露地は、独特の空間だと思う。
歩いていて、ここは路地ではなく「露地」だなと、意識させられる空気が流れている。
生活感が、文字通り露わになっている雰囲気、となり近所の親密な付き合いが想像され、今にも夕飯の支度の匂いがして、相撲中継が聞こえてきそうだ。

また、露地の軒先には、「露地の装飾学」とも言うべき、植木や鉢植えが趣向を凝らして並べられている。
まさに軒を競うように、路上まで浸食する鉢植えたちは、チープで安っぽい使い回しだったりするが、そこに粗野で力強い独自の美が宿る。
それは、したたかな「露地の美学」を感じさせる。
生活の中で目を愉しませる、庶民の知恵のようなものだ。

私はしばし、露地に立ち尽くし、デジカメで画像をおさえ、「よそもの」らしく立ち去る。

ペットボトルに生けられた梅の枝。ほとんど絶句するしかない光景だ。

下水管に添えられた花の可憐さよ!「露地の美学」はあなどれない。
歩いていて、ここは路地ではなく「露地」だなと、意識させられる空気が流れている。
生活感が、文字通り露わになっている雰囲気、となり近所の親密な付き合いが想像され、今にも夕飯の支度の匂いがして、相撲中継が聞こえてきそうだ。

また、露地の軒先には、「露地の装飾学」とも言うべき、植木や鉢植えが趣向を凝らして並べられている。
まさに軒を競うように、路上まで浸食する鉢植えたちは、チープで安っぽい使い回しだったりするが、そこに粗野で力強い独自の美が宿る。
それは、したたかな「露地の美学」を感じさせる。
生活の中で目を愉しませる、庶民の知恵のようなものだ。

私はしばし、露地に立ち尽くし、デジカメで画像をおさえ、「よそもの」らしく立ち去る。

ペットボトルに生けられた梅の枝。ほとんど絶句するしかない光景だ。

下水管に添えられた花の可憐さよ!「露地の美学」はあなどれない。
「ありもの」に美を見出す芸術概念「レディメイド」。
男性用便器に「R・mutt」とサインをして「作品」としたデュシャンの「泉」が有名だ。
ただそこにあるものに感じる美。
日常のなかでの発見は得てして「レディメイド」なのではないか。
街中で出会った「ありもの」が美を放つ、ただそこにあるレディメイド的光景を、ここに。

デュシャン作品の「壜掛け」に見える、積み重なったテーブル。


作者を持たぬ、抽象的な「タブロー(絵画のこと)」が街角にひっそりと掲げられていた。
グラフィティ?パブリック・アート?
これを「レディメイド」と言わずしてなんと言おう。
※この記事は、茂木健一郎の「クオリア日記」に、「あなたの「レディ・メイド」を探し、その写真をブログに掲載して、この記事にトラック・バックしてください。」とあり、触発されて書いた。
男性用便器に「R・mutt」とサインをして「作品」としたデュシャンの「泉」が有名だ。
ただそこにあるものに感じる美。
日常のなかでの発見は得てして「レディメイド」なのではないか。
街中で出会った「ありもの」が美を放つ、ただそこにあるレディメイド的光景を、ここに。

デュシャン作品の「壜掛け」に見える、積み重なったテーブル。


作者を持たぬ、抽象的な「タブロー(絵画のこと)」が街角にひっそりと掲げられていた。
グラフィティ?パブリック・アート?
これを「レディメイド」と言わずしてなんと言おう。
※この記事は、茂木健一郎の「クオリア日記」に、「あなたの「レディ・メイド」を探し、その写真をブログに掲載して、この記事にトラック・バックしてください。」とあり、触発されて書いた。