50年前の今日,1972年9月25日に日中国交正常化交渉に向け田中首相一行を乗せた日航特別機は,北京空港に到着した。田中角栄首相,大平正芳外相,二階堂進官房長官のほか,外務省幹部など随員49人。取材する記者団は同行80人,加えて在京テレビ五局の「総理訪中放送共同製作機構」(北京プール)の技術要員が随行した。一行の滞在期間は6日間であった。
▼ 日中国交正常化交渉のため中国へ出発する
出典:https://www.jiji.com/jc/article?k=2022092300415&g=pol
日本は1952年に中華民国(台湾)と日華平和条約を締結して以降,台湾と良好な関係を維持してきた。しかし,71年7月に米大統領ニクソンが自身の訪中計画を電撃的に発表した「ニクソン・ショック」を契機に,中国との国交正常化へ大きくかじを切る。
72年7月の自民党総裁選を制した田中は,首相就任後初の記者会見で「日中関係正常化の機は熟した」と宣言。中国首相の周恩来からは直後に訪中招請が届いた。だが,「決断と実行」の田中がこの時ばかりは「これで失敗したら辞任だ」と迷いを見せたという。
当時,自民党内には親台派の議員も多かった。当初は外務省も法眼晋作事務次官をはじめ日中交渉に反対していた。
田中の長女真紀子氏(78,元外相)によると,「(中国から)戦争の損害賠償を言われたら日本の財政なんて吹っ飛ぶぞ」と懸念していた田中は,中国側の賠償放棄の意向が漏れ伝わると,「これだ」と腹を決めた。「誰かがやらなきゃ片付かない問題だ。見切り発車するしかない」。
>>>大平外相の予言 50年たったら中国態度はガラッと変わる!!
出所:時事通信 https://www.jiji.com/jc/article?k=2022092400320&g=pol
日中交正常化は,日本側は首相の田中角栄と外相の大平正芳が主導。
大平氏は,覇権主義的な動きを強める現在の中国の姿を予言していた。「中国は低姿勢だったが,50年たったら態度はガラッと変わる。大きく経済発展して日本を見下すようになるよ」。9月29日の共同声明調印式を終え,中国から帰国する日本航空特別機の中で,大平は娘婿でもある秘書官の森田一氏(88,後に運輸相)にこう語り掛けている。