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亡念のザムド 第17話「子羊とオボロ月」

2009年07月29日 | 亡念のザムド
記憶を失くしたアキユキ、テシクの郷を探すナキアミ、囚われのハル。
今回はいよいよこの状況から進展が起こる回になりました。
いや、序章?


アマウの原という療養所で須磨子と影童子と過ごすアキユキ。
そこでは争いもなく、ただただ平穏に時が過ぎていく。
アキユキを息子だと紹介した須磨子は医者に仕事を融通してくれないかと頼み、郵便物の配達を任されるのでした。

一方、ヤンゴと共にテシクの郷を探していたナキアミでしたが、雪に覆われた影響か郷の入り口が見つかりません。
このまま遭難か、と洞窟でヤンゴに励まされながらも、自分が本当は何をしたいのか、拒絶されているから見つからないのかと自問します。
オンゴロの導きによって郷に辿り着いたナキアミを出迎えたのはクジレイカでした。

そして囚われの身のハル。
自分はどうなってもいいが、妹には手を出すなと垣巣に要求します。
ハルの覚悟に驚いたのか、恐れを抱いたのか垣巣は去っていきます。
スカッキはそれを見て何を思ったのか、夕飯を届けるついでに独房の鍵をわざと閉めずに去って行くのでした。


さて、穏やかに過ごすアキユキですが、このままこんな所で過ごしていると脳みそが溶けてしまうんじゃないでしょうか?
現在のアキユキは記憶を失くしボーッとしていて、考えることを放棄しているようにも見えます。
半ザムドの状態だと石になることはないのでしょうか?
それを注意したのが影童子のような気がしてなりません。
ラジオ放送の言葉をアキユキに聞かせる影童子。
「私の敵はどこにいるのか」
“敵”と聞くと悪いモノのように感じますが、好敵手とか決してすべて悪いものではないんじゃないか、と思うんですよね。
この場合はここで怠惰に過ごそうと考える心、ですかね?
アキユキに考えることをやめるな、と忠告したと考えるのも一興。


遭難しかかってるナキアミとヤンゴですが、郷に帰ることに拒否されていると感じたナキアミが後ろ向き過ぎます。
ヤンゴの楽観的な励ましにも気持ちが浮上することはなく、本当にしたい事、故郷に帰ることに何の意味があるのか自問自答し始めます。
結局オンゴロの導きがあったおかげで、郷に拒否されているかもしれないという考えは消えたのか、ヤンゴをからかう余裕も出てきたようです。
こうやって見ると感情表現に乏しいけれど、ナキアミって浮き沈みが激しい人のように見えますね。
伊舟と話してる時や遭難してる時とか後ろ向き過ぎてこっちも暗くなりますよ。
それをカバーするのがヤンゴになってくれると期待しているんですが。
クジレイカとどんな話をしてどんな展開を見せるのか。
北政府と戦うのを止めろと言うのか?


そしてハル。
自らを差し出し妹には手を出すな、と脅す気概が凄い。
彼女の覚悟はこういう時に発揮されるんでしょうね。
つまり自己犠牲を要する時、ですね。
他人を傷付ける覚悟は出来ない、だけど自分が傷つく覚悟は出来る。
アキユキの時もフルイチの時も出来なかった覚悟がミドリを守る時には出来た違いはそこじゃないかなぁ、と思います。
わざと逃がしてくれたスカッキの意図は分かりません。
最初はハルを泳がせてアキユキの所まで誘導させるつもりなのかと思ったんですが、次回予告で怒っている垣巣を見る限りスカッキの独断のようですね。
そして同じく次回予告でハルに腕章を投げつけたのはミドリだと思うのですが…。
自分が足枷になってアキユキを探しに行かないお姉ちゃんをけしかけたとか、そんな感じ?


フサお母さんがナズナと対面を果たしました。
リュウゾウ先生の「会わせたい人がいるんだ…」発言にフサ視点からしたら「え…このタイミングで別れ話?」というような驚きだったと思うんですけど。
眠るナズナを責めるフサでしたがリュウゾウからアキユキの「許してあげられるようになりたい」という言葉を聞いて泣き崩れるのでした。
「私はなんて言ったら良かったのよ」
フサの責めた言葉は親としたら当然の言葉だったと思うのです。
普通に送り出した朝から突然息子がいなくなる。
責めずにはいられない、生きていたと知っても元気な姿を見ていないのですから。
ナズナの口を借りて礼を言うアザミ。
息子が傷つけられた原因を作った者でも治療し、許そうとする人間。
「私達は人間を愛さずにはいられない」
アザミの言葉に再度フサは泣き崩れ、リュウゾウはため息を吐くのでした。
いや自嘲か自責か…。
実験に加担していたから出た人間は愚かだという思いかもしれません。



次回「そこから何が見えるか」


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