きるということは、それらを甘受していくことなのだろう。