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在宅血液透析Diary

日々の出来事や在宅血液透析(HHD)のことなど 書いています。
<2007年5月開設>

副甲状腺オペ日記 二日目

2007-07-21 22:59:28 | 副甲状腺オペ

オペ二日目。

この日は透析がなく、ご飯もフツーに食べられるので、ずっとベッドでゴロゴロと
漫画を読みふけっていた。

朝の回診時、外科の先生たちが来て、喉の管を抜いてくれたので、もうそれだけで
気分もスッキリ☆

耐え難かったのが、朝の採血。
透析の日は、そのまま穿刺した時に採ればいいけど、透析のない日は当然ながら
どこかに針を刺さなきゃならない。

でも左腕はシャントだし、右腕は副甲状腺の一部を移植したばかり。
仕方なく足の甲の、浮き出ている血管から採ることになったけど、これがまた痛み
がハンパじゃない!(←ここ7~8年、経験したことがないくらいの痛み。)

もし入院が延びるようだったら、自分ちの穿刺セットを持ってきてもらい、シャント
に自己穿刺して そこから採血してもらおうと思い、うちの人にも持ってくるよう
頼んだほど。(シャントなんて透析以外で刺したくはないけれど、ありえない痛さだったので。)



午後になると、友達がお見舞いに来てくれて 本当に感謝
入院時、特にオペともなると 気持ちも沈んで弱気になるので、お見舞いは本当に
ありがたいし嬉しいものです。


この日は、ちょうど一緒にHHDを行っているMさんも 一泊入院の初日の日で、午前中
はMさんの奥さんがお見舞いに来てくれました。

翌日の朝には退院してしまうということだったので、夕飯のあと、うちのダンナと
二人で Mさんの病室を訪問。
↑子供さんたちも来ていたので、にぎやかで面白かった。(笑)


二日目は無事に大したこともなく過ぎましたが、大変だったのがこのあとの夜中。
もう時刻も0時を過ぎて翌日になった頃、多分首と肩の痛みからか、頭痛まで
出てきてしまい、しかもいつもの偏頭痛とは違って 本当に我慢できない痛み。
見回りに来た看護師さんに言ったけど、先生の指示がないと薬は出せないとのこと。
いつもならロキソニンを一錠飲めば済むことなのに、どうでもいい薬ばかり持参して
きて、肝心なとんぷくを持ってくるのを忘れてしまった・・・。

「おうちの人に持ってきてもらう分にはいいよ。」なんて言われたけど、夜中の
2時に誰が持ってきてくれるんだよ!ってちょっと(かなり)憤慨。
医者の指示がないからロキソニンは出せないって言いながら、市販の薬とか手持ち
の薬なら飲んでもいいなんて、矛盾にも程があると思うんだけど・・・。
(こういう時、いつもの腎臓内科の病棟ならすぐに対処してくれるのに・・・って思った。)


結局その場は我慢して寝る努力をしたけど、とにかく痛みが治まらない。
薬ももらえないなんて、こんなだったら帰ったほうがマシだと思い、2時間後、
看護師さんに 「あまりに痛いから自宅に帰らせてほしい。」と懇願。

そしたら別の痛み止めを持ってきて、「術後傷の痛み止めだけど、頭痛にも効くから」
と言われ、その2錠を服用。(初めての薬だったので、なんて薬かは忘れた・・・。)

その後少し寝たけれど、頭痛のほうは少しは良くなったものの、あまりすっきり
しないまま。

オペ二日目に思ったことは、ほかに持病を持っていながらその他の科にかかると、
とっても面倒で融通がきかなくて使えないということ。
ホント、この日の夜は今までの入院の中で一番帰りたかった日だった。
(何も薬を処方してくれなかったら、こっそり自宅に帰ってロキソニンを飲みに行こうとマジメに思いました。)

副甲状腺オペ日記 一日目

2007-07-20 08:08:31 | 副甲状腺オペ

オペ後一日目。

朝になり、トイレに行きたくなったこともあって ナースコールで看護師さんを
呼んで、術後初めて起き上がった。
でも首の後ろの痛みがひどく、なかなかうまく起き上がることができず、やっと
どうにかベッドに座ることができ、そのまますぐ目の前(室内)のトイレへ。
まずびっくりしたのが、トイレの鏡に写った自分の顔。
とにかく顔が超むくんでいて、コレ私ってホント、自分の目を疑った。
ちなみにその日は透析日だったので、体重を測りましたが、体重自体は500グラムしか増えてなく、
このひどいむくみは一体何??と今でも謎。



起きてみて、改めて不自由に感じたのが、首の傷口から出ている二本の管と、
右足の付け根の点滴の管。
まぁそれでも、前日の起きることもできなかったことを思えば、起きることが
できるだけでもマシだなぁと思った。


前日とこの日の午前中、一番大変だったのが一切飲食できなかったこと。
また、不思議とノドは乾かないんだけど、お腹はしっかり空いた。
お腹が空いても我慢して、そんなことを繰り返すうちにお腹が空きすぎて気持ち
悪くなり、吐いたことも。(出すものがないから余計にツライ・・・。)


この日は午前10時から透析だったけど、オペ後なので何とか3時間にしてもらえない
かな~と思い、頼んでみようとしたら、「今日はどうする?5時間?」ってスタッフ
に声を掛けられ、仕方なく4時間に。(3時間どころの話じゃなかった。。)
( ̄0 ̄;アッ そういえば透析の前に、レントゲンを撮りに行った。



部屋に戻ると昼食が置いてあり、ここで初めての食事。
おかずだけ食べ、食後に薬を飲もうと思ったら、食べ物は難なく喉を通るのに、
飲み物だけが喉を通らず、薬を飲むのにとても苦労した。

普通の時でも、変なところに入ってむせることがあるけど、この日はどんなに少量でも
すぐにむせてしまい、本当に飲むのが困難だった。


お昼はお粥だったけど、夕食から常食に。
ありえないおかずだったけど、ご飯が美味しかったので マイのりたまをかけて完食☆
この時ふと思ったけど、夕食のメニューは「透析食B」って書いてあったけど、
遅く食べた昼食は透析食じゃなかった気がする・・・。
昼間はデザートがスイカだったし、おかずも水分の多いものばかりだった。
でもスイカも甘くて美味しかったし、おかずもなかなかでラッキーもしかしたら外科の食事だったのかも。
ちなみに透析食のデザートは、りんごやみかん・黄桃の缶詰ばかり。



この夕食が オペ後初めてまともに食べた食事だったけど、現金なもので ご飯が
食べられるようになってからは、急に元気になった気がする。

この日は一日中 微熱があったけど、普段から6度5分~8分くらいが平熱なので、
7度5分くらいじゃあまり熱があるという自覚症状がなかった。↑子供体温

また、前日に比べ、喉から管を通して出る血液も極端に少なくなり、予定通り翌日
管を抜くことが決定。

オペ後一日目の感想は、よく一日でここまで回復したなぁということ。
前日の夜は、辛くてもうホント、死ぬんじゃないかと思ったほどなので、その差に
自分でもビックリ。

オペ直後

2007-07-19 16:01:48 | 副甲状腺オペ

いよいよPTX。
朝の8時40分頃、看護師さんと一緒に3階のオペ室へ。

手術室に着き、シャワーキャップのようなものを渡されたので、それを被って
第5オペ室(第6だったかも) までさらに歩き、やっとオペ室へ。
オペ室へ行って最初に思ったことは、ベッドが小さいこと。
寝返りうったら落ちちゃうくらいの幅で、
「え~??手術台ってこんなに狭いの??」ってちょっとビックリ。


スリッパを脱いで台に上がって仰向けになり、もうこの時が一番ドキドキのピーク
だったかも。

せっかく苦労してT字帯を付けて手術着に着替えたのに、台に横になった途端に
シーツのような大きな布に体全体をくるまれて、シーツの中から 着ているものを
全てとられてしまった。
(でも先生や看護師さんなど、何から何まで全てスタッフは女性。)

その後「ちょっとチクっとするよ~。」って言って、先生らしき人が右手の甲に針を
刺し、何かしていたけど、針刺すなら麻酔後にしてよ~ってちょっと思った。


ちなみに前日の透析中、PTXではないけど オペ経験者の看護師さんと色々喋って、
「全身麻酔って、麻酔するよ~とは言わず、酸素送るよ~っていうのが麻酔の合図
だから。」
 って教えてもらっていて、そのことが頭に浮かんだ。

そろそろかな?と思ったら、酸素ボンベみたいなものを口に当てられ、
「酸素送るので吸ってね~。」と言われ、あぁ!これか!と思い、3回くらい呼吸
したら、まぶたが異様に重たくなってきて、強制的に目が閉じられたってカンジ。
麻酔をかけるときに数を数えると、前日の看護師さんも言ってたけど、私の時は
数は数えなかった。


意識が戻ったのは、手術室から病室に向かう時で まだ半分以上うつろな状態。
ダンナの顔は見えなかったけど 洋服が見え、あぁ、オペが終わって一緒に病室へ
行くんだなぁと夢うつつの状態で思った。(エレベーターに乗ったこともちゃんと覚えてる。)


部屋に帰ってきた後 除々に目が覚めてきて、ノドの痰がものすごく不快だった。
咳をするとかなりノドが痛むけど、苦しいので咳を繰り返し、そうこうしているうち
に嘔吐までして、もうこの世の地獄とはこのことじゃないかってくらい。

痰にはかなり悩まされたけど、一番辛かったのは首の痛み。
首と言っても切った箇所ではなく、首のうしろ側(うなじの辺り)の痛みがひどく、
筋肉痛の痛みのひどいやつってカンジ。

寝返りうってもいいよとは言われたけど、その痛みでなかなか寝返りも打てず、
こんな不自由な状態で、面会時間が過ぎたら一人にさせられるのかと思ったら、
もう涙うるるん状態。(でも非情なダンナはさっさと8時に帰っていった。)

オペは初めての経験だったけど、こんなに辛いとは思ってなかったのでびっくり。
もう二度と手術は嫌だと切に思った。(オペ好きな患者なんていないけど。)笑


オペ前日&病院での透析

2007-07-17 21:44:39 | 副甲状腺オペ

今日は朝からあわただしい一日だった。
どうして記事を更新できるのかというと、なんと!個室にはが一台ずつ設置して
あるから




↑こんなカンジ☆ 手前に置いてあるリモコンで、PCとTVの切り替えができる。

自分のPCではないので 色々と不便なこともあるけど、入院中にネットができる
というだけでも暇つぶしになるし、とってもありがたいこと。

おまけに個室のためか、も室内で使用OKだし、もイヤホンなしで
見ることできるし、おまけにPCもテレビも 使い放題&見放題。

イヤホンもいらないし、テレビカード(有料)も不要。消灯時間もないようなもの
だし、そう考えると、一日9450円っていう金額もそう高くはないかも。
(ちなみに部屋は、第二希望の9450円の個室。お風呂と応接セットがついてないだけだけど、でも病棟のお風呂も
一般家庭のお風呂みたいでキレイだったし、トイレはちゃんと部屋にウォシュレット付きのトイレがついてるので、
かえって第二希望の部屋でよかったかも)



今日は入院受付をしたあとに病室に案内され、病棟内の施設の説明を受け、オペ前
ということでお風呂に入って昼食。(←味の超薄いおかずで食べた気がしなかった・・・。)

その後レントゲンを撮って透析室へ。
今回はおとといの日曜日に透析を受けたので、今週は火・木・土の透析を病院で
おこなう予定。

今日は、穿刺だけは自己穿刺させてもらい、あとはぜ~んぶやってもらった。
てゆうか、こんなにラクチンな透析は超久しぶり
もう3年近く(HHDの指導中も含めて)ほとんど自分たちでおこなってきたので、
本当に病院での透析はいいなぁと、改めて感じた。

ベッドに行けばもうプライミングが済んでいるし、テープ貼りも開始操作もカルテ
の記載もぜ~んぶ看護師さんがしてくれて、血圧測定も時間ごとに計ってくれるし、
なにより、終了後の血液回路や透析液の片付けなど一切やらずに終わり、自分は
止血が済んだら体重計に乗るだけ
(でもなんか申し訳ない気持ちになり、「片付けはしなくていいんでしょうか・・・?」とつい聞いてしまった。)


慣れというのは凄いもので、クリニックにかかっていた時は止血後の絆創膏まで
看護師さんに貼ってもらっていて、それが当たり前だと思っていた。
でもHHDを始めて数年。そういう意味では 当時は本当に恵まれていたんだなぁと
改めて実感。


なので今日の透析中はずっと座って漫画を読みふけり、疲れたらゴロンチョして
ちょっち昼寝。 そんなカンジの透析だった☆
(しかも今週は4時間透析なので、終わるのもあっとゆうま。やっぱりいくら自宅でも、いつもの5時間半は
長いんだなぁと思った。)


その後は病室に戻って夕食。そしたら病棟の看護師さんが来て、
「あれ~!?○○さんいつ帰ってきたの」って言われた。
(透析終了後、フツーに一人で帰ってきちゃったけど、入院患者は病棟の看護師さんが車イスで迎えに
来るらしい。そんなこと知らなかったので、透析室を出たあとは 一人でそのまま売店に行ってコーヒーを
買い、ロビーで一息ついた後、一人でさっさと病室に戻ってしまった。。)




( ̄0 ̄;アッ そういえば最初病室に案内された時、必要な物品を書いた紙を
渡されたけど、オペの時に敷くバスタオルとか、T字帯・洗濯バサミ2個なんて、
事前に一切聞いてなかったので、正直 エエェェ!!??Σ(*゜□゜Σ(´口`;Σ(・д・!i!i) って
思った。 てゆうかT字帯って今回初めて見たけど マジありえない・・・。
まぁ仕方ないんだけど、せめてレディ用は可愛い柄付き(←りらやキティなどの絵柄入りとか) 
を 企業も考案するべき!って思った。


わかっていたらバスタオルだって全部用意してきたのに、仕方なく売店で 全く
センスのない大判バスタオル(2100円)をしぶしぶ購入。
もっと早く知らせてよ~ってカンジ。
(ちなみにうちの人に持ってきてもらおうと思ったけど、ここ最近の雨続きで お気に入りのキティタオルケット
はまだ洗濯カゴの中・・・。わかってたらゆうべのうちに洗濯して 浴室乾燥機で乾かして持ってこれたのに。。)



話は戻って透析後。
薬剤師さんに、麻酔科の先生・外科の先生と、入れ替わり立ち代わりで説明に
きてくれました。(麻酔やオペの同意書にサインをしたりと。)

以前もらったオペの日程表では、夜9時以降は飲食禁止って書いてあったけど、
実際禁止は食べることだけで、飲むのは翌日の朝6時まではOKだとか。



↑シャント側の腕で採血や血圧測定をしないよう、ちゃんとこんなカンジのボードが設置してあった。



明日は朝8時半からオペ。とりあえず頑張ります

むずかしい・・・。

2007-07-12 08:39:25 | 副甲状腺オペ

入院の際、身元引受書と、病気に対する自分の考えを書く用紙を提出しなければ
なりません。

「自分の考えを書く用紙」とは、アンケートのような形式になっていて、病棟の
ナースステーションに提出するもの。

私が長期入院したのは中学生の時で、その頃はこんな用紙はもちろんなく、2年前
の 模擬HHDで一泊入院した時に初めて知りました。

その時は病気で入院したわけではないし、たった一泊ということもあって、担当の
看護師さんからの質問形式で答えていきましたが、今回は自分で記入して持って
いかなければならないので、前回とは違い かなり真剣に考えちゃいました。


。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。

1.あなたはご自分の病気の検査内容・治療方針・病状経過などについて、どの程度
医師から説明を受けたいと思われますか? □にチェックしてください。


□すべて知りたい
□一部知りたい
□医師の判断に任す

2.説明を受けられる方は

□あなた と
□家族( 関係と氏名も )

3.「一部知りたい」と思う方は、知りたい内容をチェックしてください。

□病名
□治療方法とその利点・欠点
□他の治療方法の有無
□治療後の経過予想

4.もしあなたの病気が悪性疾患(例えば癌のようなもの)の場合、本当の病名
をお知りになりたいですか?


①知りたい
□自分の身体のことだから
□今後のことがあるから
□その他( )
②知りたくない
□「悪性のもの=死」と考えてしまうから
□痛みや苦しみを連想するから
□その他( )

5.もし、あなたの病気が悪性であるとして、ご家族が、あなたに病名を告げる
ことに反対している時、あなた自身はどうしてもらいたいですか?


□それでも自分の責任において 正しく病名を知りたい
□家族、周りの人の意見に従う
□その他( )

6.病状によっては、あなた自身で意思表示が出来なくなる場合があります。
そのような場合、医師、看護師はどなたのご意見をお聞きすればよいでしょうか?


希望される方のお名前・・・
患者様との関係 ・・・

7.患者様の意思を尊重した医療を進めるために、患者様ご自身の意思を表示した
書類、カードなどの有無を確認しております。臓器提供意思表示カード、輸血拒否
宣言書、終末期宣言書、尊厳死宣言書などをお持ちの患者様はお知らせください。


□カード、宣言書などを持っている(種類)・・・
□持っていない


。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。


今回の入院とは直接結びつかない内容だけど 大事なことで、今後どんな病気に
なるのかもわからないし、やっぱりちゃんと考えなければいけないこと。

いろいろ考えたけど、私は自分のことなので ちゃんと知りたいと思い、印を
つけました。


また、もし自分が大変な病気だったとして 治る見込みがないのなら、できるだけ
自宅で過ごしたいとも思います。

やっぱり少しでも自分の物を整理して片付けなければならないし、膨大な数の
キティグッズ(根付やプチタオルコレクション)も、オークションを利用して
少しでも現金にしないといけないし、PCのデータも消さないと・・・。
(↑売れば余裕でお葬式代ができるくらい膨大な数。でもレアは売らない。)



たったこれだけ記入するのに一時間かかってしまいました。
(てゆうか、もし治る見込みの薄い病気になったら キティはどこまで処分すべき
か・・・とか、そんなことを真剣に想像して考えていたので。)(; ̄ー ̄A アセ


あと 真面目な話、もしかしたら反対に自分の相手が大変な病にかかる場合だって
十分ありえるし、その場合は自分がいろいろ決めなくてはならない。

もし相手が告知を望まなかったら、自分が嘘をつきとおさなくてはならないし、
それはとても大変なこと。
そう考えると、やっぱり自分が患者の場合も、自身で病名など全てわかっていた
ほうが、家族に精神的負担をかけずに済むので、「すべて知りたい」にチェック
をしました。
(でも自分の相手が不治の病にかかったら、自分が精神的に大変でも やっぱり
真実は告げたくない。。と思い、嘘をつきとおしてしまうような気がします。)


どれが正解という答えがないので、難しいな・・・と本当に思いました。