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くも膜下出血で入院の伊集院静氏が退院 〈手術成功,後遺症なし〉」

2020-03-14 23:36:57 | 男ぷり

作家の伊集院静さん(70)-「くも膜下出血で手術,断筆の可能性も。」

 

 

 

1月21日にくも膜下出血で倒れ,病院に救急搬送された「大人の流儀」シリーズなどで知られる直木賞作家の作家の伊集院静氏(70)。氏のウェブサイト https://www.ijuin-shizuka.com/ の3月12日発表によると,2月に退院していたとのこと。手術は無事成功し,後遺症もないという。

 

 

photo:伊集院氏のウエブサイトより

 ウェブサイトで発表したコメントは以下の通り。
                   出典:https://www.ijuin-shizuka.com/site/20200312comment.pdf

 先日,突然の入院以来,皆さまに多大なご迷惑,ご心配をおかけしましたが,その後,手術も無事成功し,施術をしていただいた病院の担当の先生,スタッフ,看護師の皆さんのご尽力で,先月,病院を退院いたしました。後遺症は全くなく現在はリハビリ病院でリハビリに励んでおります。毎日3キロ近くの散歩を始めています。今月中旬にはリハビリ病院も退院できることになりましたことをご報告いたします。

 仕事始めはゆっくりと考えてはおりますが,毎年,4月に新しく社会人となった若者へ贈るメッセージだけ執筆いたしました。“令和初の新社会人諸君。今君たちがそこに立っていることを偶然と思うな。偶然は神様の采配である。社会の水も風も,甘くないし厳しいぞ”と相変わらずの伊集院です。

 小説,エッセイ等の連載は随時,再開の予定ですが,入院前よりは少しペースをゆっくりしようと思っています。

 最後に,入院中,多くの方々からお見舞い,メッセージをいただきありがたく思い,勇気づけられました。お礼と感謝の意を文面にて失礼とは思いますが,重ねてお礼申し上げます。入院中,静かに見守ってくださったこと,感謝しております。

                               令和2年3月12日

                                              伊集院静

  ┏┓
  ┗■ 伊集院 静(いじゅういん しずか,1950年2月9日 - )
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 作家になるまで麻雀,競輪,カジノなどのギャンブル,ゴルフ場や酒場と修羅場を経てきた男。近藤真彦の「ギンギラギンにきりげなく」の作詞をして100万枚以上売らせた男。そして若くして亡くなった美人女優夏目雅子を妻にしていた男。

 1981年,『小説現代』に『皐月』を発表し作家デビュー。代表作に『機関車先生』。山口県防府市を舞台とした自伝性の強い『海峡』三部作等がある。1984年8月27日にかつてカネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMキャンペーンガールで一緒に仕事をした女優の夏目雅子と7年の不倫交際の後再婚したが,夏目は1985年9月11日に先立って死去。

 伊達歩(だて あゆみ)の名で作詞家としても活躍。近藤真彦に提供した『愚か者』で,1987年に第29回日本レコード大賞を受賞。『ギンギラギンにさりげなく』などのヒット曲がある。1992年7月15日,『受け月』で直木賞を受賞する。同年8月7日に現在の妻で女優の篠ひろ子と再々婚した。

 

      ++++++++++++++++++++++++
 生きていれば

 夏の終りから初秋にかけて、私にとって大切な命日が続く。
 毎年、〝海の日″ の近くは海難事故で亡くなった弟の命日で、九月に入り、風が少し冷たく感じられ、雲のカタチが変わったナ、と思うと先妻の命日を迎える。
 私はその二日を一人で過ごすことが多い。敢えてそうしているわけではないが、なぜかそうなってしまう。だからと言って、悲しみを抱いたり、追憶の時間を持つわけではない。
 ただ何年かに一度、
 生きていれば何歳になっていたのだろうか……。
 と思うことがある。
 今年は先妻が亡くなって三十三年目で、彼女が生きていれば還暦を迎えていたことになる。

  『誰かを幸せにするために』p40 伊集院静著

 

 

ひとりで生きる

 人は一人では生きていけない。
 若い人たちの中には、僕は、私は、一人で生きることにしたんだ、という人もいよう。それはそれで若い時に、一人で生きること、独りを知ることは悪いことではないし、他人の力は借りず生きようという人や、自分の性格は他人と上手にやっていけないから一人で生きることにしたという人もいるだろう。一人で生きることは、孤独というものを学ぶということでも、己を見つめてみる時間を持つということでも、良いことだろう。
 しかし世の中は若い人だけではない。いろんな人が生きている。
 そんな人の中には、一人で生きざるを得ない状況、立場の人は、私たちが想像するより多勢いる。
 家族、伴侶を失った人もいれば、置かれた立場が一人で生きざるを得ない人もいる。
 そういう人たちが、何かの折に、一人でいることに戸惑い、不安になり、どうしたら
よいのか途方に暮れることがある。
 私の周囲にも、そういう人たちがいて、その切ない気持ち、揺れ動く感情を耳にする
こともある。
「何やら淋しくて、どうしようもないんです」
「一人でいると不安でしかたありません」
 中には開き直ってしまったのか、       
「伊集院さん、所詮、人間は一人で生まれ、一人で死んで行くのよね」
 と言う人もいる。私はそう言われると、
「人は一人では生まれないし、一人で死んで行くことはないと思います」
 とはっきりと言う。
 両親が存在していたから生まれたとか、孤独死は、その死の状況を見るから、そう思
えるのだとか、屁理屈でそれを否定しているわけではない.
 極端な言い方をすると、人は生まれた時から一人ではないし、この世を去る時も一人
ではない、と私は思っている。
 人間という生きものは一人で生きるようにできていない。
〝依るべきもの〃 という言葉がある。
 この言葉に馴染みのない人には、寄り添うことと思ってもらえばいいが、〝寄り添
う″ のニュアンスの中には、互いの意志のようなものがあるが、〝依るべきもの″ とは人と人だけのことではない。
 たとえば、〝希望〃 というものがある。〝夢" というものもある。
〝希望″も〝夢″も、人が人生の中で一度ならず抱くものだ。そのかたちはさまざまだ
が、長い航海に出た船が、夜の航海で仰ぎ見る、船の目指す方角を教えてくれる星のよ
うなものだ。
 古代、船乗りたちにとって、星の灯りは希望の光であり、まさに依るべきものであっ
たろう。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
              出典: 『ひとりで生きる」p3~p6 伊集院静著

 

 

 

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