烏鷺鳩(うろく)

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本庄普寛霊場(埼玉県本庄市)

2018-04-08 | 日記
埼玉県本庄市に、普寛霊場がある。地元の人達に「普寛様」と親しまれている神社である。私も機会があると時々参拝させて頂いてる。修験道の大行者・普寛上人が入寂した地である。密教の上人を奉っているが、廃仏毀釈の際に神道になったため、神社と言っていいだろう。


お参りをする時に少し上を見上げると、素晴らしい竜の彫刻がある。






竜の下に親子の亀がいて、子亀がフンをしているところまで彫刻されている(笑)迫力のある力強い竜の下だけに、このギャップがすごい。これを彫った人はなかなか大胆なユーモアをお持ちだったようだ。一瞬、「亀のフンだけに、金運がつくかな」などと思ってしまう。が、そんな邪念を必死に振り払い、心を清らかにしてお参りする。


それにしても見事な彫刻が施されている。




本殿正面の竜も見事だが、このお賽銭箱の上からにらみをきかせている竜も素晴らしい。横に目をやると、あちこちに精巧を極めた彫刻が施されている。



この籠彫り、鞠の中の鞠が動くようになっているそうだ。


こちらの霊場では、年に2回、木曽御嶽山開山の行者普寛上人を偲んで大祭が催されている。春は4月10日、秋は10月10日。いずれのお祭りでも、たくさんの修験道の行者が集まり、線香護摩、鳴動釜、刃渡り、火渡りなど密教の荒行を披露するのである。披露するだけではなく、参拝者の様々な祈願も受け付けてくれる。



(写真:全国観るなび http://www.nihon-kankou.or.jp/saitama/112119/detail/11211ba2210129774 より)


《木食普寛(もくじきふかん)上人》1731~1801年
普寛聖人は享保16年5月大滝村に木村信次郎の子として誕生、少年時代より剣術を好み、一時は酒井雅楽頭家で25人の扶持を得ていたという。天明2年、傅灯大阿闍梨となり寛政4年木曽御嶽山開山、次いで寛政6年越後の八海山開山、更に寛政7年上州の武尊山を開山した。胃薬「百草」の創始者であり、巡錫中貧しき人々を救い、木食普寛とも称した。享和元年秩父へ帰ろうとして本庄宿米屋弥兵衛方にて死す。享年71歳。

(埼玉ゆかりの偉人:埼玉県HPhttps://www.pref.saitama.lg.jp/a0305/ijindatabase/syosai-268.html)


一般の人でも、希望者は火渡りに参加できる。本殿の素晴らしい彫刻をご覧になると共に、ご興味のある方はぜひ大祭にて火渡りに挑戦してみてはいかがだろう。

普寛霊場
〒367-0053 埼玉県本庄市中央3-4-41
TEL 0495-22-4451


【参考サイト】
・本庄市観光協会 https://www.honjo-kanko.jp/travels/fukanreijo.html
・全国観るなび http://www.nihon-kankou.or.jp/saitama/112119/detail/11211ba2210138688
・埼玉県 https://www.pref.saitama.lg.jp/a0305/ijindatabase/syosai-268.html 

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