rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

2020年12月13日から14日のふたご座流星群

2020-12-14 23:28:29 | 空・雲・星・太陽たち
昨夜13日の23時から14日の2時まで、流星三昧だった。
22時、いろいろなことを片付けていざ流星観測と意気込み外へ繰り出すと、べったりと雲が空を遮っていた。
その絶望たるや、星空をお好きな方はすごく共感してくれるだろう。
「いやいや、まだまだこれからが本番」と、いったん気を落ち着かせるために家の中に引き返す。
SNSで各地の流星情報をチェックしながら時間を過ごす。
息子は筑波山へ上って、一昨昨日の那須岳での感動を再度味わう計画を立てていたが、この雲のかかり具合と各地から雲多めの芳しくない情報を見て、どうやら断念したようだった。
さて23時、諦めるにはまだ早いと、ダウンコートを着込み外へ出る。
雲に切れ間が出来ていて、隙間からオリオンやシリウスがのぞいていた。
もうここはオカルトの世界、雲よ去れと念をこめて空を見上げる。
偶然か、はたまた念が効いたのか、ちょうど自分の真上を南北にスリットができて、流れ星がそう間を置かずに3つほど流れるのが見えた。
そうなるともう欲が出てきて、ひたすら雲の切れ間から向こうにある星空を見つめる。
幸い寒さもきつくなく、粘る気持ちを後押ししてくれた。
30分ほどしてちょっと家の中に用事を足しに入って10分後の外は、すっかり雲が消えていた。
小躍りしたくなる気持ちを保ちつつ、空を見上げる。
短くぱっと輝くもの、長経路で流れていくもの、様々な流れ星が、数えるのも忘れるほど流れていく。
そのうちに家人も参加して、二人で星空を眺め、双眼鏡で天の川を見て無数に散らばりひしめく星星に感動する。
時間が経つのも忘れるほどに星空に見入って午前1時、さすがに体が冷えてきて、家の中に入ることにした。
かなり低いところまで星が流れているので、二階の部屋のコタツに入りながら流星観察が出来るのではないかと、家人のナイスアイデアを採用。
早速ごろりと横たわるながら見始めると、うれしいことにすぐさまオリオンの下側を星が流れる。
暖かく首の痛さも感じないで見られる至福に酔いながら見ていると、うっすらと雲がかかり始めた。
どの星も雲で光が遮られていても、シリウスの光だけは最後まで残っている。
それだけ明るい星なのだと感心していたら、その左脇を光の筋が走っていった。
なんと明るい流星だろう、雲がなければどれほど光を放っていたのかと思うと残念であったけれど、それもひとつの目安になるとよく解釈する。
しかし、あまりに楽をしているといいことばかりではない。
もうお察しだろう、睡魔の誘惑がやってくるのだ。
瞬きをした瞬間に落ちる意識に抵抗しながら、何とか2時までがんばり、数個の流れ星を見て観測終了する。
月明かりに阻まれず、雲が切れる幸運にも恵まれて、今回のふたご座流星群を堪能できた。
来年も、こうして流れ星に会えるよう、心の中の流れ星に願いを掛けた。

2020年12月13日未明 ふたご座流星群

2020-12-13 15:16:57 | 空・雲・星・太陽たち
今朝、4時50分から5時30分にかけて、夜空を眺めた。
ふたご座流星群を見るためだけれど、何のことはない、その時間にふと目が覚めただけ。
就寝する12時ごろは、雲に9割がた覆われていて、ほぼ諦めたのだ。
目が覚めて東側の窓から空の具合を確かめようと除いた瞬間に、見事にきらめく流星が一つ私を誘うように流れた。
もちろん即座にその誘いに応じるべく、いまできる自分の最速で防寒の身支度をして外へと駆け出る。
見上げる空には雲ひとつとなく、北斗七星が真上近くに輝いていた。
その西側につうっと流れる星一つ。
夜行性の獣の恐怖などかまうものかと家の裏側の畑へと移動する。
これでもどうかと惜しげもなくその美しさを誇示する星たちの瞬きを断ち切るように、一瞬の閃光が走る。
ふたご座流星群の醍醐味、流星は一つ流れると、その近くに2つ3つなど立て続けて落ちてゆく。
そのうちISSも南西から北東にすうっと移動していくところも見られたりするが、よく見ればごくごく薄い水蒸気のベールが星空の前にかかっていて、光の弱い流星は見落としてしまいそうだった。
また、街灯のLEDの光がやはり強烈で、目の端から容赦なく進入して、星の光を消そうとしていた。
約40分の観測で、はっきりと認識できたものは8つ。
さて、今夜から明日の未明にかけての流星群観察やいかに。

ところで、わが息子殿は、日の出を山頂から見たいといって出かけた那須岳で、10日の未明、次から次と流れるふたご座流星群を見たというのだ。
あまりの流れっぷりに、息を呑んだと感動を伝えてくれた。
周りに人口の明かりがないことと標高の高さが、今まで知っている星の輝きを上回って見られたのだろう。
そして、かなり強い風に吹き付けられながら食べたカップラーメンの美味しさも格別だったそうだ。
今でしか体験できない青春の宝を、このとき得られたのだろうと思うと、我が事のようにうれしくなった。

雲多めだけれど

2020-12-13 14:36:48 | 散歩


家人と健康と気分転換をかねて、霞ヶ浦湖畔近くを散歩した。
確かに、この20年でかなり道路が整備され、点在する家々の建て替えも進んで、秘境感は薄くなったけれど、所々にある照葉樹の大木は存在感が強い。
その一帯には、古刹の神社などにも通じる、とろりと濃い空気が溜まっている。
夕暮れが近づくにつれて、太古の精霊たちが木の陰に潜んでいても不思議ではない。
最近、体調の優れない夫婦は、カメラを携えて歩く時間を作ろうと前向きに甥を受け入れる準備を始めた。
もし、死してその後、精霊になれるのであれば、どこかの気に入った苗木に宿り、季節の移り変わり、人の世の移ろいを眺めていくのもいいのではないか。








こんな味だったカルボナーラ 

2020-12-06 21:48:38 | 食べ物たち


頂き物の手打ちのフィットチーネがあったので、カルボナーラを作った。
材料は、ベーコン、パルメザンチーズ、荒挽き黒胡椒、塩、オリーブオイル、牛乳、卵とフィットチーネ。
オリーブオイルでベーコンを焦げないように炒めたら火を止め、ちょっとだけ牛乳を加えたところにパルメザンチーズ、ときほぐした全卵の卵を入れて混ぜたところで黒胡椒多めと塩で味を調えたら、一瞬中火で火を通し、茹で上がったパスタを投入して絡めたら出来上がり。
なんとなく上出来の感じ。
さてと口の中に頬張ったなら、黒胡椒がチーズと卵のまろやかさをきりっと味を引き締めて、そこにベーコンの塩気がアクセントとなり、どこか懐かしさを覚えた。
そうそう、昔々イタリアの小さな町のレストランで食べたカルボナーラだ。
薄暗く、なぜか紺色とクリーム色のイメージが浮かんでくる。
思い出はだんだんと細部が淘汰されて、もはやそれは抽象の域にまで到達しそうだ。
悲しいような気もするが、それもいい。
それでも味覚はいまだにはっきりと記憶されて、私の血肉となって生き続けるといいだろう。