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水前寺,八代さんの決断から-当世熟年離婚を考える・3 三度目の結婚と離婚 ・家田壮子さんの独白

2021-06-14 17:49:10 | 女ぷり

 『極道の妻たち』,大宅壮一ノンフィクション賞受賞『私を抱いてそしてキスして ー エイズ患者と過した一年の壮絶記録』(文贅春秋)で,センセーションを巻き起こした作家で高野山真言宗僧侶の家田 荘子(いえだ しょうこ・1958年7月生まれ)さん。2003年に,「4度目の結婚」「1歳年上の実業家(45)と入籍」とも報道された。その真偽はさておき,彼女自身の著作『孤独という名の生き方』(2017年刊)での,自身の結婚離婚体験の告白から,熟年離婚を考えてみる。

 家田さんと水前寺,八代,そして野際陽子さんと4人の共通点は,自身の活動分野でプロフェッショナルとして通用する実力(専門性)とお金を稼ぐ力(経済力)を兼ね備えていることである。その家田さんの,離婚に至る独白は傾聴に値する。やや長くなるが,彼女の独白を以下に抜き書きする。

 ◆『孤独という名の生き方』(さくら舎刊) 三度目の結婚と離婚(p132~p136)

 心が弱くなっているときや、失恋したときなど自分のレベルが下がっているときに近づいてきた男と、淋しさを埋めるためにつきあってはいけない ー なんてこと、判りきっていたのに、私もやってしまいました。最後の離婚をした男です。一番悪いときに出逢い、結婚までしてしまったのです。
          (中略)
  自分が「淋しい」ことを恥じていたり、早く淋しさから抜け出したいと焦っているときは、ろくな縁がやってきません。自分のレベルが落ちているときには、その低いレベルの縁が集まってくるものです。そうして、自分が前を向いて一歩前に踏み出せたら、そのアップしたレベルの所にいる人たちの縁が集まってきます。
「ひとりがいいの」と、私が焦らず納得できていたら、三度目の結婚と離婚はなかったと確信しています。
          (中略)
 はたして、すぐに夫の化けの皮が剥がれ,もっともっと淋しい結婚生活となってしまいました。幸せになりたいと願いを込めて、大きな大きな「幸福の木」を買ってみたり、幸せに見えるように、高い派手なスーツを買いまくって颯爽と歩くふりをしていました。スーツを買う瞬間だけは、「最悪の結婚生活を実はしている」という淋しさや虚しさを忘れることができました。
          (中略)

 数えきれないほどのスーツに囲まれた私は、淋しさにも囲まれていました。が、「淋しい」と言えない、そして「淋しい私」と見られたくない私は、外では、つっぼって生きていくしかありませんでした。
「淋しい」と認める勇気が必要でした。そして、「だから何なの?」と、開き直る勇気も。自分の弱きを認めてしまえば、もう淋しくなくなるのです。
 守ろうと執着するものがあるほど、心がもっともっと淋しく、せつなくなっていきます。
 夫と離婚した後、私は淋しさと「スーツ依存症」から一気に解放されました。そうして、一着の安価で地味なスーツを買うのにも、本当に要るのか、何の仕事をするときに要るのかと考えるようになり、要るものしか買わなくなりました。衝動買いは、面白いほどにピタツと止まりました。もう、ストレスの反動で、つっぱって生きていく必要がなくなったのです。                      (以上)

 水前寺さん,八代さん,野際さん,そして家田さんの「離婚」で共通するのは,男に頼らずとも生きていける女性が,自分の残りの人生を悔いなきものとすべく,“捨てるべきもの”をハッキリさせ決断したこと。言葉を替えると,自立する女性の「つっぱり」との決別にあると思うのです。---これは,私のうがった見方でありましょうか。                               (この稿,続く)

 

 

水前寺,八代さんから熟年離婚を考える-ブログ・バックナンバー-

  水前寺清子,八代亜紀さんの姿から-当世熟年離婚を考える・1  2021-06-12

  水前寺,八代さんから熟年離婚を考える-野際陽子さんの場合-2  2021-06-13

 

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