rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

小さな板絵とこぶたちゃん、そして随想

2015-08-09 16:14:50 | 創作活動


小さな板絵は6月中に完成し、こぶたちゃんは先月にとりあえずできた。
仕事と家事と創作の共存はできない。
こうして週2~3回ブログを物することが精一杯で、もちろん読書とも遠ざかっている。
音楽を聴くのは、料理をするときプレイヤーをONにするのを忘れなければ、それと昼休みにヘッドフォンをつけて30分。
せめても音楽くらいは楽しまないと、心が干上がってしまう。
それでも、疲れた、時間がないと言い訳していても何もいいことはないので、そろそろ何かを作りたいと心がうずく。
まずは作りやすいもの、年賀状のデザインを考えたり、LINEあたりもいいかもしれない。
寂しさを伴うけれど、子供たちが私を今より必要としなくなったなら、さらに時間はできるはず、絵筆をとって描いていこう。

風景画は、ベルギーのブリュージュ、初夏の日差しの照りつける運河沿いに茂る木々と奥にそびえる鐘楼だ。
いかにもお決まりの風景画といったものだが、木の間から垣間見える石造りの建造物といったコントラストに、おとぎ話のロマンを感じて好ましい。

今や時の人、芸人であり芥川作家でもある又吉直樹に親近感を抱いたきっかけがある。
それは、井の頭公園の池から望む井之頭パークサイドマンションを眺め、そこに住む自分を想像するのが好きということだ。
私も、井の頭公園へ行くたびに、このマンションを眺め、その最上階左端など特に好ましく、そこに住む自分を想像するのがお決まりの行動だった。
マンションの窓から外を眺める猫よろしく、かつてパリで最上階の鋭角な端っこに住まい、道が幾本も交差する地上を眺めて物思いにふけっていた楽しい記憶がそうさせたのかもしれない。

自分にとっての芸術は、革新を望むものではなくて、甘美な追憶を楽しみ収集するためのもののような気がしてきたところだ。

たおやかなフォーレ

2015-08-08 23:24:01 | 音楽たちークラシック



Fauré - Après un rêve - Kiri Te Kanawa

今日は涼しい風が吹いて、連日私たちを苛んだ猛暑日が止まった。
せっかくの休み、スピーカーを鳴らして音楽を聴く。
気分は、フォーレ。
たおやかに流れゆく音色は、涼風に乗って庭へと向かい、夏バテ気味の植物たちをさりげなく癒す。
あまりの暑さで世話をできなかった植物たちが、少し元気になったように見えるのは気のせいか。
私は、フォーレによって気分が和らぎ、一息つける気温になったおかげで体がリラックスせよと促してくる。
そして眠り。
心地よい風とたおやかな音色は、極上の安らぎをもたらしてくれる。
フォーレをほんの少ししかまだ知らないけれど、聴き込んでいきたい作曲家の一人である。



Fauré, Barcarolle No 1 Op 26, played by Albert Ferber

暑すぎて・・・セミもバテバテ?!

2015-08-04 21:52:17 | つぶやき&ぼやき
最近、夜の9時を回る頃になると、セミが元気よく鳴き始める。
どうやら日中は暑すぎて、セミでさえもおとなしくしているようだ。
日が落ちて気温が下がってきた今頃になると、ポツリポツリとセミが鳴きだす。
今盛んに鳴いているのはアブラゼミ、せっせと鳴いて婚活だ。
暑いなら暑いなりに活動時間をシフトするのが自然界に生きるものの定め。
35度を越えたあたりから、人間どもも活動を抑えるべきではないだろうか。
炎天下の中、建設現場と道路工事や清掃に携る方々、運動に励む学生たちが、毎日のように熱中症で倒れ、少なからず亡くなる人もいる。
経済活動が停滞とか仕事のノルマや納期、強い精神と身体を作るためなどと、拒否しがたい環境の中で人は命を危険にさらす。
かけがえの無い命、平等人権とお題目は立派でも、実態と乖離しているのが現実だ。
やはり弱肉強食、野性の世界のまま、セミも人もあまり変わらないけれど、あえて炎天下に出て行かなくてはならない人がちょっと切ない気がするか。

高スペックな人間だけの世界へ

2015-08-03 22:35:04 | つぶやき&ぼやき
人の能力は一様ではなく、高度なことをこなせる者ばかりとはならないのである。
さしずめその分布図は涙型となるだろうか。
今、日本の労働力は減少の一途を辿っている。
生産製造業において、単純作業をまだまだ人の手に頼るところが多く、しかも競争力を高めるために低賃金に抑えなくてはならない。
かつてほとんどの人が貧しかった頃には、低賃金でもそれほど苦にならなかっただろうが、なまじ平等や中流志向が行き渡ったためにそれを維持するのに必死だ。
それでも生活できればよいけれど、ますます上がっていく社会保障費を捻出するのも困難なほどの低賃金、雇用の不安定化、つまりワーキングプア状態に陥る負のスパイラルが社会に蔓延りだし、労働意欲を喪失させてしまう。
さて、そんな低賃金労働者の悲哀とはまったく無縁な官僚、政治家、経団連の方々は、優秀な労働力を輸入すればよいと簡単におっしゃる。
すでに、研修生という通貨格差を利用した安い労働力を輸入して受けた恩恵で味を占めたのか、食料も全て何でもかんでも輸入すれば目先のことは収まると学習しておいでのようで、労働力が足りないならば輸入なのだそうだ。
はたまた、人工知能を搭載したロボットを販売の方は、単純労働はもちろんのこと、学習コミュニケーション能力を持ったロボットならばなんでもござれ、労働力の不足を嘆くことは無い、明るい未来がそこにあるとおっしゃっているとかないとか。
人間さまは、ただ管理さえしておればよいとも。
けれど、それができる人ならば存在意義もあろうが、できない者はどうすればよいのだろう。
えっ、無理して人口を増やしたり維持しなくても構わない、なんならば特別な人間だけが生きる権利を持てばよい、との極端な世界に変わってしまいそうだ。
管理する人間たちも、低スペックな人間ができないように不測を排除した子孫作りを心がけるようになるに違いない。
いつしか人は人を辞め、ロボットか神にでもなるのだろうか。
SF映画などにありがちの未来世界に、今一歩近づいているような流れが本流となりそうで恐れおののいているのであった。

メガネ、ゲット!

2015-08-02 21:54:08 | モノたち
あまりの暑さのせいなのか、それともスモッグでも発生していたのか、白く霞む暑い空気を突き進み買い物に出かけた。
こんな過酷な状況でもショッピングセンターは満員御礼、広大な駐車スペースがほぼ満車という驚き。
建物内は人であふれかえり、タイムセールを叫ぶ店員の声とで過剰過密な空間、まるで年末のアメ横のよう。
でも、ここに来ている人たちの全てが買い物ではなく、身の置き所の無い暑さから避難してきた難民のような気がする。
斯く言うわが家族は、買い物客と避暑を兼ねたといったところ。
そして、中くらいの人の修学旅行に着ていく服と、家人と私のメガネを買うべく、半日かけて戦い収獲を得る。
本日の本命、念願のブルーライト軽減メガネ、さっそくもうかけてこのブログを書いている。
まずは眩しくない、よって目が楽といった感想か、たぶんこれで十分なのだろう。
明日から仕事で使えば、さらにこのメガネの効果がわかるはずだ。
それにしても、休日は意外と疲れる。
根っからの引きこもりには、全方向から人が行きかう巨大ショッピングモールは難易度が高いようだ。